『独禁法務の実践知』誕生までの軌跡 長澤 哲也弁護士と有斐閣 龜井氏、石山氏が見所を語る
競争法・独占禁止法
明治10年創業、伝統と共に新しい時代の要請に応える出版活動を続ける、株式会社有斐閣から「LAWYERS' KNOWLEDGEシリーズ」が刊行されました。第一線で活躍する弁護士が、法令・判例の解説にとどまらない「実務を支える技=実践知」を活字化した、これまでにないシリーズです。
今回は今年6月に同シリーズの4冊目として発刊された『独禁法務の実践知』の著者である大江橋法律事務所 長澤 哲也 弁護士と編集を担当した株式会社有斐閣 龜井 聡氏、石山 絵理氏に、同書発刊の背景や見所について伺いました。
議論を経たからこそ生まれた「実践知」満載の実務書
まずは、「LAWYERS' KNOWLEDGE」シリーズ全体のコンセプトについて教えてください。
龜井氏:
実務経験5年目までのOJTの機会に恵まれない若手弁護士を対象読者層の中心に据えつつ、より長いキャリアを有する弁護士の方々にも実務で活用いただける内容を目指しました。
若手弁護士が実務のノウハウを身につけるには、書籍のみに頼らずOJTを通じて経験することが理想だと思いますが、そうした機会に恵まれているのは、大手法律事務所に在籍している方などに限られているようです。また、OJTの機会が保障されている方でも、多忙な先輩弁護士に相談することは憚られるという話や、キャリアを有する弁護士の方でも専門外の事件を受けざるを得ない状況を前に苦悩しているといった話を伺うこともあります。
こうした弁護士の方々に向けて、ビジネスの流れ・スケジュール感を体系の核に据え、勝つために今何をすべきか、といったこととともに、実務家に求められるサービスの意識やコスト感覚といった著者ならではの「暗黙知」を活字化し、文中に盛り込むことをシリーズ共通のコンセプトとしました。
『独禁法務の実践知』の執筆期間はどれくらいだったのでしょうか。
長澤弁護士:
執筆開始は2018年3月頃でしたが、その1年ほど前からシリーズ全体の著者で集まり、複数回の企画会議を重ねました。また、原稿を書き進める過程で、疑問点をそれぞれの著者が持ち寄って、互いに違う観点から意見を述べる機会もありました。5〜6回は集まったかな。これはとてもエキサイティングでしたね。
龜井氏:
最初は先生方も初対面でぎこちなかったのですが、どのように実務に向き合っているかといったことをテーマに、気が付けば熱い議論が展開されていました。初会合を終えたとき「著者会合を重ねていったらすごく良いシリーズになる」という確信を得ました。
執筆されていて苦労された点はありますか。
長澤弁護士:
全体の構成が固まるまでは、あれこれ試行錯誤しました。他の分野のように活字化されていないプラクティスといったようなものを中心に据えるのは難しく、独禁法分野で「実践知」と呼べるものは何なのだろうかと、かなり苦悩しました。著者が集まった会議で皆さんの反応が非常に参考になりましたね。「独禁法を知らない自分にもこれはわかりやすいよ!」とおっしゃっていただいて、自信が持てました。
特に会議のなかでエキサイティングに感じた点について伺えますか。
長澤弁護士:
異なる分野からの気づきが多くありました。たとえば、学説への言及をどの程度行うかについて悩んでいたのですが、他の分野の著者から「実務書なので判例がすべてではないですか」との指摘をいただき、ハッとしました。独禁法分野では判例は数えるほどしかなく、学界での議論が重要であることは間違いありません。しかし、本シリーズの読者の立場で考えてみると、知りたいのは、公正取引委員会の見解をはじめとする現にある実務上のルールと、そこから帰納的に導かれる、僕らが思考の前提としている暗黙知だと思います。それを提供するのが本書の役目である、そのことを著者会合で再認識させていただきました。
龜井氏:
先生方の思いもあるので、激しい議論になる場面もありましたね。
長澤弁護士:
面白かったですね。筆者の熱い思いと、読者目線に立った時に知りたいのは何かという思いもある。そのディスカッションのなかで、次々とアイデアが生まれ、斬新な切り口の本になりました。議論で揉んだからこそ、この形になったと思います。まさに紆余曲折でした。
独禁法違反に「ならない」という実務の判断を活字化
本書のコンセプトを拝見したときに、とても意欲的な試みと感じました。長澤先生は企画のお話があったときに、どのような感想を持ちましたか?
長澤弁護士:
正直、2つの意味で緊張しましたね。1つは、独禁法分野の全体を1人で書くのは荷が重いこと。もう1つは、その出版社が有斐閣であること。お声がけをいただいたのは嬉しかったのですが、有斐閣から書籍を発刊することに対するプレッシャーは大きかったです。
ただ、いつかは独禁法分野全般を1人でカバーした書籍を執筆し、自分の理解を整理したいという気持ちを持っていたので、非常に良いチャンスをいただいたと思い、チャレンジすることにしました。
そのような緊張があったのですね。拝読したところ、独禁法関連の類書にはない特徴にあふれていました。
長澤弁護士:
独禁法の書籍は大きく分けて、学者の先生方が書かれている基本書と、公正取引委員会の職員が執筆した実務書の2つがあります。これらの書籍と差別化し、弁護士が書く意義を最も意識しました。
従来の書籍の多くは、公正取引委員会のガイドラインや独禁法に関する判決、審決の内容を踏まえ、どのような行為が独禁法違反と「なる」かを中心に論じています。いわば公正取引委員会の目線で書かれているのですね。
他方、独禁法の適用を受ける事業者の目線からすれば、どうすれば独禁法違反とならずにビジネスを進めていくことができるかが重要です。独禁法違反と「ならない」場合が「なる」場合の裏返しであるならばよいのですが、実務上はそうではありません。違反要件に該当するようにみえても、正当化事由が認められて独禁法違反とはならない領域があるはずなのですが、公正取引委員会が摘発する事案では正当化事由が認められることはほぼありません。そのため、独禁法違反と「なる」かを中心に解説した書籍では、こうした独禁法違反と「ならない」場面についてはほとんど触れられていません。
そこで、本書では、独禁法違反と「ならない」と判断する過程において実務上履践されている暗黙知を、日々の依頼者からの相談を思い起こして1つひとつ膨らませて活字化していきました。おそらく、独禁法を専門とされている弁護士の方々は皆、そのような暗黙知を持っていると思いますが、活字化することはあまり行われていませんでした。
暗黙知を明らかにしていくことの他に意識された点はありますか。
長澤弁護士:
世界的に成功しているある外国企業の依頼を受けた際に、カルチャーショックを受けたことがありました。その外国企業は、ビジネスプランニングのかなり早い段階から法務が深く関わり、独禁法上踏み込めるぎりぎりの範囲を見極めて戦略を立案し事業を進めていました。外国企業は自らの経営戦略の選択肢を拡げるために独禁法を活用しているのです。
かたや、日本企業を見ていると、逆のスタンスではないかと感じることがあります。ビジネスプランニング段階で法務が入ったとしても独禁法上問題となるリスクをできるだけ抱えないように、控えめな対応をすることが見受けられます。お上である公正取引委員会に睨まれないようにするという日本企業のマインドもあるでしょうが、独禁法違反と「なる」場合と「ならない」場合の境界が不明確であることが、保守的な行動に繋がっているように思います。
穏やかな時代であればそれでもよかったのでしょうが、これだけ国際競争が激しい時代ではそれでは外国企業に負けてしまいます。日本企業も、外国企業と対等に戦うための武器として、独禁法を戦略的に使いこなせるようにならなければならない。それが今回の執筆時に抱えていた、もう1つの問題意識でした。
その問題意識を解決する手段として、「独禁法上問題となる」「問題とならない」と本書のなかで言い切られていたのが非常に印象的でした。石山様は原稿を受け取られた時にどう思われましたか?
石山氏:
初めから完成度の高い原稿をいただいたので、私から大きな方針転換を伴う修正のご提案をすることはありませんでした。このシリーズの対象読者である若手弁護士と近い世代であることを生かせないかと思い、最初の読者として、これから実務の世界に入る人の視点で読むことを心がけました。読んでいて疑問に思った点や難しいと思った箇所をお伝えした際も、先生はお尋ねした内容から一歩進んで、より深い解説を書籍内でしてくださいました。
長澤弁護士:
実際に前線に立って独禁法上の相談を受け、悩みながら回答しているのは、中堅の企業法務担当者や弁護士が多いと思います。そうした方々にとって指針となるような本にしたいという気持ちがあったので、内容がどうしても難しくなりがちでした。だからこそ、「これは若手にとってわかりにくいですよ、理解しづらいですよ」と石山さんから指摘を受けたおかげで、若手、中堅どちらの悩みもカバーできるものになりました。
企業内研修や学生の教育にも – 書籍活用のポイント
書籍の活用法や読んでほしいポイントについて教えてください。
長澤弁護士:
書籍は全部で10章から成っています。まずは、独禁法務に関する実務の全体像をまとめた第1章に目を通していただきたいです。第2章から第9章は各論になっているので、それぞれの分野で問題が生じたときに該当する箇所を参照する、辞書的な活用がおすすめです。最後の第10章は、公正取引委員会の調査にどう対応するかという具体的な手続きについてまとめています。
また、各論の章立てにも工夫をしました。独禁法で定められている違反類型別に解説がなされても、実際にビジネス上の問題に直面したときにどこを読めばよいのかわかりにくいですよね。不幸なことに、独禁法の体系自体がわかりにくく、まともに解説しようと思うとそのわかりにくさを引きずってしまいます。本書では、自分が今抱えている問題の該当箇所にすぐたどり着けるよう、企業がやろうとしていること、活動の目的、ねらいは何か、といった切り口で体系化しています。わかりにくい条文の体系をいったん全部溶かして、企業戦略を立案するという視点から組み立て直したイメージですね。
私自身、自社の業態であればどのような行為が問題になる可能性があるか、確認しながら拝読することができました。書籍発刊後、読者の方からはどのような声が寄せられていますか?
長澤弁護士:
企業の方からは「独禁法に触れないための考え方への需要はすごく大きい」「ずっとこういうことを知りたかった」などの感想をいただいています。あとは、「ここまで文字にして大丈夫ですか?」とか「弁護士として勇気がいりませんでしたか?」といった同情もありましたね(笑)。
意外な反応としては、学者の先生方からのコメントです。内心は抵抗感をお持ちかもしれませんが「これまでにない斬新な見方で勉強になった」と仰ってくださる方がいらっしゃって、嬉しく思いました。
本書では、裁判例や公正取引委員会のガイドラインなどの一次資料からその根底に流れる考え方を導き出して体系構築することを常に心がけていました。そうした思いが伝わったのか「自説を展開して無闇に読者を混乱させないという意味において、控えめで好感を持った」との感想もいただきました。学生の演習に使えそうという声もいただきましたね。
石山氏:
企業の社内勉強会で早速本書を使っていただいているケースもあります。弁護士の方や法務担当の方に限らず、企業全体で競争政策や独禁法への理解を深め、事業に活かしていく動きが今後広がっていくと予想しています。先生の問題意識で触れられていた独禁法を戦略的に使いこなして国際競争を制していくことにもつながりそうです。
長澤弁護士:
勉強会に呼んでいただけることもあり、私も勉強になっています。
独禁法のマーケット拡大に向けて
近年、独禁法分野での規制や公正取引委員会の在り方も変わりつつあります。
長澤弁護士:
2018年12月から公正取引委員会の確約手続制度が導入され、すでに数件の実例が出ています。これは、今後大きな影響を及ぼしてくるでしょう。
確約手続は、いわば違反被疑行為を最終的に白黒つけずに終わらせる手続です。企業にとって事件の解決方法の選択肢が増えることは好ましいのですが、白黒つけた判断を示される機会が減ると、独禁法の境界線を少しでもクリアにしていくという観点からはマイナスです。
今後、事案に即した公正取引委員会の判断を示す機会をどのように増やしていただくかが1つの課題です。公正取引委員会の運用において、法的措置を講じずに事件審査を終了することに関するプレスリリースが出されることもありますが、その際になぜ法的措置を講じなかったのかについてもう少し事実を詳細に記載したり、相談事例集をより一層充実させていったりするなど、企業にとっての活動・行動の指針を継続的に増やしていただきたいですね。
そのような変化が起きていくなか、実務へ取り組む若手・中堅弁護士や法務担当者の方々へのメッセージをいただけますでしょうか。
長澤弁護士:
独禁法では、今後もルールが明確ではない状態が続くでしょう。それは独禁法の宿命でもあります。講演でもよく申し上げるのですが、独禁法はスポーツのルールに似ています。ルールを破っては駄目ですが、そればかりを意識していたら試合に集中できません。どんなスポーツでもルールを調べながら試合をしているようなチームが勝てるはずないですよね?プレイに集中するためには、ルールを体で覚えなければなりません。
これと同じように、企業が健全で積極果敢な活動を行うにはのびのびとプレイできる環境が大事です。企業法務の担当者には、平時から前線に立つプレイヤーとのコミュニケーションを密にし、日々の活動に関するアドバイスやフィードバックを通じて、ルールを体に染みこませ、萎縮しないプレイができる環境をつくっていく役割があると思います。外部の弁護士も、自分のアドバイスがその企業の行動基準になっていくことを常に意識し、その企業のことをよく理解して相談に応じないといけないと思っています。
独禁法に関連する法務として、ビジネスにブレーキをかけるような、ある種のレフェリー的な役割も必要ですが、ビジネスをサポートするコーチとしての役割も意識していただきたいですね。本書がそのお役に立てば良いなと思っています。
最後に、書籍の購読者、これから手に取る方々へのメッセージを一言ずつお願いします。
龜井氏:
「LAWYERS' KNOWLEDGE」シリーズの一番の売りは「暗黙知の活字化」です。暗黙知は弁護士の先生方にとって財産であり、企画段階では我々の意図する原稿を本当に執筆いただけるのか、という大きな不安がありました。しかし実際に先生方にお会いして企画意図とともに不安をお伝えすると、「自分の活動を若い世代に繋げたい」「積極的に活用してほしい」というお答えばかりで、正直、とても驚きました。
本シリーズは、ご執筆の先生にしか開けられない経験則の引き出しに保管されていたノウハウを惜しみなく披瀝いただいた、今までにない書籍群です。ぜひ、読者の皆様にもご自身の活動に生かしていただければと思います。
石山氏:
先生の執筆の様子を側で拝見したからこそ言えますが、自信を持っておすすめできる書籍です。今から実務の世界に入る方は、本書で言語化された暗黙知を自分のものとしていただくことで、スムーズに独禁法務の世界に入っていただけるものと思います。ご経験の長い方はご自身の経験知を独禁法全体のなかで整理し、体系化していただけるのではないかと思います。
弊社ウェブサイトで「立ち読み」として本書の一部を公開していますので、是非ご覧ください。
長澤弁護士:
「そんなノウハウを出してどうするの?」と同業者から言われることがありますが、ノウハウが広まることで独禁法務全体のレベルが上がり、マーケットが拡大して、将来の自分の糧になると思っています。独禁法のマーケットは、他の分野と比べるとまだほとんど認知すらされていないレベルです。弁護士も含めて独禁法の担い手がもっと増えていかなければ、需要は広がりません。同業者にも本書をどんどん活用していただいて、切磋琢磨していきたいですね。
本日はありがとうございました。
長澤 哲也 弁護士(ながさわ・てつや)
弁護士法人大江橋法律事務所 社員・パートナー
1996年 弁護士登録、大江橋法律事務所入所
2005年~2016年 京都大学法科大学院非常勤講師(2013年~2016年 客員教授)
2016年~ 神戸大学大学院法学研究科(トップローヤーズプログラム)非常勤講師・客員教授
龜井 聡(かめい・さとし)
株式会社有斐閣 法律編集局 雑誌編集部部長
石山 絵理(いしやま・えり)
株式会社有斐閣 法律編集局 注釈書編集部
(写真:弘田 充、取材・編集:BUSINESS LAWYERS 編集部)

- 参考文献
- 独禁法務の実践知〔LAWYERS' KNOWLEDGE〕
- 著者:長澤 哲也(大江橋法律事務所 弁護士)
- 定価:本体3,800円+税
- 出版社:有斐閣
- 発売年月:2020年6月
編注:
長澤 哲也弁護士はnote上に、本書刊行後に出た新たなケースを題材として、書籍で示した思考過程を実践的に示されています。
リンク先:https://note.com/tetsuyanagasawa