「日本版司法取引」が企業にもたらす環境変化

第2回 自己利益優先・追及型への変化と、従来型企業リスクマネジメントの限界

危機管理・内部統制
早川 真崇弁護士 弁護士法人 瓜生・糸賀法律事務所

目次

  1. 日本版司法取引に備えた体制整備の必要性
  2. 日本版司法取引の導入がもたらす環境変化とは
    1. 従来の企業リスクマネジメント
    2. 日本版司法取引導入後の企業リスクマネジメント
    3. 仮想事例
    4. 社内調査等を通じて、自浄作用・機能を発揮する機会が失われる
    5. 内部通報によりリスクが発見されなくなる
  3. 日本版司法取引導入のもたらす環境変化
    1. 関与当事者による調査拒否等の増化
    2. 関与当事者が直接、捜査機関等にコンプライアンス違反に関する情報を持ち込む機会の増化
    3. 企業が把握していなかったコンプライアンス違反が司法取引の過程で発覚し、その情報へのアクセスが困難になる事態
    4. 役職員間での利害関係の対立が顕在化し、その行動が制御不能となる事態の発生
    5. 司法取引を活用しなかった場合の善管注意義務違反のリスク

日本版司法取引に備えた体制整備の必要性

 日本版司法取引の導入がもたらす環境変化はどのようなものになるであろうか。
 この点については、検察が慎重に運用を行うことが予想されるため、当面は大きな影響は生じない、あるいは、実際に刑事事件になるような事態が発生しなければ、自社には関係がないという意見を耳にすることがある。

 しかしながら、そもそもリスク管理体制の構築が求められる企業は、コンプライアンス違反等は発生し得ることを前提にその予防や早期発見に努めるという平時のリスクマネジメントの発想を持って対応することが求められる。また、有事(クライシス)の発生に際しては、被害の拡大を防止し、企業価値の毀損を最小限に抑えるという発想からすれば、日本版司法取引の活用を検討すべき事態に直面することが必ずあり得ることを前提に備えをしておくべきであり、この事態が発生したときに、適切な対応を行うことができるような体制を整備しておくことが必要ではないかと思われる。

 日本版司法取引の導入後は、下記に述べるように、従来のリスクマネジメントでは想定していなかった場面が生じることが十分に予想され、かつ、従来の実務ではかえって対応が困難になるという事態も想定されるところである。
 以下、この点について具体的に述べることとしたい。

日本版司法取引の導入がもたらす環境変化とは

 日本版司法取引の導入がもたらす環境変化を考えるうえでは、刑事事件として捜査が始まった以降の時間軸を追うのみでは不十分であると思われる。刑事事件として捜査が始まる前に時間軸を遡った場合に、どの段階で、いかなるプレイヤーがどのような行動に出ることが予想されるか、などという複眼的な視点から俯瞰することが必要と思われる。

従来の企業リスクマネジメント

 これまでの企業リスクマネジメントの実務の望ましい姿は、内部通報制度や内部監査等を通じて、できる限り早期に法令違反を始めとするコンプライアンス違反等またはその疑いを探知し、初動調査において、速やかに事案の概要を把握し、その内容に応じて、本格調査、原因分析、事後措置、公表、再発防止策の実行などの過程を通じて、自浄作用を発揮することにより、株主、取引先等のステークホルダー、社会の信頼を早期に回復することと思われる。
 これは、コンプライアンス違反またはその疑いが企業内で探知できた場合、その後の調査に、当該事象に関与した役職員(以下「関与当事者」という)が協力をし、その結果、事案の概要がある程度把握できることが前提とされていたと思われる。特に、調査を社外の専門家が行う場合には、この調査を通じて事案の真相が相当程度解明されることが期待されていた。

日本版司法取引導入後の企業リスクマネジメント

 しかしながら、日本版司法取引導入後は、法令違反等のコンプライアンス違反が発覚した後は、関与当事者は、企業の利益と自己の利益が対立する局面である場合には、自己の利益を優先する行動を選択することが十分考えられる。
 特に、関与当事者が、発覚の初期の段階から刑事事件の専門弁護士等の助言を求めた場合、その弁護士が、当該事案が日本版司法取引の対象となり、刑事訴追を受けることが見込まれる場合には、その関与当事者の供述や提供可能な証拠等を把握したうえで、関与当事者の利益を擁護するため、早期に捜査機関に自己の犯罪を申告し 1 で、他人の刑事事件に関する捜査協力を勧めることは十分に考えられるであろう。

 この場合、企業が調査を開始する前に、企業の方針や意向に関わりなく、弁護士と共に、捜査機関に当該事象に関する証拠等を持ち込むこともあり得るであろうし、企業の調査に協力せず、聴き取りには応じない、あるいは、応じるとしても、検察官との協議における交渉材料を温存するため、肝心な他人の刑事事件に関することは話さない、証拠を提供しないということが考えられるであろう。

仮想事例

 具体的に、前回例としてあげたX社の不正会計(粉飾決算)の事例で説明したい。

<事例>
 上場企業Xの財務担当の取締役Aが部下の財務経理部長Bに指示をして、その部下である経理課長Cに100億円の架空売上を計上させ、この内容が記載された有価証券報告書を提出させるという不正会計が行われた。
 A、B、Cが有価証券報告書虚偽記載罪の共犯として起訴される可能性があり、X社も法人の両罰規定が適用されて起訴されるリスクがある。

X社の不正会計の事例

 たとえば、この不正会計(粉飾決算)が経理課長Cの匿名による内部通報で発覚した場合、それを察知した関与当事者である財務経理部長Bは、速やかに弁護士の助言を得て、自己の犯罪である有価証券報告書虚偽記載罪について、検察官に自首し、取締役Aからの不正会計の指示メールを提供できることを示して、合意の申入れを行い、協議の場においては、取締役Aから不正会計の指示をされた状況を克明に供述するという行動に出る可能性がある。
 これは、B自身が身柄拘束や訴追などのリスクを感じた場合には、より現実味を帯びてくると思われる。この場合、Bは、X社の聴き取り等に一切応じないということも十分に考えられる。

社内調査等を通じて、自浄作用・機能を発揮する機会が失われる

 このような事態が生じ、経理課長Cも同様に別の弁護士の助言を得て、会社の聴き取り等に応じなかった場合、X社としては財務経理部長Bの関与はもちろん、取締役Aの指示により行われた不正会計であるという核心部分を調査により把握するのが困難となる。
 また、仮にメールの復元等により、取締役Aからの不正会計の指示を発見できたとしても、その段階ですでに、関与当事者Bが捜査機関に当該メールを持ち込んで、自首と合意の申入れを行ってしまっているという状況も考えられる。

 この場合、X社は調査により事案の概要を把握しようとしても、それが困難となり、以後は、当局による調査や捜査を受ける立場となり、自浄作用を発揮する機会を失い、法人として刑事訴追を受けるというシナリオが待ちうけているかもしれない。
 その結果、企業の信用・企業価値、レピュテーションが損なわれ、被害がさらに拡大することが懸念される。

内部通報によりリスクが発見されなくなる

 次に、先ほど述べた例は、経理課長Cの匿名による内部通報を行った事例であったが、そもそも、関与当事者は、内部通報制度を利用して、企業に自己の関与したコンプライアンス違反等について報告や情報提供をするよりも、自身に対する刑事訴追のリスクのある事象であり、司法取引を活用できる可能性があるのであれば、直接、捜査当局等にコンプライアンス違反に関する情報提供を行うという選択肢を選ぶことも想定される。
 上記の例で言えば、経理課長Cが不正会計に関して、これが発覚した場合に自分の身に降りかかる事態を不安に思い、弁護士に相談のうえ、内部通報よりも、捜査当局等に対して自首をしたうえで司法取引に向けた協議の申入れを行うことも十分に考えられるであろう。

 これをX社から見た場合、従来であれば、内部通報により経理課長Cから不正会計に関する情報が得られていれば、Cを説得して調査への協力を得て、その後の調査において、B、Aの関与の事実を把握し得た可能性が高いと思われるが、このような重要な法令違反という企業にとってリスクの高い情報が内部通報によりもたらされなくなるという状況も想定しておかなくてはならないと思われる。

日本版司法取引導入のもたらす環境変化

 以上を踏まえて、日本版司法取引導入のもたらす環境変化を整理すると、以下の5点があげられる。

関与当事者による調査拒否等の増化

 コンプライアンス違反、特に重大な企業不祥事が発生した場合、これが企業内で発覚しても、関与当事者は、企業の調査に協力するよりも、自己の利益を優先・追求するために、社内調査や社外専門家による調査への協力を拒否する、あるいは、司法取引の材料を手元に温存するために、把握している全ての情報や証拠を提供しなくなるという事態が増えることが想定される。
 このような事態に直面した場合、企業としては、これまでのように、社内または社外専門家による調査を通じた事案の把握が困難となり、自浄作用を発揮することが難しくなるだろう。

関与当事者が直接、捜査機関等にコンプライアンス違反に関する情報を持ち込む機会の増化

 前述したように、コンプライアンス違反の関与当事者は、専門弁護士の助言を得て、企業の調査に協力することよりも、自己の犯罪についての訴追の回避・求刑の軽減等を得ようとして、同一の事象に関わった他の関与当事者(共犯者)の刑事事件の捜査・訴追協力を行うことを優先することが考えられる。

 特に、コンプライアンス違反が「特定犯罪」に該当する可能性が高く、刑事処分も十分見込まれる場合には、これに関与した役職員は、捜査機関に先に協議の申入れをした者が見返りを得られる可能性が高いため、先を競って、自己の犯罪について申告しつつ、他の関与当事者の刑事事件について、重要な供述や証拠の提供などができることを示して、協議の申入れを行うという行動に出る場合もあるでろう。

 このように、コンプライアンス違反に関する情報が、会社の知らないうちに、直接、捜査機関等に持ち込まれる機会が増えることが予想される。そして、これに伴い、内部通報制度により、重要な法令違反等のリスクの高い事象に関する情報が提供されにくくなるのではないかという点が懸念される。

 現在、内部通報制度をめぐっては、通報件数がほとんどない、あるいは、法令違反等のコンプライアンス違反リスクに関わる通報がなされておらず、その導入目的を実現できるような運用の改善に取り組んでいる企業も少なくないと思われる。

 このような取組みが進められている中で、消費者庁に設置された内部通報制度に関する認証制度検討会の報告書における提言を踏まえ、2018年12月中旬には、内部通報制度認証(自己適合宣言登録)制度の実施に係る指定登録機関の指定がなされ、その運用状況を踏まえつつ、2019年度以降、第三者認証制度の導入が予定されている。

 参照:消費者庁 内部通報制度に関する認証制度の導入について

 企業においては、内部通報制度に関する自己適合宣言登録制度やその先に予定されている第三者認証制度に対応しつつ、日本版司法取引の導入がもたらす環境変化の中でも、企業に対して最初に通報がもたらされるような内部通報制度の運用に一層努めていく必要があると思われる。

企業が把握していなかったコンプライアンス違反が司法取引の過程で発覚し、その情報へのアクセスが困難になる事態

 たとえば、合意制度の対象であるA罪で捜査を受けている関与当事者が、A罪についての不起訴処分や求刑の軽減等を得ようとして、自社または他社の役職員のB罪(特定犯罪)について捜査や訴追協力を申し出るという場面が出てくることが想定される。

 これにより、捜査機関は、刑事事件の端緒を得ることがより容易になると思われるが、企業側の立場から見ると、これまで全く把握をしていなかった刑事事件に発展し得る可能性のあるコンプライアンス事象が、捜査機関による協議の手続で新たに発覚した場合、すでに捜査機関による捜査中の事柄になるため、この情報を入手して調査するということは非常に困難になるであろう。

 特に、A罪よりもB罪の方が格段に法令違反として悪質性が高く、刑事事件としての処罰価値が高いため、捜査の対象となった場合には、これに関しては、もはや、企業において、社内調査とその後の速やかな是正措置を通じて自浄能力を発揮する機会は失われてしまうことになる。

 これまでは、社内でコンプライアンス違反等が発覚した場合、関与した役職員間で、顕在化していないコンプライアンス違反については、必要性がなければ、あえて顕在化させないとの暗黙の了解のもとに行動するという向きもあったことは否定できないと思われる。これは企業にとっても、いまだ表面化していない事象はそのままやり過ごした方が都合の良い場合もあったと思われ、会社も含めた関係者の利害関係が一致していたといえる。

 しかしながら、3-1で記載のとおり、日本版司法取引が導入された後は、「特定犯罪」に関与した役職員は、不起訴処分・求刑の軽減等を得ようと、自己の利益を優先させて、他の役職員の特定犯罪に関する捜査・訴追協力を率先して捜査機関に申し出るという事態が予想される。企業側の視点に立てば、コンプライアンス違反等が発覚した場合、社内調査を通じて、できるだけ迅速に、顕在化している事象のみならず、潜在的なコンプライアンス違反も含めて網羅的に全容を把握することが一層重要になる。そして、そのためには企業自体の社内調査の能力向上と高度化を図る必要があるのではないだろうか。

役職員間での利害関係の対立が顕在化し、その行動が制御不能となる事態の発生

 これまでの企業リスクマネジメントの実務においては、コンプライアンス違反に役職員間の利害関係の対立が顕在化するケースは少なく、たとえばある関与当事者AがBの関与について供述しているのに対し、Bはこれを否定するという場面が生じた場合であっても、この問題は、客観的証拠を収集し、あるいは、供述証拠の信用性を慎重に行うなどして、Bが関与した事実が認められるか否かという事実認定を行うことにより、解消されていたと思われる。

 しかしながら、司法取引導入後は、「特定犯罪」に該当する事象に関与した役職員間で先を競って捜査機関に対し、合意成立に向けた協議の申入れを行うことなどが予想される。そして、関与当事者Aが他人であるBが共犯であるとして、他人の刑事事件に関する捜査や訴追の協力を行うことと引き換えに、自己の刑事事件について不起訴処分等を得ようとして、協議の申入れを行った場合には、Bの関与の有無は、捜査機関においてAの供述等をもとに判断されることになる。

 これは、まさに司法取引の運用上の問題として、自己の刑事事件において不起訴処分等を得るために、他人の刑事事件について、虚偽の供述がなされ、無実の者が巻き込まれる危険性があると指摘されてきたことである。これを企業の視点から見れば、従前は、企業による社内調査において解消していた関与当事者の利害対立が、司法取引導入後は、関与当事者の役職員によって協議の申入れがなされた場合には、これが解消されないまま、刑事手続に入ることになり、その結果、当該会社としては、社内調査への協力が得られないことと相まって、制御が不能な状態が生じ、また、当該会社としての事実認定も困難となる。

日本版司法取引導入前

 なお、企業が内規等で、会社の事前の承諾なしに、司法取引の申入れを行うことを禁止したとしても、これは犯罪行為を捜査機関に自首すること自体を禁止することに等しく、公序良俗違反(民法90条)により、無効となる可能性があるとの指摘もある上、公益通報制度の趣旨にも反するものであるため、企業が役職員を対象に、司法取引の申入れを行うことを制限することは法的に困難であり、また事実上これを制御することも難しいと思われる。

司法取引を活用しなかった場合の善管注意義務違反のリスク

 コンプライアンス違反が企業内で発覚した場合、企業として、司法取引を適切に活用できる条件が整っているにもかかわらず、検察官に協議の申入れをせず、漫然と事態を静観していた結果、企業が両罰規定により訴追され、刑罰として多額の罰金を科されたような場合に、取締役等が善管注意義務違反を理由に、損害賠償責任の追及を受けるリスクを負うことになる。

 これは前回の仮想事例で説明したとおりである。コンプライアンス違反が企業内で発覚した場合に、初期の段階で日本版司法取引の対象であるか否か、刑事処分の可能性があるか否かなどの観点から、スクリーニングを行い、企業として司法取引の活用が十分に考えられる事案の場合には、従前の有事(クライシス)対応のフローとは異なるフローで対応することを事前に検討しておくことが必要と思われる。


  1. この場合、「罪を犯した者が捜査機関に発覚する前に自首したときは、その刑を減軽することができる。」(刑法42条1項)の自首に該当し、自己の犯罪について、任意的な刑の減軽事由が生じる可能性が高いと思われる。 ↩︎

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