インテグリティとは何か
第1回 コンプライアンスの限界とインテグリティ
危機管理・内部統制
目次
「コンプライアンス」の限界
コンプライアンスが日本企業に要求されるようになって20年ほど経つ。ESGやSDGsが投資の指標として重要視される昨今、コンプライアンス体制整備の必要性はさらに高まっている。日産や吉本興業の事件も、ガバナンスやコンプライアンスへの関心をさらに高めている。
しかし、日本企業にコンプライアンスが十分に浸透しているとはいえない。本稿では、その原因として考えられる「コンプライアンスの限界」に着目し、その限界を「インテグリティ」の概念を使って補完することを試みる。
お仕着せのコンプライアンス
コンプライアンスは、20年ほど前にアメリカから導入された、いわば「与えられたもの」だ。自発的に日本独自で発生・発展したものではない。「コンプライアンス」というカタカナ語が用いられているのはそのゆえんだ。
このような導入経緯からしても、日本人はどうしても「受け身」でコンプライアンスを捉えてしまいがちである。企業内のコンプライアンス担当者が使命感を抱かずに行うお仕着せのコンプライアンス研修ほど、参加者を退屈させるものはない。
語感が持つ限界
コンプライアンスに魅力がない主な理由は、その逐語訳・語感である。コンプライアンス(compliance)の語義は「遵守」「守ること」。どうしても消極的・ネガティブなニュアンスを持つ。そこから、コンプライアンスの限界を感じている企業も多いように、筆者の目には映る。
具体的には、コンプライアンスを「守らされる」側からすると、どうしても「上から目線」「押し付けられた」「やらされている」感がある。人間は本来的に自由を求める生き物だ。ルールを押し付けられて喜ぶ人はいない。また、旗振りをする役職員が口角泡を飛ばしてコンプライアンスを叫んでも、摘発だけに留まらず、改善指導まで丁寧に踏み込まなければ、コンプライアンスに対してネガティブな印象を植え付けるだけであり、真のコンプライアンスの浸透は期待できない。
このように、コンプライアンスのいわば「他人行儀」な語義からして、我々はそこに「当事者意識」を持ちにくく、「一人称」で考えにくい、「自分の問題」として捉えづらい結果となる。
拡大解釈の限界
日本ではこの20年、「コンプライアンス」の意味・定義は拡大を続けてきた。当初は、「法令遵守」という狭義に解されていたものの、10年ほど前からは「社会の要請に対する適切な対応」などと倫理観を含むものとして広義に解されている。さらに近年は、「日常生活に潜むリスクを感知して対応するリスク管理力」と広義に解する論者もいる。
コンプライアンスの定義の拡大
ただ、これではリスク・マネジメントとの区別がつかないし、Compliance(遵守)という語源からあまりにもかけ離れすぎている(そのため、欧米企業では、コンプライアンスを日本のように拡大解釈しないところが多い)。
こう考えると、ESGやSDGsが日本で求められている昨今、拡大解釈されたコンプライアンスという語に込められている社会の要請に対する適切な対応が会社に根付くためには、そもそも「コンプライアンス」という言葉を使うことに本質的な限界があるのではなかろうか。
「インテグリティ」とは
そこで、コンプライアンスに代わる、もしくは、コンプライアンスを補う用語として、「インテグリティ」という用語に注目してみたい。
インテグリティの語義
インテグリティ(integrity)は、そもそもどのような意味を持つのであろうか。逐語訳的には、「完全であること」が本義である。そこから、人格の高潔性・誠意・正直・品位などと表現される。
ただ、倫理観・道徳・規範意識を論じるのであれば、あえて「インテグリティ」というカタカナ用語を用いる必要はない。本稿では、倫理観・道徳とは異なる、独自の積極的な意味を持つインテグリティの意義と価値を掘り下げる。
日本におけるインテグリティの発展
2000年代初頭に日本でコンプライアンスの必要性が言われ始めた当初から、高 巌教授(本稿執筆現在、麗澤大学経済学部経営学科教授、内閣府消費者委員会委員長)やKPMGコンサルティングなどがコンプライアンスの文脈でインテグリティを説明している 1。
しかし、インテグリティの「言葉としてのわかりにくさ」から、日本では浸透せず、語義的な不明瞭さがその発展を阻害した。
最近のインテグリティ再評価
資本主義の進化・深化に伴いESGやSDGsなどが重要視され、投資家の目は年々厳しくなっている。コンプライアンス・ガバナンスの要請は年々高まり、昭和の時代のような牧歌的経営は容赦なく葬り去られている。
この流れの中で、インテグリティが再度、脚光を浴びている。これは、社会の要請に対して適切な対応をとるために、「コンプライアンス」が持つ本来的・語義的な限界が障害になっていることが認識されてきたからである。
インテグリティの現状
海外を見てみると、欧米企業では、日本企業よりはるかに多く、コンプライアンスの文脈でインテグリティが語られている。例をあげると、ゼネラルエレクトリック(GE)やダイムラー・グループなどが大きくインテグリティを取り上げているし 2、大手監査法人も、インテグリティを前面に出して称揚している 3。欧米では、コンプライアンスとインテグリティが補完関係を持ち、企業活動の礎となっている。
コンプライアンスの意味を拡大解釈した日本とコンプライアンスとインテグリティが補完関係にある欧米
日本では、花王やAGCなどのほか、大手総合商社がインテグリティをコンプライアンスの文脈で力強く掲げている 4。たとえば、丸紅は、「正義(integrity)と利益のどちらかを取らなければならない状況に遭遇したら、迷わず正義を貫け」という語を、「当社で永らく道標として語り継がれるこの言葉の重みを、今一度思い起こし、各自で自問して下さい」とコンプライアンス・マニュアルの冒頭に記載している 5。三井物産は、インテグリティを前面に掲げ、判断に迷ったときに「誇りを持てますか?」と自らに問いかけるように行動指針で説いている 6。
もっとも、日本企業全般を見ると、インテグリティはまだまだ浸透しているとはいえない。本稿執筆時点でのインターネット検索件数を見ると「インテグリティ」は「コンプライアンス」の100分の1程度にとどまる。
コンプライアンスとインテグリティの違い
インテグリティの意義や価値は、以下のとおりコンプライアンスと比較するとわかりやすい。
コンプライアンスとインテグリティは表裏一体
インテグリティの意義をまずは簡単にイメージしておこう。端的には、コンプライアンスとインテグリティは、同じものを、違う視点で見たものと考えてよい。具体的には、コンプライアンスは、会社・組織や社会からのニーズに合わせて「上から」の遵守を要請するいわば他律的な規範といえる。
一方、インテグリティは、個人の内面からいわば「下から」自発的に湧き上がってくるもの、または、自ら考え出したり気づいたりする自律的規範である。
コンプライアンスとインテグリティの違い
上記のように、コンプライアンスとインテグリティはほぼ同内容の表裏一体のものを、異なる視点から見たものといい得る。さらに分析的に考えると、コンプライアンスとインテグリティは以下のように異なる。
上から目線の規範であるコンプライアンスでは、どうしても「悪いことをしない」という消極的な捉え方をしがちである。一方、自主的・自律的な規範であるインテグリティでは、「良いことをする」という積極的な捉え方ができる。「組織から与えられた規範を守る」という否定的なニュアンスを伴うコンプライアンスとは異なり、インテグリティは「自らの価値判断で規範を自発的に守る」という肯定的なニュアンスを持ち得る。
コンプライアンスではコンプライアンス担当部署のみが風紀委員を(嫌々、ないし、嫌われながら)務めるのに対して、インテグリティでは、会社構成員「全員」が風紀委員を務めるイメージだ。
たとえば、コンプライアンス担当部に、個別事案につき、「これって、ギリギリセーフですか?」と社員から質問が寄せられることがある。これは、相談した社員が自分の名前で責任を持って判断していないので、「インテグリティ的」ではない。規範に抵触するかの判断を他人任せにしている点で、「コンプライアンス的」である。このように、判断を他人任せにしてしまいがちなのが、コンプライアンスの弱点である。
「手垢のついた」コンプライアンスからの卒業
上記のように、コンプライアンスには、どうしても受身的・否定的・消極的なニュアンスが伴ってしまう。日本にコンプライアンスという語が登場してから20年かけて浸透するなかで、悪い「手垢がついて」しまったといえる。一方、インテグリティには、変な手垢がついていない。新しい用語として、フレッシュに偏見なくその意義を考えられる。
なお、コンプライアンスと異なりインテグリティが浸透してこなかった理由を、日本の教育に求めることもできる。現在の日本企業の中核をなす層が育ってきた時代の日本の教育では、詰め込み型と揶揄されるとおり「覚える」ことが奨励され、自ら「考えること」が軽視されてきた。これは、他律的な規範であるコンプライアンスと親和性があり、自律的な規範の形成・運用を求めるインテグリティとは距離感がある。
会社理念との親和性
20年前に海外から導入された「輸入モノ」であるコンプライアンスは、それ以前から存在する会社の理念と結びつけることは難しい。また、「堅い」「否定的」「消極的」なイメージがあるコンプライアンスを、ソフトかつ肯定的に打ち出す会社理念と強引に結びつけるのも抵抗感が残る。一方、手垢のついていないインテグリティには、これらの障害がなく、会社のフィロソフィーやヴィジョン・創業者の理念と結びつきやすい。
たとえば、歴史ある財閥系商社は、いずれも草創期の経営者の考えを企業の行動理念やインテグリティと結びつけている。
以上のとおり、コンプライアンスとインテグリティは、同じものを違う視点で見た考え方であり、以下の表のような違いがあるといえる。
コンプライアンス | インテグリティ |
---|---|
上から目線 | 当事者目線 |
Company’s rule | MY rule |
消極的 | 積極的 |
受動的 | 主体的 |
傍観者的 | 一人称 |
ハード・堅い | ソフト・柔らかい |
制度 | 内面 |
悪いことをしない | 良いことをする |
コンプライアンス部のみが風紀委員 | 全員が風紀委員 |
言われたことをやる | 期待される行動を各自が考える |
与えられたもの | 自分で気づくもの |
イヤイヤやらされるもの | 自然とできてほしいもの |
会社理念と遠い | 会社理念と結びつけやすい |
20年くらい前から押し付けられたもの | 企業文化そのもの |
次回はインテグリティを用いた組織コミュニケーション活性化のヒントについて述べたい。
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高 巌『「誠実さ(インテグリティ)」を貫く経営』(日本経済新聞社、2006)、KPMGビジネスアシュアランス『コンプライアンスマネジメント―インテグリティ(組織の誠実性)実現のための課題』(東洋経済新報社、2003)など ↩︎
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たとえば、デロイト トーマツグループ「Code of Conduct」など ↩︎

中山国際法律事務所