「超競争的」な世界で日本企業が生き残るために 識者が読む 標準必須特許をめぐるグローバルな攻防(後編)
競争法・独占禁止法
本格的な5G時代の到来を目前にして、時代の流れが変わった。「つながる車」の開発競争をきっかけに通信技術が自動車業界へと急速に広がるなか、2020年に入り、米国連邦取引委員会(FTC)対クアルコム事件やノキア対ダイムラー事件など、各国できわめて重要な判断が相次いで出されているのだ。
争点は、標準必須特許(standard-essential patent:SEP)である。
前編では、SEPに関する各国の判決を題材に、SEP権者と実施者を取り巻く潮流の変化を振り返りながら、日本企業への影響を深掘りした。後編では、二又 俊文氏、(東京大学 政策ビジョン研究センター客員研究員 シニア・リサーチャー)、池田 毅弁護士(池田・染谷法律事務所)、松永 章吾弁護士(ゾンデルホフ&アインゼル法律特許事務所)に、米中摩擦の影響に加え、日本の経営者と実務担当者に求められるものを聞いた。
「反競争的」ではなく「超競争的」
標準必須特許(SEP)をめぐり、自動車メーカーや特許連合が熾烈な攻防を繰り広げています。日本企業がそのゲームに加われなかった原因をどのように分析しますか。
池田弁護士:
これは特定の業界に限ったことではありませんが、日本企業は情報収集が大好きですよね。どの企業がアバンシ 1 に乗った、乗らないといった情報収集は盛んにされているのですが、今、要求されているのはゲームメイキングです。これは日本の企業、業界団体も含めて、すごく苦手です。たとえば、アバンシのような団体を作るといった大きな動きは、日本国内からはまったく聞こえてきません。
二又氏:
同感です。それに加えて、大きな流れを見失っているのではないでしょうか。通信というものに対する日本企業の重みづけが低すぎる、と言うこともできるでしょう。5Gあるいはその次の6Gの時代には、「つながる」ことで世界が本当に変わります。「世界が変わる」ことに対する本質的な理解が足りていないと思います。
松永弁護士:
今、様々なICT企業から自動車業界へと人材が流れています。標準化団体での先鋭的な議論に参加したりSEPのライセンス交渉を行ったりされた経験のある知財人材が、完成車メーカーや部品メーカーに数多くいらっしゃいます。しかし、必ずしも彼らの貴重な経験や情報が企業戦略に生かせていないように思えます。経営層が過去の価値観や予測から抜け出せず、人材を活用できていないという問題があるのかもしれません。
松永 章吾弁護士(ゾンデルホフ&アインゼル法律特許事務所パートナー弁護士・弁理士)
池田弁護士:
ある意味で、米国連邦取引委員会(FTC)対クアルコム事件は、独禁法の世界における集大成と言えます。クアルコムは、携帯電話の通信を司るモデムチップを作り、それに関する技術を世界で一番多く持つ企業で、ライセンスとチップを組み合わせたビジネスを行っていました。ライセンスもチップも買わされるため、買う側には「ノーライセンス・ノーチップ」などと言われ、クアルコムだけが儲かるかのようなビジネスモデルが問題にされました。
本事件では、単に権利者が有利か実施者が有利か、といった話ではなく、クアルコムが精緻に組み立てたビジネスモデルそのものが独禁法違反に問われたわけです。
そして、地裁は独禁法違反だと言い、控訴審は独禁法違反ではないと言いました。それほどまでにギリギリの領域なのです。クアルコムはそこにチャレンジして、少なくとも控訴審レベルを勝ち抜きました。
独禁法とはそういうものであり、知恵と証拠を尽くして有利な判断を勝ちとらなければなりません。日本の企業は、「ずる」をされたら「独禁法でなんとかできませんか?」と相談されるケースが多いのですが、それほど簡単なものではありません。日本企業には、「真面目に良いモノを作っていればなんとかしてもらえるはずだ」という、ナイーブなところがあるのかもしれません。
二又氏:
今回のクアルコム判決で、控訴審は重要な線引きをしました。クアルコムが組み上げたビジネスモデルは「ハイパーコンペティティブ(超競争的)」だが、「アンチコンペティティブ(反競争的)」ではないとしました。俗な表現をすれば「えぐいけれど、違法なものではない」と判断したわけです。日本人の目からすれば「不公正だ」「優越的地位の濫用じゃないか」となるでしょう。しかし、米国の独禁法の判断では、それは違法ではないのです。それはビジネスの現実の姿をみての判断なのです。その点はしっかりと理解しなければなりません。
2020年8月11日、米国第9巡回区控訴裁判所はクアルコムに対するFTCの訴えを退ける逆転控訴審判決を言い渡した。
写真はクアルコム製のベースバンドチップ。
池田弁護士:
また、クアルコムのビジネスモデル自体が、下流の対消費者の市場に悪影響を与えているという主張も争点の1つでした。しかし、控訴審は「ここで議論されているのは、クアルコムとクアルコムのライバルであるチップメーカーとの競争が阻害されているかどうかという話だ。それは消費者に対する市場とはまったく違う市場の話であり、この訴訟で問題にすべきではない」と言いました。少なくとも、米国の独禁法においては違法にできない、という判断をしたわけです。
ただ、この判決について、多少、個人的な見方を申し上げます。1つはタイミングです。先ほども申し上げたように、歴史的に、すごく意味のあるタイミングで出てしまいました 2。まさに、権利者側が有利であることの典型的・代表的なケースとして取り上げられることになってしまったわけです。
それには偶然の要素が大いにあると考えています。一審が勝ちすぎているのです。行きすぎた判断を修正するために、控訴裁判所も力が入ったのかもしれません。地裁の判断をひっくり返すためにかなり強く言っているのでは、と思われる部分もあります。
もう1つは、すごく米国の独禁法的な議論をしている点です。まず、他社にライセンスしないことについては、米国の反トラスト法上の厳しい要件を示した1985年のアスペン事件という判例を使っています。地裁はその要件を満たすと言い、控訴審は満たさないと言ったということです。
さらに、市場画定の問題。あそこまで厳密にチップの市場にフォーカスする必要があったのかという点については、他の国の競争法、すなわち欧州の競争法や日本の独禁法であれば、違う判断もあり得たでしょう。二又先生が言われるとおり、日本には優越的地位の濫用というものがあります。米国にはそれがないため、他の論理を使っているわけです。
つまり、別の国であれば、違う議論もあり得た事件でありながら、タイミングがタイミングであっただけに、権利者が非常に有利な流れをつくる判決になったという印象です。
すべての根底にある「対中国」というファクター
二又氏:
私自身は、最近裁判管轄権に問題意識を持っています。典型的には、英国最高裁まで争われたファーウェイ、ZTEという中国企業と、アンワイヤード・プラネット、コンバーサントといった企業との訴訟がその例です。英国最高裁がグローバルFRANDライセンス料率を判示したのに対して、ファーウェイやZTEは中国で対抗訴訟を起こし、中国がグローバル料率を決めるべきとしました。中国の論理からすれば、市場規模が1%に満たない英国市場が、世界市場の60%を占める中国市場でのロイヤリティを決めるのはとんでもないということなのでしょう。
ドイツの場合でも、ファーウェイ・ZTE対コンバーサント事件で差止めが認められましたが、中国の両社は中国で提訴し、南京の中級人民法院は、海外で差止めを行った場合は1日あたり1,700万円の罰金を支払わなければならないと判示しました。このように、ある国で差止めが認められても、もう一方の国が認めないという、国際的な裁判管轄権の問題が次々出てきています。同じような価値観を有している国同士であれば、収斂していく問題ですが、解決までには相当長い期間がかかりそうですね。
松永弁護士:
中国のanti-suit injunction(訴訟差止命令)の乱発は、その1つの例ですね。インドにも同じような徴候が見られますが。
二又氏:
インドではコンバーサントが勝ち、インド対中国の構図になりました。
松永弁護士:
ええ。ですから、すべては対中国の流れのなかで起きている現象といえるのかもしれません。
二又氏:
「中国vs他国」という構造だと思います。そこは注意しなければなりません。
池田先生が指摘されたように、そのような情報は日本企業も収集しているのですね。
二又氏:
はい。しかし、必要なのは戦略的な次の行動です。あまり良い表現ではありませんが、今、求められるのは「スマートさ」ではない。クアルコムのような「ハイパーコンペティティブ」でも構いません。生き馬の目を抜く競争の世界ですので何をすべきかを考えなければいけないというのが1つです。
それからもう1つは、いろんな対抗手段。業界団体でもいい、国の機関でもいい、国際的な企業連携でもいい、いろいろな組み合わせで、使える手はすべて先手で使う姿勢が必要です。
池田弁護士:
今、権利者側に有利な状況のなかで、独禁法が実施者側に有利な結果をもたらしているという例は、あまり見かけなくなっています。とはいえ、別に独禁法の役割がなくなったわけではありません。
先ほどのクアルコムと同じように、精緻に組まれたビジネスモデルのなかには、何か、付け入るものもあるかもしれません。ある意味、米国の訴訟は集大成でしたので、クアルコムが独禁法訴訟に勝ったということになっています。ただ、彼らも韓国では、最高裁で敗色が濃厚だと言われています。欧州のリベートの事件でも敗訴する可能性はあります。
日本企業が注意すべき実務上のポイントを教えてください。
池田弁護士:
二又先生が指摘されたとおり、まずは、どの裁判地・管轄地を選ぶかというところでしょう。日本の企業だからといって、日本の公正取引委員会を使わなければならないというルールはありません。しかし、日本の公正取引委員会にも米国とは違ってできることがあるはずです。あるいは、日本の企業が、韓国や欧州で独禁法を主張するということも考えられます。
そこは知恵を使うこと、うまく仲間づくりをすることが肝要です。権利者が有利な状況のなかで、使えるものはなんでも使ってゲームメイクしていくという姿勢が重要だと考えています。
二又氏:
絶対に避けなければならないのは、「イチゼロ」の世界です。知財や標準や競争法の世界は勝ち負けしかないという単純なものではありません。ゲームメイキングが求められる時代に、どのようにゲームメーカーとなるかについて考えなければならないでしょう。
経営者に求められる「標準」の肌感覚
たとえば、海外のルールメイキングの事例では、意思決定者と実務家が同じ目的のもとで戦略的に活動するケースが見受けられます。一方で、日本企業が集めた有益な情報は意思決定につながっていません。何がこのような違いをもたらしているのでしょうか。
二又氏:
世界中のトップ企業では、経営陣が知財や標準を企業戦略に組み込むために、自らも理解しており、そのうえで実務部隊にリサーチさせています。知財部が何をどのように言っても、日本の経営者がそれを肌感覚として理解しない限り、次への行動には繋がらないでしょう。
松永弁護士:
一方で、日本企業における知財部の立ち位置にも課題があるかもしれません。欧州のグローバル企業では、知財部門が経営戦略にコミットするのはほぼ常識ですし、知財部門は自社の知財戦略に必要な特許発明を開発に働きかけるようなことまでやります。
二又氏:
日本企業がどのように変わっていくべきかと考えれば、本当はそこまで変わらなければならないということですね。それから、もう1つ。意外と盲点になるのが競争法・独禁法です。独禁当局が単独で動けるわけではないので、企業が働きかけるということは海外では珍しくありません。競争法案件は今後増えると思いますので、企業も独禁当局も変わっていってほしいと思います。
池田弁護士:
裁判例というのは、争いがあってはじめて出るものですが、今まさにこのタイミングで、アバンシは、5Gにおけるライセンスプログラムが反トラスト法に違反しないことのお墨付きを得るために、日本の公取委における事前相談制度に相当するビジネスレビューレターを米国司法省(DOJ)に取りに行っているんです。ビジネスレビューレターという「お墨付き」を得ることはライセンス活動を進めるために極めて有益です。
松永弁護士:
まったく抜け目がありませんね。
二又氏:
片方は法をつくる人・決める人、片方はモノをつくる人。二人は別世界の住人ではないのです。お互いに持てる力を集結させ、厳しい競争を乗り切ることが大切です。
先ほど「使えるものはなんでも使う」という指摘がありました。日本企業がそのような戦い方を身につけるためには、何が必要でしょうか。
池田弁護士:
たとえば中国と英国の裁判所がまったく違うことを言うなか、日本企業は「どっちに従えばいいの?」という世界を渡り歩いていかなければなりません。多くの日本の会社は、おそらく、そこの覚悟ができていませんね。
二又氏:
たとえば、メルセデスやフォード、GMなど世界の名だたる自動車メーカーの経営者は、知財や標準の潮流を理解したうえで、ビジネス上の意思決定をするわけです。
池田弁護士:
たしかに、経営者はそのような視点を持たなければなりませんが、情報を上げる人も必要ですよね。ところが知財部は、アバンシに関する情報収集はするが、それを経営層に上げる機会を持っていません。日本の場合、知財と法務が良い連携を持っている会社の方が少数派かもしれません。
二又氏:
クアルコムの歴代の社長はほぼ技術系です。しかし、核となる技術、法務、知財、ビジネス部門のトップが同格で意見を交わし、密接な連携をしています。世界に取り残されないためにも、日本企業は、もう一歩も二歩も前に進まなければならないのです。
(撮影:蟹 由香、取材・編集:BUSINESS LAWYERS 編集部)
プロフィール
東京大学未来ビジョン研究センター客員研究員、シニアリサーチャー。ドイツ、シンガポール駐在後、日本企業の知財交渉責任者を経て、欧州知財管理会社の日本法人社長。2013年より現職。SEP(標準必須特許)研究会座長。特許庁グラフ人材育成プログラム委員。東大戦略タスクフォースリーダー育成コース講師。シンガポールi2P Ventures相談役。三菱総合研究所客員研究員。2020年度英国IAM IP Strategist 300。日本知財学会。
池田・染谷法律事務所 代表弁護士、ニューヨーク州弁護士、カリフォルニア州弁護士。2002年京都大学法学部卒業。2003年弁護士登録。2005〜07年公正取引委員会審査局に勤務し、クアルコム事件の審査を担当するほか、課徴金減免(リニエンシー)制度施行準備や約20件の立入検査に従事。2008年カリフォルニア大学バークレー校修了(LL.M.)。森・濱田松本法律事務所を経て、2018年に独占禁止法・消費者関連法を中核とするブティック型法律事務所である池田・染谷法律事務所を設立。
ゾンデルホフ&アインゼル法律特許事務所パートナー弁護士・弁理士。民間企業を経て2008年弁護士登録。多国間で提起される特許侵害訴訟の代理のほか各国訴訟手続のマネジメント業務にも従事する。Microsoft v. Motorola事件地裁判決言渡し直後の2013年から2014年まで、ワシントン大学ロースクール客員研究員としてFRANDロイヤルティ問題の研究に従事。欧州及び米国のSEP裁判例についての論稿多数。内閣府 SIP-adus知財戦略検討委員会委員。