サステイナビリティ時代に求められる企業の経営戦略

第17回 「繊維産業における責任ある企業行動ガイドライン」の概要と活用法 – 他業種にも有用

国際取引・海外進出
渡邉 純子弁護士 西村あさひ法律事務所

シリーズ一覧全17件

  1. 第1回 サステイナビリティと日本企業の海外進出 〜求められる3つのマインドセット〜
  2. 第2回 「ビジネスと人権」の概要と国際的潮流
  3. 第3回 「ビジネスと人権」に関する日本政府の対応状況と日本企業の取り組み動向
  4. 第4回 ビジネスと人権 - コーポレート・デューデリジェンスおよびコーポレート・アカウンタビリティに関するEUの新指令
  5. 第5回 サステイナビリティと気候変動 – 英国のTCFD情報開示の義務化に関する公表
  6. 第6回 英国現代奴隷法の強化と「現代奴隷」
  7. 第7回 世界の人権デューデリジェンス関連法制総まとめ
  8. 第8回 人権デューデリジェンスの実践(その1) - 人権デューデリジェンス全般に関する留意点と5つのステップ
  9. 第9回 国際人権法の成り立ちと実務への適用 - 水に対する権利を題材に
  10. 第10回 人権デューデリジェンスの実践(その2) - スコーピング(調査範囲確定)の必要性と留意点
  11. 第11回 人権デューデリジェンスの実践(その3) - データ収集時におさえておくべき6つの視点と具体的方法、KPI設定のポイント
  12. 第12回 人権デューデリジェンスの実践(その4) - 類型にもとづくリスク分析と企業に求められる対応
  13. 第13回 人権デューデリジェンスの実践(その5)- 国際人権基準や各国国内法の内容理解に基づく人権への負の影響の分析
  14. 第14回 EUの「コーポレート・サステイナビリティ・デューデリジェンスに関する指令案」の概要と今後の見通し
  15. 第15回 国連作業部会による、次の10年に向けたロードマップの公表
  16. 第16回 人権デューデリジェンスの実践(その6)- 人権に対する負の影響への対処方法
  17. 第17回 「繊維産業における責任ある企業行動ガイドライン」の概要と活用法 – 他業種にも有用
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目次

  1. 「繊維産業における責任ある企業行動ガイドライン」の意義と位置付け
  2. 「繊維産業における責任ある企業行動ガイドライン」策定の背景
  3. 「繊維産業における責任ある企業行動ガイドライン」の構成と概要
    1. 本ガイドラインの目的・概要
    2. 自社内における確認と取り組み
    3. 取引先との関係における確認と取り組み
    4. 人権デューデリジェンスの全体像
  4. 「繊維産業における責任ある企業行動ガイドライン」の活用に向けて

「繊維産業における責任ある企業行動ガイドライン」の意義と位置付け

 2022年7月28日、日本繊維産業連盟が、国際人権を尊重した企業活動を促進するための「繊維産業における責任ある企業行動ガイドライン」(以下「本ガイドライン」といいます)を公表しました。ガイドラインの策定作業は2021年秋に始まり、労働分野の国連専門機関として、ILO(国際労働機関)1 駐日事務所が全面的なサポートを行って策定されました 2 3。本ガイドラインは、日本繊維産業連盟のウェブサイトのトップページからダウンロードが可能です。

 筆者はILOコンサルタントの立場から、ILOの国際労働基準の視点、各国法の視点、企業の人権デューデリジェンスに関する実務経験等を踏まえ、本ガイドラインのドラフト作成、日本政府・各種業界団体 4・産業別労働組合・市民社会組織・他の国際機関等のマルチステークホルダーとの意見交換を含む全体企画、ヒアリングの実施、各ステークホルダーからの意見の反映等、策定の全過程の実作業を担当しました。

 なお、本ガイドラインと並行して、日本政府から、2022年9月13日に「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」が発行されています。業種横断的な当該ガイドラインは、国連指導原則やOECDのガイドライン 5 等、これまで多くの日本企業にも参照されてきた国際的な既存文書を紹介し、主として人権デューデリジェンスの「手続面」を解説しています。同ガイドラインへのパブリックコメント 6 中では、企業が人権デューデリジェンスの初めの一歩を実質的に踏み出すうえでまず理解が必要となる、「人権とは(そもそも)具体的に何を指すのか」という点の「実体面」の解説を含めるよう、多く要請がなされていました。

 これに対し、本ガイドラインは、上記の要請にもあった「実体面」の解説、すなわち国際労働法の基礎の解説に比重を置いています(本ガイドラインの第二部の2.)。まず、何が「人権」の範囲に含まれるのか、どのようにして「人権」侵害の有無を判断するのかの理解が進まなければ、どのようにリスクを評価してよいかがわからず、適切にデューデリジェンスが行えないため、実体面の理解は企業が人権対応を進めるうえで必要な知識となりますが、既存の日本のガイドライン類の中では、この点を主眼として、ILOが全面的に関与して策定されたものがありませんでした。

 これに起因して生じている問題として、たとえば、多くの日本企業がすでに導入しているCSR調査票、サプライヤーアンケートや取引先行動規範等では、「『強制労働』を強いてはならない」「『児童労働』を行わない」「『差別』を行わない」等、非常に一般的・抽象的な記載に留まっていることが多いのが現状です。
 何が「強制労働」や「差別」に該当するのか、どのようにして実際に禁止される「児童労働」を判断するのか等の理解が関係者間で進まなければ、実質的な人権リスクを拾うことができず、紛争に巻き込まれるリスクを含む企業に対するさまざまなリスクを回避することも難しくなります。技能実習生のパスポートの取り上げ等はごく一部の例であり、実際には、一般的に多くの方がイメージしている「強制労働」よりも広範囲の事案が問題になります。また、国内の職場における差別が、国際労働基準上は、一般的にイメージされる海外の「強制労働」と同等に重要な人権課題として位置付けられていること、何が国際労働基準上の「差別」に該当するかに関する理解等、国際労働基準の基本的な内容もまだ十分に普及していないのが国内の現状として感じられます。このように、「人権とは何か」という点の共通認識が広がらないまま、海外の法制化の影響も受けつつ日本国内でも人権対応の必要性が急速に高まっている現状を受け、人権対応を推進する立場にある経営者に加え、現場で人権デューデリジェンスを進めなければならない担当者の目線から、実務に役立つ手引きとすることを目指したものが本ガイドラインとなります。以上のような背景を踏まえ、本ガイドラインを日本政府発行のガイドラインと補完関係にあるものとしてご参照いただくことが推奨されます

「繊維産業における責任ある企業行動ガイドライン」策定の背景

 なお、本ガイドライン策定に至る背景として、2021年7月に、経済産業省が「繊維産業のサステナビリティに関する検討会報告書」を公表し、当該報告書の中で、業界団体において、国際労働機関(ILO)をはじめとする国際機関と連携しつつ、サプライチェーンが適正に管理されているか等をチェックするデュー・ディリジェンスに取り組みやすくするためのガイドラインを策定することを提言したことがあげられます 7。これを受けて、本ガイドラインは、人権に関する国際労働基準等の国際基準の要求事項を満たしたガイドラインの導入による、業界全体の取り組み強化と国際競争力向上、そして、サプライヤーの能力強化によるディーセント・ワークの創出とサプライチェーンの強靭性獲得を目的として策定されました。

 上述のとおり、本ガイドラインは、ILOの策定・管轄する国際労働基準を踏まえつつ、人権の内容についての理解を促進するために、国際労働法の実体面の解説を行った文書として、業種を問わず参考にしていただけるものとなっています。国際人権法により認められている国際人権は労働権だけではありませんが、企業が人を雇用して、または人を雇用する事業パートナーや個人事業主との関係を通じて企業活動を行っている限り、労働者の権利は、どのような企業であっても、その事業国や企業の規模を問わず必ず留意が必要になるため、数ある人権の中でも最も重要な権利の1つとなります。同様の理由から、本ガイドラインは大企業と中小企業の双方にご参照いただける内容となっています。

「繊維産業における責任ある企業行動ガイドライン」の構成と概要

 本ガイドラインの構成は以下のとおりです。

第一部 本ガイドラインの目的・概要
第二部 自社内における確認と取り組み
第三部 取引先との関係における確認と取り組み
第四部 人権デューデリジェンスの全体像

本ガイドラインの目的・概要

 本ガイドラインの第一部では、なぜ今企業が人権対応を行う必要があるのかを導入として解説し(第一部の1.)、そのうえで、人権デューデリジェンスの取り組みを進めていただくうえでまず頭に入れていただきたい最重要ポイントを解説しています(第一部の4.)。
 具体的には、以下の3点をポイントとしてあげています。このうち③については、第二部の2.で国際労働基準の基礎的部分を解説しています。

  1. 現場レベルでの具体的な取り組みを実現するためにも、人権尊重体制を企業全体としてコミットする旨のトップによる宣言と会社のガバナンス体制への組み込みを行う
  2. そのうえで、関係する実際の権利保持者を中心とするステークホルダーとの対話を実施する
  3. 第二部で解説する各人権課題に関する国際基準の内容を理解しつつ、自社に即した人権課題の内容と程度、対処方法を検討していく

自社内における確認と取り組み

 第二部 1.では、まず自社内の人権課題に関する取り組みに係る基本事項を解説しています。サプライチェーンの人権リスクが取り上げられやすいのが現状ですが、指導原則 8 でも引用されているILOの中核的労働基準(本ガイドライン14頁の脚注2参照)では、職場における差別の問題も、強制労働等と並んで最も重要な課題と位置付けられています。日本はまだ、雇用および職業についての差別を禁止するILO111号条約 9 を批准していませんが、当該事実にも表れており、また、ILOからも従前から指摘されているとおり、特に日本に顕著なジェンダー問題を含む社内の課題も、サプライチェーンの問題と同様に国際基準の観点からの見直しが必要となります。
 なお、差別の問題は、現状、多くの日本企業において人権とは別個独立のサステイナビリティ課題として取り上げられがちであるDE&I(ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン)とも密接に関連する課題であり(本ガイドライン25頁以下参照)、すでに実質的な取り組みを推進している日本企業は、これを人権リスクと紐付けて開示対応を含め対処することにより、ステークホルダーからの信頼向上にも寄与することが考えられます。

 第二部の2.では、(1)強制労働、(2)結社の自由・団結権・団体交渉権、(3)差別、(4)児童労働、(5)ハラスメント、(6)外国人労働者、(7)労働安全衛生、(8)賃金、(9)労働時間の、労働権に関する9つの個別課題について、それぞれに関連する国際労働基準(国際労働法)の基礎的な内容と、関連する日本の法令等、そして、リスクを増大させる要因の例を紹介しています(なお、これらの各個別項目のうち「④サプライチェーン上の課題例」では、日本の繊維・アパレル業界に即したリスク要因をサプライチェーンの川上・川中・川下に分けて分析していますが、当該項目以外の個別課題の解説は、全業種に参考にしていただけるものとなっています)。

 これらを含む個別の人権・労働課題を理解するうえで必要となるのが、国際基準(国際法)と国内法との関係です。国際人権法・国内労働法の各国による条約批准を踏まえて各国国内法が制定されていますが、未だ多くの国において両者のギャップが存在するのが現状です(批准がされていない場合にはいっそうこのギャップが拡大する関係にあります)。このギャップの分析およびそれへの対処は、各国現地法の分析に基づく従来の法務対応では行われてきませんでしたが、このギャップの大きい部分が、従来の法務では対処してこなかった優先すべき人権リスクともいえる関係にあります。指導原則等において、企業の責任の内容が、「国際人権法・国際労働法で規定される人権を尊重すること」という枠組みとされていることから、人権デューデリジェンスの実施にあたり、国際人権法・国際労働法と現地法の両者を十分に理解すること、そのためにまず国際基準(国際法)の内容を理解することが、何がその国ごとに顕著な課題かを把握して適切にリスク分析を行ううえで必要な対応となります 10(以下図は、本ガイドライン15頁より抜粋。国際労働基準は、企業に対する直接の拘束力を持たずに発展してきましたが、企業も当該基準を遵守すべきということが、指導原則および昨今海外で進展する人権デューデリジェンス関連法の要請事項となっています)。

 実務が先行する海外諸国ではこのような対応が進んでいますが、日本でも、法務部門が積極的に取り組みに関与して推進していくことが重要となります。

国際労働基準:企業との関係

国際労働基準:企業との関係

ILO「国際労働基準と持続可能性に配慮した調達ハンドブック」より抜粋

 第二部の2.の個別の課題の解説は、ガイドラインという性質上の制約から基礎的な内容の解説のみに留まるため、取引先行動規範の改定や現地調査の際に入れ込むべき確認項目、個別具体的な事案でのリスクの検証に関しては、社内に専門家が存在しない場合、国際人権法・国際労働法の内容に明るい弁護士等の外部専門家から助言を得ることが必要です。
 もっとも、本ガイドラインでは、単に「強制労働」といっても賃金の不払いや長時間労働等もこれに該当し得ること等、まず基礎的な理解を習得するうえで参考としていただけるような内容となっています。実務的にも、直接取引先や間接取引先との間で、なぜ、また、どのように人権対応を進めなければならないのかといった理解を共有することに苦慮されている日本企業のケースが多い中で、まずは確立された国際労働基準の内容を、現場に落とした具体的な形で説明していくことが重要かつ効果的です。

取引先との関係における確認と取り組み

 第三部では、取引先との関係でどのように人権リスクの確認を進めていったらよいかということについて、多くの日本企業が誤解しやすいポイントを中心に解説しています(第三部の2.では、海外における人権リスクについて特に留意すべき観点にも触れています)。

人権デューデリジェンスの全体像

 第四部では、経済産業省のガイドラインと同様、指導原則およびOECDのガイドラインに基づき、人権デューデリジェンスの手続面の概要を解説していますが、ここでも、国際基準に照らした日本企業の現状の実務の問題点等、見落とされやすいポイントを中心に解説しています。

「繊維産業における責任ある企業行動ガイドライン」の活用に向けて

 本ガイドラインは、日本の業界団体(日本繊維産業連盟)と産業別労働組合(UAゼンセン)が、現場の課題を踏まえてガイドラインに盛り込むべき内容や今後の啓発に向けた協働等に関し、エンゲージメント(労使対話)を行いつつ策定された初めての例でもあります 。国際的な潮流の変化に伴い、日本企業も人権デューデリジェンスに対応しなければならない中で、表面的な対応ではなく実際のリスクをより的確かつ効率的に把握できるよう、本ガイドラインがより多くの日本企業の皆様の参考となれば幸いです。


  1. ILOはジュネーブに本部を置く国連の専門機関で、すべての人のディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)の実現を目指して、国際労働基準を策定する等世界各国で活動を実施しており、国際労働法の形成の中心となる機関です。 ↩︎

  2. ILOプレスリリース「ガイドライン完成、8月公開へ JTFが会見」(2022年7月28日) ↩︎

  3. ILOプレスリリース「ILOと日本繊維産業連盟(JTF)が、繊維産業の責任ある企業行動促進に向けた覚書を締結」(2021年11月5日) ↩︎

  4. 日本繊維産業連盟は、日本の繊維産業の発展に向け、各種情報の収集、政府への政策要望、海外関係団体との交流等を実施しており、繊維関係28団体および繊維産地18支部、賛助会員48社で構成されています。 ↩︎

  5. OECD「責任ある企業行動のためのOECDデュー・ディリジェンス・ガイダンス 」 ↩︎

  6. 国内外から700以上の意見が提出されています(経済産業省「『責任あるサプライチェーンにおける人権尊重のためのガイドライン(案)』に係る意見募集の結果について」(2022年9月13日))。 ↩︎

  7. これを受けて、日本繊維産業連盟が、国際労働機関(ILO)の協力の下、本ガイドラインを策定して日本の繊維産業全体でのディーセント・ワークの実現に向けた連携を進めることが合意されました(経済産業省「日本繊維産業連盟と国際労働機関が繊維産業の責任ある企業行動促進に向けた協力のための覚書(MOU)に署名しました」)。 ↩︎

  8. 国連「ビジネスと人権に関する指導原則」を指します。 ↩︎

  9. 1958年の差別待遇(雇用及び職業)条約(第111号) ↩︎

  10. 詳しくは、渡邉純子「第13回 人権デューデリジェンスの実践(その5)- 国際人権基準や各国国内法の内容理解に基づく人権への負の影響の分析」参照。 ↩︎

シリーズ一覧全17件

  1. 第1回 サステイナビリティと日本企業の海外進出 〜求められる3つのマインドセット〜
  2. 第2回 「ビジネスと人権」の概要と国際的潮流
  3. 第3回 「ビジネスと人権」に関する日本政府の対応状況と日本企業の取り組み動向
  4. 第4回 ビジネスと人権 - コーポレート・デューデリジェンスおよびコーポレート・アカウンタビリティに関するEUの新指令
  5. 第5回 サステイナビリティと気候変動 – 英国のTCFD情報開示の義務化に関する公表
  6. 第6回 英国現代奴隷法の強化と「現代奴隷」
  7. 第7回 世界の人権デューデリジェンス関連法制総まとめ
  8. 第8回 人権デューデリジェンスの実践(その1) - 人権デューデリジェンス全般に関する留意点と5つのステップ
  9. 第9回 国際人権法の成り立ちと実務への適用 - 水に対する権利を題材に
  10. 第10回 人権デューデリジェンスの実践(その2) - スコーピング(調査範囲確定)の必要性と留意点
  11. 第11回 人権デューデリジェンスの実践(その3) - データ収集時におさえておくべき6つの視点と具体的方法、KPI設定のポイント
  12. 第12回 人権デューデリジェンスの実践(その4) - 類型にもとづくリスク分析と企業に求められる対応
  13. 第13回 人権デューデリジェンスの実践(その5)- 国際人権基準や各国国内法の内容理解に基づく人権への負の影響の分析
  14. 第14回 EUの「コーポレート・サステイナビリティ・デューデリジェンスに関する指令案」の概要と今後の見通し
  15. 第15回 国連作業部会による、次の10年に向けたロードマップの公表
  16. 第16回 人権デューデリジェンスの実践(その6)- 人権に対する負の影響への対処方法
  17. 第17回 「繊維産業における責任ある企業行動ガイドライン」の概要と活用法 – 他業種にも有用
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