理念の実践が企業にもたらす効果とは何か
コーポレート・M&A
世界有数の長寿企業大国・日本
世界で最も古い企業をご存知だろうか。西暦578年(飛鳥時代)に創業した、社寺建築の株式会社 金剛組(大阪府大阪市)である。金剛組の沿革を見ると、「聖徳太子の命を受けて、百済の国から3人の工匠が招かれ、そのうちの一人が金剛組初代の金剛重光である」と記載されている。この工匠たちは日本仏法最初の官寺である四天王寺の建立に携わったそうだ。現在では、同郷である株式会社高松コンストラクショングループが、倒産しそうになっていた金剛組を潰してはならないと決断し、危機を救ってグループの一員として歴史を紡ぎ続けている。
他にも長い歴史を紡いでいる企業は多く、2019年1月に公表されている帝国データバンクの情報によると、業歴100年以上の「老舗企業」は日本全国に約3万3259社存在するとしている。世界でもこれほど老舗企業が多い国は珍しい。上場企業はその内532社存在しており、1586年創業の松井建設株式会社や、1590年創業の住友金属鉱山株式会社、1602年創業の養命酒製造株式会社などが挙げられる。
長寿企業から学ぶ普遍性と可変性
こうした長寿企業の持続可能な経営から学ぶことは多いが、特に企業の中で受け継がれている家訓や理念の重要性は、私たちに多くの示唆を与えてくれるのではないだろうか。日本は多神教国であったため、国内において宗教で争うことなく日々神仏への感謝の念を軸としながら日本国民の中で信仰心が高まっていったとされている。前述した金剛組は、「儒・仏・神・三教の考えをよく考えよ」として、修行に励め/人を敬い、言葉に気をつけよ/誰とでも丁寧に接しなさい/入札は正直な見積もりを提出せよ/家名を大切に相続せよ、など16ヶ条を家訓としている。こうした考え方は金剛組だけではなく、大切にすべき共存共栄の精神として受け継がれ、「近江商人の三方よし」に代表されるように、ビジネスの目的を単なる金儲けだけではなく社会的な意義があるものとして日本人独特のビジネス観を築き上げてきた。長寿企業はこうした家訓や理念を代々受け継ぎ、次の経営者にしっかりと託すことができたからこそ、今も存続しているのだと言えよう。
しかし、変化の潮流が激しくなる社会の中で、家訓や理念を継承しているだけでは企業は続かない。現に前述した金剛組はあまりの職人気質であるが故に、経営に目が届かず、倒産の危機にまで追い込まれている。今企業には、伝統を守り続けていくような「普遍性」と、新たな時代に即して進化する「可変性」を共存させていく事が求められているのではないだろうか。
企業理念の実践に取り組むことの尊さ
普遍性と可変性を上手く共存させている企業の取り組みとして、オムロンのTOGA(The OMRON Global Awards)が非常に良い例であろう。オムロンは「われわれの働きで われわれの生活を向上し よりよい社会をつくりましょう」を企業理念として掲げている。TOGAは、世界中のオムロングループの社員がそれぞれチームとなり、普段行っている業務において企業理念の実践をどのように形にするのかテーマを考え実行を宣言、結果として如何によりよい社会づくりに結び付いたのかをエリアごとに発表する取り組みだ。宣言し実行された企業理念実践ストーリーの中から、とびきり素晴らしいストーリーとして選ばれたチームが世界中から本社のある京都に集まり、創業記念日にそのストーリーをグローバル大会で発表している。そのエントリー数はTOGAが始まった2012年に2,481件だったのに対し、2018年度は6,957件にまで増加しているというから、どれだけこの活動がオムロンの中で浸潤しているのか分かるだろう。また、それだけではない。創業時の精神を1年に1度全社員が振り返る事で、グローバルに拡大するグループ企業の求心力を保つ取り組みとしても高く評価できるものだ。
本年も創業記念日(Founder‘s Day)である5月10日に開催されたTOGAグローバル大会に、筆者は初めて出席させてもらったがその熱気に圧倒された。そこでは、各エリアから様々なテーマで企業理念の実践についてのプレゼンテーションがあり、それに対して山田社長を始め、多くの役員や社員から感想や意見など熱いコメントが寄せられていた。発表されたストーリーのテーマは様々で、オムロンの技術を用いて社会に良いインパクトを与える事になった事例から、開発部門における働き方改革への挑戦などジャンルは様々であるが、全てのストーリーが熱く前向きな、且つ多くの可能性を感じるものであった。言い方は悪いが、慣例的な取り組みであれば会場でこうも熱気を感じることは無い。その会場に集まった全員がステージに集中し、真剣に耳を傾け、そして企業理念の実践について夢中になっていた。企業理念を大事に思う人々が放つエネルギーはこれほどまでに大きいものなのかと、驚きとともに大きな感動を覚えたことを、一月以上経過した今でもはっきりと思い出す。
社員を取り残さず前に進むために
オムロンが実践しているTOGAは、企業理念の継承であり、イノベーションの創出に繋がる取り組みであるだろう。新たな時代の声に耳を傾け、勝ち残っていくために企業はポートフォリオマネジメントを推進し、時には大きく変わらなければならない時もある。しかし、それが社員にとってプラスになることばかりではないだろう。だからこそ「いつまでも変わらないもの」を共有し、環境が大きく変わっても共に同じ方向に進める道標が重要なのではないだろうか。普遍性と可変性が共存しなければ、持続可能な経営に繋がるイノベーションは創出されない。そして、これから経営の中核を担うことになるミレニアル世代が自分の存在意義を感じる「働きたいと思える企業」であるためにも、オムロンのような企業理念実践の取り組みは重要度を増していくであろう。事実、こうした理念の実践に結び付く取り組みを始める企業は徐々にだが増加している。
昨今ではESGの重要性が広く認知され、多くの機関投資家や企業が財務諸表に表れない価値に注目している。反面、その意識が外部からの評価ばかりに偏る事は避けるべきだ。ESG投資がメインストリーム化する中で、ESG格付などの外部評価ばかりに意識を向け、本来戦略的にじっくりと培うべき自社の見えない資産を、短期的に小手先で飾り付けている場合ではない。即席で作り上げた情報開示ではいずれ真の姿を見透かされるであろうし、機関投資家も実情を見抜く目を淡々と養っている。もちろん、客観的に自社を評価してくれる外部からの評価は意義あるものではあるが、その評価を得るために、取り組むべき事の優先順位を間違えていないだろうか。外部評価に向ける意識と同様に、自社の社員にも意識を向けてほしい。社員が下を向き、ため息ばかりついていないだろうか。自分の仕事の社会的意義を感じて、いきいきと前を向いているだろうか。企業理念は正しく社員に伝わっているだろうか。社員を置き去りにして、無理やり前に進もうとしていないだろうか。
社員に対する情報発信の重要性
企業が発行する会社案内は誰でも知っている冊子だが、数年前は聞いたこともないような冊子が今ではトレンドとなり、ESGとともに一般的になりつつある。それが統合報告書だ。ターゲットを機関投資家として、多くの企業が統合報告書を発行している。
しかし、機関投資家だけをターゲットとするのでは本来統合報告書が持つポジティブな効果が十分発揮できていないことに気が付く企業が少しずつ増えていると感じる。つまり、統合報告書に記載している情報を届けるべき相手は社外だけではなく社内にもいる、ということだ。言い換えれば、自社の企業価値向上のためには社外だけではなく社員にこそ情報を届けるべきであろう。社員が自社のビジネスにおいて可変性を理解し、そして求心力となる普遍性を共有できてこそ、組織にとってポジティブな効果を生む。機関投資家だけではなく、自社の社員にとってもより良い効果が発揮できれば、統合報告書の意義がさらに高まるのではないだろうか。
日本人が誇りに思うべきビジネス観が、数百年以上の歴史を誇る企業を今に残してきた。長寿企業大国である日本がいつまでもそれを誇りに思えるように、いま企業理念の意義について改めて考える契機となるよう、心から願う。

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