SEP - 標準必須特許のプロパテント化と日本の失われた5年 識者が読む 標準必須特許をめぐるグローバルな攻防(前編)
競争法・独占禁止法
本格的な5G時代の到来を目前にして、時代の流れが変わった。「つながる車」の開発競争をきっかけに通信技術が自動車業界へと急速に広がるなか、2020年に入り、米国連邦取引委員会(FTC)対クアルコム事件やノキア対ダイムラー事件など、各国できわめて重要な判断が相次いで出されているのだ。
争点は、標準必須特許(standard-essential patent:SEP)である。
標準必須特許とは、標準規格に準拠する製品の製造に不可欠な基幹的な特許であり、知財法・独占禁止法・標準化団体などが絡み合う複雑な分野でもある。権利者には特許の開示義務と権利を「公正、合理的かつ非差別的(fair, reasonable and non-discriminatory)」な条件でライセンスする宣言(FRAND宣言)が求められ、特定の企業に対するライセンスの差止めは認められないというのが、この10年ほどのトレンドであった 1。しかし、近時の判決で、実施者有利の大きな流れが覆され、一転して権利者に有利な状況が生まれている。
各分野の専門家はこの一連の動きをどのように見ているのだろうか。二又 俊文氏、(東京大学 政策ビジョン研究センター客員研究員 シニア・リサーチャー)、池田 毅弁護士(池田・染谷法律事務所)、松永 章吾弁護士(ゾンデルホフ&アインゼル法律特許事務所)に、標準必須特許をめぐりグローバルで繰り広げられる攻防の潮流と日本企業が置かれた状況を分析してもらった。
プロパテント化への流れ
2020年になり、米国連邦取引委員会(FTC)対クアルコム事件やノキア対ダイムラー事件など、標準必須特許(SEP)をめぐって、権利者側に有利な判決が各国で相次いで出されています。グローバルでプロパテント(特許重視)化が進んだ一連の動きをどのようにみていますか。
二又氏:
SEPをめぐる大きな流れの変化を典型的に表しているのが、2013年に米国で公表されたジョイントステートメント(共同声明)です。このなかで、DOJ(米国司法省)とUSPTO(米国特許商標庁)は、SEPによる差止めを否定していました 2。しかし、DOJとUSPTOは、2019年に公表した新たなジョイントステートメントで、この見解を撤回します。つまり、SEPによる差止めを認めることを明らかにしたのです 3。これは、きわめて重要な時代の変化を感じさせます。
池田弁護士:
3G(第3世代)の携帯電話「FOMA」のサービスが始まったのは2001年でした。携帯電話の3Gが出た頃から、クアルコムをはじめとするSEPを持つ企業の力が強大になり、世界各地の競争当局は、その力を抑えようと試行錯誤してきました。
私自身も当時、公正取引委員会に在籍しており、クアルコムの事件を担当しました。結局、クアルコムの事件は、私が2006年に調査を開始してから、私の任期終了後の2009年に排除措置命令が出て、最終的には2019年に公正取引委員会が自ら白旗を上げる形で収束を見ることになりました。
いずれにせよ、世界の当局が手を尽くしながらも、SEP権者が強いという時期が長く続きました。その流れが変わったのが、2012年の欧州委員会でのサムスン事件・モトローラ事件と2013年の米国のマイクロソフト対モトローラ事件です。ここで大きく実施者側に有利な判決が出始めました。そのような海外の流れを受け、日本では2014年にアップル対サムスン事件の知財高裁大合議判決が出ました。これは1つの日本なりの集大成だと思います。
松永弁護士:
2006年のeBay事件最高裁判決以降、米国では、特許一般について差止めは制約され、権利者の救済は損害賠償請求によって図られてきました。その背景としては、パテントトロールによる濫用的な訴訟が社会問題化していたことがあげられます。ところが、昨今の米中経済摩擦を背景に、米国は2019年末から急激にプロパテントへと舵を切っています。
SEPプロパテント化の動き―米国
2019年12月19日 | 米国司法省・米国特許商標庁・国立標準技術研究所がSEPによる差止めを否定していた2013年の司法省・特許商標庁共同声明を撤回。 |
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2020年7月28日 | 米国司法省がビジネスレビューレター(BRL)でアバンシ 4 の5G特許プラットフォームの競争促進効果を認める。 |
2020年8月11日 | 第9巡回区控訴裁判所がクアルコムに対するFTCの訴えを退ける逆転控訴審判決を言い渡す。 |
2020年9月10日 | 司法省が2015年BRLの内容を変更し、IEEEの2015年IPRポリシーが、SEPに基づく差止めを禁止していることを批判。 |
欧州ではどのようなことが起こっているのでしょうか。
松永弁護士:
2020年にドイツでSEPに基づく差止認容の判決が3件続いて世界の注目を集めました。1つめは、2020年5月に言い渡されたシズベル対ハイアール事件連邦最高裁判決です。欧州では2015年に言い渡されたファーウェイ対ZTE事件欧州司法裁判所判決によって、FRAND交渉の当事者が守るべきフレームワークが示されていましたが、これを権利者に有利に解釈する基準を示しています。具体的には、ホールドアウトと呼ばれる交渉の引き延ばし行為をする実施者に対して差止めを認めやすくしています。
この最高裁判決に続いて、8月にマンハイム地裁でノキア対ダイムラー事件判決が、9月にミュンヘン地裁でシャープ対ダイムラー事件判決がそれぞれ言い渡されます。どちらもSEPによる完成車の販売差止を認めるインパクトの大きいものでしたので、世界で大きく報道されました。
SEPプロパテント化の動き―ドイツ
2020年5月5日 | ドイツ連邦最高裁による初のSEP関連判決。SEPに基づく差止請求を認容した。 (シズベル対ハイアール事件) ⇛ホールドアウト防止のためのライセンスを受ける意思(“Willingness”)の判断基準の厳格化を判示。 |
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2020年8月18日 | ノキア対ダイムラー事件を審理していたマンハイム地裁がSEPに基づく差止認容判決を言い渡す。 |
2020年9月10日 | シャープ対ダイムラー事件を審理していたミュンヘン地裁がSEPに基づく差止認容判決を言い渡す。 |
2020年11月26日 | デュッセルドルフ地裁(ノキア対ダイムラー事件)がSEP権者のLicense to All義務について欧州司法裁判所に質問を付託する決定を言い渡す。 |
二又氏:
ドイツでは2009年に、オレンジブック・スタンダード事件という差止めに関する重要判例がありました。この事件では、実施者がライセンスに合意する具体的な行動を行うことで初めてSEP権利者の差止請求に抗弁できることが判示されました。ところが、2015年のファーウェイ対ZTE事件で、欧州司法裁判所がSEPに関する独自のガイドラインを示したことで流れが変わります。SEPをめぐる交渉におけるSEP権利者のFRAND義務が定義され、実施者がライセンスを受ける意思を示す誠実な対応をした場合、SEP権利者による差止請求は認められないと判示しました。シズベル対ハイアール事件最高裁判決は、実施者に厳しい判断をしたオレンジブック判決への揺り戻しともいえます。
池田弁護士:
ファーウェイ対ZTE事件や欧州の事件を含めて、実施者に有利な流れは続きましたが、少なくともファーウェイ対ZTE事件は、どちらかに肩入れするわけではなく、正しい交渉の在り方を定めています。うまく使えば、実施者にとってもかなり有利に使えた判決だと評価できます。
しかしながら、ファーウェイ対ZTE事件の枠組みに実施者側が甘えて、「『ライセンスを受ける意思がある』と言えばOKでしょ?」と逃げ回っていると見られるようになり、米国司法省などがこのような状況を批判するようになり、大きく流れが変わったとも言えます。
二又氏:
そして、2020年になってドイツと英国で最高裁での司法判断が相次いで下され、明らかに権利者寄りの流れが出てきたというわけです。
中国の動きはいかがでしょうか。
松永弁護士:
中国でも、かなりプロパテントと言える判決が続いていますが、その内容は基本的に中国企業を守るものです。外国企業が他国で反訴を起こそうとすると、中国の裁判所は高額な制裁金を予告する「anti-suit injunction(外国訴訟差止命令)」を言い渡して、外国での訴え提起を阻止しようとします。anti-suit injunctionやこれに対抗するanti-anti-suit injunctionは、もともとドイツやアメリカの裁判所で発令されていましたが、中国ではその発令が目立って活発化している印象です。
ホールドアップとホールドアウト
実施者が有利な状況に実施者が自ら甘えてしまったことがプロパテント化を招いた、というご指摘が池田先生からありました。この点について詳しく教えてください。
松永弁護士:
過去には、SEP権者が高額なライセンス料を要求して実施者が身動きできなくなってしまうのを回避しなければならないということが、SEPの権利行使を制限すべき理由として説明されてきました。いわゆる「ホールドアップ」理論です。
ホールドアップの懸念は、2010年代初期の米国裁判例や日本の大合議判決でも判決理由に用いられてきましたが、実際にそのような弊害が裁判で立証されたことはなく、次第に誰も見たことのないおばけのように扱われるようになりました。
それと同時に、実施者側が交渉を長引かせて結局ライセンス料を払わないというホールドアウトの方が問題だと考えられるようになりました。ドイツのシズベル対ハイアール事件最高裁判決は、ホールドアウトが実際に起きていることを差止めの理由として明確に認めていますし、オランダでも2019年にホールドアウトを理由に差止めを認める高裁判決が言い渡されています 5。
それが、ノキア対ダイムラー事件での差止認容の要因の1つとなったわけですね。
松永弁護士:
まさにそのとおりです。また、翌月に言い渡されたシャープ対ダイムラー事件ミュンヘン地裁も同じです。
ダイムラーは、そのサプライヤーに対するライセンスを拒絶するノキアの態度はFRAND義務違反だと主張して交渉の席にはつきませんでした。自動車メーカーであるダイムラーは、通信モジュールやベースバンドチップに関する知識を持っていないことが主な理由です。これが「ホールドアウト」。つまり、交渉を遅らせるUnwillingな意思の表われである、と判断されました。
SEPの権利者は、FRAND宣言をしていますので、公平(Fair)で合理的(Reasonable)かつ非差別(Non-Discriminatory)条件でのライセンスを義務付けられています。この非差別という要件がポイントです。完成車メーカーを中心とする自動車業界は、「実施者が『ライセンスをください』と言ったら、誰にでもライセンスをしなければならない」と主張してきました。
同様に、ダイムラーは、「我々ではなく、Tier 1の部品メーカー(コンチネンタル)が「LTE(4G)に関するライセンスをください」と言っているのだから、これを拒絶して我々にライセンスの申出をするのは非差別要件違反だ。交渉は、部品メーカー(コンチネンタル)としてください」と主張したわけです。
この主張はLicense to Allと呼ばれていますが、これまで欧州でLicense to Allの主張が認められた裁判例はありません。米国でも、FTC対クアルコム事件一審判決ではLicense to Allが命じられたものの、控訴審判決では一転してLicense to Allが否定され、DOJもそれを支持しています。
ノキア対ダイムラー事件の概要
松永弁護士:
標準規格を策定している標準化団体は、それぞれ「IPRポリシー」を策定しています。FRAND義務の内容は、このIPRポリシーを解釈しなければなりません。
たとえば3Gや4Gの標準化を行うETSI(欧州電気通信標準化機構)のFRAND義務を定めている標準化団体のIPRポリシーには、「誰にでもライセンスしなさい」ということは書かれていません。ないのであれば「何をもって解釈しますか?」「それとも競争法で考えますか?」となるでしょう。欧州では、主に競争法の解釈としてそれが認められるか、という議論がありましたが、License to Allを支持する法的な意見はほとんど見受けられません。
結論として、ノキア対ダイムラー事件マンハイム地裁判決は「そのような主張をして交渉を遅らせたダイムラーは、unwilling licensee(FRAND条件のライセンス料を払う意思なき実施者)だ」ということで、差止めを認定しました。その後シャープ対ダイムラー事件ミュンヘン地裁判決は、さらに踏み込んでLicense to Allは権利者のFRAND義務の内容ではないと判示しました。
これは自動車業界に限りませんが、実施者側が固執してきた「自分たちが席につかなければいい」という考えや、料率について「ベースは部品の価格であり、最終製品価格ではない」という主張は、いずれも崩れつつあると言われています。日本企業を含めて、新たな交渉のストラテジーを持たなければ難しい局面が訪れたわけです。
ところが、遅ればせながらノキア対ダイムラー事件を審理していたデュッセルドルフ地裁がはじめてこの問題を正面から取り上げました。その結果、11月にLicense to Allの拒絶が市場における支配的地位の濫用 6 にあたるかとの質問を欧州司法裁判所に付託する決定をして審理を中断しています。
判断が下されるまでにどの程度の期間がかかると見られますか。
松永弁護士:
ファーウェイ対ZTE事件判決のときもそうでしたが、審理されるとして約2年程度でしょう。
ドイツでは、自動車業界のロビイングにより差止めを制約する特許法改正が議論されていましたので、この動きに逆行する差止認容判決が続いたことは、米国の動きよりも驚きでした。
SEPプロパテント化が日本企業に与える影響
SEPのプロパテント化によって、日本企業はどのような影響を受けるのでしょうか。
池田弁護士:
日本のビジネスにとって重要なことは、流れが変わった潮目と自動車会社が標準必須特許を必要とし始めたタイミングが、ほぼ一致してしまったことです。ただ、この流れ自体は突然起こったわけではなく、数年前からわかっていたことでもありました。我々も2016年、2017年くらいから、自動車会社の方々とお話しする機会が増えていましたから。
国内の自動車会社は自分たちのゲームをつくれないまま、2019年の流れの転換点を越えてしまいました。そして今になって、「絶対にライセンスが必要だ」という状況に追い込まれてしまったわけです。そこが、今の日本企業の置かれた難しいポジションですね。
二又氏:
池田先生が指摘されたように、日本企業は2014年、2015年の時期から5年先での戦略を考える必要があったのではないでしょうか。自分の問題ではない、部品メーカーの話というのでは解決にならなかったと思います。
松永弁護士:
先ほど池田先生から、2015年の欧州司法裁判所の判決は、実施者が有利に使えたと説明いただきましたが、実際にそのとおりですね。ドイツでは、オレンジブック・スタンダード事件判決によって確立されていた権利者有利の交渉の規範がひっくり返されたような衝撃を受けていました。
ただ、ドイツ企業、特に自動車業界の対応が日本と違っていたのは、将来の揺り戻しに備えて次の手を準備していたことです。自動車業界だけではなく、実施者側の企業は「あまり厳格な権利行使をするのは困りますよね」「これは社会インフラですから」というコンセンサスの下に次の揺り戻しに備えていただけでなく、サプライチェーンにおける特許補償の議論も進めて行ったのです。
それがこの5年間だったわけですね。
松永弁護士:
はい。そこで5年の差がついてしまいました。
二又氏:
すべてが出尽くした2019年から動いても、残念ながら時機を逸した印象は拭えません。
(後編「『超競争的』な世界で日本企業が生き残るために」
につづく)
(撮影:蟹 由香、取材・編集:BUSINESS LAWYERS 編集部)
プロフィール
東京大学未来ビジョン研究センター客員研究員、シニアリサーチャー。ドイツ、シンガポール駐在後、日本企業の知財交渉責任者を経て、欧州知財管理会社の日本法人社長。2013年より現職。SEP(標準必須特許)研究会座長。特許庁グラフ人材育成プログラム委員。東大戦略タスクフォースリーダー育成コース講師。シンガポールi2P Ventures相談役。三菱総合研究所客員研究員。2020年度英国IAM IP Strategist 300。日本知財学会。
池田・染谷法律事務所 代表弁護士、ニューヨーク州弁護士、カリフォルニア州弁護士。2002年京都大学法学部卒業。2003年弁護士登録。2005〜07年公正取引委員会審査局に勤務し、クアルコム事件の審査を担当するほか、課徴金減免(リニエンシー)制度施行準備や約20件の立入検査に従事。2008年カリフォルニア大学バークレー校修了(LL.M.)。森・濱田松本法律事務所を経て、2018年に独占禁止法・消費者関連法を中核とするブティック型法律事務所である池田・染谷法律事務所を設立。
ゾンデルホフ&アインゼル法律特許事務所パートナー弁護士・弁理士。民間企業を経て2008年弁護士登録。多国間で提起される特許侵害訴訟の代理のほか各国訴訟手続のマネジメント業務にも従事する。Microsoft v. Motorola事件地裁判決言渡し直後の2013年から2014年まで、ワシントン大学ロースクール客員研究員としてFRANDロイヤルティ問題の研究に従事。欧州及び米国のSEP裁判例についての論稿多数。内閣府 SIP-adus知財戦略検討委員会委員。
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浜辺陽一郎『現代国際ビジネス法』(日本加除出版、2018)168頁参照 ↩︎
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「アメリカ司法省と特許商標局は、2013年1月8日に「FRAND原則標準必須特許救済方式に関する政策声明」を共同で発表し、被疑侵害者がFRAND範囲内に能力があり、合理的なライセンス条件を拒否する場合、「非善意」に属すれば、差止命令を出してもいいとした」(特許庁「標準必須特許の権利行使に関する研究」102頁) ↩︎
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JETRO NY 知的財産部「司法省反トラスト局次長、標準必須特許の救済に関する政策声明について発言」(2020年6月2日) ↩︎
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通信特許ライセンスを保有する多数の企業の主な特許を管理し、ライセンス行う特許連合 ↩︎
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2019年5月7日フィリップス対エイスース事件ハーグ高裁判決(200.221.250) ↩︎
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「市場における支配的地位の濫用を禁止する欧州連合の機能に関する条約」(TFEU)102条 ↩︎