独禁法事案において経済分析はどのように活用されるべきか 令和を展望する独禁法の道標5 第10回

競争法・独占禁止法
福永 啓太 アリックスパートナーズ ディレクター

目次

  1. 独禁法に関して経済分析が活用される局面とは
  2. 昭和における個別事案 - 八幡製鉄 - 富士製鉄の統合
  3. 平成における個別事案 - ダクタイル鋳鉄管事件
  4. 平成・令和における企業結合審査と経済分析
    1. 公表事例に見る経済分析の活用
    2. 企業結合審査における経済分析の活用に関する課題
  5. 令和における個別事案 - Z Holdings - LINEの統合
  6. 今後への期待
  7. 白石忠志教授のCommentary
実務競争法研究会
監修:東京大学教授 白石忠志
編者:籔内俊輔 弁護士/池田毅 弁護士/秋葉健志 弁護士

本連載は、2020年12月をもって休刊となったBusiness Law Journal(レクシスネクシス・ジャパン株式会社)での連載「令和を展望する独禁法の道標5」を引き継いで掲載するものです。記事の最後に白石忠志教授のコメントを掲載しています。
本稿は、実務競争法研究会における執筆者の報告内容を基にしています。同研究会の概要、参加申込についてはホームページをご覧ください。

独禁法に関して経済分析が活用される局面とは

 独禁法に関係して経済分析が用いられる局面は、大きく2つある。1つは、競争政策の立案や執行方針の策定において経済学の知見を提供することである。もう1つは、個別の事案において、法的要件の適合・不適合に関して分析枠組みと証拠を提供することである。

 前者については、昭和・平成・令和の時代を通して、公取委はエコノミストからのインプットを得て競争政策の立案や執行方針の策定を行ってきた。たとえば、各種ガイドラインにおいて経済学の考え方が反映されており、わかりやすい例として「企業結合審査に関する独占禁止法の運用指針」(企業結合ガイドライン)がある。同ガイドラインでは、一定の取引分野の画定において取り入れられているSSNIP 1 テストの考え方や、競争分析の枠組みとして取り入れられている単独効果、協調効果の考え方やそれらの考慮要素の多くが、経済学の考え方に則ったものである。

 独禁法の扱う対象は、主に企業が行う経済活動が市場における競争状況に及ぼす影響である。これは、経済学、中でも特に産業組織論が研究対象とするものであり、その知見が、競争政策の立案や執行方針の策定において求められ、また実際に取り入れられてきたことは、自然なことである。令和の時代も引き続き、エコノミストによる公取委へのインプットが求められる。

 一方で、本稿で取り扱う個別の事案における活用については、昭和・平成・令和の時代を通して、経済分析が自然に取り入れられてきたとはいえない状況であった。後述するように、個別の事案、中でも主に企業結合事案において、特定の法的要件に関して、専らデータを使った実証的な分析として経済分析が行われるようになってきたのは、平成後半以降である。

 本稿では、昭和・平成・令和それぞれの時代でエコノミストが関与した個別事案を取り上げ、それぞれの事案における経済分析の役割について概略を説明すると共に、各時代の関与のあり方を比較しながら検討する。そのうえで、令和の時代において求められる経済分析の役割について考察する。

昭和における個別事案 - 八幡製鉄 - 富士製鉄の統合

 昭和の時代において、エコノミストが直接関与した事案は、筆者の知る限りない。
 ここで取り上げる八幡製鉄-富士製鉄の事案(1968年公表)では、当時、日本における90人に上る近代経済学者が結束して独占問題懇談会を立ち上げ、意見書を出し反対を表明した 2。このグループの発起人の1人であった小宮隆太郎博士によれば、「産業界、官界、財界が、独禁法と競争政策のロジックを理解しないままに、的外れな賛成論の圧力で押し切ろうとしたこと」に対して「大いに憤慨した」ことが、反対運動の動機だったという 3
 当時、過度経済力集中排除法により分割されていた三菱重工、王子製紙といった企業による合併の動きがあり、同様に同法で分割されていた八幡と富士による合併がこれに続いたこともあり、エコノミストの間では、八幡-富士の合併は日本の経済システムに深く関わる問題と認識されたのではないか、と小宮博士は述べている 4。当時、物価上昇が問題となる中で、大企業間の競争が十分行われていないことを近代経済学者が批判する 5 など、現実の経済問題に対するエコノミストの関心の高まりも、背景としてあったようである。

 ただし、このときの意見書は、エコノミスト会員90人にアンケートを行い、八幡-富士の合併は競争の実質的制限をもたらす可能性が強いとしたのは86人に上ったとして、当時の通産省などが陰に陽に公取委に対して圧力をかけることを批判・牽制するもので 6具体的事実に即して経済分析を実施したうえで意見表明を行っていたというわけではなかった。
 エコノミストが現実の独禁法の個別事案に大きな関心を持ち、結束し意見表明することで、ある程度個別事案の結論に影響を与えたかもしれないという意味で、富士-八幡はエコノミストが関与した初めての独禁法の個別事案であった。しかし、具体的な競争状況の分析や法的論点に経済分析の光を当てるというところまでは至らなかった。

平成における個別事案 - ダクタイル鋳鉄管事件

 平成において経済分析が用いられた事案として、ダクタイル鋳鉄管事件(東京高裁平成23年10月28日判決・審決集58巻第2分冊60頁、判時2172号3頁)を取り上げる。本事案に関しては、ダグタイル鋳鉄管の市場における競争状況に関する経済学的観点からの議論が興味深く、今後の経済分析の活用方法に示唆を与えるものであると思われる。

 本件では、水道管等として用いられるダクタイル鋳鉄管に関してカルテルを行ったとして、勧告審決 7 が行われると共に、課徴金納付命令が出された。カルテルを行った3社は審判手続の開始を請求し、審判の結果、3社に対して課徴金の納付を命じる審決が行われた(公取委平成21年6月30日審判審決)。3社は、カルテルを行ったことは認めたものの、当時の課徴金納付命令の要件である「商品若しくは役務の対価に係るもの又は実質的に商品若しくは役務の供給量を制限することによりその対価に影響があるもの」(独禁法7条の2第1項)の法令解釈を争うと共に、「供給量の制限」あるいは「対価への影響」を認める実質的な証拠はないなどと主張して、本件審決の取消しを求めて東京高裁に訴訟を提起した。

 公取委は、市場シェアに関するカルテルが実質的に商品もしくは役務の供給量を制限することによりその対価に影響を与えることを主張するために、シェア配分カルテルが、「一般的性質」として、ある特定の価格を前提としたうえで総需要見込数量の設定をするものであり、その設定を行うのは市場において有力な地位を有する者であることから、カルテル価格を前提とした総需要見込数量が設定されることになるとした 8。さらに、シェア配分カルテルにより、自社に配分された販売予定数量の範囲内に収まるように商品等の販売を行うようになるのであり、カルテル参加者の供給能力行使が制限されるとした 9

 東京高裁は、そのようなシェア配分カルテルの「一般的性質」があるかどうかはさておき、本件カルテルの実態に照らせば、総需要見込数量に各社ごとの年度配分シェアを乗じて算出される各社ごとの予定受注数量は、これを超えて受注してはならないという限度を画するものだったとしたうえで、本件カルテルがなければ、シェア拡大のために生産量を増加させることが極めて容易に想定されるとした 10。さらに、対価影響については、上で述べたように本件カルテルは供給量を制限するものといえ、そうであれば、特段の事情がない限り価格(対価)に影響を与えるものである、とした 11

 これに対して、当事会社側の経済学専門家として意見書を提出した柳川隆博士は、経済学文献においては、シェア配分カルテルにより、供給量が制限されたり価格が引き上げられたりするといった、本件審決や判決のような議論はなされていないこと、さらに、シェア配分カルテルは、あくまで価格カルテルが行われるときに付随的に結ばれることが想定されていること、を指摘した 12。さらに欧州における20件のカルテル事件を分析したMarshall and Marxの研究 13 に基づき、シェア配分協定が行われているカルテルにおいては、それが単独のシェア配分カルテルとして行われるのではなく、価格決定に付随して生じていることが確かめられるとした 14。つまり柳川博士によれば、価格に影響を及ぼすのはあくまで価格カルテルであって、シェア配分カルテル自体は供給量を制限したり価格を引き上げたりするものではない。

 たしかに、シェア配分カルテルそれ自体に、供給量を制限したり価格を引き上げたりする効果があるという明確な経済学的根拠はなく、公取委平成21年6月30日審判審決がいうように、シェア配分カルテルの「一般的性質」として一般化できるとはいえないだろうし、また、東京高裁平成23年10月28日判決がいうように、本件カルテルがなければ、シェア拡大のために生産量を増加させることが極めて容易に想定されるというのも、経済学的根拠を欠くように思われる。

 むしろ、本件カルテルの本質を、供給数量ではなく価格に関する合意にあったと見たうえで、価格カルテルを維持する重要な手段としてシェア配分カルテルが用いられていた、つまり、本件シェア配分カルテルは、(カルテル価格維持という意味で)直接的に価格に影響する行為と見たほうが、経済学的理解とは整合的だったと思われるし、実態とも整合的だったかもしれない 151617

平成・令和における企業結合審査と経済分析

公表事例に見る経済分析の活用

 冒頭で述べたように、企業結合審査においては経済分析の活用が進んでいる。下表は平成12年度以降の企業結合審査公表事例のうち、経済分析が行われたものを抽出し、分析に用いられた手法を整理したものである(令和の6件も含む)。
 公取委のウェブサイトでは平成5年度以降の公表事例が利用可能だが、経済分析が用いられたのは平成12年度以降で、それ以前には経済分析が用いられた公表事例はない。また、平成12年度および16年度の事例についても、価格と輸入数量との相関関係について簡単な言及があるものの、どの程度精緻な分析が行われたのか判然としない。
 このため、ある程度本格的に経済分析が取り入れられ始めたのは、平成17年度のユニ・チャーム−資生堂の事案以降といってよいと思われる。

企業結合審査の公表事例において用いられている経済分析の手法

※表中の数字は頁番号

年度 事例
番号
事例名 相関分析 18 定常
分析 19
GUPPI 20 合併シミュレーション 21 需要関数の推定 22 その他
令2 事例2 昭和産業(株)によるサンエイ糖化(株)の株式取得 9
令2 事例3 DIC(株)によるBASFカラー&エフェクトジャパン(株)の株式取得 17-19 17-19
令2 事例6 グーグル・エルエルシー及びフィットビット・インクの統合 57-59
(垂直計算)
令2 事例10 Zホールディングス(株)及びLINE(株)の経営統合 126以降(キャッシュレス決済手段のマルチホーミング及び転換率の分析)
令元 事例3 日本産業パートナーズ(株)による(株)コベルコマテリアル銅管及び古河電気工業(株)の銅管事業の統合 23
令元 事例9 (株)マツモトキヨシホールディングスによる(株)ココカラファインの株式取得 76-80(競争状況が粗利益に与える影響)
平30 事例2 王子ホールディングス(株)による三菱製紙(株)の株式取得 11 11
平30 事例4 新日鐵住金(株)による山陽特殊製鋼(株)の株式取得 29 31
(自然実験)
平30 事例5 合同製鐵(株)による朝日工業(株)の株式取得 39
(臨界損失分析)
平30 事例7 (株)USEN - NEXT HOLDINGSによるキャンシステム(株)の株式取得 54
平29 事例12 (株)第四銀行及び(株)北越銀行による共同株式移転 75(競争状況が価格に与える影響)
平28 事例3 出光興産(株)による昭和シェル石油(株)の株式取得及びJXホールディングス(株)による東燃ゼネラル石油(株)の株式取得 18, 19 18,19 22(インパルス反応関数分析)、33(臨界損失分析)
平28 事例5 新日鐵住金(株)による日新製鋼(株)の株式取得 49 49 45,49 45, 49(臨界弾力性分析)
平27 事例3 大阪製鐵(株)による東京鋼鐵(株)の株式取得 25(競争状況がプライスコストマージンに及ぼす影響)
平27 事例9 (株)ファミリーマートとユニーグループ・ホールディングス(株)の経営統合 75,76,79
平26 事例3 王子ホールディングス(株)による中越パルプ工業(株)の株式取得 16,18 16,18,25
平26 事例5 コスモ石油(株),昭和シェル石油(株)、住友商事(株)、東燃ゼネラル石油(株)等によるLPガス事業の統合 44(価格とHHIとの関係についての「差分の差分」分析)
平26 事例7 ジンマーとバイオメットの統合 66
平26 事例8 (株)KADOKAW及び(株)ドワンゴによる共同株式移転 69,70(二面市場性についての分析)
平25 (なし)
平24 事例1 大建工業(株)によるC&H(株)の株式取得 4,5
平24 事例9 (株)ヤマダ電機による(株)ベスト電器の株式取得 70, 71(価格と競争状況についての分析)
平23 (なし)
平22 事例1 ビーエイチピー・ビリトン・ピーエルシー及びビーエイチピー・ビリトン・リミテッド並びにリオ・ティント・ピーエルシー及びリオ・ティント・リミテッドによる鉄鉱石の生産ジョイントベンチャーの設立 4-7(市場構造についての経済学的分析)
平21 事例4 共英製鋼(株)と東京鐵鋼(株)の経営統合 23,24(SSNIPテストの考え方に基づいた経済分析)
平20

平19
(なし)
平18 事例1 味の素(株)によるヤマキ(株)の株式取得について 4
平18 事例2 日清食品(株)による明星食品(株)の株式取得について 9
平17 事例1 ユニ・チャーム(株)による(株)資生堂からの生理用品事業の譲受けについて 5
平16 事例8 三井化学(株)及び出光興産(株)のポリオレフィン事業の統合について 45
平15

平13
(なし)
平12 事例2 日本製紙(株)及び大昭和製紙(株)の持株会社の設立による事業統合 10

 上の表で整理した企業結合公表事例から、いくつかの点が指摘できる。

 1つ目は、相関分析や定常分析といった、比較的簡便な価格分析が、多くの事案で用いられていることである。価格の時系列データ等、比較的入手しやすいデータが存在することについて公取委は認識をしており、こうした簡便な経済分析については常に実施可能性があるといってよいだろう。

 2つ目は、用いられる経済分析の多様性である。上述した価格分析に加え、シミュレーション分析や簡便なシミュレーション分析といえるGUPPI、臨界弾力性分析・臨界損失分析、自然実験、競争状況が利益や価格に与える影響についての回帰分析等、特に直近の10年程度の間に多くの種類の経済分析の実証的アプローチが実施されてきたことがわかる。こうした分析手法はいずれも欧米当局を中心に用いられてきたものであり、公取委は、海外事例における経済分析も参考にしながら、企業結合審査の中に経済分析を取り入れてきたことが見て取れる。

 3つ目は、公取委が経済分析を行ったとされる公表事例においては、すべてのケースで、経済分析の定量的な分析結果と定性的な分析が整合するとされている(つまり、定性的な分析結果を補強するものとして経済分析の定量的な分析結果が用いられている)という点である。経済分析の定量的な分析結果は、常に定性的な分析と整合するとは限らないので、整合する場合には、公表文で経済分析を記載するという公取委のプラクティスがうかがえる。

 一方、当事会社が経済分析を実施したとされる公表事例においては、公取委が経済分析の結果に同意する場合(平成28年度事例3における臨界損失分析など)もあれば、問題点を指摘し、認めない場合(令和2年度事例6など)もある。

企業結合審査における経済分析の活用に関する課題

 以上のように、平成の後半以降は、企業結合審査においては経済分析の活用が進んできており、取り入れられた分析手法の多様性には目を見張るものがある。今後も、光を当てるべき論点や案件の性質に応じて、適切な分析手法が積極的に取り入れられていくべきである。そして、実施された経済分析の内容については、実施した主体が公取委であっても、当事会社側であっても、なるべく詳細に公表文で説明されることが望ましい。最近では、令和元年事例9のように、従前よりも詳細に経済分析の内容を説明するものが出てきた。評価すべき動きである。

 また、経済分析の公表の際には、定性的な分析結果と一致する場合にのみ経済分析の定量的な分析結果を公表するのではなく、それらが一致しない場合にどのように分析結果の採否の判断を行ったのかについても公表するようにすべきである 23

 このように公取委がどのような経済分析を実施し、どのように判断に活かしているかを詳しく公表することは、企業結合審査の透明性を増し、ひいては公取委に対する信頼を増すことにつながるだろう。

 特定の論点について定量的・実証的に検証を行うための道具としての経済分析の活用が目立つ一方で、もう1つの重要な経済分析の役割である、定性的分析における経済学的根拠の有無についての検討という役割があまり目立たないのは問題である

 企業結合審査ガイドラインが経済学の視点に基づき記載されており、その意味では、すべての企業結合審査が経済学的考え方に依拠して行われているといえるかもしれない。しかし実際には、それだけでは不十分である。個別事案それぞれについて、競争状況等の具体的な事実関係に基づいて、より具体的な定性的分析が行われる必要があるにもかかわらず、経済学的観点からそれが行われたことが明確に見て取れる案件は多くない 24今後は、デジタルマーケットを中心に複雑な事案が増えることも考えられ、定性的分析における経済学的根拠の有無について、より目配りをする必要が出てくると考えられる。

令和における個別事案 - Z Holdings - LINEの統合

 令和の事案として、Z Holdings-LINEを挙げる。この事案でも、定量的な経済分析が公取委の判断において重要な役割を果たしたが、一方で、定性的分析における経済学的根拠の有無をより詳細に検討することの重要性をあぶり出した案件のようにも思われる。

 本件では、いくつかの事業分野が審査対象となる中、特にコード決済事業について、経済分析も含めて詳細な分析がなされた。公取委は、コード決済事業に関して、消費者側と加盟店側との間で間接ネットワーク効果 25 が働くという市場の特性を踏まえて、本件統合により、特に、消費者側のコード決済事業の取引分野において当事会社グループが市場支配力を得て、消費者側からの間接ネットワーク効果を通じて、加盟店側において加盟店手数料の引上げが可能となるか否かを評価することとした。

 そして、公取委は、消費者側と加盟店側それぞれの需要の価格弾力性 26 および間接ネットワーク効果の大きさを推定するための構造推定モデル 27 を構築し、その分析に必要となるデータを求めた。

 しかし、構造推定は経済分析の手法の中でも高度なものであり、分析に必要とされるデータについても質・量共に要求度が高い。実際、本件でも、当事会社からは、上記の分析に必要となるデータの一部を所持していない旨の回答があり、公取委は構造推定を実施することができなかった。

 構造推定を実施する際には、行われている競争の性質や需要者の行動に関して前提条件を置く必要があるところ、当然、そうした前提条件が実態に即しているか否かは十分に吟味される必要がある。たとえば、異なる決済手段間でのマルチホーミングの有無や程度により、想定すべきモデルが異なり得る。どのような前提条件を置くべきかについての議論を通してこそ、実態の理解を深めることができるのであり、そのような議論を経ないままでの構造推定は、実態に根ざさない無意味なものになってしまうおそれがある。

 どのような前提条件を置くべきかについての議論を通して実態の理解を深めるという作業は、競争状況に関する定性的な分析と相当程度重複するものであり、かつ、経済学のトレーニングを積んだエコノミストの知見が求められる。

 本件統合に即してしていうと、消費者側のコード決済事業の取引分野において当事会社グループが市場支配力を得ることが、公取委の反競争性仮説(セオリーオブハーム)28 の重要な部分となっている。構造推定を実施する以前の問題として、どのような前提条件が満たされるときに消費者側のコード決済事業の取引分野において当事会社グループが市場支配力を得ることになるのかを明らかにし、そのうえで、それらが実際に満たされるか検討する必要がある。その前提条件について示唆を与えるのも経済分析の重要な役割であるが、本件でその点が十分に意識されていたといえるかという点については疑問が残る。

今後への期待

 昭和・平成・令和と時代を追って、独禁法の個別事案における経済分析が果たしてきた役割を見てきた中で、特に平成の後半以降の企業結合審査において、個別具体的な要因に関する実証分析の手法として経済分析が用いられてきたことがわかった。その進展はめざましく、今後も適切な実証分析の手法を積極的に取り入れていくことが望ましい。

 一方で、政策立案の場面で経済学が果たしてきた役割に比して、個別事案においては、市場構造の分析や、法的要件、反競争性仮説が成立するための前提条件の洗い出しという、主に定性的な観点からの分析が求められる局面において、未だ経済分析が活用されていない様子が見て取れる。おそらく、その原因の1つとして、公取委の担当班やより上層レベルで、個別事案の審査の方向性を決める際に、エコノミストの関与が十分でないことが考えられる。その結果、経済学的根拠が乏しい法的議論をせざるを得なかったり、精度が十分でない反競争性仮説を設定したりといった、ロジック的に未発達な面が見られるように思われる。

 令和の時代においては、個別の事案において、実証分析面での経済分析の発達が期待されるだけでなく、本来、実証分析が拠って立つ基礎となるべき定性分析面での経済分析の役割の深化、およびエコノミストの責務の拡大が、強く期待される

白石忠志教授のCommentary

適正な経済分析が活用されるために

 刑事訴訟において適正なDNA型鑑定が証拠として重視される場合があるのと同様、独禁法事例において適正な経済分析が証拠として重視される場合があるのは当然である。

 それを前提に、現在の独禁法における経済分析について若干の感想を述べると、以下のとおりである。

 まず、経済分析の意義を自然に示すような方向を目指したほうがよいのではないか。

 たとえば、最近の公取委の年度ごとの企業結合事例集には、冒頭に目次を兼ねた表があり、水平か垂直か混合かといった列と並んで「経済分析」という列が置かれ、いくつかの事例に「○」が付いている。独禁法の事例において何らかの経済的な立証が行われるのは当然であることに鑑みれば、異様である。公取委自身にも、いくつかの事例で経済分析を用いたという事実を強調したい何らかのインセンティブがあることをうかがわせている。

 もう少し具体的には、たとえば、次のようなことである。
 令和2年度企業結合事例集を見ると、「当事会社グループは、……垂直計算という手法に基づく経済分析を提出した」とし、「垂直計算とは、『市場閉鎖によって得られる利益』と『市場閉鎖によって失うことになる利益』をそれぞれ算定して比較を行うことによって、当事会社に市場閉鎖を行うインセンティブがあるか否かを評価するという、垂直型企業結合における主要な経済分析手法の一つである。」とした箇所がある(令和2年度企業結合事例集57頁)。
 しかし、企業結合審査は企業結合後の将来を予測して行うものであるから、垂直型企業結合の事例において市場閉鎖が起こりやすくなるかどうかを検討するために当事会社にとっての「市場閉鎖によって得られる利益」と「市場閉鎖によって失うことになる利益」を比較するのは当然である。わざわざ「垂直計算」などと名付けて「経済分析」を標榜するようなものではない。当たり前のことに難しそうな名前を付けて強調するのは、経済分析に対する誤解を招くだけではないだろうか。
 善解すれば、たぶん、その前提のもと、それぞれの「利益」の計算において高度の経済分析を用いるのであろう。
 そのあたりの切り分けをして、経済分析の本来の存在意義は何であるのかをまず関係者自身が的確に理解する必要があるように思われる。

 経済分析をめぐる競争環境の整備、個別事案に関与する場合の倫理性の確保、なども重要であると思われるが、分量に鑑みて省略する。

 当面の試金石は、裁判所の事例であろう。
 独禁法のなかでも企業結合事例において突出して経済分析が話題とされる現状の背景には、違反被疑事件とは異なり事例数が多いこと、将来予測を伴うこと、などもある。しかし同時に、実際問題として企業結合事例は裁判所に行く可能性が乏しく、当事会社と公取委との交渉で決着が付くところ、上記のように、公取委にも経済分析を利用しているという事実を強調するインセンティブが存在する模様である、という状況がある。
 裁判所には、当事者が提出した証拠という形で、多種多様な諸科学の専門家が意見書を提出しており、それは今に始まった話ではない。そのなかで、どのような分野であろうと高度な内容を理解する潜在性を豊かに持った裁判官に理解され信頼されるような経済分析を行うことが、この分野の発展のために有益であるように思われる。


  1. Small but Significant Non-transitory Increase in Priceの略で、同ガイドラインでは「小幅ではあるが実質的であり、かつ一時的ではない価格引上げ」とされている。 ↩︎

  2. 由良善彦『鉄の巨人(新日鉄)誕生』(開放経済研究所、1969)122~123頁 ↩︎

  3. 岡村薫=鈴村興太郎=林秀弥「小宮隆太郎教授へのインタビュー:八幡、富士両製鉄の合併事件の回顧と評価を中心として」CPRCディスカッションペーパー(2009)25頁 ↩︎

  4. 岡村=鈴村=林・前掲注3)28頁 ↩︎

  5. 公正取引委員会事務総局編『独占禁止政策五十年史(上)』(公正取引委員会事務総局、1997)128頁 ↩︎

  6. 由良・前掲注2)123~124頁 ↩︎

  7. 公取委勧告審決平成11年4月22日・審決集46巻201頁 ↩︎

  8. 公取委平成21年6月30日審判審決・平成12年(判)第2号~第7号、別紙審決案の理由第5 の3(2)ア(ア) ↩︎

  9. 前掲注8)別紙審決案の理由第5の3(2)ア(イ) ↩︎

  10. 前掲東京高裁平成23年10月28日判決第6の3(1) ↩︎

  11. 前掲注10)第6の3(2) ↩︎

  12. 柳川隆「ダクタイル鋳鉄管シェア配分カルテル事件の審決取消訴訟について」国民経済雑誌207巻4号27頁 ↩︎

  13. Robert C. Marshall and Leslie M. Marx, “Explicit Collusion and Market Share Allocations”(2008). ↩︎

  14. 柳川・前掲注12)27頁 ↩︎

  15. 柳川博士が取り上げたMarshall and Marx・前掲注13)は、お互いからシェアを奪い合おうとする競争を抑制すれば価格カルテルを維持することができるので、シェア配分カルテルは有効な方法であると論じている。 ↩︎

  16. 本件の刑事判決についての論考である正田彬「ダクタイル鋳鉄管カルテル刑事判決について―東京高裁平成12年2月23日判決」公正取引596号39頁では、シェア協定が行われ、その実行のための仕組みが構築されている場合であって、価格が斉一的または統一的である場合には、価格についての共同行為の存在を認定することができると思われるとしている。 ↩︎

  17. 公取委が、シェア配分カルテルが供給量を制限することを主張せざるを得ないと判断したのだったとしても、経済学的観点から主張を補強することはなお可能だったかもしれない。たとえば、横田直和「独占禁止法の解釈・運用における経済学の利用例―ダクタイル鋳鉄管シェアカルテル課徴金事件に即して」NBL1002号41頁は、寡占的競争の観点(いわゆるゲーム理論の観点)を欠くという難点はあるものの、本件カルテルが供給量を制限し価格を引き上げることにつながるとする経済学的な分析枠組みを提示している。 ↩︎

  18. 相関分析とは、複数の異なる変数間の連動性を相関係数の大きさで評価するものである。企業結合審査においては、市場画定に関する分析として、複数の異なる価格(たとえば異なる地域における価格)の間の連動性を分析する際に用いられることが多い。 ↩︎

  19. 定常分析とは、複数の異なる変数間に安定的な関係性があるか否かを分析するために用いられる分析である。時間によらず、平均値やばらつきの大きさが一定である変数は定常的であるといわれる。たとえば2つの変数の比をとったときにその比が定常的であれば、その2つの変数は、一時的に一定の関係性から乖離することがあっても、基本的には安定的な関係性を維持していることが示唆される。企業結合審査においては、市場画定に関する分析として用いられることが多い。 ↩︎

  20. GUPPIとは、Gross Upward Pricing Pressure Indexの略である。当事会社が統合後に値上げを行う誘引の大きさを定量的に評価する指標として用いられる。 ↩︎

  21. 合併シミュレーションとは、需要構造と供給者側の行動に関する明示的なモデル化を行ったうえでそれらを統計的に推定し、それに基づいて統合後の価格や数量をシミュレーションにより求めることにより、統合が価格や数量に与える影響を定量的に評価する分析である。 ↩︎

  22. 需要構造を数学的に表す需要関数を統計的に推定することで、代替性を測る重要な指標である需要の価格弾力性を推定することができる。これに基づいてSSNIPテストを実務的に行う方法の1つである臨界損失分析等が行われる。 ↩︎

  23. 特に、当事会社側が提出した経済分析を公取委が採用しない場合に、その理由を詳細に説明することは、説明責任の観点からも重要と思われる。 ↩︎

  24. 平成22年度事例1は、市場構造の分析において、経済学的な分析枠組みが用いられたことが見て取れる事例である。 ↩︎

  25. 間接ネットワーク効果とは、一方の需要が高まればもう一方の需要も高まるというように、プラットフォームが直面する異なる需要者群の間で相乗的に需要が高まる効果を指す。企業結合ガイドラインでは、「企業結合後に当事会社グループが一方の市場における一定数の需要者を確保すること自体により他方の市場における商品の価値が高まり,その結果当事会社グループの他方の市場における競争力が高まるような場合(いわゆる間接ネットワーク効果が働く場合)には,当該間接ネットワーク効果も踏まえて企業結合が競争に与える影響について判断する」(第4の2(1)キ)とされている。 ↩︎

  26. 前掲注22)で述べたとおり、需要の価格弾力性は需要の代替性に関する重要な指標である。価格の変化分(%)に対する需要の変化分(%)の比として表される。 ↩︎

  27. 構造推定モデルとは、需要構造と供給者側の行動に関する明示的なモデル化を行ったうえでそれらを統計的に推定するという分析手法である。前掲注21)で説明した合併シミュレーションの前段階の分析であるといえる。 ↩︎

  28. 一定の取引分野における競争を実質的に制限することとなるロジック(深町正徳編著『企業結合ガイドライン〔第2版〕』(商事法務、2021)130頁)を、英語ではセオリーオブハーム(theory of harm)と呼ぶ。日本では確定した呼び名はないがここでは反競争性仮説と呼ぶ。 ↩︎

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