ケーススタディで学ぶ 国際仲裁・国際紛争の基礎と実務

第1回 国際仲裁とは? M&A紛争を題材とした仲裁申立ての検討事項

コーポレート・M&A

目次

  1. はじめに
  2. 事例紹介①:M&A関連の仲裁事案(ICC/シンガポール)

はじめに

 日本企業の海外進出が増加するにしたがって、海外企業との紛争が発生するケースも増加している。海外企業との国際紛争が発生した場合の紛争解決手段として主に用いられるのが、国際商事仲裁である。

 他に考えられる主な紛争解決手段としては、裁判があるが、裁判と比較して、仲裁には下記に例示したいくつかの特徴がある。

  1. 相手方の国の裁判所を使うことに対する不安(たとえば、アメリカの陪審員裁判、アジア等の新興国での裁判所の汚職や遅々として進まない裁判への不安)の回避
  2. 仲裁判断の外国での承認・執行の容易性
  3. 訴訟は三審制であるのに対して、仲裁は一回的解決が可能
  4. 仲裁は非公開であり、営業秘密等の漏えい防止を図ることができる

 このなかで、特に重要なのが、「②仲裁判断の外国での承認・執行の容易性」である。外国仲裁判断の承認・執行に関するニューヨーク条約は、現在の加盟国が約160か国であり、締結国の企業との紛争であれば、得た仲裁判断を執行することが可能である。外国判決の承認・執行に関して、これほど多数の国が参加する多国間条約はない。

 なお、仲裁にかかる費用は安価というわけでなく、仲裁には、敗訴者の費用負担リスクもある。事案の筋をよく見極めて、勝ち切れる事案か、和解のチャンスはあるか、いかに効率的に紛争を解決するかという点を戦略的に考えておくことが、仲裁に臨むにあたって非常に重要になる。

 以下、ケーススタディ形式にて、仲裁事例をもとに国際仲裁案件に対応する際の実務的な側面について、私たちのノウハウの一部を紹介したい。

事例紹介①:M&A関連の仲裁事案(ICC/シンガポール)

(1)買収直後の対米輸入停止、医薬品承認申請での虚偽データの発覚

2008年6月 日本企業D社は、ボンベイ証券取引所等上場のインドにおける後発医薬品大手R社の創業家一族の保有株式を、TOB等により、議決権比率50.1%以上を取得すると発表した(買収総額は約4,900億円)。
2008年9月 TOB開始直後、FDA(米国食品医薬品局)がR社の医薬品の米国向け輸入を一時停止した。FDAは2006年6月にR社に対して警告したが、製造器具の洗浄状況、生産管理、品質管理等に関する問題が改善されていないとのことであった。
2009年2月 R社は、医薬品承認申請に虚偽のデータを提出していたとして、FDAから承認再申請または承認取り下げの選択を求める通知を受領した。

(2)FDAおよびDOJによる調査の終結と仲裁の申立て

2011年12月 R社がFDAと同意協定書を締結。データの信頼性を確実にする手段や方針を強化し、現行の適正製造基準を遵守することを確約。
2012年11月 D社は、R社の元株主を相手方として、FDAおよびDOJ(米国司法省)の調査に関する重要な情報を隠蔽したとして、ICC(国際商業会議所)国際仲裁裁判所に仲裁を申し立てた。
買収契約の準拠法はインド法、仲裁機関はICC、仲裁地はシンガポール、仲裁人3名。

(3)仲裁申立てから仲裁判断の承認・執行に至るまでの流れ

 仲裁手続は裁判手続とは大きく異なる。仲裁を申し立てた場合、仲裁判断の承認・執行に至るまでの一般的な流れは、概ね以下のとおりである(なお、仲裁機関ごとに手続きの差異があるが、そのような差異はここでは省略している)。

仲裁手続の一般的な流れ

  1. 仲裁合意(仲裁条項)、仲裁機関、仲裁地等の合意
  2. 仲裁申立て
  3. 答弁書提出、反対請求の申立て
  4. 仲裁人の選任、忌避
  5. 手続準備会
  6. 主張書面、書証(事実証人陳述書、専門家証人陳述書等)の提出
  7. 文書開示手続
  8. 審問期日(冒頭陳述、証人尋問、最終弁論等)
  9. 仲裁判断書の送付
  10. 仲裁判断の承認・執行、取消訴訟

 仲裁を申し立てる側に立つ場合、社内法務部門・事業部門として、序盤のヤマ場になるのが、②仲裁申立てであろう。

 下記の点に加えて相手方とのビジネス上の関係等も考慮して申立てを行うかどうか、総合的に検討する必要がある。

  • 事実関係の調査を行い、立証する証拠を想定する
  • 立証にあたって手持ちの証拠はどの程度あるか
  • 仲裁機関はどこで、仲裁手続はどのように行われるか
  • 相手方からの証拠収集は可能か
  • どの程度損害を請求できる見込みか

 他方、仲裁の申立てを受けた側は、下記の点を考慮して、防御方針を検討する。

  • 申立人の主張はどの程度有効か
  • 申立てに対する反論の強さ
  • ディスカバリー等の防御の負担
  • 和解の見込み

(4)仲裁申立てにあたって検討すべき事項

 本件を例に、仲裁申立てをする日本企業の側に立って、検討すべき事項を解説する。

① 買収契約における表明保証条項の確認

 まずは買収契約における表明保証条項で、法令遵守、許認可、当局調査等がカバーされているかを確認する必要がある
 たとえば、売り手側に表明保証条項の違反があった場合の補償請求の条件、手続きを確認するべきである。法定の消滅時効、買収契約上の請求可能期間等についても確認し、請求を行うかどうか検討する時間をどの程度とれるか、という観点も忘れてはならない。

② 立証の準備

 立証の準備として、デュー・デリジェンス(DD)の際に売り手側から開示された資料、DDレポート、買収契約とその交渉時のやりとりに関する資料を集め、分析を行うべきである。

 事案の見立て、立証方針の検討は、国際紛争を取り扱う弁護士の助言を得て行うことが必須と言える。

 本件の場合、対象会社が当時FDAおよびDOJの調査を受けていたか、また、買収前のDDの際に、当該調査に関する情報の開示があったか、といった責任論の検討が勝敗に直結するポイントとなる。

③ 損害の算定

 次に損害の算定を行う。本件で特に論点となるのが、以下の事実、損害額・因果関係である。

事実
2013年5月、R社は虚偽請求禁止法(False Claims Act)の違反に関して、米国政府・関係する州と民事上の和解に合意し、連邦食品医薬品化粧品法(Food, Drug and Cosmetic Act)等の違反について有罪を認めた。R社の支払額は合計約5億米ドルであった。
請求と想定される反論
D社の請求:対応に要した弁護士費用およびその他の専門家への費用等
想定される元株主側の反論:和解金額、専門家費用等は不当に高額であり、その損害賠償を求めることは不合理である。
④ 証拠の収集

 証拠の収集にあたっては、まずは客観的な証拠がどの程度収集できるのか検討する。たとえば、買収前のDDの際に開示された書証を精査し、当局からの通知・担当者からの回答等を検討する。
 客観証拠がない場合に供述証拠・証人尋問の検討を行う。

⑤ 先方が保有している証拠の収集

 英米式のDiscoveryが行われる可能性があるのか否かが、先方が保有している証拠をどの程度収集できるかに影響する。もっとも、英米式のDiscoveryが行われず、IBA(International Bar Association、国際法曹協会)の証拠規則に従った証拠開示手続が行われる場合であっても、日本国内の裁判手続と比べるとより広範な証拠開示手続が行われる。

(5)仲裁人選定にあたっての考慮事項(大事な前哨戦)

 仲裁手続において勝ち負けの判断を行うのは仲裁人であるが、この判断権者たる仲裁人を選定できることが、裁判と比較した時の仲裁の大きな特徴の1つである。

 本件のように仲裁人3名の事案では各当事者が1名の仲裁人を選定できるのが一般的であり、どのような人物を選任するかは、仲裁手続の行方を左右する重要な前哨戦である。本件で仲裁人を選任する場合の考慮要素をあげる。

 本件においては、買収契約の準拠法がインド法であり、またインドでの資産差押えの執行可能性が高いことから、インド法に詳しい弁護士であることが望ましいであろう。 M&A関連の紛争問題に造詣が深い人物であることも重要な選定基準となる。論点に関する専門性を有することが担保される。さらに、本件は元株主側が重要な証拠書類を有しており、これを隠匿する可能性が高いことから、英米法系のディスカバリー手続に親和性を有している英米法系の弁護士等を選ぶことが望ましい。彼らが親和性を有する手続きに、実質上近い運用がなされる可能性があるからである。

 本件は仲裁人3名の事件であり、議長仲裁人となるICC選任の仲裁人を説得できる経験と実績を有する著名な人物で、英語に堪能であることも重要である。

 仲裁人候補者を絞り込んだらインタビューを実施し、経験、利益相反の有無、稼働可能性等を質問するべきである。もっとも、事案の具体的内容について議論したり、意見を聞いたりすることは、仲裁人の不偏性・独立性に関して疑義を生じるので避けるよう注意が必要である。こうした手続きを経て、自社にとって好ましい仲裁人候補者を選定することができる。

(6)仲裁判断の取消訴訟と執行(執行拒否事由)

 本件では、2016年5月、仲裁判断がなされ、D社は見事に勝訴判断を得た。仲裁判断において、元株主は、損害賠償金、遅延損害金、弁護士費用および仲裁費用(計約562億円)をD社に支払うことを命じられた。
 仲裁判断に沿って任意の支払いが行われるのが多数といわれるが、元株主は、シンガポールの裁判所での仲裁判断の取消訴訟と、インドの裁判所での執行停止の申立てで争った。以下はその経緯である。

仲裁判断の取消訴訟
元株主は、仲裁判断の取消の訴えをシンガポール上訴裁判所(Singapore Court of Appeals)に申し立てたが、2020年5月に申立てが却下された。

執行に対する不服申立て
D社は仲裁判断をインドで執行する申立てをデリー高等裁判所に行い、元株主がこれを争った。2018年1月、同高等裁判所は強制執行を認める判断を下した。元株主は最高裁判所に不服申立てをしたが、2020年6月に申立ては却下された。

 仲裁の特徴の1つが紛争の一回的解決である。この紛争の一回的解決のため、仲裁判断の取消事由は限定的に定められており、執行拒否事由も限定されている。具体的には、 仲裁合意の無効、手続保障の瑕疵、仲裁付託事項からの逸脱、仲裁廷の構成や仲裁手続の法令違反、公序良俗違反等である。これに対して、事実認定の誤りは仲裁判断の取消や執行停止の事由とならない。

 上記のとおり、元株主による仲裁判断の取消の訴え、執行に対する不服申立てはいずれも否定されることになった。インドとシンガポールの裁判所により仲裁判断が尊重されたという結果は、国際商事仲裁における紛争の一回的解決というメリットを示すものといえる。

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