カネカ育休対応問題に見る、マタハラ・パタハラ炎上の理想的対応
人事労務
目次
育児休業から復帰直後の男性社員が関西転勤を命じられ、社員の妻がTwitterで会社の対応を非難するツイートを発信。夫妻に同情する数多くのコメントが次々とネット上に寄せられ、瞬く間に「炎上」に至ったカネカの育休対応問題。炎上を最小限にとどめるために、カネカにできることはなかったのでしょうか。企業の人事労務トラブルに詳しい向井蘭弁護士が解説します。
事案の概要
「夫が育休から復帰後2日で、関西への転勤辞令が出た。引っ越したばかりで子どもは来月入園。何もかもありえない。不当すぎるーー」
この元株式会社カネカ(以下、「会社」)従業員(以下、「夫」)の妻のツイッターでの投稿がきっかけで、インターネットで炎上騒動に発展しました。
事実関係をカネカ・夫妻の発言からまとめると以下の通りとなります。
時系列で見るカネカ育休対応問題
企業に有利な転勤命令についての判例の考え方
前提として、現在の労働法が想定する転勤命令についての判例である東亜ペイント事件(最高裁昭和61年7月14日判決・労判477号6頁)の考え方をご紹介します。
全国的規模の会社の神戸営業所勤務の大学卒営業担当従業員が母親、妻および長女とともに堺市内の母親名義の家屋に居住しているなど、判示の事実関係のみから、同従業員に対する名古屋営業所への転勤命令が権利の濫用に当たるということはできないとした事例です。
判決文は以下のとおりです。
- 業務上の必要性が存在する必要があるが、これは「当該転勤先への異動が余人をもつては容易に替え難いといつた高度の必要性に限定することは相当でなく、労働力の適正配置、業務の能率増進、労働者の能力開発、勤務意欲の高揚、業務運営の円滑化など企業の合理的運営に寄与する点が認められる限りは、業務上の必要性の存在を肯定すべきである。」
- 業務上の必要性が存在すれば「当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもつてなされたものであるとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する場合でない限りは、当該転勤命令は権利の濫用になるものではないというべきである。」
要するに①業務上の必要性は余人を持って代えがたいほどのものは必要とされず、かつ②業務上の必要性があれば特段の事情がない限りは権利の濫用となるものではないのです。この「特段の事情」という言葉は、最高裁判例が好んで使うもので、立証が難しい事実であることが多いです。
この最高裁判例は、企業側の転勤命令の裁量を広く認めたものとなっています。解雇を厳しく制限する代わりに転勤命令等の人事権の裁量を広く取っているためです。この最高裁判例判決は現在まで多くの人事労務実務、労働紛争に影響を与えています。
言うなれば現在は「転勤命令はよほどのことがない限り拒否できない。拒否をした場合はクビになる」と理解されています。
育休明けの遠方への転勤は不利益取扱いに当たるか
妻のツイッターでは「夫が育休から復帰後2日で、関西への転勤辞令が出た。」と述べており、遠方の「関西」への転勤辞令が出ていることを問題視しています。
では、育休明けに転勤命令を出すことは違法なのでしょうか。
まず、雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(男女雇用機会均等法)9条3項や育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律(育児介護休業法)10条等では、妊娠・出産、育児休業等を「理由として」解雇等の不利益取扱いを行うことを禁止しています。
指針(「子の養育又は家族の介護を行い、又は行うこととなる労働者の職業生活と家庭生活との両立が図られるようにするために事業主が講ずべき措置に関する指針」(平成 16 年厚生労働省告示第460号))では以下の通り判断されています。
「配置の変更が不利益な取扱いに該当するか否かについては、配置の変更前後の賃金その他の労働条件、通勤事情、当人の将来に及ぼす影響等諸般の事情について総合的に比較考量の上、判断すべきものであるが、例えば、通常の人事異動のルールからは十分に説明できない職務又は就業の場所の変更を行うことにより、当該労働者に相当程度経済的又は精神的な不利益を生じさせることは、(2)ヌの「不利益な配置の変更を行うこと」に該当すること。」(第2「事業主が講ずべき措置の適切かつ有効な実施を図るための指針となるべき事項」 11(3)ホ)
育休の不利益取扱いの禁止のルールの下では、復帰後の職場については原職または原職相当職に就けることを求めてはいません。「通常の人事異動のルール」から外れていなければ良いため、育休明けは必ずしも元の職場に配置する必要はありません。
本件では、関西勤務は「通常の人事異動のルールからは十分に説明できない」とはいえない就業の場所の変更だったため(2019年6月6日付会社コメント「本件では、育休前に、元社員の勤務状況に照らし異動させることが必要であると判断しておりましたが、本人へ内示する前に育休に入られたために育休明け直後に内示することとなってしまいました。」)、上記通達から言えば、不利益取扱いには当たりません。
なお、産休の場合は、「産前産後休業からの復帰に当たって、原職又は原職相当職に就けないこと。」(「労働者に対する性別を理由とする差別の禁止等に関する規定に定める事項に関し、事業主が適切に対処するための指針」(平成18年厚生労働省告示第614号)第4「婚姻・妊娠・出産等を理由とする不利益取扱いの禁止(法第9条関係)」3(3)ヘ③)を不利益取扱いに当たると判断しています。これは産休期間が育休期間に比べれば短いため、原職復帰が可能であるためであると思います。
育児介護休業法26条に違反するか
では、遠方の「関西」への転勤辞令は何ら適法性に問題はないのでしょうか。実は、育児介護休業法 26 条の規定により、「事業主は、その雇用する労働者の配置の変更で就業の場所の変更を伴うものをしようとする場合において、その就業の場所の変更により就業しつつその子の養育又は家族の介護を行うことが困難となることとなる労働者がいるときは、当該労働者の子の養育又は家族の介護の状況に配慮しなければならない。」とされています。
具体的には、以下の内容について
「配慮することの内容としては、例えば、当該労働者の子の養育又は家族の介護の状況を把握すること、労働者本人の意向をしんしゃくすること、配置の変更で就業の場所の変更を伴うものをした場合の子の養育又は家族の介護の代替手段の有無の確認を行うこと等があること。」(「子の養育又は家族の介護を行い、又は行うこととなる労働者の職業生活と家庭生活との両立が図られるようにするために事業主が講ずべき措置に関する指針」(平成21年厚生労働省告示第509号)第2「事業主が講ずべき措置の適切かつ有効な実施を図るための指針となるべき事項」14)
本件事例では、以下の特徴があげられます。
- 夫婦共働きであったこと
- 子供が保育園に入園したばかりであること
- 妻が近い内に職場復帰する予定であったこと
- 自宅を購入し引っ越したばかりであったこと
- 特段夫妻や子供に病気や介護をするべき事情がなかったこと
では、本件では、上記指針の内容に会社は違反していたのでしょうか。
本件では、まず会社は夫が育児休業終了時、妻が近いうちに職場復帰する予定であったことまで把握していたかは不明で、「子の養育又は家族の介護の状況を把握すること」をしていたかは不明です。
次に会社は、「本件では、育休前に、元社員の勤務状況に照らし異動させることが必要であると判断しておりましたが、本人へ内示する前に育休に入られたために育休明け直後に内示することとなってしまいました」と記載していることからも、事前に夫の希望を聞いて関西への配置転換を決めていません。しんしゃくという日本語は「あれこれ見計らって手加減すること」を意味していることから、会社が内示時に夫から事情は聞いたとしても、関西転勤の結論には変わりなかったため、「本人の意向をしんしゃく」したかは疑問です。もっとも、会社によれば、通常は1~2週間で赴任することが多いところを3週間と猶予を置いたことから、その点から「労働者本人の意向をしんしゃく」したともいえます。
「配置の変更で就業の場所の変更を伴うものをした場合の子の養育又は家族の介護の代替手段の有無の確認を行うこと」についてですが、これも会社が事前にどこまで確認していたかは不明ですが、内示の面談で夫から子供が保育園に入園したことを仮に確認していれば、「代替手段の有無の確認」として最低限の確認は行っていたとも言うことができます。
以上を前提にすると、会社がどこまで事実関係を把握していて関西転勤を発令したかは不明ですが、内示時の面談で夫から事情を聞き赴任時期に配慮をしたのであれば、育児介護休業法26条に違反するとまではいえないと思います。
発令後の赴任期間は法的には新しい論点
以前からあった日本企業に対する不満
本件では育児休業終了直後の遠方への転勤命令も争点になりましたが、十分な準備期間がないままの転勤についても話題になりました。この点は、裁判例では問題にはなってないものの、実社会ではよく問題になっています。
筆者は日本のみならず中国でも日系企業の人事労務に関する相談を受けることが多いのですが、この赴任期間の短さは駐在員や駐在員の配偶者からもよく聞く愚痴です。特に駐在員の配偶者が外国人である場合は、この赴任期間の短さはなおさら信じられないようで、ことさら不満は大きいです。
「けじめなく着任が遅れる」は理由になるか
会社の見解によれば、「着任日を延ばして欲しいとの希望がありましたが、元社員の勤務状況に照らし希望を受け入れるとけじめなく着任が遅れると判断して希望は受け入れませんでした。」とのことでした。
これは他の従業員が同じように対応しているのだから一人だけ例外を認めるわけにはいかないという趣旨なのではないかと思われ、社内向けの理由としては説得的です。
しかし社外向けの理由として、この理由が説得的かは少し疑問が残ります。
本来であれば、「3週間の期間が赴任準備として適切であった」ことを事実にもとづいて説明するべきでしたが、その点の具体的な説明はありませんでした。これは夫妻側も同じで3週間の期間ではどの点で赴任準備に足りず、何週間であれば赴任期間として足りたのか事実関係にもとづいて説明した事実は確認できませんでした。双方若干感情論にもとづいた応酬をするのみでした。
有給休暇の消化について
本件では、有給休暇の消化についても問題となりました。夫は当初退職時期をずらして有給休暇を消化させてほしいと要求しましたが、会社はこれに同意をしなかったと述べ、会社はネットで批判を受けました。
しかし、会社コメントでは「元社員から5月7日に、退職日を5月31日とする退職願が提出され、そのとおり退職されております。当社が退職を強制したり、退職日を指定したという事実は一切ございません。」とあり、夫妻側から反論がありません。
退職届を提出し、会社が退職に同意をすれば、合意退職が成立し、相手当事者の合意なく退職時期を変えることはできません。また、当然のことながら退職後に有給休暇を消化することはできません。
本件では夫妻側に「退職届を出した後も退職時期を変更できる」との誤解があったようで、そのため、会社の対応は法的には問題がありませんでした。
この点は炎上初期段階でかなり会社に批判的な論調が多かったので、会社にとっては不満が残る内容であったと思われます。
マタハラ・パタハラ炎上の理想的対応について
以下に述べるのは理想論であるので、実際に実現するのは難しいと思います。
しかし、労働問題に関する炎上騒動は企業イメージにマイナスの影響を与え、特に採用の面に深刻な影響を与えることがあります(本件での影響は不明です)。
会社は、2019年6月6日にコメントを発表しましたが、できれば夫妻と会社で共同でコメントを出すことも検討しても良かったかもしれません(理想論であることを承知の上です)。
「そんなことは無理に決まっているだろう」と思われる方も多いと思いますが、共同コメントを出すことができた可能性はあったと思います。
私は、日本でも中国でも育休マタハラ等の紛争事案に関与したことがありますが、いずれの事案も夫妻が非常に感情的になります。一方、子供の出産、もしくは育児が眼の前に迫っており、いつまでも後ろ向きの紛争に関わっている余裕はありません。本件の夫妻も育休明けの仕事や転職・独立により新しい生活が待っています。そのため、育休マタハラに関する紛争は解決するスピードが早いのも特徴の1つです。この事例でも、夫妻もできれば会社と和解をして、紛争のマイナスイメージを振り払い新しい生活に臨むことも必要であると判断したかもしれません。
たとえば、会社と夫妻双方で共同コメントを出し
- 今回の件について双方遺憾の意を表すること
- 本件について和解が成立したこと
- 会社として今回の件を踏まえ、社員のワークライフバランスをより一層図っていくこと
大した中身はないかもしれませんが、和解をしたこと、それを外部に発表したということが重要で、このような炎上騒動に区切りをつけることも必要かと思います。
これからの時代は裁判例ではなく、インターネット上の炎上事例への対応が歴史や流れを変える可能性があります。従来の発想にとらわれず柔軟に時代に対応することも必要かと思います。

杜若経営法律事務所