海外M&Aにおける人事リテンション戦略の実務

第1回 海外M&Aの失敗事例に見る、日本企業が人事面で苦戦する理由

コーポレート・M&A

目次

  1. はじめに
  2. 海外M&Aにおける人事面の検討事項
  3. 海外M&Aにおける人事面の対応項目の時間軸
  4. 海外M&Aにおける人事面での苦戦とその要因
    1. 事例1 本社社長に抜擢した現地CEOの辞任(英国)
    2. 事例2 現地トップによる不正会計(中国)
    3. 事例3 合弁事業の解消と立て直しの難しさ(インド)

はじめに

 経済のグローバル化に伴い、日本企業による海外M&Aを含め、国境をまたぐ企業活動は急増している。これにより、企業が複雑で困難を伴うクロスボーダーの法律問題に直面することも増えている。クロスボーダーM&A、国際紛争、規制・当局対応など、そのような場面は増える一方だ。

 普段、筆者らは日本企業を代理して、米国、欧州、アジア各国での海外M&Aについて多数の経験を積んでノウハウを蓄積している。海外M&Aは難しい、失敗事例が多いと言われることもあるが、日本企業の中には海外M&Aを経営戦略として使いこなして成果を上げている企業も少なくない。本稿では、海外M&Aの人事面に焦点を当て、具体例を交えながら、海外M&Aにおける人事面の難しさや課題とその対処法、その鍵の1つとなる現地経営陣のマネジメント契約の設計(アメとムチ)について、そのエッセンスの一部を2回にわたってご紹介する。

海外M&Aにおける人事面の検討事項

 クロスボーダーM&Aでの検討事項は、M&A戦略の策定、ターゲットの選定、バリュエーション、デュー・デリジェンス、契約交渉、クロージング、PMI等と多岐にわたるが、どちらかというと、これまでは人事面での検討は後回しになることが少なくなかった。しかし、M&Aには経営陣を含め対象会社の人材を買収する側面があり、買収後に対象会社の経営陣、従業員のやる気を引き出して計画以上の業績を達成できるかどうかが成否の分かれ目となる。しかも、日本企業の場合には、欧米企業のように買収後、自社から派遣したCEOによって本社が現地を「完全支配」するスタイルと異なり、現地経営陣を買収後も続投(リテンション)させ、現地経営陣を介した現地の「間接統治」をするスタイルが多い。

 こうした「間接統治」スタイルでは、M&Aの所期の目的を達成するには、買収後に現地の経営陣をうまくコントロールする必要があり、現地経営陣との関係の設計がより一層重要になる。以下に、クロスボーダーM&Aにおける人事面での主な検討事項を列挙した。もちろん網羅的なリストでなく、個別案件ごとにチェック項目に過不足がないか検討する必要がある。

海外M&Aでの人事面の主な検討事項

  • 対象会社の現地経営陣を買収後もリテンションするか、自社からCEOその他の経営陣を派遣するか
  • 現地経営陣の能力・人物面の評価、バックグラウンド・チェック(特に新興国の場合)
  • 現地経営陣の現在の報酬パッケージの内容、買収時のボーナス(ゴールデンパラシュート等)の有無・内容
  • 買収後の現地経営陣の権限範囲、本社と現地の権限分配(現地に任せることと、本社が口を出すこと)
  • 現地経営陣の報酬、インセンティブ、退職金等の報酬パッケージ
  • 現地経営陣をリテンションできない場合の代替策の検討(外部からのヘッドハンティング、対象会社の社内からの昇格等)
  • 現地経営陣の目標設定(事業計画に連動した具体的目標)の策定
  • 業績評価の仕組みの設計(評価項目、月次、四半期、年次のレビュー)
  • 現地経営指標の「見える化」(現地の経営を現地経営陣頼りのブラックボックスにしない)
  • 現地経営陣のパフォーマンスが上がらない場合や、任期途中で辞任した場合のプランBの策定(あらかじめ策定しておく)

海外M&Aにおける人事面の対応項目の時間軸

 上記に述べた人事面の検討事項について、海外M&Aディール全体の流れのなかで、それぞれの対応すべきタイミングの時間軸を以下に図示した。

海外M&Aのディール全体と人事上の対応事項の時間軸

海外M&Aのディール全体と人事上の対応事項の時間軸

 出発点となるのは、現地経営陣をリテンションするか否かの判断だ。この判断は案件の経緯や対象会社の経営陣の属性等にもかかわり、事案ごとに判断のタイミングも微妙に異なる。たとえば、現役バリバリのオーナー系企業の経営者は買収後も続投する気満々かもしれない。他方で、高齢のオーナー兼経営者の引退に伴う事業承継の場合にはあらかじめ経営者の交代を前提に検討する必要がある。

 また、ファンドに雇われた経営者の場合には、会社の売却を機に多額の報酬を得る契約を結んでいたりして、M&Aを機に次の職場探しを考え始める経営者もいるかもしれない。そうした状況のなかで、買収後の経営体制として、現地経営陣のリテンション要請をするか否かの判断を迫られる。判断が遅れれば、リテンションをしたくても経営陣はやめる決断(次の就職の決断)をしてしまうかもしれない(なお、上場会社の経営陣については、買収前に自己の処遇について協議をすることは、fiduciary dutyの観点から禁止される国もあるため、注意を要する)。

 もともと対象会社のCEOや他の経営陣をよく知っている場合は別として、証券会社等からの持ち込み案件の場合には、現地経営陣の能力、人柄や本社との相性を評価する機会はマネジメント・インタビュー等に限られ、十分な判断材料がなく、買収側の日本企業として実務上悩ましい点だ。

 そのため、現地経営陣の能力や人柄にほれ込んで絶対にリテンションしたい場合はまれであり、買収前の段階では、現地経営陣の実力や人物面の評価、本社との相性を見極め切れず、かといって他に有力な候補もいないので、いったんはリテンションして1〜2年様子を見たいという結論に傾くケースが多い

 この場合、買い手側である日本企業の判断は遅れがちとなり、現地経営陣への続投の要請も遅めになる。その間、経営陣が続投を希望している場合には、買い手(日本企業)側から明確な意思表示がなく、買収後の処遇への不安から案件の進行が滞ることも少なくないし、退職の決断を固めてしまうかもしれない。

海外M&Aにおける人事面での苦戦とその要因

 日本企業のM&A担当者の話によると、海外M&Aのクロージング後の現地経営陣のパフォーマンスが悪い、本社の指示に従わない、または任期途中に辞めてしまった等、人事面での苦戦は少なくないようである。苦戦の理由は人事面のみに限られるものではないが、3つほど事例を見てみたい。

事例1 本社社長に抜擢した現地CEOの辞任(英国)

 まずは、日本とアジアを中心に事業を展開する日本の製造企業が自社よりも売り上げ規模が2倍近い世界有数の英国企業を買収した事例をあげる。この事例では、グローバル企業の経営実績を評価して、当該英国企業のCEOを日本企業の本社の社長に抜擢したにもかかわらず、買収後わずか1年余りで、業績を上げられないまま、「家庭の事情」により辞任してしまった。その後に就任した外国人CEOも、他の経営陣との方針の相違により、2年足らずで会社を離れた。
 この事例は、「小が大を呑む」買収と大きな話題となったが、日本企業による海外買収後のグローバル経営のあり方について教訓を残した。

 買収後のグローバル事業を経営できる経営人材が買収会社(日本企業)側に見当たらなかったため、対象会社のCEOを買収会社のCEOに据えてグローバル経営を委ねたのは驚くような思い切った判断だった。

 このM&Aを通じ、当該CEOを迎えてグローバル経営の仕組みやそれを支える人材が備わっていたか、CEOと他の日本企業の本社チームとの間で買収後の経営方針のすり合わせができていたのか、といった人事面の課題を日本企業側に提示した。事業環境面では、買収直後にリーマンショックや欧州危機に伴う市況の悪化に直面したことも業績面での躓きの要因となってしまったが、その後リストラを経て立て直しを図り、収益重視の高機能商品を打ち出しており、今後の挽回が期待される。

事例2 現地トップによる不正会計(中国)

 次に紹介するのは建築資材関連大手の日本の製造企業が同業の欧州企業とともに、その中国子会社を買収した事例だ。買収後、その中国子会社の経営トップによる過去の不正会計と巨額の簿外債務の存在が発覚し、買収企業(日本企業)は数百億円規模の損失を計上した。

 この事例は、直接の買収対象でなく、その子会社の不正問題である。デュー・デリジェンスの過程で、中国子会社の経営者親子による経営の独立性、開示資料の不十分性、コミュニケーションの問題などが指摘されていたが、ディール進行上の諸事情により対処が難しかったことが窺われる。対象企業の子会社等で経営の独立性が高い経営陣の慎重な調査の必要性、アジア等の新興国におけるデュー・デリジェンスの難しさに教訓を得た事例であった。直接の買収対象事業自体は買収後も順調に推移しており、今後の飛躍が期待される。

事例3 合弁事業の解消と立て直しの難しさ(インド)

 3つ目の事例は、日本企業がインドの現地企業と現地に合弁企業を設立したものの、合弁企業の業績が悪化し、立て直しに向けた現地企業との足並みがそろわないため合弁企業の解消を図ったケースである。

 インドの合弁相手側に合弁会社の株式を譲渡してエグジットする場合は別として、日本企業側でインドに拠点を残したい等の事情で合弁会社を引き受ける場合には、事業の立て直しのための経営体制の構築が大きな課題となる。合弁事業がうまくいっていない状況では、外部から経営陣を招へいするほどの予算やリソースがないことが少なくなく、本社から派遣するか、既存の経営陣を続投させるといった判断となる。しかし、既存の経営陣の続投は業績悪化の責任をあいまいにするし、そもそも経営陣の続投が事業の建て直しという目的に照らして妥当な判断かどうかという問題を提起する。

 ここ数年間のインド・ブームにより現地企業とのJV形態でインドに進出したものの、インド経済の減速や現地の厳しい競争環境等に苦戦する日本企業は少なくない。合弁事業では、事業面で追い込まれると合弁相手との歩調が乱れ、とりうる打ち手の選択肢が限られてくる。追い込まれる前に事業計画のフィージビリティをきちんと精査し、事業運営の実績評価と悪い兆候が見られる場面での迅速な打ち手を打てるよう、普段から合弁相手や経営陣とのコミュニケーションを取ることが欠かせない。

 また、合弁事業の事業計画にそった形での現地経営陣の報酬・インセンティブ設計をするとともに、当初の計画を達成できない場合の合弁解消メカニズムや経営陣のパフォーマンスが上がらない場合の役員交代等のプランBの策をあらかじめ検討しておくことも大切である。

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