海外M&Aにおける人事リテンション戦略の実務
第2回 現地経営陣のマネジメント契約における実務的論点
コーポレート・M&A
目次
前回は、海外M&Aにおける人事面の検討事項とタイムスケジュールを明記したうえで、日本企業が苦戦をした事例をもとに、問題となった原因を分析した。
今回は、その課題を克服するためのマネジメント契約の活用法について解説する。
海外M&Aとマネジメント契約の役割
前回紹介した事例からも明らかなように、海外M&Aにおいては、買収後の現地の経営体制を含む人事面の課題は多面的な対応を要する。
私ども弁護士が専門的にカバーできる範囲は限られているが、以下では、経営陣のリテンションを図る場合のマネジメント契約をめぐるいくつかの論点をご紹介したい。マネジメント契約とは、買収後の対象企業の経営陣の雇用条件を定める契約で、下記の事項等が定められる。
- 役職
- 雇用期間
- 業務内容
- レポーティング・ライン
- 報酬(基本給、年次ボーナス、リテンションボーナス、長期インセンティブ、福利厚生等)
- 退職金
- 契約の終了事由
- 守秘義務
- 競業避止義務
マネジメント契約の締結時期は、事案により微妙な違いはあるが、買収後も現経営陣のリテンションを確保したい買収側(日本企業側)からすると、遅くともクロージングと同時に契約を締結したい。これよりも早い分には問題なく、買収契約と同時に締結(クロージングを条件に効力発生とするアレンジ)をするケースもある。
実際には、買い手側である日本企業によるリテンションの判断が固まらず、人事面の処遇が買収契約の交渉上の論点として最後まで残ったり、クロージング後も雇用継続を期待する強気のオーナー経営者から早期のリテンションのコミット(契約締結)を要請され、処遇条件の調整が後手に回るケースも少なくない。
また、現地経営陣のうち誰をリテンションするかも悩ましい問題である。通常、CEO、COO、CFOなどの主要経営陣に加え、技術、生産、マーケティングなど各部門を所管する経営幹部がいるため、どこまでリテンションを図るのか個別事案ごとに検討を要する。筆者らの経験では、短期決戦の海外M&Aでここまで詰め切れるケースは少なく、多くのケースでは、CEOやCOO、CFOといった主要メンバーを対象とすることが多い。
マネジメント契約の「アメ」の部分 - 報酬・インセンティブと権限分配の連動
マネジメント契約については、経営陣のやる気を引き出す報酬・インセンティブ(「アメ」)と、目標設定とパフォーマンスが上がらない場合の任免権(「ムチ」)を明確に定めておく必要がある。このうち、「アメ」の部分の設計上の論点やマネジメント契約での定め方は、事案ごとに様々であるが、いくつか典型的な類型も存在する。以下では、いくつかの事例をベースに、報酬・インセンティブの設計上の論点について具体的に検討したい。
事例1 現地経営陣の権限の枠と報酬・インセンティブの関連性
「アメ」の部分の重要なポイントの1つは、現地経営陣の権限の枠と報酬制度の関連性だ。たとえば、日本企業による米国企業の100%買収案件において、日本企業によるアジア事業と米国企業の製品のアジアでの販売が競合することがある。日本本社側からすると、競合を調整したいが、現地経営陣の権限からアジア事業を外す、あるいはアジアでの売り上げや利益を報酬やインセンティブから外すとなれば、特にアジア事業の成長への期待が大きい場合、現地経営陣の意欲をそぐ懸念がある。
このようなケースでは、買収後にアジア事業の統合や棲み分けを現地経営陣と協議する必要がある。また現地経営陣の業績連動ボーナスのベースとなる売上げや利益のベースに、米国企業のアジア事業をどう加味するかという点も付随して考慮要素となる。米国企業の経営陣が将来のアジア事業の拡大に強い意欲を示している場合には、買収後のアジア戦略をどちらが主導するか、日本本社側に寄せるときはその分の米国企業からのアジア売上の減少を現地経営陣の報酬でどう手当てするかなど、ディール遂行上、どう折り合いをつけるか悩ましい論点となる。
逆に、たとえば米国事業の重複を整理する場合、日本企業側の米国事業を米国企業側の事業に統合し、米国の経営陣に任せる判断をすることもある。このようなケースでは、意気に感じた現地経営陣の頑張りに期待したいところである。
事例2 対象会社のオーナー兼経営者が買収企業(日本の上場企業)の取締役に就任し、米国事業に連動するストック・オプション(新株予約権)の付与を受けた事例
次の事例は、日本の上場企業が、その製造した製品を米国で輸入して欧米諸国で販売をしていた米国企業(創業者株主兼経営者であった米国人2名が所有)を買収し、当該米国企業の株主2名が日本の上場企業(買収企業)の取締役に就任し、長期インセンティブとして、ストック・オプション(新株予約権)の付与を受けたものだ。
当該案件では、米国企業の創業者株主であった米国人2名は、日本の上場会社(買収会社)の取締役に参加したうえで、米国事業を所管し、各年の米国企業の売上およびEBITDA(Earnings Before Interest Taxes Depreciation and Amortization:金利支払い前、税引き前、償却費控除前の利益)の事業目標に対する達成水準に応じて新株予約権が確定(vesting)していく設計とされた(なお、米国の創業者株主2名が、米国企業または日本企業の取締役に選任するための議案が否決された場合には新株予約権が早期転換される設計とされている)。
当該創業者の権限範囲における結果(米国事業の売上・利益)と報酬を連動させた工夫が施され、長期インセンティブとしてストックオプション(新株予約権)を活用した点で画期的な事案と言える。本件は、投資家からの評価を受けて案件公表後に株価が大きく上昇したものの、その後業績面で苦戦が見られるが、今後の飛躍が期待される。
事例3 アーンアウト
アーンアウトも、売り主兼経営者にインセンティブを付与する手法の1つと言える。アーンアウトは、クロージング時に売買代金の一部を一括で支払うことに加え、対象会社がクロージング後一定期間内に、売主・買主間で合意した一定の目標(たとえば、一定の売上や利益等)を達成した場合に、買い手が売手に対して、売買代金を一部後払いする取り決めのことである。アーンアウトの指標には、売上高やEBITDA等の財務指標のほか、製薬事業における新薬の開発が一定段階に達したこと(創薬企業ではその段階で提携先などからのロイヤルティ収入が入ることが合意されていることに着目したアレンジ)など非財務指標を用いることもある。
留意点として、アーンアウトは、価格交渉を尽くしたがどうしても折り合えない場合の最後の手段と考えたい。なぜなら、アーンアウトの条項の設計には、たとえば、売上高にクロージング後に買収した事業の売り上げを含むか、買収事業からの売り上げに限定するか、また、利益を指標とするときに必要な設備投資や研究開発費を抑制してまで利益を創出しようとする歪んだ動機を生まないように精緻に協議し、後払いの指標を契約書で定義する必要があるからだ。
またアーンアウト期間に買い手がどの程度の協力をするのかという点も売り手と買い手とで期待感が異なることが多い。そのためアーンアウト条項の交渉コストが非常に大きいうえ、買収後にアーンアウトが未達となった時に紛争となることも少なくない。こうした精緻な議論まで可能な事案では、アーンアウトも検討に値するアレンジとなる。
マネジメント契約の「ムチ」の部分 – 任免権と誓約事項(競業避止義務等)
マネジメント契約には、買収側の任免権が明記されるが、米国等の海外での雇用契約には、①Termination(by Company)with Cause(帰責事由のある解雇事由)と、②Termination(by Employee)for Good Reason(正当理由のある雇用契約の終了事由)を明確に定めておくことが重要である。
一般的に、①Termination(by Company)with Causeの場合には、退職金等が支払われないが、他方、②Termination(by Employee)for Good Reasonの場合には、退職金等が支払われるという大きな違いがある。特に②の論点では、たとえば、肩書やレポートラインの変更、社名や住所(事業拠点)の変更、飛行機移動の場合のビジネスクラスの保証など、経営陣側から様々なこだわりの条件が提示される。買収の大きな判断の中で細かな点に思えるが、応諾できない点はきっちりと交渉しておく必要がある。
退職事由の定め方(termination by the company with cause / by employee for good reason)の一例
With Cause | For Good Reason |
---|---|
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また、マネジメント契約には、経営陣の競業避止義務等の誓約事項も定められる。競業避止条項については、各国の雇用法制や判例法により、退職後の競業避止義務の定めが禁じられていたり(米カリフォルニア州・インド等)、合理的な地域・職域・期間に制限されたり(日本等)、また一定の金銭の支払いが条件とされたりするので(ドイツ等)、現地の法制を踏まえた対応が必要となる。なお、経営者等がM&A取引の売り手となる場合には、株式譲渡契約等の買収契約において、売り手としての地位に基づく売却後の制約として、競業避止義務を負うことは許されることが多いので、この点も各国の専門家の助言を得る必要がある。
結び
以上に述べてきたように、海外M&Aの場面における人事面での課題は少なくない。最近、日本企業のM&Aにおける課題としてPMIの重要性が声高に言われる状況で、買収後の現地企業の「間接統治」の要となるマネジメント契約の重要性も大きい。他に類書が少ないなか、本稿が具体的な事例を踏まえてM&Aにおける人事面の課題や検討事項を詳説した価値は少なくないと自負している。本稿がクロスボーダーM&Aに取り組まれる読者の皆様の課題解決に少しでもお役に立てれば幸いである。

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