「政府の推進力に、冷静な視点を」― 東京大学 滝澤教授が語る、改正下請法と優越的地位の濫用規制

競争法・独占禁止法

目次

  1. 価格転嫁の結果だけでなく「優越的地位」の有無を考える必要がある
  2. 委託事業者は運用基準を遵守すること、中小受託事業者は権利意識を持つことが重要
  3. バランスの取れた冷静な議論ができるように

日本経済の長年の課題であるデフレからの脱却へ向け、政府は「価格転嫁の円滑化」を強力に推進する。その強い意志の表れともいえるのが、2026年1月1日から施行される改正下請法だ。

しかし、東京大学大学院法学政治学研究科の滝澤 紗矢子教授は、前のめりな政府の姿勢に対して、バランスの取れた冷静な議論が必要と指摘する。

下請法の枠組みだけでなく、「優越的地位の濫用」も視野に入れて規制全体を捉え直すことの重要性とは。あるべき取引の形について、企業取引研究会に委員として参加した滝澤教授に聞いた。
(取材日:2025年9月3日)

※改正法の詳細な内容については「令和8年1月施行!改正下請法(中小受託法/取適法)の概要と企業に必要な対応」をご参照ください。

価格転嫁の結果だけでなく「優越的地位」の有無を考える必要がある

令和6年度企業取引研究会の議論について、特に印象に残っている部分についてお聞かせください。

私は独禁法上の優越的地位濫用規制の理論面について研究を重ねてきましたが、下請を含めた企業取引全般、特にその実態について専門的な知見を有しているわけではありません。

企業取引研究会には初心者の気持ちで臨んでおり、議論を通じて日本経済における構造的な問題の根深さを痛感しました。

たとえば物流の問題です。荷主側が強い立場にあり、零細な物流事業者が多数存在する業界構造、多重下請けによる取引の複雑さや曖昧さが根底にあります。

今回の下請法改正によって「特定運送委託」という概念が追加されましたが、法改正だけでは解決が難しい、構造的な問題があると感じています。

東京大学大学院法学政治学研究科 滝澤 紗矢子教授

根深い問題が潜んでいるのですね。他にはいかがでしょうか。

政府が下請取引の適正化、価格転嫁に対して前のめりな姿勢で臨んでいる点を改めて認識しました。

令和3年に公表された「パートナーシップによる価値創造のための転嫁円滑化施策パッケージ」が、その取組みの全体像を示すものであり、今回の下請法改正もこのパッケージの一環といえます。

価格転嫁に対する各種規制は、優越的地位の濫用規制の観点から見ると「やりすぎではないか」と思われるほど積極的に進められており、政策的な意図を実現する強い姿勢を感じました。

政府の前のめりな姿勢の背景には、30年間続いたデフレ経済からの脱却、国際競争力低下の解消、イノベーション創出への期待といった要因があると考えます。この点について先生のお考えを聞かせていただけますか。

そのとおりです。デフレ経済からの脱却を目的とした、マクロ経済政策の必要性については私も認識しています。

しかし、いくつか問題点もあります。

まず、下請法はマクロ経済政策の一部に過ぎません。下請法適用取引はサプライチェーン全体の一部に限られるからです。一部だけを厳しく規制してしまうと、全体としてうまく機能しない可能性があります。

部分的な規制強化によってバランスを崩してしまわないよう、サプライチェーン全体を考える視点が必要です。法制度だけでなく、多重下請けのような構造的な問題に手をつけなければ根本的な解決は難しいと考えます。

また、個別の取引を見た際、値上げの当否の判断は非常に難しいものです。

たとえば、原材料の価格が1,000円から1,100円に1割上がったとします。その際、1割すべてを転嫁すべきとは限りません。

政策を進めている政府の視点から見ると価格転嫁の結果に注目しがちですが、本質的には「前提として取引の一方当事者が他方当事者に対して優越的地位にあるかどうか」をまず考えなければなりません。

独占禁止法における優越的地位の濫用規制とは、市場の競争が機能しておらず、個別の取引関係において代替的な取引先がないため、やむを得ずその相手方と取引せざるを得ないような関係が見られる場合に限って、その取引内容に介入するものです。

詳しくご説明いただけますか。

競争が機能しており、「他にも取引先を選べるような状態であればそもそも介入しない」ことが独占禁止法の基本的な考え方です。その前提を踏まえずに価格転嫁を実現しようとする政府の姿勢が見られ、問題だと感じています。

独占禁止法では需要者側からの価格交渉、すなわち「牽制力」はある程度推奨されています。需要者の牽制力は、最終的に一般消費者を守ることにもつながるという考えがあるのです。

供給者側に対する価格引き上げの受け入れが推奨され、需要者側からの牽制力が抑制されてしまうと、競争政策全体に影響を与えかねません。

企業取引研究会では、価格転嫁に関する政府の積極的な介入姿勢に対して、法学者を中心に、上記のような問題意識から慎重な姿勢を示す意見も聞かれました。そのような背景から、今回の改正下請法が、最終的に「協議に応じない一方的な代金決定」という形で取引プロセスのみの規制に落ち着いたのは妥当だと考えます。

東京大学大学院法学政治学研究科 滝澤 紗矢子教授

委託事業者は運用基準を遵守すること、中小受託事業者は権利意識を持つことが重要

法改正に伴い、取引の形や企業の交渉プロセスはどうあるべきでしょうか。

委託事業者は、「製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律の運用基準」に注意深く従うことが重要です。

これまでは、主に労務費、原材料費、エネルギーコストの上昇をいかに価格に転嫁するかという議論が中心でした。

しかし、中小受託取引適正化法(取適法)5条2項4号において「中小受託事業者の給付に関する費用の変動その他の事情が生じた場合」と規定されており、運用基準を参照すると「代金額に影響を及ぼし得る一切の事情が問題となる」という解釈が示されています。

委託事業者側は、取引条件の変更など、代金額に影響を及ぼし得る一切の事情について対応する必要があります。

参考

製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律
(委託事業者の遵守事項)
第5条
2 委託事業者は、中小受託事業者に対し製造委託等をした場合は、次に掲げる行為(役務提供委託又は特定運送委託をした場合にあつては、第1号に掲げる行為を除く。)をすることによつて、中小受託事業者の利益を不当に害してはならない。
一〜三 略
四 中小受託事業者の給付に関する費用の変動その他の事情が生じた場合において、中小受託事業者が製造委託等代金の額に関する協議を求めたにもかかわらず、当該協議に応じず、又は当該協議において中小受託事業者の求めた事項について必要な説明若しくは情報の提供をせず、一方的に製造委託等代金の額を決定すること。
製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律の運用基準
9 協議に応じない一方的な代金決定
(2) 「中小受託事業者の給付に関する費用の変動その他の事情が生じた場合」とは、中小受託事業者の給付に関し製造委託等代金の額に影響を及ぼし得る事情がある場合をいい、労務費、原材料価格、エネルギーコスト等の高騰による中小受託事業者の給付に要する費用の変動のほか、従来の納期の短縮、納入頻度の増加や発注数量の減少等による取引条件の変更、需給状況の変化、委託事業者から従前の代金の引下げを求められた場合などの事情が含まれる。このような場合には、委託事業者は、中小受託事業者の求めに応じ、協議を適切に行わなければならない。

今回の改正によって、中小受託事業者から価格協議の求めがあったにもかかわらず、委託事業者が協議に応じなかったり、必要な説明を行わなかったりするなど、一方的に製造委託等代金を決定することが禁止されます(取適法5条2項4号)。

これまで、事業者名公表等の対象となった企業からは「協議の求めの有無にかかわらず対応すべきなのか」といった混乱があったと聞いていますが、改正を受けて中小受託事業者から協議を求めることが必要ということが明確になりました。

「価格協議等の求め」は明示的な要求に限らず、協議を希望する意図が客観的に認められる場合をいう、と運用基準で示されています(運用基準第4 委託事業者の禁止行為 9 協議に応じない一方的な代金決定(3))。

中小受託事業者側からアプローチを受けた場合、委託事業者側はそれに誠意を持って応じる姿勢が求められます。他方、運用基準は、中小受託事業者の不合理な要請等に対して委託事業者が応じなくてもよい例をあげているほか、多数の類似取引について委託事業者が個別協議を実施せず一律に十分な一方的引上げを行って問題とならない場合も記載している点に注意が必要です。

東京大学大学院法学政治学研究科 滝澤 紗矢子教授

今後は、中小受託事業者側から値上げの働きかけを行うことが重要になってくるのでしょうか。

そのとおりです。中小受託事業者自身も権利意識を持つことが重要です。

これまでは契約書もないまま曖昧に仕事を進めるケースも多かったかもしれませんが、今後はその状況から脱却していく必要があります。

加えて、中小受託事業者は特定の取引先に依存せず、可能な限り、別の取引先を検討していく姿勢も重要です。

優越的地位の濫用規制は、従属的な取引関係がある場合にのみ適用されます。

なぜなら、競争法は、自由に取引先を選べる状況では、規制ではなく市場の競争機能に解決を委ねるべきという考えを大原則としているからです。他に取引先がないという例外的な状況でのみ、この規制による保護が必要になるのです。

委託事業者としては、今回の改正をどのように受け止め、どのような対応をすべきでしょうか。

すでに話題となった代金決定プロセスの問題以外の点を申し上げます。

第1に、委託事業者側と中小受託事業者側の双方について、従業員数基準も考慮する必要が生じました。

委託事業者側のコンプライアンス業務は煩雑になるでしょう。資本金は少ないものの、従業員数が多い企業は要注意です。

第2に、手形払い等が禁止になったことです。手形払い自体はあまり使われていないので影響は少ないと考えている方もいるかもしれませんが、ファクタリングや電子記録債権も含みます。

本質は、これまで実務上認められてきた支払い繰延効果が認められなくなることです。支払期日までに金銭による支払いと同等の経済効果を生じさせる、容易に換金できることが求められます。

バランスの取れた冷静な議論ができるように

2025年7月末から始まった令和7年度の企業取引研究会では、どのような検討が進められる予定でしょうか。

前回の報告書でまとめた「将来的な課題」を、独禁法上の優越的地位の濫用規制でどこまでカバーできるかが主な論点です。

具体的には、たとえば、下請法のみで定められている60日以内の代金支払ルールをサプライチェーン全体に適用しうるかどうかです。下請取引に限らず、サプライチェーン全体で取り組まなければ、どこかで支払いが滞ってしまう可能性があります。また、「協議に応じない一方的な代金決定の禁止」についても、優越的地位の濫用で規制しうることの明確化が検討されています。

もう一つは物流の問題です。今回下請法の規制対象に「特定運送委託」が追加されましたが、発荷主のみを規制対象としています。しかし、荷待ちや荷役等を運送事業者に無償で事実上押し付けるという問題は、発荷主側だけでなく、着荷主の行為によっても生じており、むしろ着荷主に起因する場合が多いという指摘があります。着荷主の行為をどこまで優越的地位の濫用等で規制できるかが検討される予定です。

着荷主と運送事業者の間には直接の契約関係はありません。しかし、着荷主が運送事業者に対して運送役務に関する指示や交渉を間接的に行っていたり、着荷主の指示監督の下で荷待ちや荷役が行われているのであれば、取引や委託を擬制できるかもしれません。

ただし、過度に取引概念を広げてしまうと、優越的地位の濫用規制や下請法規制全体に影響が及びかねません。些細な関係性まで取引とみなすとすれば、規制範囲が広がりすぎてしまう懸念があります。

今後の検討で、この問題の適切な落としどころが見つけられることになるでしょう。

令和7年度の研究会において、先生はどのようなスタンスで臨まれ、どのような議論を望まれていますか。

政策的な観点に偏ることなく、バランスの取れた冷静な議論ができるように意見を述べたいと考えています。

政策的な意図はもちろん承知していますが、それを個別の取引の問題へ落とし込むときに、一律に規制対象とするのは最善ではないかもしれません。

規制強化によって規制対象事業者だけに過度な負担がかかったり、取引の柔軟性が失われるといったデメリットも、考慮すべきだと思います。

濫用に該当するような問題行為を排除しつつ、自由に交渉できる余地を残すことが、中小受託事業者の主体性や可能性にもつながるのではないでしょうか。健全な競争環境を実現できるような、調和のとれた制度設計となることを願っています。

その前提として、中小受託事業者側からも一定のアクションを促すような制度が望ましいですね。

東京大学大学院法学政治学研究科 滝澤 紗矢子教授

プロフィール

滝澤 紗矢子教授
2001年3月東京大学法学部卒業。2003年〜2004年ハーバード・ロー・スクール (LL.M.)。東北大学大学院法学研究科助教授、教授を経て2022年9月より東京大学大学院法学政治学研究科教授。関心分野は競争法政策とそれに関わる比較法。主要著作に『競争機会の確保をめぐる法構造』(有斐閣)。

(写真:岩田 伸久、取材・編集:BUSINESS LAWYERS編集部)

無料会員登録で
リサーチ業務を効率化

1分で登録完了

無料で会員登録する