サステイナビリティ時代に求められる企業の経営戦略

第2回 「ビジネスと人権」の概要と国際的潮流

国際取引・海外進出
渡邉 純子弁護士 西村あさひ法律事務所

目次

  1. 「ビジネスと人権」の概要
  2. ハードロー化の流れ
  3. 条約化の動き
  4. 訴訟リスク
※本記事は、西村あさひ法律事務所が発行するニューズレターの「アジアニューズレター2020年10月30日号」に掲載されている「サステイナビリティと日本企業の海外進出 – ビジネスと人権① 総論 –」の内容を元に編集したものです。

 多くのビジネスパーソンが「人権」という概念は企業活動や企業法務とは無縁のものと考えていた時代は、サステイナビリティに関する国際的な意識の高まりを受けて終わりを迎えつつあります。国連総会が2015年に採択したSDGsも、その169個のターゲットの90%以上が国際人権に関係することをご存知でしょうか 1ESG投資の「S(社会)」においても人権が主要な要素であり、コロナ危機によりもっとも焦点があてられるようになったESGの要素も「S(社会)」とされています 2。世界中のサプライチェーン上で失業者が急増し 3、コロナ危機による餓死者は今年中に1日あたり12,000人に達しウイルス感染による死者数さえも上回るとの予測もあります 4

 企業のパフォーマンスを測る指標策定の難しさや厳格な規制の不存在を背景に、従前、「S(社会)」に関する取り組みはもっとも遅れていましたが、コロナ危機を経て、国連とのパートナーシップによる投資家イニシアチブPRI(責任投資原則)が今後環境問題と同等のレベルまで人権問題についても投資家の意識を高める必要性を強調し 5、米国資産運用会社最大手であるブラックロックも人権リスクに対処するための人権デューデリジェンス等の取り組み開示の重要性を指摘する等 6、機関投資家の意識も急速に変化しつつあります 7。また、人権問題はESGの「E(環境)」、気候変動問題とも密接に関連しています。

 「ビジネスと人権」は国内事業および海外事業の双方において、かつ業種を問わず問題となりますが、途上国・新興国では特に法整備の欠如や経済的脆弱性、複雑な人種問題等が絡まりあってより深刻な問題が生じているのが現状であり、海外進出企業は特に留意が必要です。

 本稿では、まず総論として「ビジネスと人権」の概要・現在の国際的潮流の大まかな流れを紹介。また次稿で、日本政府の対応(国別行動計画の策定)および日本企業による取り組みの最新動向を説明します。

重要ポイント

  • SDGsの169個のターゲットの90%以上が人権に関連
  • コロナ危機によりもっとも焦点があてられたのもESGの中の「S(社会)」
  • 欧米諸国を中心にハードロー化が急速に進んでいる
  • 「ビジネスと人権」の国際的な枠組策定のための条約交渉も継続中

「ビジネスと人権」の概要

 「ビジネスと人権」が国際的に重要な問題として認識される契機となったのは、2011年に国連の人権理事会の関連決議により全会一致で承認された「ビジネスと人権に関する指導原則」(以下「指導原則」といいます)です 8。当該原則自体は法的拘束力のないソフトロー 9 ですが、その後の国際的な各種ガイドラインや、以下で述べる各国によるハードロー 10 化・条約化・日本政府による政策内容はすべてこの指導原則の内容をベースにしたものであるため、理解しておく必要があります。

 人権は、伝統的な国際人権法の議論のなかでは、各国が自国の国民を対象としてその人権を保護する義務を負うもの(他国の国民に対しては当該他国がその人権保護の義務を負うため直接的には干渉をしない)という考え方をされてきたものですが、その後のグローバル化・多国籍企業の出現に伴い、国家ではなくビジネスの主体である民間企業が、また自国内ではなく事業進出先の他国においても国境を越えて深刻な人権侵害を引き起こしている事象の増加が世界的に問題視されるようになりました。そこで、指導原則は、企業の責任として「国際的に認められた人権」を尊重させることを主眼として策定されました。

 指導原則は、企業に対して①企業活動による人権への負の影響の惹起・助長の回避、およびそのような影響が生じた場合の対処、②(自ら助長していない場合であっても)取引関係により自社の製品・サービスに直接関連する人権への負の影響についての防止・軽減を求めています 11。また、そのための具体的な運用として、以下の整備を要求しています 12

(1)人権を尊重する責任を果たすという企業方針に基づくコミットメント

(2)人権への負の影響の特定・防止・軽減・対処についての責任を持つための人権デューデリジェンスの定期的な実施

(3)企業が惹起または寄与した負の影響に対する救済手続

 留意しなければならないのは、従来、日本企業は、人権に関する問題を自社の従業員の労務に関する問題のみと捉える傾向がありましたが、指導原則は、上記①②のとおりより幅広い責任を企業に課すことによって、自社の従業員ではないバリューチェーン上の取引先の従業員や、事業を行う場所の地域社会全体に属する地域住民の人権(たとえば大規模なインフラ事業により天然資源の開発事業により住居の移転を強制される地域住民の人権)の尊重をも対象にしている点です(人的範囲の拡大)。また、参照すべき法も、各国国内法では足らず「国際的に認められた人権」すなわち世界人権宣言や国際人権規約等の非常に幅広い権利を対象にしている 13 点にも留意が必要です(準拠すべき法源の拡大)。

 特に途上国・新興国では、たとえば法定労働時間や就業最低年齢の定め・結社の自由等、国内法と「国際的に認められた人権」との間に未だギャップがある場合が多く、そのような場合には国際的な人権基準を下回る国内法の規制だけを調査し対応していれば十分ということにはなりません。また、そもそも国内法として対応する法令が存在しない場合もあります。よって、ビジネスと人権の文脈において人権デューデリジェンスを行う際には、各進出先国の現地資格を有する弁護士に助言を求めるのみでは足りず、国際人権法の正確な理解を有する弁護士の確認を経る必要があります。

ハードロー化の流れ

 1で述べた指導原則はあくまでソフトローであり強制力はありませんでしたが、欧米を中心に近年急速にビジネスと人権に関するハードロー化が進んでいます。たとえば、米国カリフォルニア州のサプライチェーンにおける透明性確保のための法律、英国やオーストラリアにおける現代奴隷法、フランスの人権デューデリジェンス法等があげられます。オランダの児童労働デューデリジェンス法は、企業の設立国を問わず、オランダのエンドユーザーに商品またはサービスを提供する企業を対象に役員の刑事罰を伴う厳しい規定を含んでいます 14

 また、EUでは、EU加盟国内の企業およびEU域内における事業実態を有する全ての企業を対象として、人権デューデリジェンスを義務化する指令案を2021年上半期に欧州委員会が提出する予定であることが公表されています 15(詳細な内容は次稿以降にて紹介します)。これらの海外の法制の対象となる企業(必ずしも当該国にて現地法人を設立している企業に限定されていません)は、当該国における人権侵害のみに注意を払っていれば良いわけではなく、まったく無関係の第三国での自社の事業に関連して発生した人権侵害についても規制の対象となるため、アジアその他の途上国・新興国にて事業を行う日本企業は、これら先進国での規制にも留意する必要があります。

 もっとも、各国の法制には、規制対象となる企業や罰則の有無等含めて微妙な相違があります。各国ごとの法整備状況のフォローが必要であることはもちろん、下記3に述べる条約化の動きも踏まえれば、企業にとってもっとも効率的な法制対応の方法は、自社のオペレーションおよびバリューチェーン上で人権侵害が生じないよう実質的な人権デューデリジェンスを通じて真摯に「ビジネスと人権」に関する課題に取り組むことであり、それが結局、法域ごとに類似の規制が乱立している現状においても一番の近道となります

条約化の動き

 伝統的な国際人権法は、国家を義務者とするものであり、かつ、国家が当該義務に従わない場合でも強制的にこれを解決する手段をあえて用意していませんでした(各国家の主権を重視し、各国の政治的・経済的事情に応じた対応を許容しやすくするという発想を前提とするものです)。また、国家が負う義務の内容としても、当該国に本店所在地を有する企業の他国での人権侵害を防止する義務までは明確に認められていませんでした。もっとも、企業による国境をまたいだ人権侵害が深刻化するなかで、これらの建付けの妥当性自体が国際的議論の対象となっており、現在、企業の責任を担保させるための世界共通の枠組を策定する目的で、ビジネスと人権に関する条約交渉が行われています。2018年7月には条約案の第一次草案(Zero Draft)16 が公表され、2020年8月には、国連人権理事会の設置した政府間ワーキンググループにより第二次修正案 17 が公表されました。

 第二次修正案では、各締約国は、当該国の領域内または管轄内に本店所在地を有する企業(多国籍企業を含みます)をして国際的に認められた人権を尊重させるため、人権デューデリジェンスを実施することを企業に対して要請し、また、当該企業自身の事業活動または事業上の関係 18 から生じた人権侵害について当該企業に法的責任を負わせるための国内法を制定することが求められています。留意すべき点として、人権デューデリジェンスを実施していたとしてもそれによりただちに当該法的責任が免除されるわけではないことが明記されており 19、これを通じて単に機械的・形式的な人権デューデリジェンスを行うだけでは企業が責任を免れないようにする仕組みが意図されています。

 条約案が最終化され、その後全締約国にてビジネスと人権に関する国内法が整備されるまでにはまだ時間がかかることが予想されますが、将来的に世界中でさらにハードロー化が進むことが想定されます。

訴訟リスク

 ハードロー化の流れと並行して、ビジネスと人権に関する主張を根拠として特定の国または地域裁判所にて企業を相手に訴訟が提起される例も国際的に増加しています。特に、多国籍企業が途上国・新興国でビジネスを展開し、進出先国で人権侵害を行った場合、当該進出先国においては、途上国・新興国特有の問題としての現地の裁判所等紛争解決機関の中立性や経験値、執行力に関する制約があるため、進出先国ではなく、本社の所在国において本社を被告として訴訟が提起される例が相次いでいます。

 たとえば、英国の最高裁判所は、2019年4月、ザンビアで銅採掘事業を行う英国企業の子会社により水質汚染が生じ、ザンビアの地域住民約1,800人の健康および営業権が害されたことを理由に英国の裁判所での裁判管轄が争われていた事案において、親会社の子会社に対する事実上の監督のみではなく、グループ管理に関する企業方針を根拠に生じる子会社管理に対する合理的な期待をも理由に、子会社の事業に関する英国親会社の潜在的な責任を認めました 20。また、そのように直接的に自社の子会社が人権侵害を惹起した場合ではなくとも、サプライヤー(第2次サプライヤーを含みます)、その他バリューチェーン上の下請業者に対する事実上の影響力を理由として企業が訴訟を提起される事例も海外で相次いでいます 21

 このような事案では、原告側は必ずしも勝訴することのみを意図して訴訟提起している訳ではなく、社会的注目を集めることで、現状の法的枠組と社会のニーズにギャップがある場合にそれを埋める役割を政府に期待し、企業にも同時に事実上のプレッシャーをかけることも意図している点に留意が必要です。このように世界的にビジネスと人権の分野での訴訟件数が増加している状況も相まって、紛争発生時に適切な防御をするためにも、指導原則が提唱する人権デューデリジェンスを適切に実施することの重要性がより一層高まっています。

 日本企業も、同様に、途上国・新興国で自社のビジネスに関連して発生した人権侵害を理由に、進出先国の裁判所のみではなく日本の裁判所にも訴訟提訴される可能性がある点には留意が必要です。ビジネスと人権に関するハードローが導入されれば当該法令の不遵守自体から法的リスクが生じることはもちろん、これが整備されていない段階でも法的リスクが存在していることを認識する必要があります。

 以上、本稿では「ビジネスと人権」の概要と、国際的潮流について解説しました。次稿では、こうした潮流をふまえ、国別行動計画の策定を中心とした日本政府の対応状況、および日本企業の取り組みの最新動向について説明します。


  1. Sarah Rattray「Human rights and the SDGs - two sides of the same coin」(United Nations Development Programme website、2019年7月5日) ↩︎

  2. Jane Ambachtsheer「BNP Paribas Asset Management survey shows Covid-19 prompts rise in social considerations within investment decision-making」 (BNP Paribas asset management、2020年7月13日) ↩︎

  3. コロナ危機の影響により、たとえばインドネシアでは2020年7月までに80万人を超える労働者、カンボジアでは15万人以上の労働者が解雇され職を失ったとされており、経済的脆弱性の高い新興国を中心に深刻な問題となっています(Iinternational Labour Organization「The supply chain ripple effect: How COVID-19 is affecting garment workers and factories in Asia and the Pacific」(2020年10月21日)) ↩︎

  4. Oxfam「The hunger virus: how COVID-19 is fuelling hunger in a hungry world」(Oxfam website、2020年7月9日) ↩︎

  5. Sarah Simpkins「Investors weak on human rights: PRI」(InvestorDaily、2020年7月17日) ↩︎

  6. BlackRock「BlackRock Investment Stewardship Global Quarterly Stewardship Report」(2020年4月) ↩︎

  7. Jonathan Neilan「Time to Rethink the S in ESG」(Harvard Law School Forum on Corporate Governance、2020年6月28日) ↩︎

  8. UN Special Representative (Ruggie)「Guiding Principles on Business and Human Rights: Implementing the United Nations Protect, Respect and Remedy Framework」(2011年) ↩︎

  9. 国連総会決議の内容等、ハードローと異なり法的拘束力のない社会的規範を指します ↩︎

  10. 法令すなわち法的拘束力のある社会的規範を指します ↩︎

  11. 指導原則13 ↩︎

  12. 指導原則15 ↩︎

  13. 指導原則12 ↩︎

  14. Kamerstukken I, 2016/17, 34 506, A. ↩︎

  15. Responsible Business Conduct Working Group of the European Unionによるウェビナー中のEuropean Commissioner for Justice Didier Reyndersによる発言(https://vimeo.com/413525229) ↩︎

  16. Open-Ended Intergovernmental Working Group (OEIWG)「Legally Binding Instrument to Regulate, in International Human Rights Law, the Activities of Transnational Corporations and Other Business Enterprises: Zero Draft」(2018年7月16日) ↩︎

  17. OEIWG「Legally Binding Instrument to Regulate, in International Human Rights Law, the Activities of Transnational Corporations and Other Business Enterprises: Second Revised Draft」(2020年8月6日) ↩︎

  18. 以前の修正案では狭く「契約関係」に限定されていましたが、批判を受けて第2次修正案にて拡大されています ↩︎

  19. 前掲注16)第二次修正案8条7項 ↩︎

  20. Vedanta Resources PLC and another v. Lungowe and others [2019] UKSC 20 ↩︎

  21. たとえば、チリでの採鉱廃棄物の投棄により700人のチリ人が健康を害されたとの主張に基づき、当該廃棄物処理業者と契約をしていたスウェーデンの企業が訴えられた事例があります。スウェーデンの裁判所は、事実関係を認知した時点以降にスウェーデンの企業が当該契約を継続していたこと自体を問題視し当該廃棄物処理業者に対する影響力を行使すべきであった旨示唆しています(Arica Victims KB v. Boliden Mineral AB)。その他、カナダの企業のエリトリア子会社の第2次サプライヤーによる人権侵害(強制労働等の国際人権法違反)について、親会社である当該カナダ企業が民事責任を負う余地を認めた本年2月のカナダの裁判例(Nevsun Resources Ltd. v Araya [2020] SCC 5)や、パキスタンの繊維工場で発生した火災により数百人が死傷した事案において、当該工場の主要取引先であったドイツ企業が安全な労働環境を確保する注意義務を負っていたことを理由にドイツの裁判所に訴訟提起された事例(Jabir and Others v KiK extilien und Non-Food GmbH [2019] 7 O 95/15)等。 ↩︎

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