ベンチャー企業における一人法務の法務戦略
第1回 一人法務がとるべき法務戦略と優先順位
法務部
目次
はじめに
ベンチャー企業に多くみられる「一人法務」。実際に一人法務に就任すると、1日目から契約書レビューなどのタスクに忙殺され、そのなかで会社全体のリスクを最適化する体制を構築していくことはとても大変です。
しかし、契約書レビューをはじめ、法務が事業に関わるフローを体制化し網羅的に自社の負うリスクを下げていかなければ、法務の目の届かないところで、許容できないような大きなリスクが発生してしまう可能性があります。もしそれが顕在化すれば、他のドキュメントなどをレビューした努力も無になりかねませんし、企業の存続に影響を与える恐れもあります。一方で、日々のタスクをこなしながら網羅的な体制化までを完璧に一人で行うことは物理的に難しい面があります。そのため体制化については優先順位をつけ、日々のタスクへ取組む合間に少しずつ進めることが必要です。
筆者は、ヘルスケア領域におけるIT系ベンチャー企業に企業内弁護士として所属していた経験を活かし、現在は、医療IT系ベンチャー企業で一人法務を行う傍ら、法律事務所を運営し、様々な領域のベンチャー企業のご相談を伺っています。企業において何を体制化していくのか、具体的にどういう体制にするのかは法務戦略にあたるため絶対のルールはありませんが、この連載では特に上場等のエグジット前(とりわけ3年以内にエグジットを見据えているタイミング)のベンチャー企業にとってクリティカルな事項に関し、実務での経験をもとに筆者の考えをお伝えします。
一人法務の法務戦略
筆者は、法務が会社に存在する意義は、会社として許容できないリスクの最適化にあると考えています。もちろん政治的なリスク等、会社側でコントロールできないリスクや、会社の組織構造により法務ではない他部署が最適化を実施すべきリスクもありますが、筆者として、特にエグジット前(とりわけ3年以内にエグジットを見据えているタイミング)のベンチャー企業において、スムーズなエグジットに資するという観点から、法務が主体的にリスクを最適化するために構築すべき体制と、当該体制によりヘッジするべきリスクは下記と考えています。
各体制を構築する方法の詳細については、本連載の次回以降で解説していきます。
構築すべき体制の種類 | 主なリスクの種類 | 当該体制の主な関係者 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|
株主 | 経営者 ・役員 |
従業員 | 顧客 | 顧客以外取引先 | ||
契約書等の作成・レビュー体制 | 損害賠償・補償リスク 知的財産リスク 紛争・訴訟リスク |
− | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 |
営業資料やPR資料等、外部に出す資料等のフォーマット整備およびレビュー体制 | コンプライアンスリスク(景品表示法、特定商品取引法、不正競争防止法等) レピュテーションリスク |
− | − | 〇 | 〇 | 〇 |
人事労務分野におけるトラブル防止・対応体制 | 労務リスク 紛争・訴訟リスク レピュテーションリスク |
− | 〇 | 〇 | − | − |
情報管理に関する体制 | レピュテーションリスク コンプライアンスリスク(個人情報保護法等) 損害賠償・補償リスク 紛争・訴訟リスク |
〇 | 〇 | 〇 | 〇 | 〇 |
コーポレートガバナンス体制 | コンプライアンスリスク (特にエグジット時に顕在化) |
〇 | 〇 | 〇 | − | − |
契約書等の作成・レビュー体制の構築
サービス関連、外注関連の利用規約・契約書など、会社と第三者との取引条件を決める書面は、法務が作成またはレビューして、会社として許容できる範囲内の条件にそろえる必要があります。しかし、ベンチャー企業でよく起きるのが、現場担当者が、レビューフローがあることを知らないために「印欄には担当印を押せばよい」という勘違いをしてしまい、法務レビューが忘れられてしまうことです。そのため、社内のチャットツールなどのダイレクトメッセージによりレビューを依頼するような、現場担当者一人ひとりに個別に周知しなければならない体制にするのではなく、全社周知のしやすいレビューフローを構築することが大切です。
営業資料やPR資料等、外部に出す資料等のフォーマット整備およびレビュー体制の構築
社外に出す資料については、広報等と連携することにより、景品表示法、著作権法等の法令が遵守されていること、会社のブランディング上問題のない記載となっていること、他の資料との矛盾がないことが一定担保される体制になっていることが必要です。これは、法務リスクを下げる目的もありますが、会社を社会的批判にさらさない(レピュテーションリスクを下げる)という観点からも大切です。
人事労務分野におけるトラブル防止・対応体制の構築
人事労務は、ベンチャー企業でなくともトラブルが発生しやすくセンシティブな分野であるため、トラブルの発生を完全に防止することは難しいです。しかし、トラブルの発生が予見できる事項を事前に決めておいて、その事項が発生したら法務が介入するというオペレーションを構築しておくこと、および人事労務と連携して適切な人事評価制度を適時に構築することが、トラブルの未然防止や泥沼化防止という観点から肝要です。
情報管理に関する体制の構築
特に小規模なベンチャー企業などでは、全社員が社内すべての情報にアクセスできる傾向にあります。どの情報にも素早くアクセスできることで迅速な意思決定が可能だからこそ急成長できているという理由から、経営者が情報管理に積極的でないケースも考えられます。
その場合は、会社のフェーズに合わせて段階を追って情報管理体制を構築していくことになり、全社員が社内すべての情報にアクセスできる状態のままとなる期間が続くこととなります。その期間は、各社員がアクセスできるすべての情報を漏洩させないという広い責任を負うこととなるため、情報セキュリティを担当する部署と連携して、各情報を適切にラベリングし各情報の漏洩時のリスクを全社周知していくことが、会社や社員を守るという意味で大切です。
コーポレートガバナンス体制の構築
成長スピードが速いため迅速な意思決定が必要であり、かつ経営者が皆多忙なベンチャー企業でありがちな例として、本来は会社法上、取締役会での決議が必要な事項について、従業員数名と取締役1名といった、決議要件を満たさないミーティングで決定してしまうなど、会社法と実態が乖離している状態があげられます。
会社法にしたがった意思決定が会社の成長スピードを損なうとして、経営者にとって好まれにくい論点ではありますが、遅くとも上場等のエグジットを行う1年前には、会社法上問題ない意思決定体制が整い、適切に運用されている必要があります。また、経営している役員が複数いる場合は、特定の役員しか決議に参加しないままに会社にとって重要な意思決定がなされてしまうと、その他の役員にとって善管注意義務を果たしたくても果たすことのできない、リスクが高い状態となりますので、役員を守るという意味でも、大切な観点です。
優先順位のつけ方
2.で紹介したとおり、一人法務であってもベンチャー企業において構築していかなければならない体制は多岐にわたるため、優先順位をつけて日々のタスクへの対応と体制化の両立を図っていく必要があります。
しかし、2.で紹介した分野について1つ1つ順々に取組んでいくのでは、リスクの程度を網羅的に把握できない状態が長く続く可能性があります。そのため、各分野に関する全社のリスクの状況を把握したうえで、全体のリスクを最適に低減していく形での体制化を推奨します。
まとめ
以上の通り、今回はベンチャー企業の一人法務として構築すべきと考える体制の概要や体制構築時の優先順位づけの方針を説明しました。次回は、「契約書等の作成・レビュー体制の構築」について詳しく解説します。

法律事務所YOSHI