サステイナビリティ時代に求められる企業の経営戦略
第18回 武力紛争時の人権デューデリジェンス対応 - ロシアによるウクライナ侵攻
国際取引・海外進出
シリーズ一覧全18件
- 第1回 サステイナビリティと日本企業の海外進出 〜求められる3つのマインドセット〜
- 第2回 「ビジネスと人権」の概要と国際的潮流
- 第3回 「ビジネスと人権」に関する日本政府の対応状況と日本企業の取り組み動向
- 第4回 ビジネスと人権 - コーポレート・デューデリジェンスおよびコーポレート・アカウンタビリティに関するEUの新指令
- 第5回 サステイナビリティと気候変動 – 英国のTCFD情報開示の義務化に関する公表
- 第6回 英国現代奴隷法の強化と「現代奴隷」
- 第7回 世界の人権デューデリジェンス関連法制総まとめ
- 第8回 人権デューデリジェンスの実践(その1) - 人権デューデリジェンス全般に関する留意点と5つのステップ
- 第9回 国際人権法の成り立ちと実務への適用 - 水に対する権利を題材に
- 第10回 人権デューデリジェンスの実践(その2) - スコーピング(調査範囲確定)の必要性と留意点
- 第11回 人権デューデリジェンスの実践(その3) - データ収集時におさえておくべき6つの視点と具体的方法、KPI設定のポイント
- 第12回 人権デューデリジェンスの実践(その4) - 類型にもとづくリスク分析と企業に求められる対応
- 第13回 人権デューデリジェンスの実践(その5)- 国際人権基準や各国国内法の内容理解に基づく人権への負の影響の分析
- 第14回 EUの「コーポレート・サステイナビリティ・デューデリジェンスに関する指令案」の概要と今後の見通し
- 第15回 国連作業部会による、次の10年に向けたロードマップの公表
- 第16回 人権デューデリジェンスの実践(その6)- 人権に対する負の影響への対処方法
- 第17回 「繊維産業における責任ある企業行動ガイドライン」の概要と活用法 – 他業種にも有用
- 第18回 武力紛争時の人権デューデリジェンス対応 - ロシアによるウクライナ侵攻
目次
武力紛争等の状況下で企業が行うべきこと
2022年2月にロシアによるウクライナ侵攻が開始されてから、大規模かつ広範囲にわたる継続的な武力行使により、現在までに多くの民間人をも対象とした死傷者が生じていることが報道されています。このような武力紛争等の状況下では、国連ビジネスと人権に関する指導原則(以下「指導原則」といいます)の考え方に従い、企業は、「強化されたデューデリジェンス」を行い、紛争等により高まった人権リスクを特定、防止、緩和し、またその際には紛争等に配慮したアプローチを行う必要があるとされます。
強化されたデューデリジェンスは、平時のデューデリジェンスと同様に、一定のタイミングごとに実施することが必要です。具体的には、新規取引関係の開始前や、事業における重要な決定・変更前、また事業環境の変化(社会的緊張の高まりなど)を見越して行う必要があるとされています。
また、既に紛争が勃発してしまった場合にも、自社事業と人権・紛争への負の影響との関連性を具体的に分析したうえで対応方法を検討する必要があります。意思決定の柔軟性を確保するためには、ウクライナ侵攻のような事例を含め、様々な形態の紛争等が今後も世界各地において相次ぐ可能性も踏まえ、日ごろから、紛争等の可能性がある国・地域については強化された人権デューデリジェンスを実施しておくことが望ましい対応といえます。
さらに、紛争地域における支援団体への寄付等や難民への支援・難民の雇用等を通じ、企業としてより積極的に紛争等の影響を受ける人々に対する正の影響を生み出すための活動を行うことも検討に値します。
ロシアで事業を行う日本企業は、ウクライナ侵攻勃発後に総じて対応が遅れ、また、ロシアからの撤退に関する判断がされた場合にも人権に関する考慮要素が対外的に説明された例は少ないとの指摘もなされています 1。本稿では、ウクライナ侵攻を含む武力紛争等の場面で、企業としてとるべき対応を概説します。
「強化された人権デューデリジェンス」とは何か
企業は、紛争等の状況の有無にかかわらず、企業の人権尊重責任の一環として平時より人権デューデリジェンスを実施する責任を負っていますが、紛争等 2 の影響を受ける地域では、より強化された人権デューデリジェンスを行う必要があるとされています。なぜなら、紛争地においては、大規模で深刻な人権リスクが発現しやすいところ(指導原則 3 7)、人権デューデリジェンスに取り組む際の原則として、企業は、より深刻なリスクから優先的に対処すべきとされているためです(指導原則17(b))。
また、軍事力や武装勢力が増強された状況や国家が緊急事態下にある状況では、よりいっそう、企業活動が紛争等を悪化させたり人権侵害を助長してしまう可能性が増加するため、企業として、より慎重に、事業活動が人権に負の影響を与える一因となることを防止する責任を負うことになります。たとえば、ロシアによるウクライナ侵攻の例においても、米国のパソコン部品等のメーカーの製品が、ロシアが使用していた武器において使用されていた事例なども報道されています 4。日本企業においては、制裁法の関連のみにフォーカスして検討されることも少なくないですが、人権デューデリジェンスに関する視点も重要となります。
そして、指導原則上、企業は、武力紛争下の状況において国際人道法上の基準を尊重する責任があるとされています(指導原則10のコメント部分)。国際人権法が、伝統的に国家を名宛人(義務者)とする法とされてきたのに対し、国際人道法は企業の役職員などの非国家主体も拘束する国際法であり、戦争犯罪等に関与したことを理由に国際人道法に違反したとされた場合、企業またはその役職員は、刑事または民事上の法的リスク 5 を負うことになります。
武力紛争に密接に関連する事業活動を行っている企業は国際人道法を尊重する義務を負いますが、必ずしも紛争の一方当事者を明示的に支援する立場に立っていなくても、武力紛争に密接に関連していると判断されるため、留意が必要です。たとえば、フランスの多国籍企業であるLafarge社は、同社のシリア子会社が事業を維持するために、シリア内戦の最中にイスラム国等の武装勢力から原材料を購入していたこと、従業員の安全や製品の物流の確保のために武装勢力に対して資金供与をしていたことから、人道に対する責任を問われフランスの最高裁判所にて敗訴しています 6。
これらを踏まえ、企業としては、平時のデューデリジェンスにおける考え方を応用しつつ、紛争等の状況に対して特別な配慮をしながら迅速にデューデリジェンスを進める必要があります。このような取組みを行うことは、EUのコーポレート・サステイナビリティ・デューデリジェンスに関する指令案(本連載第14回「『EUのコーポレート・サステイナビリティ・デューデリジェンスに関する指令案』の概要と今後の見通し」参照)を含む海外の人権デューデリジェンス法規制に対応することにもつながります。
「強化されたデューデリジェンス」の具体的な対応方法
紛争等の影響を受ける地域に関係する事業に関し、企業が行うべき人権対応の主な視点として、以下が挙げられます 7。
国際人道法の遵守を企業方針として反映
平時の人権デューデリジェンスで求められる国際人権法の尊重に加えて、企業は、紛争等の影響下では、上記に述べた国際人道法の要請も考慮する必要があります。企業として意図せずに紛争当事者の一方を支援していると判断される場合があるため、国際人道法の要請内容を踏まえ、企業内部での方針を整備しておく必要があります 8。
国際人道法に違反せず紛争等を助長しない体制の構築
平時の人権デューデリジェンスと同様に、強化された人権デューデリジェンスを実施する前提として、組織として当該実施に関するコミットメントを確立しておくことが非常に重要になります。
なお、大規模な暴力行為を伴う紛争等においては、相当の資金や準備活動が必要になるため、企業としても、それらの警告的なサインをできるだけ早期に認識し、それにより、強化された人権デューデリジェンスの実施に備える必要があります。具体的には、非常事態法の発令や通信チャネルの厳しい取締り、国際社会が講じる制裁措置なども、当該サインの一例です。ウクライナ侵攻の例では、遅くとも侵攻の開始前にウクライナの国境付近に多数の兵士の配置が報道された時点では、顕著なサインがあったといえます。
強化された人権デューデリジェンスの実施
具体的には、まず、その紛争等の情報収集を通じて、自社が事業を行う地域の情勢や当該紛争等のコンテクスト(紛争等の主たる当事者やその動機・背景、現状)等を理解することが重要です。そのうえで、自社の事業が人権または紛争自体に与える、潜在的な、または実際の負の影響の有無・内容を分析する必要があります。
負の影響の内容は、各社の事業内容によって異なります。たとえば、戦争に使用される直接的な武器を販売・提供している場合、(武器での使用が想定されない)通常の製品やサービスを販売・提供していたものの、それが武器の一部や監視技術に使われていた場合や、紛争当事者である政府が自社の間接取引先として存在しており当該取引を通じて紛争等の資金源を提供していた場合など、様々な関与の仕方があり得ます。
平時の人権デューデリジェンスと同じく、企業が人権または紛争自体に与える負の影響を特定・評価し、これを停止または防止するために実現可能な行動を行い、講じた措置をモニタリングし、これを外部に報告するという一連のプロセスを実施する必要があります。
この際、平時の人権デューデリジェンスと同様に、企業と人権への負の関わり方の類型に従って対処方法を検討する必要があります(本連載第12回「人権デューデリジェンスの実践(その4)- 類型にもとづくリスク分析と企業に求められる対応」参照)。たとえば、戦争行為を行っている紛争当事者である政府に対して、武器に転用され得る商品やサービスを提供していた場合には、状況により、取引関係の終了などによって影響力を行使する選択肢が挙げられます。
また、この人権デューデリジェンスのプロセス全体を、可能な限りステークホルダーとのエンゲージメント(対話)によって実施する必要があります。これにより、自社の事業の維持または撤退等によって負の影響を受け得る権利保持者の懸念や適切な対処方法の理解を試みることが必要です。
負の影響に関する慎重な比較衡量
紛争地からの撤退が、紛争等の影響下にある地域の緊張をいっそう高める可能性がないか、また、これにより現地の役員・従業員に対する現地対抗制裁による観点を含め、撤退や事業中断の決断により生じる人権または紛争への負の影響が、事業を維持した場合の負の影響を上回るか検討する必要があります。たとえば、早期撤退により、企業の事業活動に経済的に依拠していた人々が生活の糧を失う等の状況が生じる可能性もあります(詳細は以下4参照)。
撤退に関するコンティンジェンシープランの策定
今すぐには撤退を行わない場合でも、状況が変化して撤退が必要になる場面を予測し、撤退する場合のアクションに関し、あらかじめ明確な撤退計画(以下4で述べる緩和策等の検討を含むもの)を策定しておく必要があります。
撤退に関する負の影響の考え方
前提として、上記のとおり、撤退を行うことにより生じる人権または紛争への負の影響が、事業を維持することにより生じる負の影響を上回ってしまうことがあるため、各企業は、双方の影響を慎重に比較衡量する必要があります。
前者の負の影響として、たとえば、撤退企業から解雇された労働者が新たな職を得ることがいっそう困難になる場合や、事業内容によっては、消費者が生活に必要な製品・サービスを入手できなくなる場合(食料品や水、薬など、現地の生活必需品を販売・提供している場合など)等が考えられます。一時的に操業停止し、従業員を避難させたり、場合によっては早期に撤退することが必要なケースも考えられますが、可能な限り、撤退によって影響を受けるステークホルダーに生じる可能性のある人権への負の影響について考慮し、撤退の是非等について判断する必要があります。また、その判断は各ステークホルダーに適切に説明できることが望ましいとされています。
また、指導原則の下では、企業が撤退の判断をした場合にも、企業の労働者や現地コミュニティの住民の権利に与える負の影響を最小限にする責任が求められます。
事業からの撤退や一時停止は、その性質上、経済的・社会的影響を含む広範で深刻な影響を現地コミュニティに与えることが多いため、撤退や事業の一時停止を決定した場合でも、それらの負の影響と緩和策を検討する必要があります。緩和策には、影響を受けるコミュニティや取引先などの事業関係先、従業員等に対して、合理的期間を確保して通知を送付すること、従業員の収入源の継続確保のための支援を行うこと(雇用喪失による負の影響を緩和するための能力開発支援を含みます)等が含まれます。たとえばZARAは、ロシアの店舗を一時的に閉鎖しているものの、ロシア人従業員9,000人に対する特別な支援プランの実施を公表しています 9。
さらに、撤退のスキームとして事業譲渡や株式譲渡を行う場合、譲受人や買主側の人権に対する理解度を評価し、契約条項に含める形で、自社の撤退後も負の影響が助長されないように責任ある事業の実施を求めることが必要となります。
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「『脱ロシア』、欧米企業の迅速対応の背景にNGO」(オルタナ、2022年3月11日) ↩︎
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国連開発計画「紛争等の影響を受ける地域でのビジネスにおける人権デュー・ディリジェンスの強化 手引書」(2022年11月8日)では、国家間戦争や内戦、武装反乱、武装過激組織、その他の組織的暴力を含む様々なレベルの武力紛争や暴力の蔓延が発生している地理的な場所、地域または国を含むもののこれらに限定されないとされています。 ↩︎
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国連「ビジネスと人権に関する指導原則」を指します。 ↩︎
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“New investigation finds shipment of Western computer parts used in Russian weapons continued after invasion”(Business and Human Rights Resource Center, 8 Aug 2022) ↩︎
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各国裁判所において刑事または民事責任を追及されるリスクや、戦争犯罪等に問われる深刻なケースでは役職員個人が国際刑事裁判所(ICC)において訴追されるリスクがあり得ます。 ↩︎
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“France's Lafarge loses ruling in Syria 'crimes against humanity' case” (France 24, 9 Jul 2021) ↩︎
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国連開発計画「紛争等の影響を受ける地域でのビジネスにおける人権デュー・ディリジェンスの強化 手引書」(2022年11月8日)、“Operating in conflict-affected contexts: An introduction to good practice”(Business and Human Rights Resource Center, 8 Mar 2022)等参照。 ↩︎
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なお、軍事・治安組織の維持に関連するセクターに関する製品やサービス(オイル・ガス、監視に使用されるソフトウェアなど)は、国際人道法上の責任を問われる可能性が特に高く、英石油大手BPやリオティントもウクライナ侵攻開始後早期に撤退の判断をしています。 ↩︎
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“Zara owner Inditex ceases trading in Russia ‘temporarily’”(The Guardian, 5 Mar 2022) ↩︎
シリーズ一覧全18件
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西村あさひ法律事務所