法務キャリアの多様なロールモデルを知ろう

第1回 vol.1 藤野忠 - 車掌から念願の法務部配属、そして企業内弁護士として歩いた道なき道

法務部

目次

  1. 希望とは違う配属先で知った法務というキャリア軸
  2. 紆余曲折を経て入社10年目に念願の法務部配属へ
  3. あえて在職のまま旧司法試験を受験した理由
  4. 目指したのは「社内第1号」「生え抜き」の企業内弁護士としてのロールモデル
各社における法務機能強化の動きや企業内弁護士の増加によって、法務担当者それぞれの属性やバックグラウンド、そして所属組織の環境も、ひと昔前とは少し違ってきているようです。
法務担当者としてどのような姿を目標に経験を積んでいくべきか、そのために今すべきことは何か――。
そんな悩みや迷いを抱える読者のために、先人たちが切り拓いてきたキャリアの道のりや多様なロールモデルを紹介します。ぜひご自身のキャリアプランニングに役立ててください。

最初に紹介する藤野忠弁護士は、大学卒業後、東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)へ入社し、企業内で法務・知財分野の経験を積みながら、在職中に旧司法試験に合格。復職して法務管理職兼企業内弁護士としてのキャリアを歩んだ後、2019年春、自らの事務所を立ち上げました。
会社員時代は、法務をキャリアの軸にしたいという希望を持ちながらも、なかなか思い通りの仕事ができずもがいていた時期もあるといいます。第1回では、藤野弁護士のこれまでのキャリアと、そのターニングポイントについて伺いました。

History

1998 東京大学法学部卒業
東日本旅客鉄道(株)入社 営業・輸送系職場に配属
2000 支社総務課配属
2001 〔司法制度改革審議会意見書公表 司法試験改革・法科大学院創設へ〕
2002 東京大学大学院法学政治学研究科入学(企業派遣)
2004 東京大学大学院法学政治学研究科修了、職場復帰(本社R&D部門配属)
〔法科大学院開設〕
2006 〔新司法試験開始〕
2007 法務部知財・訴訟グループに異動(R&D部門兼務)
2008 日本知的財産協会デジタルコンテンツ委員会副委員長(~2009)
旧司法試験合格
2009 一時退職して司法修習へ
2010 司法修習終了、弁護士登録
東日本旅客鉄道(株)に法務部(企画・法規担当)副課長として復帰
2011 〔旧司法試験終了、予備試験開始〕〔東日本大震災〕
2012 日本経済団体連合会(経団連)債権法改正WGに参加(~2015)
2013 法務部(知財・国際法務担当)副課長
〔政府インフラシステム輸出戦略決定〕
2014 日本知的財産協会著作権委員会委員長(~2016)
2015 〔「民法(債権関係)の改正に関する要綱」決定〕
2016 法務部(知財・国際法務担当)課長
〔政府知的財産戦略本部「次世代知財システム検討委員会報告書」公表〕
2019 法制審議会民法・不動産登記法部会委員(~2021)
退職、西早稲田総合法律事務所開設
2021 〔「民法・不動産登記法(所有者不明土地関係)の改正等に関する要綱案」決定〕

希望とは違う配属先で知った法務というキャリア軸

学生時代のキャリア志向や就職先の選択理由について教えてください。

今でいう「キャリア志向」といえるようなものがあったのかどうか、古い話なので記憶も怪しいのですが、少なくとも「弁護士になりたい」と思ったことは一度もなかったのは確かです。当時はまだ「法学部だから司法試験」という雰囲気でもありませんでしたから。
JR東日本への入社を決めたのは、当時同社が掲げていた「駅から街を変える」というコンセプトに惹かれたため。民営化されてまだ10年ということもあり、官庁や他の会社と比べて、はっきりと自分の意見を主張する若い社員が多かったことも魅力でした。

入社後の配属や異動は希望どおりでしたか。

当時の文系社員の人事運用は、最初の入り口で、鉄道事業部門と駅ビルや小売飲食等を手がける関連・開発事業部門という2つの道に、大きく分かれていました。私は当然後者を希望していましたが、配属されたのは鉄道部門。しかも入社早々東京から離れた地方支社で、現場の営業職や車掌をやれ、と言われて、当時は大いにへこんだものです。
ただ、その経験から学んだことは多かったですし、結果的に、隣の芝の青さや余計な雑音を気にせず、自分のペースで20代前半を過ごすことができたのは、今振り返ってみると実に幸運なことでした。

法務の仕事に関わることになったきっかけは、入社3年目、初めてのデスクワークに移ったときに支社で総務課の法務担当に任命されたことでした。
小さな支社なので担当者は1人。警察回りや広報の手伝いから支社の大忘年会の幹事まで、法務以外の業務のウェイトも大きかったですが、私が配属されたタイミングでは、事故処理や用地紛争、労働事件等の案件が多く、訴訟対応まで経験を積むことができました。

また、たまたま地元で行われた本社法務主催の大きな会議に、接待役も兼ねて同席させてもらうなど、本社の法務の先輩社員たちとも密にやり取りするなかで、法務の仕事であれば “横串” となって部門を超えた仕事ができるチャンスがあることを知り、この先の自分のキャリアの軸にしようと決めました。

希望は叶いやすい環境だったのでしょうか。

いえ、当時も今も、若い社員には同じ仕事を長くやらせない、という雰囲気が強い会社だったので、希望を出しても、法務の担当部署にピンポイントで異動できる保証はまったくありませんでした。

しかし、社内選考に通って国内留学に行けば、2人に1人は本社法務に配属されるという話を聞き、東京大学大学院法学政治学研究科(修士課程)への企業派遣留学に応募。専攻には、当時ブームになり始めていた知的財産法を選びました。まったく知識の蓄積がない分野だったこともあり、留学中はゼミの準備や論文執筆に注力するため、資料室にこもって朝から晩まで国内外の文献や判例を読み込むことも度々で、人生で一番勉強したと言っても過言ではない時期でした。

社内では、私の留学中に本社法務を担当する部署が改組され、初めて法務「部」が設けられました。それで私も大学院修了後は晴れてそこに行けると思っていたのですが、実際には技術開発(R&D)部門へ知財担当者として配属されることになりました。

紆余曲折を経て入社10年目に念願の法務部配属へ

R&D部門ではどのような業務を担当されていましたか。

当初は、ロゴマークのデザインチェックやコンテンツ利用の問い合わせ対応など、法務の香りがあまりしないような仕事が多かったのですが、さまざまな偶然も重なって、全社の新しい職務発明補償制度の設計を任されることになりました。当時の上司が “壁打ち” の相手として、法律に明るい人を欲しがっていたことがこの背景にあると思っています。

さらに、技術系の先輩社員が担当していた契約交渉も手伝うようになりました。メーカーとの共同開発をめぐるやり取りはもともと多かったのですが、それに加え、ちょうど独立行政法人化したばかりの国立大学が特許に注目し始めた時期だったため、大学との共同研究をめぐる契約交渉が難航する場面が増え、全国各地の大学に出向いて直に交渉の席に出ることもありました。

契約書に関しては、私自身も細かく指導してくれる人が身近にいたわけではありません。当時の自社ひな形が大手メーカーなどの相手方からびっしり修正されてくるのを見て、言い返す方法を考えたり、さまざまな契約交渉に立ち会ったりするなかで、見様見真似で学んでいました。

そのうち、2000年代前半のビジネスモデル特許ブームや、自社の旬のプロダクトの利用領域拡大のタイミングが重なり、特許関連の係争対応が日常化。これらも担当するようになったことで、業務量は激増していきました。

その後、R&D部門から法務部へ異動されています。これは多忙が原因となりR&D部門の一部が法務部に吸収された形ということなのでしょうか。

はい。多忙のなか、私は具体的な数字を使って業務量を上司に説明するなどして、R&D部門の事務系知財担当者の増員を訴え続けていました。知財業務はもともと社内の政治的な綱引きの中でR&D部門に移管したという経緯もあったので、増員が不可能なのであれば、法務部にその機能を戻すべきとも主張していました。

そしてその甲斐があって、法務部への異動が決まりました。私自身は、R&D部門にも籍を残し兼務という扱いになりましたが、実質的には私が担当していた知財関連の業務を切り出して法務部へ移管し、新たに担当者も付けてもらった形です。
こうして、自分の仕事を持ったまま、念願だった法務部門へ異動することが叶いました。入社10年目の夏のことでした。

あえて在職のまま旧司法試験を受験した理由

在職中、旧司法試験に合格されていますが、試験勉強はいつ始めたのでしょうか。

本格的に試験勉強を始めたのは、大学院から職場へ戻ったタイミングです。
会社に復帰した直後は、周りが皆技術者で法律に関わる世界とは縁が薄い環境だったので、純粋に法律に触れ続けていたいという思いがありました。また、大学院に留学していた際、自分より一回り上の世代の一流企業から来ていた方たちが、こぞって司法試験にチャレンジしていたんですよね。そのときは「なぜ?」と不思議に思っていたのですが、実際自分も会社に戻ってみると、この先どうなるんだろう、と悩むこともあり、彼らの危機感が少しわかった気がしました。
時は合格者1,500人時代。新試験スタート前の「ボーナスステージ」で合格者数が増えてはいても、旧試験という誰でも受けられる試験はいずれなくなることがわかっていた頃でした。

私が留学を終えて会社に戻ったくらいのタイミングで、会社の同期や法務部にいた先輩社員たちが、「会社の法務なんかで仕事をしていてもしょうがない」と、法科大学院へ行くために次々と会社を辞めてしまったこともショックでした。ただ私自身は、法律事務所の弁護士の仕事と社内法務の仕事の優劣を単純に比較することなどできないと考えていましたし、社内でこそできることがあるはず、という思いも強かったですね。辞めていく人たちの存在が、「それなら在職したまま資格を取ってやろうじゃないか」と自分を奮起させた側面もありました。

そして無事に司法試験に合格されました。

合格したことは嬉しかったですが、当時は念願の法務部に配属されてまだ1年ちょっと。30代も半ばにさしかかり、社内の仕事も社外の業種横断的な活動も一番充実していた時期だったので、「ここで司法修習へ行ってキャリアにブランクができるのは嫌だな」というのが、率直な思いでした。

しかし、当時の上司が背中を押してくれたことに加え、旧試験対応の修習がいつまであるかわからないという事情もあって、修習へ行く方向で調整を進めました。
ただし、会社を退職しなければ司法研修所には入所できないというのが当時のルール。一方で、会社では一度退職した社員の復職は前例がないということで、口約束以上の復帰できる保証はないまま、いわばパラシュートのないスカイダイビング状態で修習に入りました。修習での時間はとても充実したものとなりましたが、約1年半、復職が決まるまでは気が気ではないところもありました。

目指したのは「社内第1号」「生え抜き」の企業内弁護士としてのロールモデル

結果的に復職されましたが、当時の業務の状況はいかがでしたか。

管理職として後輩たちを引っ張っていく立場となり、給与も一回りアップしての復帰だったため、プレッシャーは感じました。
軸足を置く分野は、採用・研修といった企画周りの仕事から、震災復興対応、M&A・事業開発支援、知財、渉外活動、そして海外事業まで、状況によって目まぐるしく変わりました。法改正への対応等、社外での活動に多くの時間を割いたときもあれば、海外進出プロジェクトの支援を自分のチームで一手に引き受けて、世界各地を飛び回っていた時期もあります。

「社内第1号」かつ「生え抜き」の企業内弁護士として1つのロールモデルをつくりたい、という思いもあって、誰も手を出したがらないような面倒な分野、新しい分野も次々と引き受けていました。もちろん、うまくいったことばかりではありませんし、ゆっくり寝る間もないくらいのハードな日々でしたが、とても濃密な時間を過ごすことができました。

会社員時代に得たものや嬉しかったことがあれば教えてください。

仕事にも人にも恵まれたことだと思います。会社を代表して参加していた社外での活動も含めて、その時々で会社にいなければできなかったことを思う存分経験させてもらいました。あの環境で法務部門の一員という立場でできることは、かなりのところまでやり切ったのではないかと感じています。

当時の若手の人事運用は、同じ部署に2~3年もいれば長いほう。まったく継続性のない部署に異動させられることも珍しくありませんでした。「法務の仕事をしたい」という希望を聞いて、人事部にかけ合ってくれた上司や先輩がいなければ、自分のキャリアは築けていません。
また、法務部門の先輩、同僚や部下、後輩はもちろん、支社時代に席を並べた現場経験の長い先輩たちや、R&D部門で日々熱く議論を交わした優秀な技術者たち、海外プロジェクトで苦楽を共にした仲間たちとの絆は今でもずっと続いています。

ありがとうございました。次回は、会社の「外」からの視点で仕事をするようになったご経験も踏まえ、企業内法務のあるべき姿について伺いたいと思います。

第2回に続く)

(文:周藤 瞳美、写真:岩田 伸久、取材・編集:BUSINESS LAWYERS 編集部)

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