英国の欧州連合離脱と競争法の展望 合意なき離脱の可能性と競争法当局対応における留意点
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目次
2018年11月、英国政府は欧州連合(「EU」)との間で、英国の欧州連合離脱(「ブレグジット」)に関する離脱協定(The Withdrawal Agreement)に暫定合意したものの、暫定合意の英国下院議会での再三の否決に続きテレサ・メイ前首相が与党(保守党)党首を辞任するなど、ブレグジットの行く末はますます不透明となっています。
ブレグジットの効力が生じる日(「離脱日」。現在は、2019年10月31日午後11時(GMT))までに、EUと英国が離脱協定に合意できないまま英国がEUを離脱する、いわゆる「合意なき離脱」(ノー・ディール)の可能性が高まっているという見方もある中、本稿では、ブレグジット後(特にノー・ディールの場合)の欧州における競争法の概況およびEUと英国の競争法当局対応の留意点を紹介します(なお、本稿は2019年7月末日現在の英国における情勢を前提としています)。
なお、ブレグジットがノー・ディールに帰結した場合には、今後数か月の間に、本稿で紹介する競争法上の問題のみならず、多くの潜在的な法的問題点および危機管理上の懸念事項(たとえば、規制・貿易関係、データ保護、贈賄防止その他のコンプライアンス上の問題)が顕在化する可能性があることにも、留意が必要です。
これまでのブレグジットの経過
2016年6月23日の国民投票において、英国のEU離脱が多数の支持を集め(離脱支持51.9%、残留支持48.1%)、翌年3月に英国政府はEUに対して正式にEU離脱を通告するとともに、2年間(2019年3月29日まで)の離脱交渉が開始しました 1。離脱交渉は二段階に分けられ 2、2018年11月に英国政府とEUの交渉官レベルとの間で離脱協定が暫定合意されました(離脱協定の正式合意には、英国議会における承認と、EU理事会および欧州議会における承認も必要となります)。
しかしながら、2019年1月15日、英国下院議会は暫定合意を賛成202票、反対432票の大差で否決しました。北アイルランドの国境厳格化回避のための予備策(いわゆる「アイリッシュ・バックストップ」)をはじめとする争点は解決の糸口がつかめず、暫定合意は同年3月にも二度否決されたうえ、野党および議員提案の代替案(Indicative Vote)もすべて否決され、当初の離脱日であった2019年3月29日を目前にしても離脱協定が承認されない事態となりました。
このため、英国政府はEUに対して離脱日の延期を申し入れ、2019年10月31日が新たな離脱日に設定されました。その後、同年5月に欧州議会選挙が行われた一方で、テレサ・メイ首相が保守党党首を辞任する旨を表明しました。そして、2019年7月下旬、保守党はメイ前首相に代わりブレグジットの交渉をリードする新党首としてボリス・ジョンソン氏を選出し、同氏が首相に就任しました。
総論 ブレグジット後のEUおよび英国の競争法上の関係性
離脱日以降の英国の法制について、原則として離脱日におけるEU法が英国法に移管されることとされています(The EU Withdrawal Act 2018)。もっとも、競争法については例外として、ノー・ディールの場合に備えて、英国政府はブレグジット後にスタンド・アローンの競争法法制を確立することを目的として、英国競争法関連法案 3(「Competition SI」)を公表したのに続き、英国競争法当局であるThe UK Competition and Markets Authority(「CMA」)もノー・ディールにおけるブレグジット後のCMAの役割についてのステートメントを公表しています 4。
具体的には、ノー・ディールの場合はCompetition SIに基づき、英国においてEU競争法は離脱日後には原則として適用されず、現状のThe UK Competition Act 1998(「英国競争法」)のみが適用されます 5。ただし、ブレグジット後も英国裁判所およびCMAは、英国競争法の解釈に際して、既存のEU競争法および欧州裁判所の判例には原則として拘束されるとともに、離脱日までに欧州委員会により行われた決定についても考慮する必要があります(一方で、ブレグジット後のEU競争法およびこれにかかる判例等と整合する解釈を行う必要はなくなります)6。
一方、仮に離脱協定が合意された場合でも、ブレグジット後のEU・欧州委員会および英国・CMAとの競争法案件における関係(たとえば、継続中の事案に対する欧州委員会とCMAの権限分掌等)は移行期間(現時点では、離脱日から2020年12月31日まで)中の交渉に委ねられています。
離脱協定が最終合意に至るか否か(また、合意された場合の移行期間における交渉の経過)を見通すのは依然困難ですが、いずれの場合でも、英国がEUを離脱することに伴い、ブレグジット後においては、EU・欧州委員会および英国・CMAによる競争法案件の取扱いにつき、以下のような影響が生じることは指摘できます。
- 欧州委員会に対するEU域内を包括する企業結合届出(“One-stop Shop”)7 をもってCMAへの届出を省略することはできません
- ブレグジット後の欧州委員会によるカルテル事案に対する執行(enforcement)は英国内では効力を有しません
- 欧州委員会とCMAは独立して企業結合およびカルテルその他競争法違反に関する調査を行います
各論 ブレグジット後の競争法当局対応における留意点
離脱協定が合意された場合
離脱協定が離脱日までに合意された場合、2020年12月末までの移行期間においては、現状が維持される(つまり、英国に対するEU法の適用その他現状のEU・欧州委員会および英国・CMAとの競争法案件における関係が継続する)こととされています。
一方、移行期間満了後の関係については、移行期間におけるEUおよび英国との間の交渉を注視し、移行期間満了後の体制を踏まえた対応を適時に検討する必要があります。
ノー・ディールの場合
(1)企業結合規制
EUMRの届出基準を満たしてOne-stop Shopにより欧州委員会に届出がされた取引について、離脱日までに欧州委員会が決定を行った場合、CMAは当該案件について原則として調査を行うことはできなくなります 8。一方で、離脱日までに欧州委員会が決定を行わなかった場合には、英国の届出要件
9 が充足される範囲において、CMAは当該取引に対して欧州委員会と並行して調査をすることが可能となります。
この点、英国は(届出要件を充足する場合であっても)企業結合届出を義務付けない任意届出制度を採用していますが 10 、実務上は、CMAは任意届出が行われなかった取引が英国における競争に与え得る影響等につきモニタリングを行っています。CMAは、かかるモニタリングをブレグジット後も継続する意向を公表するとともに、欧州委員会に対する届出がされていても離脱日までに決定が得られない可能性がある取引については、英国における届出の要否について検討し、早い段階でCMAにコンタクト・事前相談を行うよう推奨しています 11。
したがって、現在進行中または今後検討される取引のうち、英国の市場に影響を与え得るものについては、以下のいずれかの対応をとることが望ましいといえます。
- 離脱日までに欧州委員会からのクリアランスを取得する 12
- 速やかにCMAへの届出要否について検討を行う(特に、一次審査でのクリアランス取得が離脱日に間に合わない場合、または二次審査における長期の審査が見込まれる場合)
(2)カルテルその他競争法違反
企業結合規制と同様に、欧州委員会が調査中の案件について離脱日までに決定を行った場合、CMAは当該案件について原則として調査を行うことはできません 13。一方で、離脱日までに欧州委員会が決定を行わなかった場合には、CMAも欧州委員会と並行して調査を開始することができますが 14、カルテルその他競争法違反行為について、CMAも欧州委員会の調査と並行した独自の調査に意欲を示しています 15。
この点、カルテルその他競争法違反行為の調査について、欧州委員会およびEU加盟国の競争当局(National Competition Authorities(NCA))は案件の適切なアロケーションに関してコミュニケーションを図っているとされており、実務上、欧州委員会とNCAが並行して調査を行うことは例外的と考えられています。もっとも、英国はブレグジットに伴い、このコミュニケーションの基礎となっている欧州競争ネットワーク(ECN)からも原則として離脱するため、ブレグジット後の英国とEUとの調査・執行の協力がどのように保たれるか不透明です。
このため、現在欧州委員会にリニエンシー申請をしている(または今後申請する)案件のうち、欧州委員会が実際に決定を行うのはブレグジット後となるものが少なくないと思われるところ、かかる案件についてブレグジット後にCMAが欧州委員会と並行して調査を開始した場合、欧州委員会へのリニエンシー申請のみによっては英国においてリニエンシーの恩恵を得られない点に留意が必要です 16。
したがって、現時点においても、英国市場に影響を与え得る違反行為については、CMAによる並行調査の可能性を考慮して、欧州委員会のみならず、CMAへのリニエンシー申請についても検討が必要となります。
今後の展望
2018年11月のEUおよび英国政府間での離脱協定の暫定合意後、英国下院議会における審議は混迷した末に首相が交代するなど、離脱交渉の帰着点はいまだきわめて不明確であると言わざるを得まえせん。また、2019年5月の欧州議会選挙後、欧州委員会のメンバーが確定しEU側で離脱交渉を行う体制が整うのは同年9月ともいわれており、再び合意がまとまらずに離脱日を迎える(すなわち、ノー・ディールの)可能性も懸念されています。このため、欧州・英国の市場における競争に影響を与えるないし関係する企業活動については、ノー・ディールの場合も想定した事前の対応(たとえば、検討中のM&Aについて欧州委員会とCMAの双方への届出等)を検討することが肝要と思われます。
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リスボン条約50条。 ↩︎
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ブレグジットに伴って生じる課題(①英国がEU加盟国として負担している債務にかかる清算金、②在英EU市民および在EU英国市民の権利保障・司法管轄に関する問題、③北アイルランド国境の管理厳格化の回避)を交渉する第一段階と、移行期間およびブレグジット後の英国・EUの関係について協議する第二段階。 ↩︎
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The EU Withdrawal Act 2018(Section 8(1))に基づき立案されたThe Draft Competition (Amendment etc.) (EU Exit) Regulations 2019。なお、英国政府は同法案についてのExplanatory Memorandumも公表しています。 ↩︎
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”CMA’s role if there’s no Brexit deal” 参照。また、企業結合規制に関する ”CMA’s role in mergers if there’s no Brexit deal” およびカルテルその他競争法違反調査の取扱いに関する”CMA’s role in antitrust if there’s no Brexit deal” も参照。 ↩︎
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もっとも、英国競争法はEU競争法と実質的には類似していると考えられています。また、ブレグジット後も、EU競争法所定の行為類型に認められる適用除外(Block Exemption)(たとえば、一定の垂直取引、技術関連取引、R&D等)も、一部修正のうえで適用が継続されることとされています。 ↩︎
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Competition SI(Section 22および23)により現在の英国競争法Section 60と入れ替えられるSection 60A参照。 ↩︎
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The EU Merger Regulation(EUMR)に定められる届出基準を満たす企業結合取引は、原則として欧州委員会に届出をする必要がありますが、欧州委員会の審査を経て承認された場合には、EU加盟国の競争法当局に別途届出を行う必要はありません。なお、英国の売上高を欧州における売上高に含めるかについては、現状では、届出と離脱日の前後を基準に決定するとされています。 ↩︎
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欧州委員会の決定が裁判所により事後的に無効とされた場合等を除きます。 ↩︎
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①企業結合により取得される事業の英国内における売上高が7,000万ポンド超、または①企業結合により英国内において、ある製品またはサービスの供給または調達シェアが25%以上となる場合(Share of Supply Test)。詳細はThe Enterprise Act 2002参照。 ↩︎
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なお、現在英国では、一定規模を超える企業結合については届出を義務とすべきとの議論も行われています。 ↩︎
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ただし、欧州委員会へのOne-stop Shopでの届出が利用できるものに限る(これが利用できない場合には、ブレグジットの前後にかかわらずCMAへの届出を検討する必要があります)。なお、欧州委員会からのクリアランス取得には一次審査(フェーズ1)で審査が終了するとしても、原則として届出から25営業日を要することに留意してスケジュールを検討する必要があります。 ↩︎
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欧州委員会の決定が裁判所により事後的に無効とされた場合等を除きます。 ↩︎
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なお、この場合でも欧州委員会による英国内での立入調査(いわゆるDawn Raids)はできなくなります。 ↩︎
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CMAはブレグジット後において増加が見込まれる企業結合審査および競争法違反に対する調査のために人員の拡充等を進めていますが、ノー・ディールの場合には離脱日までに十分なリソースの確保ができない可能性も指摘されています。この点、CMAは、ブレグジット後に調査の開始を検討するに際しては、CMAの最適なリソース配分について定めたCMA Prioritisation Principlesを考慮するとしています(”CMA’s role in antitrust if there’s no Brexit deal”注4参照)。 ↩︎
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カルテル調査における欧州委員会に対するリニエンシーの申請については、EU域内における(企業結合届出のような)One-Stop Shopの効果がないと考えられています。このため、NCAが独自に行う調査に関してリニエンシーの効果を得るためには、欧州委員会のみならず、当該NCAにリニエンシーを行うことが推奨されます。 ↩︎

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