サステイナビリティ時代に求められる企業の経営戦略

第10回 人権デューデリジェンスの実践(その2) - スコーピング(調査範囲確定)の必要性と留意点

国際取引・海外進出
渡邉 純子弁護士 西村あさひ法律事務所

目次

  1. スコーピング(調査範囲確定)の必要性
  2. 優先順位付けにおける考慮要素
  3. ステップ1(スコーピング)における留意点
    1. 深刻性 > 発生可能性
    2. 潜在的なリスク
    3. 人権専門家の関与
    4. 継続的な見直し 
※本記事は、西村あさひ法律事務所が発行するニューズレターの「サステイナビリティと日本企業の海外進出 人権デューデリジェンスの実践 [その2] - 」の内容を元に編集したものです。

 本稿では、人権デューデリジェンスを実践する際の初めのステップとなる「スコーピング(調査対象範囲の確定)」の方法について解説します。第8回「人権デューデリジェンスの実践(その1) - 人権デューデリジェンス全般に関する留意点と5つのステップ」で人権デューデリジェンスの全体像を解説しましたが、本稿以降、各ステップの内容と留意点を解説していきます。

人権デューデリジェンスの全体像

 なお、「ビジネスと人権に関する指導原則 1」により企業に求められる行為には、人権方針の策定による人権尊重責任へのコミットメントもあげられます 2。実際には、人権デューデリジェンスを実施する前段階として、当該人権方針の策定を行うことが必要となります。日本企業の現在の取組状況を踏まえると、人権方針の策定は全体として進んでいるものの、人権デューデリジェンスの実質的取組みを開始している企業の割合が少ないといえます。そのため、本稿では主に後者の「人権デューデリジェンスの実質的取組み」について解説しますが、人権デューデリジェンスの実践を通じて得た発見事項(たとえば本稿で説明する優先順位付けの方針等)は、既存の人権方針の改定時にもフィードバックして人権方針に織り込むことも考えられ、両者の手続は切り離さずに理解しておくことが重要といえます。

スコーピング(調査範囲確定)の必要性

 本連載においてたびたび強調してきましたが、「ビジネスと人権」の法的フレームワーク 3 に即して考えると、企業活動との関係で問題になり得る人権リスクの数は、特に企業規模の大きさや業務の性質等により無数となり得ます。「人権」と一口に言っても、社内や自社グループ会社内のハラスメント問題(ダイバーシティ&インクルージョン)・労働問題から、顧客との関係で生じ得る人権リスク、サプライヤー(直接契約関係のある取引先に限られません)との関係で生じ得る人権リスク、地域コミュニティとの関係で問題となり得る人権リスクまで、関係するステークホルダーの類型、自社と当該人権リスクとの関わり方、人権課題の類型も多岐にわたります。また、人権リスクが生じている場所に関する地理的範囲にも制限はありません。

 もっとも、それらの無数のリスクに同時に対処することを、指導原則は求めていません。指導原則は、企業の規模や事業の性質によって、「ビジネス」と「人権」の関わり方に関する複雑さの程度が異なることを認識しています。そのうえで 4、特にバリューチェーン上で数多くの他企業と繋がる企業(大手の多国籍企業はこちらに該当するでしょう)は、優先順位を付けて人権デューデリジェンスに取組む必要性が高いとしています。

 具体的には、そのような企業は、「特定のサプライヤーや顧客の業務状況、関連する特定の事業・製品またはサービス、その他の関連する考慮要素を原因として、人権に対する負の影響(人権リスク)が最も大きい一般的な領域を特定」したうえで、「人権デューデリジェンスにおいてもこれらを優先する」ことが求められています 5。言い換えれば、特に社外のライツホルダーとの関係では、企業の規模等に比例して関連し得る人権リスクが無数になり得るために、より人権リスクの高いところから対処することが求められているのです。この「リスクが大きい一般的な領域の特定の作業」=「優先順位付けの作業」を、本連載ではステップ1の「スコーピング(調査対象範囲の確定)」と位置付けています。

 筆者も、「これから人権デューデリジェンスを開始しようとしているがどこから手をつけて良いのかわからない」「一次サプライヤー(直接契約関係のあるサプライヤー)だけで膨大な数が存在するところ、二次サプライヤーの監査まで考えると気が遠くなる」といった悩みを企業の方からよく伺います。ですが、問題になり得る人権リスクを初めからすべて拾おうとする必要はなく、むしろ適切な優先順位付けをすることが重要です。

優先順位付けにおける考慮要素

 それでは、どのような領域が、「人権に対する負の影響(人権リスク)が最も大きい」とされるのでしょうか。これは個々の企業の属する業界・業種、事業を展開する国・地域、自社の取扱製品やサービスの内容・自社のサプライチェーン上に存在するライツホルダーの属性等によっても異なるため、各社に即して個別具体的な検討が必要な部分であり、すべての企業に当てはまる画一的な回答はあり得ません(特に、自社および自社グループの従業員以外の者に対する人権リスクについて)。

 たとえば、サプライチェーンを世界中に有する製造業であれば、強制労働等の労務に関する権利は避けて通りにくく、サプライチェーンの全体像を把握したうえで特に問題になりやすい製品・部品や国を元に優先順位付けをすることが1つの方法です。一方、金融機関の与信業務であれば、自社の顧客やプロジェクトに対する融資を通じて関係し得る問題になりやすい人権課題の類型から整理する必要があります。

 このように、業界によってよく問題になり得る人権の類型や整理の切り口も異なります。また、国・地域によっても、「国際的に認められた人権」を規定する国際人権条約の批准状況や、制定されている国内法の対象範囲、(国内法が存在したとして)実際の現場での監督執行状況は様々です。紛争が勃発した地域であれば、あらゆる人権侵害に関与してしまうリスクが高まりますし、貧困率が高い場合も同様です。また、取扱製品によっても、たとえば、カカオ豆を使用する場合は児童労働が問題になりやすいといった違いがありますし、サプライチェーン上に非正規労働者が多い場合には移民という属性に応じた問題が生じやすい等、ライツホルダーの属性に応じた問題の特徴も異なります。

対象とする人権課題を絞るか?

 2010年代に入ってから直近まで、欧米豪を中心として各国で発展している人権デューデリジェンスに関連する個別の法律または法案によっては、問題になる人権の類型が狭く限定されているものもあります(たとえば英国やオーストラリアの現代奴隷法であれば、サプライチェーンの上流で発生する強制労働や人身売買等、オランダの児童労働デューデリジェンス法 6 であれば年齢等による基準を伴う児童労働等)。
 自社にこれらの特定の法律が適用される場合で、当該法律に基づく対応のみを念頭に置く場合、当該法律に即して限定された類型の人権課題のみを初めから対象とし、その範囲内で優先順位付けを行うことも1つの方法です(ハードロー化が先行していた欧米豪では、従来、そのような方法をとっている企業は一定程度存在します)。
 もっとも、現在EUで議論されている指令案 7 では、対象となる人権課題の類型が幅広くなる可能性も高く、当該動向に従って広い範囲の人権課題をカバーすることが欧州各国の法案策定でのトレンドにもなりつつあります。さらに、訴訟リスクやレピュテーションリスク等、広い意味での企業に対するリスクを考えると、今後ますます企業としては幅広い類型の人権課題を意識せざるを得なくなることには留意が必要です(そのうえで、結果としてある特定の人権課題に優先順位を付けることは考えられます)。

 客観性を担保して上記の特定作業を行うためには、信頼性のある情報源を元に検討する必要がありますが、同時に、このステップでは必ずしも時間をかけ過ぎないという視点も必要ということも、筆者としては強調しておきたいポイントです。なぜなら、ステップ1のスコーピングはあくまでも、人権デューデリジェンスを効率的に実施するにあたって、自社の事業ポートフォリオとデータに基づき、より大きな問題が潜んでいる可能性の高い場所を予想するための作業に過ぎず、その後の実際の人権リスクの特定に基づく負の影響の是正や軽減・防止策を検討し実行する作業こそが、人権デューデリジェンスの最も重要な機能といえるためです。

 指導原則は、人権に対する負の影響が特定された場合の救済措置の提供も、企業の人権尊重責任を支える1つの重要な柱としています 8。また、企業としてもその段階までプロセスを進めて初めて、求められる水準の報告を行うことができます。従って、この段階で完璧なリスクマッピングを行うことに時間を要し過ぎると、人権デューデリジェンスの性質に鑑みてむしろ本末転倒となってしまうことがある点に留意が必要です。たとえば、アパレル企業が数百個の製品群についてサプライチェーンの最上流まで何層にもわたるサプライヤーを特定するのに数年をかけ、その後初めて自社に近接するサプライヤーの状況を確認し始める場合は、優先順位付けの意味も薄れてしまうでしょう。

 上記の観点から、優先順位付けの作業を行う段階では、自社の事業全体の見取図を念頭に、人権に関する専門家を関与させるとともに、入手が容易な情報を効果的に使用しつつ検討を行うことが基本となります。人権デューデリジェンスを行うチームに社内または社外の専門家を含めるべき点は、以下3でも触れるとおり指導原則が求めています。また、情報源に関しては、現地訪問を行い現場のステークホルダーから生の情報を収集したうえで優先順位付けの作業に役立てることも有用ではありますが、必ずしもこの段階での重要度は高くありません。有用な情報源の一例としては以下があります。

情報源

  • 各国際機関(各人権条約機関 9 を含みます)や各国政府機関の発行している報告書
  • NGOその他の人権専門家・研究機関による報告書
  • メディア情報
  • 社内の既存の監査・審査手続から得られた情報
  • (すでにグリーバンスメカニズム 10 を構築している場合、)グリーバンスメカニズムを通じて得られた特定の人権リスクに関する実際の通報情報 等

ステップ1(スコーピング)における留意点

 以下、ステップ1に関して、各社共通して理解しておくことが有用な留意点およびよく誤解されやすい点を説明します。また、第8回「人権デューデリジェンスの実践(その1) - 人権デューデリジェンス全般に関する留意点と5つのステップ」でご説明した、人権デューデリジェンスを行うにあたっての全般的な留意点(以下で詳述する点を含みます)は、ステップ1にも当てはまるためそちらもご参照ください。

深刻性 > 発生可能性

 優先すべき人権リスクの特定において最も重要な要素は、「深刻性」です。具体的には、①規模、②範囲、③是正可能性により判断されます 11

  1. 規模:人権に対する負の影響の重大性(わかりやすい例としては生命に対する権利の侵害がある場合)
  2. 範囲:影響を受けるまたは受け得る人の人数

  3. 是正可能性:負の影響が生じる前の状態に戻すことの困難性

 これら3つの要素をすべて満たさなければ「深刻性」が高いと判断されないわけではありませんが、一般論としては、①規模または②範囲が大きいほど、③是正可能性も低いとされます 12

 注意すべきなのは、指導原則の言う「深刻性」には、発生可能性という観点は含まれていないことです。この点は企業に対するリスクを調査するための伝統的な監査手続と大きく異なります。よって、人権デューデリジェンスでは、発生可能性がたとえ低くても、仮に発生した場合に深刻度が高いリスク(人の死に繋がる恐れがある場合等)は優先されます。ただし、最も深刻度が高いもの以外の中での優先順位付けに関しては、発生可能性を考慮することもあり得ます。 人権リスクが発生している場所と自社とのビジネス上の関係の強さ(近接性)は基準になりません。よって、「◯次サプライヤーまでしか対象としなくても良い」というような範囲の限定も、指導原則上は規定されていません 13

潜在的なリスク

 指導原則によれば、人権デューデリジェンスでは、すでに発生しているリスクのみではなく、今後発生する可能性のある潜在的なリスクも対象として調査する必要があります 14。むしろ人権デューデリジェンスの大きな機能の1つとして、すでに発生しているリスクに関する救済措置の実行だけでなく、(企業の事業活動と関係のある)人権に対する負の影響の発生を「防止」することも重視されている 15 ことは理解しておく必要があります。この観点からも、新たな事業の開始前(新たな取引先との関係構築・新たな市場への参入・製品のローンチ・事業方針の変更時等)の人権リスクも調査できるよう、人権デューデリジェンスのプロセスを回していくことが必要です。

人権専門家の関与

 指導原則は、人権デューデリジェンスのプロセスにおいて、独断的にならずに信頼性のある情報を入手して手続を進められるよう、社内外の独立した専門家の活用が必要であることを明記しています 16。ステップ1の対象範囲確定の段階でも、これらの者を関与させることが望ましいといえます。どのように優先順位付けを行なったか、理由と方法も含めて根拠を示して公表する(ステップ5)ことが、結果的に人権デューデリジェンス全体の信用性の向上にも繋がります。

継続的な見直し 

 人権デューデリジェンス全体の手続と同様、優先順位付けの作業も継続的に行うものです。ステップ1を経てその後の作業(実際の人権に対する負のリスクの特定等)を進めている間に、新たに、より深刻な人権リスクが浮上することもあるでしょう。重要な事業の変更や新規事業を行う場合に都度スコーピングを行うことも必要です(人権に対するリスクは、外的要因や事業の状況に応じて刻一刻と状況が変わる可能性があることは以前までの記事でも解説しています)。そのような場合、当該リスクを優先して監査することが必要なこともあります 17(本連載で区分けするステップは解説の便宜のためのものであり、実際には、途中で前のステップに遡ったり、複数のステップを並行して行うこともあります)。

 なお、上記に述べた優先順位付け(冒頭の図で示すステップ1)は、リスクを特定するための情報収集(ステップ2)および当該情報に基づくリスク分析(ステップ3)のフェーズでの作業についての優先順位を付けるものですが、ステップ3で特定されたリスクに関して、リスクの防止や軽減措置等を検討する際(ステップ4)にも優先順位付けの発想は必要となります(特定されたリスクに同時に対処できない場合、最も深刻なリスクから対処すべきであることを指導原則は明記しています)。
 さらに、当該措置がとられた後のモニタリングの段階でも、同様に、それまでのステップで高い優先順位を付されたリスクから行うことになります。

 以上、人権デューデリジェンスを行う際に初めのステップとなるスコーピング(対象範囲確定)の方法の概要と留意点について説明しました。次回以降は、さらに先のステップについて解説していきます。

ステップ1のポイント
  • 個別具体的な状況に照らした優先順位付け(人権デューデリジェンスにて監査を行う範囲の確定)が必要である
  • 最も深刻なリスクが発生している、または発生し得る部分に高い優先順位を付ける
  • 社内または社外の人権専門家を関与させて検討を行う

  1. 以下「指導原則」といいます。詳細は、第2回「「ビジネスと人権」の概要と国際的潮流」をご参照ください。 ↩︎

  2. 指導原則16 ↩︎

  3. 指導原則および、当該原則の策定以降、各国において発展している人権デューデリジェンス関連法制を踏まえています。本稿では、指導原則の基本的な枠組みを解説しますが、近年の各国の新たな法律・法案も、指導原則の考え方に準拠するものが主流となっています。 ↩︎

  4. 指導原則17 (b) ↩︎

  5. 指導原則17のコメント部分 ↩︎

  6. 2022年の施行が計画されていた法律。各国の法制の詳細は、第7回「世界の人権デューデリジェンス関連法制総まとめ」をご参照ください。 ↩︎

  7. 前掲注6 ↩︎

  8. 企業が人権に対する負の影響の原因を作出しまたはこれを助長した場合(指導原則15(c))。 ↩︎

  9. 詳細は、第9回「国際人権法の成り立ちと実務への適用 - 水に対する権利を題材に」をご参照ください。 ↩︎

  10. 権利侵害の対象者から情報を吸い上げ救済を実現するための苦情処理メカニズムを指します。詳細は本連載の後の回で解説します。 ↩︎

  11. 指導原則14のコメント部分。もっとも、「深刻性」の程度がすべてのケースにおいてわかりやすく判別できるとは限らず、絶対的な概念ではないとされます(指導原則24コメント部分)。 ↩︎

  12. OHCHR「THE CORPORATE RESPONSIBILITY TO RESPECT HUMAN RIGHTS An Interpretive Guide」(2012年)p.83 ↩︎

  13. ただし、本年6月11日に成立したドイツのサプライチェーン注意義務法では、政治的妥協の結果として基本的に一次サプライヤーのリスクまでしか監査の対象とされなかったことから、改正が期待されているところです(詳細は第7回「世界の人権デューデリジェンス関連法制総まとめ」をご参照ください)。 ↩︎

  14. 指導原則17柱書 ↩︎

  15. OECD「責任ある企業行動のためのOECDデュー・ディリジェンス・ガイダンス」(以下「OECDデュー・ディリジェンス・ガイダンス」といいます)16頁 ↩︎

  16. 指導原則18 (a) ↩︎

  17. OECDデュー・ディリジェンス・ガイダンス17頁 ↩︎

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