サステイナビリティ時代に求められる企業の経営戦略
第14回 EUの「コーポレート・サステイナビリティ・デューデリジェンスに関する指令案」の概要と今後の見通し
国際取引・海外進出
シリーズ一覧全18件
- 第1回 サステイナビリティと日本企業の海外進出 〜求められる3つのマインドセット〜
- 第2回 「ビジネスと人権」の概要と国際的潮流
- 第3回 「ビジネスと人権」に関する日本政府の対応状況と日本企業の取り組み動向
- 第4回 ビジネスと人権 - コーポレート・デューデリジェンスおよびコーポレート・アカウンタビリティに関するEUの新指令
- 第5回 サステイナビリティと気候変動 – 英国のTCFD情報開示の義務化に関する公表
- 第6回 英国現代奴隷法の強化と「現代奴隷」
- 第7回 世界の人権デューデリジェンス関連法制総まとめ
- 第8回 人権デューデリジェンスの実践(その1) - 人権デューデリジェンス全般に関する留意点と5つのステップ
- 第9回 国際人権法の成り立ちと実務への適用 - 水に対する権利を題材に
- 第10回 人権デューデリジェンスの実践(その2) - スコーピング(調査範囲確定)の必要性と留意点
- 第11回 人権デューデリジェンスの実践(その3) - データ収集時におさえておくべき6つの視点と具体的方法、KPI設定のポイント
- 第12回 人権デューデリジェンスの実践(その4) - 類型にもとづくリスク分析と企業に求められる対応
- 第13回 人権デューデリジェンスの実践(その5)- 国際人権基準や各国国内法の内容理解に基づく人権への負の影響の分析
- 第14回 EUの「コーポレート・サステイナビリティ・デューデリジェンスに関する指令案」の概要と今後の見通し
- 第15回 国連作業部会による、次の10年に向けたロードマップの公表
- 第16回 人権デューデリジェンスの実践(その6)- 人権に対する負の影響への対処方法
- 第17回 「繊維産業における責任ある企業行動ガイドライン」の概要と活用法 – 他業種にも有用
- 第18回 武力紛争時の人権デューデリジェンス対応 - ロシアによるウクライナ侵攻
本法案公表の経緯と重要性
2022年2月23日、欧州委員会から、「コーポレート・サステイナビリティ・デューデリジェンスに関する指令案」(以下「本法案」といいます)1 が公表されました。本法案は、企業が、そのグローバルなバリューチェーンを通じて人権・環境に及ぼし得る負の影響に対処することを目的としており、欧州域内に拠点を持つ企業以外も対象とすること、デューデリジェンスの対象地域も欧州域内に限定されず、グローバルサプライチェーンで繋がり得る世界各地域となること等から、企業の人権・環境対応を一層加速させる重要な分岐点となる法案として国際的に注目が集まっていたものであり、多くの日本企業に対しても法的義務を課す法律となることが予想されます。
当初は2021年の夏前に欧州委員会から発行されることが期待されていましたが、その後、度々の延期が公表され、多くの欧州企業や市民社会団体からの圧力もかかる中で、ようやく今回の正式な法案の公表に至りました。義務の範囲等について数多くの論点を包含するために今回の公表まで当初想定された以上の時間を要したものと思われますが、今後、本法案をもとに欧州議会および理事会にてさらに議論されることになります。
よって、最終的な制定法の内容は現時点では未定ですが、本法案が現在世界中で加速する人権・環境デューデリジェンス法の制定の流れに大きく影響することは必至であるため、すでに現実的に対応が求められつつある企業の人権対応を適切な方向で進めるうえでも、現時点での諸論点を含め把握をしておくことが有用といえます。
本法案の概要
本法案の概要は以下のとおりです 2。
No. | 項目 | 本法案の内容 | 条文 |
---|---|---|---|
1 | 対象企業 |
「ハイリスク産業」 ( i ) 繊維、皮および関連製品(履物を含む)の製造業、繊維・衣服および履物の卸売業 ( ii ) 農林水産業(養殖業を含む)、食品製造業、農業用原材料・動物・木材・食品・飲料の卸売業 ( iii ) 採掘場所を問わず、鉱物資源の採掘業(原油、天然ガス、石炭、亜炭、金属および金属鉱石、その他すべての非金属鉱物および採石製品を含む)、基礎金属製造業、その他の非金属鉱物製品および加工金属製品(機械および装置を除く)の製造業、鉱物資源・基礎および中間鉱物製品(金属および金属鉱石、建設資材、燃料、化学品およびその他の中間製品を含む)の卸売業 |
2条 |
EU域外企業は、事業を行うEU加盟国のいずれかにおいて設立された法人または住所を有する自然人を、授権された代表者として指定し、その名称または氏名、住所、電子メールアドレスおよび電話番号を、当該加盟国の監督当局に通知する必要がある。 | 16条 | ||
2 | デューデリジェンスに関する義務内容 |
上記の各義務の内容詳細は、次項目No.3〜No.9を参照。 |
4条1項 |
以上の企業の義務を実施するうえで、企業は、適切な産業別のスキームやマルチ・ステークホルダー・イニシアチブに依拠することが可能。 | 14条4項 | ||
3 | 企業方針 |
|
5条 |
4 | 負の影響の特定 |
|
6条 |
「確立された」「事業関係」 「事業関係」:請負業者、下請け業者、またはその他の法人(以下「パートナー」という)で、( i ) 企業が商業契約を結んでいる相手方、または会社が融資、保険、再保険を提供する相手方、または ( ii ) 企業のためにまたは企業に代わって、製品またはサービスに関連する業務を遂行する法人。 「確立された事業関係」:直接的か間接的かを問わず、その強度や期間から見て持続的であるまたは持続的であると予想される、バリューチェーンのごく一部または単に付随的な部分ではない「事業関係」。 |
3条 (e) (f) |
||
5 | 潜在的な負の影響の防止 | 企業に求められる対応として、以下が含まれる。
|
7条 |
6 | 実際の負の影響の停止 | 企業に求められる対応として、以下が含まれる。
|
8条 |
7 | 苦情手続 | 企業は、自社事業、子会社事業およびバリューチェーンに関する人権・環境への悪影響に係る正当な懸念がある場合、権利の被侵害者、労働組合およびバリューチェーンで稼働する個人を代表するその他の労働者代表、市民社会団体からの苦情が提出できる体制を整える必要がある。 | 9条 |
8 | モニタリング(監視) |
|
10条 |
9 | 開示 | 会計指令2013/34/EUの対象となっていない企業は、本指令の対象事項をウェブサイト上で毎年年次報告書を開示することにより行う必要がある(年次報告書は、毎年4月30日までに発行する)。欧州委員会は、報告の内容および基準を規定する委任法令を採択しなければならない。 | 11条 |
10 | 対象となる人権課題 | 以下の国際条約等で規定される、別紙パート I に掲げる権利または禁止
|
別紙 パートI |
11 | 対象となる環境課題 | 以下の国際環境条約で規定される権利または禁止
|
別紙 パートII |
12 | 気候変動 |
|
15条 |
13 | 監督当局 |
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17条 ・ 18条 |
14 | 制裁 | 各EU加盟国は、本指令に基づき採択された国内法の規定違反に関する制裁を設ける(制裁の種類は各加盟国の裁量による)。金銭的制裁が課される場合は、制裁金の額は会社の売上高に基づくものとする。 | 20条 |
15 | 民事責任 | 企業が、「潜在的な負の影響の防止」(上記No.5参照)または「実際の負の影響の停止」(上記No.6参照)で定める義務に違反し、それにより、適切なデューデリジェンスの実施により回避できたであろう負の影響が発生して損害を生じさせた場合、企業は当該損害を賠償する責任を負う。 | 22条 |
16 | 取締役の 義務 |
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25条 |
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26条 | ||
17 | 各加盟国での法制化 | EU各加盟国は、以下のスケジュールで、本指令に基づく国内法を制定しなければならない。
|
30条 |
本法案の評価と今後予想される論点
本法案は、国連の「ビジネスと人権に関する指導原則(以下、指導原則)」やOECDの「責任ある企業行動のためのデューデリジェンス・ガイダンス」等の国際基準に、多くの部分において準拠しています。また、人権・環境に関する広範な課題を対象とし、バリューチェーンの下流の調査も対象にする点で、欧州各国を中心に発展する既存の人権・環境デューデリジェンス法のいずれよりも広範な義務を課す画期的な法案であると評価されています。
一方で、公表直後から、市民社会団体による指摘を中心としてすでに多くの不足点も指摘されています(第7回「世界の人権デューデリジェンス関連法制総まとめ」で解説した2021年3月に欧州議会から公表された原案からは、多くの点が削ぎ落とされたと指摘されています)。
指導原則の考え方に則った点として評価できるポイントとしては、企業の人権・環境対応の対象となる各課題が、国際人権条約・国際環境条約を参照する形式で、別紙において明記されていることがあげられます。本連載で繰り返し説明してきたとおり、企業の人権対応は、急速に進む各国レベルでのデューデリジェンス関連法の文言だけを見れば可能となるものではなく、各人権課題の根拠となる国際法(多くは条約に規定される形で存在しています)に立ち返り、そこで求められている内容を正確に把握することが重要です(いまだ多くの日本企業の間で多く存在する誤解として、人権の外縁が曖昧であり、際限なく広がるのではないかというものがあります。また、国際法で求められる内容を理解し実践することが、指導原則や本法案でも本来的に求められているデューデリジェンスであり、この点を十分に理解しないまま表面的なデューデリジェンスを行う場合に、企業に対する各種の経営リスク(紛争に巻き込まれるリスクや投資撤退リスク・レピュテーションリスク等)がすでに現実化している点、さらには、本法案によって法規制違反リスクにも発展しつつあることを、企業としては認識しておく必要があります)。
また、審議過程での大きな争点として予想されていた取締役の義務が、中長期的な人権・環境への影響を考慮する義務として明記されたこと(上記表No.16参照)は、企業実務を取り巻く本分野の進展に関して1つの転換をもたらすものと評価できます。さらに、民事責任の明記により、EU域外企業も今後欧州各国の裁判所において提訴される可能性が高まることも予想されるところです(上記表No.15参照)。
他方で、本法案については、以下のような不足点が指摘されており、今後、欧州議会および理事会で審議される過程において、これらの点が変更されることも十分に予想されます。
第一に、対象企業の範囲です(上記表No.1参照) 4。欧州委員会によれば、約1万3,000の欧州域内企業と約4,000の欧州域外企業が本法案の対象となることが予想されていますが、2021年3月に欧州議会から公表された原案に基づく想定と比較した場合に、対象企業数が著しく減少していることが、多くの市民社会団体から指摘されています(指導原則上は、企業の規模を問わず人権侵害の原因を作出、助長またはこれに関与する可能性があるため、すべての企業が人権尊重責任を負うこととされています)。もっとも、直接的には本法案の適用対象とはならない企業も、適用対象となる企業とバリューチェーン上で繋がる場合には、事実上、本法案に則ったデューデリジェンスの履行を求められる可能性が高いため、対象企業の範囲の狭さのみをもって自社への影響を軽視することはできません。
第二に、デューデリジェンスの調査範囲が、バリューチェーンの上流・下流の双方、また、直接取引先に限定されないとされた点自体は指導原則に沿っているものの、「確立された事業関係」(上記表No.4)の定義による限定があることで、企業が取引先を定期的に変更することにより当該調査義務を免れるのではないかとの指摘もされています。
第三に、取引関係にある事業パートナーに対して、企業の行動規範および(必要に応じ)行動計画の遵守を確保させるための契約上の保証を求めることのみを強調するアプローチ(上記表No.5・6参照)は、事業パートナーが人権・環境への負の影響を引き起こしてしまう根本原因を度外視して、企業自身が本来果たすべきデューデリジェンスの義務を一方的に事業パートナーに押し付け得るものとして批判されています。取引先との契約により、指導原則の求める「影響力の行使」を可能とする体制を整えることは1つの重要なアプローチですが、契約条項だけを規定すれば人権・環境課題が解決するわけではないという発想がその根底にあります。
最後に、気候変動に関する企業の義務が、地球温暖化の1.5℃への抑制のための計画の策定に留まり限定的であるという批判もなされています。
今後の見通しと日本企業に求められる対応
冒頭に述べたとおり、本法案は、今後、欧州議会と理事会にて審議されますが、すでに数多くのEU加盟国において人権・環境デューデリジェンスに関する法案の審議・立法が加速している現状を踏まえると、本法案の成立の見込み自体に疑義が生じるものではなく、今後の焦点は、いつ・どのような内容で成立するかということになると思われます。この点、本法案の目的(欧州加盟国各国において異なる内容の法律が相次ぎ成立または審議されている昨今の状況を踏まえ、EUの統一規範を早期に策定すること)を踏まえると、今後の審議過程が迅速に行われることへの企業や市民社会団体からの圧力もますます強まることが予想されます。
本法案では、上記表のNo.5で述べた契約条項に関して、欧州委員会が、任意的なモデル契約条項を公表することとされています(本法案12条。ただし、当該アプローチに批判があることは上記のとおりです)。また、企業またはEU加盟国に対して、企業がデューデリジェンスの義務をどのようにして実施したら良いかを示すために、欧州委員会等(適切な場合に国際機関も含まれることが示唆されています)が、特定の産業または特定の負の影響に関するものを含むガイドラインを策定することとされています(本法案13条)。このように、具体的に参考になる各種のガイドライン等が今後公表・策定されていくことが想定されており、それらの動きを注視することも重要です。
本連載で繰り返し述べてきたとおり、人権課題は非常に広範な内容を含むこと、また、従前の法務・コンプライアンス対応とは異なる視点も必要であることから、人権デューデリジェンスへの取組みには年単位での長期的なコミットメントが必要となります。本法案によって、ますますこの長期的取組みの重要性が加速するといえるでしょう。上記を踏まえると、多くの日本企業も早期に取組みを開始することが肝要といえます(特に、本法案でも明記されているような、実際の負の影響を受け得るステークホルダーとのエンゲージメントの実践や、取引先との契約締結、グリーバンスメカニズムの導入検討開始など)。
他方で、現時点で本法案の細かい内容に即して対応を開始するというよりは、指導原則という根本にある大原則に従って着実に対応を進めていくことが推奨されます。その理由としては、本法案の細かい要件や対象範囲は今後の議論の過程で変更の可能性が大いにあること、本法案自体が指導原則という国際基準を踏まえた内容とすることを目指していること、また、欧州の本法案成立に向けた動き自体が、すでに日本その他のアジア各国またその他の法域の政策にも影響を及ぼしつつあり、そこでも国際基準である指導原則がベースとされるため、グローバルに活動する企業であればあるほど、原点に立ち返り指導原則に則った対応をしていかないと、経営リスクを軽減し競争力に繋げるのが難しくなることがあげられます。
また、本法案は欧州で制定される法律でありながらも、バリューチェーンがグローバルに繋がる現在では、各国ごとの現地任せの対応では対処しきれないことを念頭におくべきです。たとえば、本法案の適用対象となる企業がEU域外企業(日本本社)とEU域内企業(欧州子会社)の双方である場合に、双方のサプライチェーン(アジア各国等、欧州と無関係の地域に所在する場合も大いに想定されます)が共通または相互に関連し合うことも想定されることから、重複を省き効率的に対応を行う必要があり、また、統一された企業戦略に基づきグループ全体として取り組んでいくことが必要とされます。人権デューデリジェンスの具体的な実践方法については、本連載の他の回(「人権デューデリジェンスの実践(その1)〜」)を参照ください。
-
European Commission「Proposal for a Directive of the European Parliament and of the Council on Corporate Sustainability Due Diligence and amending Directive (EU) 2019/1937」(2022年2月23日) ↩︎
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なお、表のNo.17のとおり、本法案が成立すれば、これに基づく国内法が各EU加盟国によって制定されることになるため、本法案自体は各EU加盟国への法律制定義務を課すものですが、これを読み替えて企業等の義務として概説しています。 ↩︎
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「第13回 人権デューデリジェンスの実践(その5)- 国際人権基準や各国国内法の内容理解に基づく人権への負の影響の分析」参照 ↩︎
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本法案の「ハイリスク産業」からは、一般的にリスクが高いとされる建設業やIT・テクノロジー・金融業等も除かれています。 ↩︎
シリーズ一覧全18件
- 第1回 サステイナビリティと日本企業の海外進出 〜求められる3つのマインドセット〜
- 第2回 「ビジネスと人権」の概要と国際的潮流
- 第3回 「ビジネスと人権」に関する日本政府の対応状況と日本企業の取り組み動向
- 第4回 ビジネスと人権 - コーポレート・デューデリジェンスおよびコーポレート・アカウンタビリティに関するEUの新指令
- 第5回 サステイナビリティと気候変動 – 英国のTCFD情報開示の義務化に関する公表
- 第6回 英国現代奴隷法の強化と「現代奴隷」
- 第7回 世界の人権デューデリジェンス関連法制総まとめ
- 第8回 人権デューデリジェンスの実践(その1) - 人権デューデリジェンス全般に関する留意点と5つのステップ
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- 第17回 「繊維産業における責任ある企業行動ガイドライン」の概要と活用法 – 他業種にも有用
- 第18回 武力紛争時の人権デューデリジェンス対応 - ロシアによるウクライナ侵攻

西村あさひ法律事務所・外国法共同事業