勝因を分析する独禁法の道標6
第1回 クアルコム事件ではライセンス契約の独禁法違反がどう争われたか
競争法・独占禁止法
監修:東京大学教授 白石忠志
編者:籔内俊輔 弁護士/池田毅 弁護士/秋葉健志 弁護士
本稿は、実務競争法研究会における執筆者の報告内容を基にしています。記事の最後に白石忠志教授のコメントを掲載しています。
同研究会の概要、参加申込についてはホームページをご覧ください。
本稿では、クアルコム事件(以下「本事件」という)を題材として取り上げる。本事件は、公取委が、自ら出した排除措置命令に係る判断を覆すに至った珍しいケースである。基本情報は以下のとおりである。
被疑事業者:クアルコム・インコーポレイテッド(米国法人)
関係規定:独禁法19条・旧一般指定13項(拘束条件付取引)
排除措置命令:公取委排除措置命令平成21年9月28日・平成21年(措)第22号
審判請求日:平成21年11月24日
審決:公取委審決平成31年3月13日・平成22年(判)第1号
本稿では、公取委の判断が覆った要因、すなわちクアルコムの勝因について分析するとともに、今後の実務に与える示唆について考えることとしてみたい。
クアルコム事件の概要
事案の概要
本事件は、携帯無線通信の第三世代標準規格(CDMA)に係る知財権のライセンスに関し、ライセンサーであるクアルコムが、ライセンシーである国内端末等製造販売業者の保有する知財権の実施権を無償で許諾させたなどとして、拘束条件付取引の疑いをかけられた事件である。
具体的には、クアルコムと国内端末等製造販売業者との間で締結されたライセンス契約(以下「本件ライセンス契約」という)が問題視されたところ、本件ライセンス契約の要旨は、おおむね以下①~⑤のような内容であった。
本件ライセンス契約の要旨
条項の要旨 | 条項の内容 | |
---|---|---|
① | クアルコムの知財権に係る許諾 | クアルコムは、国内端末等製造販売業者に対し、国内端末等製造販売業者等によるCDMA携帯電話端末等の製造、販売等のため、本件ライセンス契約において対象として特定されたクアルコム等が保有しまたは保有することとなるCDMA携帯無線通信に係る知的財産権の実施権を一身専属的(譲渡禁止)、全世界的および非排他的に許諾する。 |
② | ロイヤルティ等支払 | 国内端末等製造販売業者は、クアルコムに対し、契約締結時および契約改定時に一時金を支払うほか、所定のロイヤルティを支払う。 |
③ | 国内端末等製造販売業者の知財権に係る許諾 | 国内端末等製造販売業者は、クアルコムに対し、クアルコム等によるCDMA携帯電話端末およびCDMA部品の製造、販売等のために、本件ライセンス契約において対象として特定された国内端末等製造販売業者等が保有しまたは保有することとなる知的財産権の一身専属的(譲渡禁止)、全世界的および非排他的な実施権を許諾する。 |
④ | クアルコム等に対する非係争の合意 | 国内端末等製造販売業者の一部は、クアルコム等に対し、または、これに加えてクアルコムからCDMA部品を購入した顧客に対し、クアルコム等によるCDMA部品の製造、販売等またはこれに加えてクアルコムの顧客がクアルコムのCDMA部品を自社の製品に組み込んだことについて、本件ライセンス契約において対象として特定された国内端末等製造販売業者等が保有しまたは保有することとなる知的財産権に基づいて権利主張を行わないことを約束する。 |
⑤ | クアルコムライセンシーに対する非係争の合意 | 国内端末等製造販売業者は、クアルコムのライセンシーに対し、当該クアルコムのライセンシーによるCDMA携帯電話端末等の製造、販売等について、本件ライセンス契約において対象として特定された国内端末等製造販売業者等が保有または保有することとなる知的財産権に基づいて権利主張を行わないことを約束する。 |
このうち、④は、契約主体となった国内端末等製造販売業者らの一部との関係で設けられた条項であった。また、⑤については、国内端末等製造販売業者が任意で選択できることとなっており、すべての国内端末等製造販売業者との契約において設けられた条項ではなかった。
公取委の命令
公取委は、クアルコムが、本件ライセンス契約にあたり、国内端末等製造販売業者等(国内端末等製造販売業者およびその関係会社のこと。本稿において同じ)が保有しまたは保有することとなる知財権について、実施権等を無償で許諾することを余儀なくさせ、かつ、国内端末等製造販売業者等がその保有しまたは保有することとなる知財権に基づく権利主張を行わない旨を約することを余儀なくさせているものであり、拘束条件付取引に該当するとして、本件ライセンス契約③~⑤の規定の破棄等を命ずる排除措置命令を出した。
これに対し、クアルコムが、排除措置命令の取消しを求めて審判開始請求を行った。
公取委の審決
(1)審査官の主張
審判手続において、審査官は、本件ライセンス契約の③~⑤の条項を「本件無償許諾条項等」と表現し、クアルコムが本件ライセンス契約を締結の際、本件無償許諾条項等により、国内端末等製造販売業者が保有する知財権につき実施権を無償で許諾すること、知財権に基づく権利主張を行わない旨を約することを余儀なくさせたことをもって、違反行為であると主張した(以下「本件違反行為」という)。
そして、審査官は、以下の理由から、本件違反行為が公正競争阻害性を有すると主張した。
- 本件無償許諾条項等の制約の程度・内容が、国内端末等製造販売業者の研究開発意欲を阻害するおそれがあると推認できる程度に不合理であり、その制約による不利益を填補または回避する可能性もなかった。
- そのため、本件違反行為により、CDMA携帯電話端末等に関する技術について国内端末等製造販売業者の研究開発意欲を阻害するおそれがあるほか、クアルコムの有力な地位を強化するおそれがあり、公正な競争秩序に悪影響を及ぼすものである。
審査官が主張する本件ライセンス契約の不合理性についてさらに敷衍すると、以下の理由から、本件無償許諾条項等の制約の程度、内容が国内端末等製造販売業者の研究開発意欲を阻害するおそれがあると推認できる程度に不合理であるとのことであった。
(ⅰ) 本件無償許諾条項等の適用範囲が広範であること
(ⅱ)本件無償許諾条項等が無償ライセンスとしての性質を有すること
(ⅲ)本件無償許諾条項等が不均衡であること
さらに審査官は、以下の3点を指摘した。
- 本件無償許諾条項等の問題点として、国内端末等製造販売業者の知財権について価値に応じた対価の支払が受けられないこと
- CDMA携帯電話端末等の製品市場における競争者に権利行使ができなくなり、製品の差別化が困難となるおそれがあること
- 国内端末等製造販売業者が価値ある技術を開発して当該技術に係る知財権を保有すればするほど、本件ライセンス契約による不均衡の程度が拡大する構造にあること
審査官は、本件ライセンス契約を片面的なライセンス(クアルコムの保有する知財権のライセンス)であると捉えたうえで、その対価は基本的に一時金およびロイヤルティ(本稿において「ロイヤルティ等」という)であると考えた。そのため、「国内端末等製造販売業者は、クアルコムの知財権に対する対価としてロイヤルティ等を支払っているにもかかわらず、これに加えて、本件ライセンス契約の③~⑤の条項により、自らが有する端末関連の知財権を無償でクアルコム等(クアルコムの関係会社を含む。本稿において同じ)およびクアルコムのライセンシーに利用されることになってしまう」と理解したものと考えられる。
審査官の主張
(2)クアルコムの主張
クアルコムは、審査官に対する反論の根幹として、本件ライセンス契約が包括的なクロスライセンス契約であり、契約当事者が幅広く関連する知財権を相互にライセンスすることを約したものであると主張した。つまり、以下の理由から、審査官が主張するような無償の性質のものではなく、不合理・不均衡であるとも認められないという主張を行った。
- 本件ライセンス契約において、国内端末等製造販売業者は、自らの知財権の行使の制限と引き換えに、クアルコム等が保有する知財権を利用できるという利益を得ている。
- 本件ライセンス契約の⑤の条項を採用したクアルコムのライセンシーらとの間で、自らの知財権の行使の制限と引き換えに、当該ライセンシーらが保有する知財権を利用できるという利益を得ている。
このほか、クアルコムは、本件ライセンス契約のような包括的なクロスライセンス契約による競争促進効果の存在や、研究開発意欲阻害に係る客観的な裏付けの不存在、検討対象市場が適切に画定されていないこと、そもそも「余儀なく」されたか否かという点が拘束条件付取引に係る公正競争阻害性の判断要素とはならないこと等を指摘し、審査官の主張を真っ向から争った。
クアルコムの主張
(3)審決
審査官とクアルコムとの間で長きにわたる論争が繰り広げられ、審判開始から約10年もの歳月を経て、平成31年3月13日に公取委の審決が出された。
結論から述べると、審決は、本件ライセンス契約の捉え方について、クアルコムの主張に軍配を上げた。つまり、審決は、本件ライセンス契約の基本的な契約構造が、クロスライセンス契約としての性質を有することを認めた。
すなわち、審決は、本件ライセンス契約の権利義務関係を総合的に検討すると、①の条項に基づきクアルコムが知財権の実施権を許諾する一方で、②~④の条項に基づき国内端末等製造販売業者が知財権の実施権について許諾ないし非係争等を合意するものであったとして、基本的な契約の構造として、クロスライセンス契約としての性質を有すると判断した。
審査官は、クアルコムのみがロイヤルティ等の支払を受けられることを問題視していたところ、審決は、片面的な金員の支払義務が、クロスライセンス契約として非典型的なものとはいえないし、その金員の多寡も契約の性質自体に影響を及ぼすものとは認められないと断じた。また、クアルコムのライセンシーに対する非係争の合意(⑤の条項)についても、相互に保有する知財権の使用を可能とするものとして、クロスライセンス契約に類似した性質を有するものと認めるのが相当であるとした。
審決は、クロスライセンス契約を締結すること自体について、原則として、公正競争阻害性を有するとは認められないと述べたうえで、本件ライセンス契約について公正競争阻害性を認定するためには、国内端末等製造販売業者の研究開発意欲を阻害するなどの証拠等に基づくある程度具体的な立証等が必要になるとした。そして、本件ライセンス契約については、通常のクロスライセンス契約に比して、国内端末等製造販売業者の研究開発意欲を阻害するおそれがあると推認できる程度に不合理である等の事情は認められず、公正競争阻害性に係る具体的な立証はされていないとして、本件違反行為が拘束条件付取引に該当し、独禁法19条に違反するとはいえないと判示した。
以上より、本件排除措置命令は取り消され、クアルコムの完全勝利という形で、本事件は幕を閉じた。
公取委の判断を覆した勝因の分析
知財ライセンス実務に携わる者であれば、本件ライセンス契約が、クロスライセンスではなく片面的なライセンスであるといわれると、かえって戸惑うのではないだろうか。そのくらい本件ライセンス契約の基本構造・性質に係るクアルコムの主張は、ビジネスの実態からすれば至極真っ当な主張であった。このように小手先の議論や反論ではなかったからこそ、審決もその点を正当に認めるに至ったと考えられる。
なお、多くの論者が指摘するとおり、本事件は、マイクロソフト事件(公取委審決平成20年9月16日・平成16年(判)第13号、審決集55巻380頁)と構造において類似している。マイクロソフト事件において、マイクロソフトは、違反行為として目される非係争条項(以下「MS・NAP条項」という)について、双務的なものであって、クロスライセンス契約よりも競争阻害的でないと主張していた。しかし、マイクロソフトは、MS・NAP条項の性質がクロスライセンスそのものであるとまでは主張しておらず、あくまでクロスライセンスとMS・NAP条項は別物であるという前提で反論を行っていたようである。
MS・NAP条項については、Windows OSの機能拡張により対象が際限なく広がりうるものであり、一般のクロスライセンスとは異質なものであったという指摘があったことからも(マイクロソフト審決・査第65号証参照)、やはり典型的なクロスライセンスとは言い切れない面があったのかもしれない。
これに対し、本事件の勝因として大きいのは、ビジネスの実態に即したうえで、審査官の主張する法的構成・論法の土俵に乗らずに、本件ライセンス契約の基本的な構造・性質という大前提を争う主張を展開できたことだろう。
加えて、先立つマイクロソフト審決に対し批判的な見解が少なくなかったことから、それらの批判的な見解も追い風に、研究開発意欲の阻害に関する立証や「余儀なく」というロジックの不明瞭さ、競争促進効果に対する考え方など、公取委の立論・立証の不十分さを徹底的に突いたことも勝因の1つであろう。本件ライセンス契約の基本的な構造・性質という大前提の理解不全も相まって、最終的に、公取委としても、本事件のその他論点について踏み込みを避け、本事件を白紙に戻すという形で終結させたのではなかろうか。
このほか、本事件は、約10年もの長期にわたり審理されたことも1つの特徴である。その間に公取委の委員の構成も当然変わっているので、もしかしたら事実上判断が覆りやすくなったという面があるかもしれない。ただ、平成25年改正により審判制度は廃止されたので、この点はあまり今後の実務の参考にはならないと思われる。
今後の実務に与える示唆
本事件は、本件ライセンス契約の基本的構造・性質というところで検討が終わってしまったため、以下のようなさまざまな課題が未解決のまま残された。これらは本件排除措置命令から10年以上経た今でも色褪せない課題である。
- 標準必須特許に係る権利行使の適切な在り方
- 知財権の搾取やそれを通じた垂直統合企業による市場支配的地位の維持・強化のおそれ
- 研究開発意欲の減退(将来のイノベーション競争)に係る立証の困難さ
- シングルチップ化等のいわゆるエコシステムの強化に対する独禁法上の対抗手段の在り方
クアルコムの知財権の行使に関しては、海外の競争当局も多くチャレンジしていることからすれば、本事件の真相は、実体としてまったくの冤罪だったというわけではなく、違反行為に係る立論・立証が十全でなかったということではないだろうか。現に、審決も、理由中において「独占禁止法による何らかの規制を受けるべき行為が認定される余地があった」と付言している。
いずれにせよ、前記のような点も含め、ますます技術の高度化・ソフトウェア化が進展する中で、これからも独禁法の執行において難解・複雑な課題が立ち現れると思われる。その際に、本事件のように、ビジネスの実態に即し、独禁法の本質的な理解の下に、徹底的な議論を行うことは極めて重要である。そのような議論こそが、我が国において、独禁法やその直面する課題に対する理解をさらに深化させる契機となるだろう。
- 白石忠志『独占禁止法〔第3版〕』(有斐閣、2016)
- 金井貴嗣「クアルコム・インコーポレイテッドに対する審決について(CDMA携帯電話端末等に係るライセンス契約に伴う拘束条件付取引)」公正取引826号4頁(2019)
- 根岸哲「クアルコム事件排除措置命令の取り消し審決」NBL1150号4頁(2019)
- 東條吉純「公正競争阻害性の立証がなく違反なしとされた事例‐クアルコム非係争条項等事件」ジュリスト1537号103頁(2019)
- 向宣明「クアルコム事件」ビジネス法務2021年3月号116頁
白石忠志教授のCommentary
クアルコム審決とマイクロソフト審決
クアルコム審決は、排除措置命令を是としようとする審査官の主張を退けるに際して、問題となった契約条項は、「国内端末等製造販売業者の研究開発意欲を阻害するおそれがあると推認できる程度に不合理」とはいえない、という認定を、繰り返し、行っている(公表審決案60〜94頁)。最後に、クアルコムの有力な地位が強化されるおそれを否定する際にも、問題となった契約条項は研究開発意欲を阻害するおそれがあると推認させる程度に不合理なものであるとまでは認められないことを根拠としている(公表審決案94〜95頁)。
このように、クアルコム審決は、事業者(クアルコムのライセンシー)が自らの知的財産権を一定の範囲で行使できないこととなったとしても、その研究開発意欲が阻害されるとは限らない、という側に重点を置くものであった。
マイクロソフト審決は、そうではなかった。両審決の違いは、そこにあると思われる。
マイクロソフト審決では、審決が「OEM業者」と呼ぶパソコンメーカーが、自らのパソコンAV技術の知的財産権を、パソコンに対しては行使できないが、AV家電機器に対しては行使できる、という前提があった。
マイクロソフト審決は、次のように述べた。「しかしながら、パソコンAV技術がAV家電機器にも利用される技術であり、パソコンAV技術が利用される可能性のあるAV家電製品の市場規模が巨大であったとしても、パソコン市場において当該技術を利用できなくなる可能性があることは、そのような可能性が存在しない場合に比べて、事業者の研究開発資金の投入の程度に差異が生じるであろうことは当然予想されるところであり、OEM業者のパソコンAV技術の 研究開発意欲が損なわれる蓋然性を覆すものとはならない。」(審決案118頁)。
そして、「本件において研究開発意欲が損なわれることが問題とされるパソコンAV技術に係るパソコン市場の市場規模は、約1.6兆円であり、AV家電機器市場の市場規模である約2.3兆円に比べても相当程度の大きな市場規模を有するものであること」(審決案118頁)などを挙げて、マイクロソフトの主張を退けている(詳しくは、白石忠志『独禁法事例集』(有斐閣、2017)313〜316頁)。
以上のように、マイクロソフト審決は、事業者(マイクロソフトのライセンシー)が自らの知的財産権を一定の範囲で行使できないこととなった場合には、通常、研究開発意欲の阻害が起こるものである、という側に重点を置くものであった。

阿部・井窪・片山法律事務所