激動する標準必須特許の世界で日本が取るべきポジションとは 識者が読む 標準必須特許をめぐるグローバルな攻防2022(後編)
競争法・独占禁止法
標準必須特許(standard-essential patent:SEP)を争点とするきわめて重要な判断が2020年に入って各国で相次いで出されて以降、海外では2021年・2022年を「Year of SEP」と呼ぶほど目まぐるしい動きがみられたが、その間の日本国内の動きを専門家はどのようにみたのだろうか。
前編ではSEPをめぐる欧州や中国など世界の変化を分析した。後編では、二又俊文氏(東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員シニア・リサーチャー)、池田毅弁護士(池田・染谷法律事務所)、松永章吾弁護士(ゾンデルホフ&アインゼル法律特許事務所)に、日本が今後とるべき施策について聞いた。
自動車メーカーとサプライチェーンのあり方
自動車メーカーが海外で訴えられていますが、各メーカーではどのように受け止めているのでしょうか。
松永弁護士:
米国のNPE(Non-Practicing Entity)1 が、昨年10月にテキサスでトヨタとホンダを相手取って提起した訴訟は、Wi-Fi関連の10件以上の特許侵害を主張する大型訴訟です。また、本年5月には、L2 Mobile Technologiesが日産に対する差止請求訴訟をドイツのミュンヘン地裁に提起しました 2。差止訴訟が提起されたとなれば深刻に受け止めざるをえないと思います。
二又氏:
日本経済新聞の1面トップにコネクテッド・カーの記事が掲載されたり、多くの議論がいろいろな場でされていますし、社内的にはインパクトを与えたのではないでしょうか。ビジネス的な対応で穏便に事態を収めようとする企業もあるかと思いますが、まったく異なる対応をとる企業もあるでしょう。
池田弁護士:
日本の弁護士としては、もちろん訴えられた日本企業にはまずは勝ってほしいと思います。ただ、勝てないなら勝てないで日本企業が目を覚ますきっかけになる可能性もあるのではないか、と思っています。
二又氏:
やはり、様子見は危ないでしょう。大きな流れを見失わず、行動を起こすべきタイミングをつかむべきでしょう。
松永弁護士:
行政の研究会など、そのようなきっかけはあったのかもしれないですが、今後はミュンヘン地裁の判決に注目が集まると思います。
池田弁護士:
日本企業が当事者となった訴訟の行方は注視する必要がありますが、前編で議論したとおり、誠実交渉の発展もあり、少なくとも直近の未来はとても確定的にみえてきました。個人的には、長年続いてきた標準必須特許の議論が収束に向かうのか、あるいはその逆なのかというところに興味があります。
松永弁護士:
その先には、解決しなければならないいろいろな問題が出てくるのでしょう。
池田弁護士:
私自身は、市場や交渉力の格差の状況によっては、いわゆるLicense to allの考え方は必ずしも間違っていないという立場です。ただ、その当否はともかくとして、今後出てくると思われる問題の1つとして、現在の流れで、完成品メーカーがライセンス料を支払った場合、完成品メーカーはサプライヤーに求償することになるのでしょうか。
松永弁護士:
サプライチェーンのあり方に左右される問題ですね。サプライヤーが力を持っていたり、商流に商社が入っていたりする場合、包括的な特許補償合意がなされないことがあるわけですし。結局は商流に起因する問題で、たとえばそれを、競争法的に解決すればよいのではないか、これはSEP特有の問題ではない、という整理もできるのではないでしょうか。
池田弁護士:
そうですね。License to allが議論される中で、自動車業界で広範な特許補償をサプライヤーが負っている点に脚光が当たりました。今後、サプライヤーにそこまで求めてよいのか、という点が問題となるかもしれません。また、脚光が当たったことで、関係性を見直すべきではないか、という議論も出てくるかもしれません。
松永弁護士:
独禁法的に問題になった事件などは特にないのでしょうか。
池田弁護士:
今のところはありません。ただし、公正取引委員会は興味を持つかもしれませんね。
松永弁護士:
最近、面白いなと思ったのは、Avanciとコンチネンタルの訴訟の控訴審で、コンチネンタルが、自分はこんなに大変な特許補償責任を負っているんだ、という証拠をたくさん提出していることです。権利者と戦いながらも、別の問題提起をしているようにもみえます。
ダイムラーはノキアとの和解後、サプライヤーに対してどのように製品の権利処理をしているのか、アンケートをしました。特に、SEPに関係するところは詳細に質問しています。それを聞いた後に、新しい調達契約を送るからサインするように、と。しかし、それで何か変わったわけでもなく、従前どおりの概括的な特許補償責任をサプライヤーに負わせているようです。歴史的な訴訟で連敗を喫した後にやることがこれでは、もはや競争法的な光が当たらないと変わらないのだろう…と思いました。
ただ、電気自動車の新参メーカーが水平的なサプライチェーンを形成したら変わるのではないか、と期待していましたので、先日開催されたSEP研究会での中国EVメーカーの知財部長の講演を楽しみにしていました。しかし、話を聞いてみると、中国に20ほどあるEVのOEMメーカーはその全社がファーウェイからTCU(Telematics Control Unit:車載通信ユニット)を買っていて、ファーウェイは自ら進んで包括的な特許補償をしているという話でしたので、非常に驚きました。ファーウェイは更地にわざわざ自ら垂直サプライチェーンを作りにいっているわけですから、先は読めませんね。
池田弁護士:
もしかすると、この論点は日本の独禁法がリードするかもしれません。日本の独禁法上の優越的地位の濫用は、主要国の競争法の中で唯一かつ最も頻繁に使われている相対的優越性の規制だからです。
松永弁護士:
結論はともかく、その議論では日本が世界をリードするかもしれません。
池田弁護士:
ただし、このような問題意識自体は日本法だけのものではないかもしれません。バイデン大統領の一般教書演説で面白いと思ったのが「競争がないところで行われる独占とは、ただの搾取だ」という趣旨の発言をしたと新聞で読みました。よいフレーズと思います。ただ、相対的優越規制がない米国で、それをどうやって政策に落とし込むのか、注視しています。
二又氏:
この論点は重要でありながらこれまであまり議論されていません。独禁当局の位置付けや取り組みは日米で違いがありますが、サプライチェーンとSEPのテーマは議論されるべきでしょう。
今後の日本が取るべき方策
「失われた5年間」3 は取り戻せるのでしょうか。
池田弁護士:
日本の司法、企業、行政のいずれも、海外で主導権を担うということはないでしょう。他方「オリンピックのルールが変わったら、そのルールで勝てるように鍛錬を積む」のが日本の“お家芸”といった考え方もあります。法律というルールが発展する中で、どのように立ち回ることができるかはポイントの1つになるかもしれません。
今後、5Gのビジネスが現実化し、その先の6Gに向かう中で、ビジネス戦略と知財戦略の結びつきを強め、そこで少しでも利益を得るというのが日本企業の在り方ではないかと思います。オリンピックでいえば、金メダルにこだわらずメダルを取ることを目指す、という具合です。
二又氏:
ルールメイキングは欧州や米国、中国のほうが長けており、日本はそこに合わせているというのが実情でしょう。ただ、日本にも技術やビジネスのトレンドを生み出す素地はあると思います。GAFAのような超巨大な流れは難しいかもしれませんが、世界はまさに様々な流れのるつぼですから、それなりの規模の流れを生み出せるはずです。
池田弁護士:
その過程では訴訟に巻き込まれることもあるでしょうし、ライセンス交渉を求められることもあるでしょう。ルール自体は欧州や米国、中国で決めることになるのかもしれません。日本企業に求められることは、他国が決めたルールの中で戦う術を身につけていかなければならない、ということではないかと感じています。
二又氏:
大事なことはしっかりとしたポジショニングでしょう。今、そして将来どこにどのようなポジションを取るか、これをはっきりさせないと飲み込まれてしまいます。
松永弁護士:
ポジショニングは官だけでなく民にとっても非常に重要です。欧州は、権利者側も実施者側も、民が中心になって議論を推し進めている印象を受けます。たとえば、ライセンシング・ネゴシエーション・グループ(LNG)の議論は、欧州委員会が議論のテーマとするずっと前から、欧州の自動車会社が競争法の専門家を雇って研究しています。ライセンスは民と民の交渉成果である以上、民が先をみて自助努力としてやるべきものでしょう。
一方、5G、Beyond 5Gになったらライセンスは皆が絶対に取らなければならないものになるかというと、そうはならないだろうと私はみています。FRAND宣言したSEPといっても実にいろいろなものがあります。数もとても多いです。第三者機関による必須性判定を要求すべきかという議論に代表されるように、権利形成過程の透明性確保は今後の大きな課題です。少なくともこの大きな課題を抱えている時点では、有象無象あるものに実施者も信頼を寄せきれないというのが実情ではないでしょうか。
信頼がないので、すべてのSEPがインフラだ、当然にライセンスを取らなければならない、と権利者が強弁しても、実施者は納得しないでしょう。そのような事情が欧州と中国の綱引きにも関係していると思います。
たとえば、日本の実施者であれば、「単にASIの是非を議論するのではなく、グローバルライセンス管轄の問題とセットで終局的に解決しなければならない」といった発信をすべきでしょう。しかし、そのように大局を捉えた発信をしている企業はまだ少ない印象です。ASIは円滑なFRANDライセンスを阻害するものですが、そもそもファーウェイの全体の売上の1パーセントしかない国の裁判所が、彼らの首根っ子を押さえつけてグローバルライセンスレートを言い渡すような乱暴なことをしなければ、この問題は起きていなかったでしょう。
「日本がWTOの調査に参加するなら、同時に英国ほかのグローバル管轄の宣言についても問題提起して双方の問題解決を目指すべきだ」という意見が表明されてもよいと思います。これも私企業の自助努力です。
この1年を振り返ってみて、あらためてどのようにお考えでしょうか。
二又氏:
大上段の表現で恐縮ですが、この1年の国内のSEP議論をみていると表面的な議論に終始してしまったのではないでしょうか。中長期的にも通用する将来像の実現のため、権利者と実施者の絶妙なバランスをどのように取るか、どのような解決策があるかといったクリエイティブに探索を行おうという議論がなかったように思えます。そのため誰の意見につくか、もしくは反対であるかといった、単純な二者間対立の議論だけで終わったのではないでしょうか。
たとえば、グローバルレートはどう作られるべきなのか。本質的な議論が、もう少しなされるべきでした。もし、そのような議論が日本から発せられていたら、日本のSEP議論はなかなか先進的で有益であるといった国際的な評価もあり得たでしょう。
池田弁護士:
この10年ほどをみて思うのは、日本は自動車業界などの実施者のほうが圧倒的に大きく、実施者に有利になるように変えていこうという話が出ても不自然ではないにもかかわらず、少数の権利者の発言力が大きく、まったくまとまりません。戦いの中心が日本の産業の中核である自動車産業になり、様々な政府の検討会が立ち上がってもなお「オールジャパン」での流れは作れていませんから、今後は「とにかく官に頼ってついていく」という発想は通用しません。
Avanciの拡大とグローバルライセンスの潮流で、5G以降のSEPの議論は多少落ち着くのかもとも思っていましたが、松永先生の指摘を聞いていると、5G以降の時代は必ずしも世界地図を塗りつぶすような物にはならず、再び乱世が待ち構えているようにも感じられます。
したがって、ここから先は企業の立ち位置によって全然違うということになります。絶対に標準を使わななければならないという3G、4Gの世界ではなくなるので、自分たちがどのようなポジションをとっていくのか、技術レベルの高い5Gに率先して突っ込んでいくのか、むしろそこにいかないようビジネスをコントロールするのか考えどころでしょう。
松永弁護士:
そうですね。戦略を持たなければ、周りの後追いになってしまいます。
二又氏:
様々なテクノロジー分野で競争力挽回の取り組みが行われていますが、SEPでもコア分野となる通信技術で進められている総務省が主体のBeyond5G(B5G)プロジェクトには、今後の重要性から頑張ってほしいと期待しています。
B5Gではレイヤーの高いアプリケーションの部分でいろいろなユースケースが広がり、様々なプレーヤーが加わることになります。それだけに、標準化やR&Dに携わる方々もマーケットやビジネスといった言葉を自然に、頻繁に登場させてもらい、経営層もそれをしっかり受け止めて戦略的に取り組んでほしいと思っています。次の時代はまったく異なる競争が私たちを待っていると思います。
松永弁護士:
今後への希望は、関係官庁が縦割りでなく、一体となった取り組みをしてほしいということです。経産省と特許庁と総務省が縦割りで進めている現状は、非常にもったいないと思います。
池田弁護士:
企業間でも、多少、業種を分けて議論しないと話がまとまらない、気を遣って言いたいことも言えないと聞きます。
松永弁護士:
議論の参加者が同じ土俵、同じ経験値で話していないことが問題ではないでしょうか。企業のほうも、実は知識や経験があまり共通していないと感じることがあります。
二又氏:
本当に優秀な方々が集まって議論をしているわりに形にならないといったもどかしさがあります。激動の時代ですから、官の側でも省庁や部局単位で動くのではなく、将来のために何が大事かを見据えて、フレキシブルに動けるようになってほしいですし、より時間軸の長い戦略取り組みを考える必要があると思います。
(写真:岩田 伸久、取材・編集:BUSINESS LAWYERS 編集部)
プロフィール
東京大学未来ビジョン研究センター客員研究員、シニアリサーチャー。ドイツ、シンガポール駐在後、日本企業の知財交渉責任者を経て、欧州知財管理会社の日本法人社長。2013年より現職。SEP(標準必須特許)研究会座長。特許庁グローバル人材育成プログラム委員。東大戦略タスクフォースリーダー育成コース講師。シンガポールi2P Ventures相談役。三菱総合研究所客員研究員。日本知財学会。
池田・染谷法律事務所 代表弁護士、ニューヨーク州弁護士、カリフォルニア州弁護士。2002年京都大学法学部卒業。2003年弁護士登録。2005〜07年公正取引委員会審査局に勤務し、クアルコム事件の審査を担当するほか、課徴金減免(リニエンシー)制度施行準備や約20件の立入検査に従事。2008年カリフォルニア大学バークレー校修了(LL.M.)。森・濱田松本法律事務所を経て、2018年に独占禁止法・消費者関連法を中核とするブティック型法律事務所である池田・染谷法律事務所を設立。
ゾンデルホフ&アインゼル法律特許事務所パートナー弁護士・弁理士。
多国間で提起される特許訴訟の代理やFRANDライセンス交渉の助言に従事する。経済産業省標準必須特許のライセンスを巡る取引環境の在り方に関する研究会委員、特許庁令和3年度産業財産権制度各国比較調査研究事業(標準必須特許と消尽に関する調査研究)有識者委員。「標準必須特許をめぐる動向―誠実交渉義務及びサプライチェーン問題に関する判決の調和と裁判管轄争いの激化」(ジュリストNo.1571)、「2020年の欧州裁判例を踏まえたFRANDライセンス交渉についての考察」(日本知的財産協会 知財管理 Vol.71)ほかFRAND問題についての論稿多数。
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自らは製品の製造を行わず、もっぱら他社から取得した特許のライセンス料の支払いや損害賠償等求めて、メーカー等に特許権侵害訴訟等を行う企業のこと。「不実施主体」ともいう。 ↩︎
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LONGHORN IP, NISSAN SUED IN GERMANY BY LONGHORN IP AFFILIATE L2 MOBILE TECHNOLOGIES GmbH(2022年5月28日、2022年6月21日閲覧) ↩︎
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「SEP - 標準必須特許のプロパテント化と日本の失われた5年」(2021年1月6日) ↩︎