民法改正直前 人事労務分野における実務対応のポイント - 「消滅時効」の改正対応を中心に(後編)

人事労務
小笠原 耕司弁護士 小笠原六川国際総合法律事務所 井垣 龍太弁護士 小笠原六川国際総合法律事務所 石原 亜弥弁護士 小笠原六川国際総合法律事務所 倉松 忠興弁護士 小笠原六川国際総合法律事務所

目次

  1. 賃金請求権と労働基準法115条の関係、およびその議論状況
    1. 賃金請求権と労働基準法115条の関係について
    2. 賃金請求権の消滅時効の在り方についての議論
  2. 企業としての対応
  3. さいごに

 2020年4月に迫った民法改正に向けて、企業の人事労務分野ではどのような対応が求められるのでしょうか。前編に引き続き、小笠原六川国際総合法律事務所の小笠原 耕司弁護士、井垣 龍太弁護士、石原 亜弥弁護士、倉松 忠興弁護士がが、消滅時効の改正等への対応を中心に解説します。

賃金請求権と労働基準法115条の関係、およびその議論状況

賃金請求権と労働基準法115条の関係について

  前編では、民法改正による人事労務分野の影響や、改正民法による新しい時効制度の適用対象を見てきました。本稿では、賃金請求権の消滅時効に絞って検討していきます。
 前編で説明した通り、旧民法においては、賃金等請求権の消滅時効について以下のように規定されていました。

民法167条
  1. 債権は、10年間行使しないときは、消滅する。
  2. 債権または所有権以外の財産権は、20年間行使しないときは、消滅する。

民法174条
 次に掲げる債権は、1年間行使しないときは消滅する。
  1. 月またはこれより短い時期によって定めた使用人の給料にかかる債権
  2. 自己の労力の提供または演芸を業とする者の報酬またはその供給した物の代価にかかる債権

 このように、旧民法下においては、民法174条による特則があることから、賃金等請求権は1年の時効により消滅する規定になっています。
 もっともこの民法の規定には、さらに労働基準法上の特則があり、以下の通り規定されています。

労働基準法115条
 この法律の規定による賃金(退職手当を除く。)災害補償その他の請求権は2年間、この法律の規定による退職手当の請求権は5年間行わない場合においては、時効によって消滅する。

 この2年間の消滅時効期間を制定した経緯・趣旨については、昭和22年の労働基準法制定当時、以下の通り整理されています。

  • 賃金の請求権については従来特別の規定がなく多くの場合民法第174条の規定により一年の短期時効で消滅することになっていたが、労基法では適用労働者も広くなりかつ賃金台帳の備え付け等によって賃金再面も明確にされることになっているので、労働者の権利保護と取引上の一般公益を調整するため消滅時効を2年とした。(寺本廣作「労働基準法解説」(信山社、1998)386頁)

  • 労働者にとっての重要な請求権の消滅時効が1年ではその保護に欠ける点があり、さりとて10年(注;民法の一般債権の消滅時効)ということになると、使用者には酷にすぎ取引安全に及ぼす影響もすくなくないことを踏まえ、当時の工場法の災害扶助の請求権の消滅時効にならい2年とした。(厚生労働省労働基準局編「平成22年度版労働基準法 下巻」(労務行政、2011) 1037頁)

 以上の通り、労働基準法115条の規定は労働者保護に重きを置く一方で、取引の安全等、使用者に対しても一定の配慮をしていることがうかがえます
 特別法は一般法に優越するとの原則があるため、労働関係における賃金等請求権の消滅時効については、民法に規定する消滅時効関連規定の特則として設けられた労働基準法第115条の規定が適用され、この規定に基づき現在まで労務関係や裁判実務等が行われてきました。
 つまり、使用者側からすれば労働者に対して賃金や残業代の未払があり、請求を受けた場合、最長でも2年間遡って支払うこととなっていました。

 しかし、前編で説明したとおり、民法改正によって、短期消滅時効が削除され、消滅時効は主観的起算点から5年、客観的起算点から10年と統一されました。このことにより、労働者保護を主たる目的とする労働基準法115条が民法の消滅時効より短くなるという逆転現象が生じることとなります。
 そのため、この逆転現象にいかに対処するかについて、平成29年12月26日に、厚生労働省に「賃金等請求の消滅時効の在り方に関する検討会(以下「本検討会」という)」が設置され、労使団体や労務実務に精通した弁護士、賃金の時効に関する外国法制の研究者等により検討が行われてきました。

 2020年2月現在、改正民法と労働基準法115条の規定の調整をいかにするかについては、本検討会による議論が続いており、いまだ結論が出ていない以上、改正民法が施行される4月までに労働基準法115条が改正される見込みはきわめて薄いと考えられるため、改正民法施行後も賃金請求権の消滅時効は現行制度と変わることなく、当面は存続するものと考えられます。

賃金請求権の消滅時効の在り方についての議論

 このように、逆転現象が生じた労働基準法115条を今後維持するか、期間を伸長するか、伸長するとして何年と規定するかを議論する前提として、本検討会において以下の意見がなされています 1

  • 民法よりも短い消滅時効期間を、労働者保護を旨とする労基法に設定するのはやはり問題がある。
  • 民法改正は今回の検討の契機であるが、あくまで民法と労基法は別個のものとして位置づけた上で労基法上の消滅時効関連規定について民法とは異ならせることの合理性を議論していけばよく、仮に特別の事情に鑑みて労基法の賃金等請求権の消滅時効期間を民法よりも短くすることに合理性があるのであれば、短くすることもありえるのではないか。

 以上のように、労働基準法における労働者保護の趣旨から、現行規定による賃金等請求権の消滅時効期間を伸長するべきとの意見がある一方で、労働関係における賃金等請求権については、労働基準法115条の規定による実務が積み重ねられていることから、労働基準法115条の規定を現行のまま維持するという意見もなされています。

 現在、同検討会においては、以上の議論を踏まえたうえで、民法改正に伴い労働基準法115条の規定をいかに調整するかについて、主に以下の3点が議論されています。

(1)賃金請求権の消滅時効の起算点について
(2)賃金請求権の消滅時効期間について
(3)賃金請求権以外の消滅時効について

 以下、これらの現在の議論状況について概説します。

(1)賃金請求権の消滅時効の起算点について

 改正民法においては、従来の客観的起算点に加えて主観的起算点が設けられています。

改正民法166条1項
債権は、次に掲げる場合には、時効によって消滅する。
  1. 債権者が権利を行使することができることを知った時から5年間行使しないとき。
  2. 権利を行使することができる時から10年間行使しないとき。

 以上の改正を踏まえて、労働基準法を改正する場合、新たに主観的起算点を設けるかについて検討がなされています。もっとも、賃金請求権については、主観的起算点と客観的起算点が基本的には一致すると考えられています。たとえば、賃金請求権の客観的起算点については、基本的には各賃金支払日となりますが、この賃金支払日は、労働基準法15条および労働基準法施行規則5条により、使用者が労働者に明示しなければならない事項として定められており、労働条件通知書、労働契約や就業規則等に記載されているのが一般的であり、労働者としても各賃金支払日を知っていると考えられているからです。

 この点については、仮に新たに主観的起算点を設けることとした場合、その期間をどのように設定するかにもよりますが、場合によっては労働者が裁判等において、客観的起算点を用いた場合より多くの未払金を請求することが可能となり労働者の保護に資するという可能性があります
 実際本検討会においては、以下のような意見がなされました 2

今般の民法改正は消滅時効期間の見直しのみではなく新たな起算点の導入も含めて消滅時効の規定全体の見直しを行ったものであるが、労基法においても、消滅時効期間がどの程度の期間確保されていれば権利行使の機会が保証されていると言えるのかは、起算点をどのように置くかによって違ってくるのではないか

 その一方で、以下のような意見もなされています 3

主観的起算点による消滅時効期間は今回の改正民法により新たに設けられたものであり、その解釈については今後の裁判例の蓄積に委ねられていることを踏まえると、どのような場合が「知ったとき」に当たるのかが専門家でないと分からず、企業の労務管理に混乱を来すだけでなく、労働者から見てもわかりにくいことから、新たな紛争が生じるおそれがあるという課題がある

 本論点に関しては、各意見・課題を踏まえ、消滅時効期間の見直しと合わせて労働政策審議会で速やかに議論すべきであるとされています。

(2)賃金請求権の消滅時効期間について

 賃金請求権の消滅時効期間をいかに定めるかについては、その前提として、以下のような事情があります 4

  • 労働審判や労働関係訴訟において賃金等の請求に関する事案の割合は、いずれも全体の半数以上を占めており、また、労働基準監督官による未払賃金関連の是正状況も高止まりしている状況である。

  • 適切な紛争解決機関を探しているうちに未払賃金債権の一部が時効を迎えてしまうといった実態が、労働組合が未組織の事業所における労働者を中心に見られる。

  • 賃金等請求権の消滅時効期間が見直された場合、一定のシステム改修等の負担が発生するとともに、関係書類の保存期間も延長されることになれば、デジタルデータ、紙媒体の如何を問わず、保管コストの負担は相当なものになる。特に経営基盤の弱い小規模事業者にとっては過大な負担となる可能性がある。

 賃金請求権の消滅時効の在り方を検討するにあたっては、賃金請求権の性質について留意する必要があります。

 まず、賃金請求権は、国民生活にとってきわめて重要な債権であり、労働基準法において賃金全額払いの原則(労働基準法24条)等の各種債権にかかる労働者保護の規制が設けられていることに鑑みても保護の必要性が高く、またそれゆえに賃金請求権の消滅時効についても民法とは別の規定が労働基準法に設けられたといえます。
 一方で、賃金請求権は業種を問わず労働者を雇用するすべての企業に共通して関係する債権であり、また労働契約という継続的な契約関係に基づき、大量かつ日々定期的に、労働者によっては長期にわたって発生する債権であるという特徴を有します。そのため、労働者、使用者それぞれ異なる意味において他の民事上の債権と比べて特殊性の高い債権であると考えられているのです。

 以上の基本的な視点は本検討会においても言及されており、それを踏まえて、以下のようにまとめられています 5

  • 労基法115条の消滅時効期間については、労基法制定時に、民法の短期消滅時効の1年では労働者保護に欠けること等を踏まえて2年とした経緯があるが、今回の民法改正により短期消滅時効が廃止されたことで、改めて労基法上の賃金請求権の消滅時効期間を2年とする合理性を検証する必要があること

  • 現行の2年間の消滅時効期間の下では、未払賃金を請求したくてもできないまま2年間の消滅時効が経過して債権が消滅してしまっている事例などの現実の問題等もあると考えられること

  • 仮に消滅時効期間が延長されれば、労務管理等の企業実務も変わらざるを得ず、紛争の抑制に資するため、指揮命令や労働時間管理の方法について望ましい企業行動を促す可能性があることなどを踏まえると、現行の労基法上の賃金請求権の消滅時効を将来にわたり2年のまま維持する合理性は乏しく、労働者の権利を拡充する方向で一定の見直しが必要ではないかと考えられる

 この検討会のなかでは、改正民法の契約上の債権と同様に、賃金請求権の消滅時効期間を5年にしてはどうかとの意見も見られたようですが、労使間の意見に隔たりが大きいことや、消滅時効規定が労使関係における早期の法的安定性の役割を果たしていること、大量かつ定期的に発生するといった賃金債権の特殊性に加え、労働時間管理の実態やその在り方、仮に消滅時効期間を見直す場合の企業における影響やコストについても留意し、具体的な消滅時効期間については速やかに労働政策審議会で検討し、労使の議論を踏まえて一定の結論を出すべきとの結論にとどまっています

(3)賃金請求権以外の請求権の消滅時効について

 現行の労働基準法115条の対象となる請求権は以下の通りです。

請求権 根拠条文(労働基準法)
賃金等(退職手当を除く)の請求権 金品の返還(賃金の請求に限る) 23条
賃金の支払 24条
非常時払 25条
休業手当 26条
出来高払制の保障給 27条
時間外・休日労働に対する割増賃金 37条1項
有給休暇期間中の賃金 39条9項
未成年者の賃金請求権 59条
災害補償の請求権 療養補償 75条
休業損害 76条
障害補償 77条
遺族補償 79条
葬祭料 80条
分割補償 82条
その他の請求権 帰郷旅費 15条3項、64条
退職時の証明 22条
金品の返還 23条(賃金の請求を除く)
年次有給休暇請求権 39条
退職手当の請求権 賃金の支払い 24条

 賃金請求権以外の請求権についても、基本的には賃金請求権の消滅時効の結論に合わせて措置を講ずることが適当と考えられています。
 もっとも、年次有給休暇と災害補償については、以下のような論点に特に留意が必要とされています。

① 年次有給休暇請求権

 年次有給休暇に関しては、そもそも権利が発生した年の中で取得することが想定されている仕組みであり、未取得分の翌年への繰越しは制度趣旨に鑑みると例外的なものです。また年次有給休暇請求権の消滅時効期間を現行よりも長くした場合、時効期間内に取得すればよいとの考えから、年次有給休暇の取得率の向上という政策に逆行するおそれがあります。
 したがって、本検討会においても、年次有給休暇の請求権については賃金請求権と同様の扱いをする必要がないとの考え方で概ね意見の一致がみられています。

② 災害補償請求権

 仮に労働基準法の災害補償請求権の消滅時効期間を見直す場合、使用者の災害補償責任を免れるための労働者災害補償保険制度(以下「労災保険制度」といいます)の短期給付の請求権の消滅時効期間の取扱いをどのように考えるか、また、他の労働保険・社会保険の給付との関係、併給調整をどう考えるかといった課題もあります。
 この点に関しては、仮に労働基準法の災害補償請求権の消滅時効期間を見直した場合に、労災保険制度の短期給付の請求権の消滅時効期間についても併せて見直しを行わないと、労災保険制度の短期給付が2年で時効となったとき以降は、直接使用者に労働基準法上の責任が生ずることとなり、企業実務に混乱を招くおそれがあることに留意する必要があるとされています。

企業としての対応

 賃金請求権の消滅時効が伸長される改正を受けて、今後、労働者側から企業に対する残業代請求などが急増する可能性があります。勤怠管理が不十分な企業においては、今すぐに客観的で適切な勤怠管理方法を確立することが望まれます。残業の申請・許可制の導入や意識改革等、企業ごとに実現可能性に応じた施策を検討していただきたいと思います。また、これまでの未払残業代については、なるべく清算しておくことが、紛争予防の観点から重要です。

さいごに

 今回は、消滅時効制度の改正を中心に、改正民法のうち人事労務に影響のある項目について解説しました。労使双方が新たなルールを正しく理解しておくことで、雇用契約の継続中はもちろん、社員の退職時のトラブルも相当程度防ぐことができると考えられます。
 また、今般の改正は人事労務分野に限らず、売買や請負などの諸規定にも大きな変更があるため、各種取引に関する契約書の見直しも必須となります。法改正を受け、就業規則その他の社内制度や各種契約書を見直す際には、専門家のノウハウもぜひ活用していただければと思います。


  1. 賃金等請求権の消滅時効の在り方に関する検討会「賃金等請求権の消滅時効の在り方について(論点の整理)」(令和元年7月1日)5頁。 ↩︎

  2. 賃金等請求権の消滅時効の在り方に関する検討会「賃金等請求権の消滅時効の在り方について(論点の整理)」(令和元年7月1日)6頁。 ↩︎

  3. 賃金等請求権の消滅時効の在り方に関する検討会「賃金等請求権の消滅時効の在り方について(論点の整理)」(令和元年7月1日)7頁。 ↩︎

  4. 賃金等請求権の消滅時効の在り方に関する検討会「賃金等請求権の消滅時効の在り方について(論点の整理)」(令和元年7月1日)7頁。 ↩︎

  5. 賃金等請求権の消滅時効の在り方に関する検討会「賃金等請求権の消滅時効の在り方について(論点の整理)」(令和元年7月1日)10頁。 ↩︎

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