クロスボーダーM&A ディールマネジメントのノウハウとエッセンス
第2回 新興国リスク・不正リスクにどう対応するか M&Aは総合格闘技
コーポレート・M&A
シリーズ一覧全3件
日本企業を代理した米国、欧州、アジア各国での海外M&Aについて、多数の経験とノウハウを持つ森 幹晴弁護士が、クロスボーダーM&Aのディールマネジメントについて実践的に解説する本連載。第2回は、不正リスクをはじめとする新興国に特有のリスクへの対応について解説します。
買収後に巨額の不正会計問題が発覚した事例(ドイツ・中国)
事案の概要
L社は、2013年、共同投資家(DBJ)と共同で、ドイツの水栓金具製造大手G社の株式87.5%を投資ファンドから取得し(共同買収)、G社とその上場(中国)子会社であるJ社(フランクフルト証券取引所)を持分法適用関連会社化しました。L社はG社・J社に対する「買収後デューデリジェンス(DD)」を実施した後、2015年、G社の残り12.5%株式を取得し、G社とJ社を連結子会社化しました(取得総額は当時のレートで2,935百万ユーロ(約3,816億円))。その直後、中国の銀行からL社宛てに、J社の子会社の簿外債務の債務不履行通知が届き、財務諸表の改ざん等のJ社の巨額の不正会計が発覚します。調査の結果、J社は実質債務超過であることが判明したため裁判所に破産手続開始の申し立てを行い、2015年、L社はJ社の不正会計問題に関連して約660億円の特別損失を計上しました。
カントリーリスクとDDの調査範囲、深度
本事例は、L社にとって買収先企業の中国子会社(L社から見ると孫会社)、しかも監査法人の監査を経ていた上場子会社で生じた不正会計問題です。直接の買収対象ではなかった中国子会社(孫会社)であったことが盲点となったものと推測されますが、この事例では新興国リスク・不正リスクにどう対応するかという課題に焦点を当てていきます。
欧米案件と異なり、中国、東南アジアや南米等の新興国での買収では、カントリーリスクを踏まえた対応が必要となります。新興国の特にオーナー系の企業では、オーナーによる公私混同やずさんな会計処理が行われたり、意図的に二重帳簿が作成されたりしている悪質なケースもあります。
また、国によっては役人への贈収賄が日常的に行われているかもしれません。そのため、新興国での買収案件や、欧米企業の買収案件で新興国の拠点が買収対象に含まれているケースでは、DDの調査範囲と深度をどう設定するか慎重に検討する必要があります。
ところが実際は、欧米案件と比べて新興国案件は金額規模が小規模であることが多いために十分な予算が割り当てられず、カントリーリスクを踏まえた十分なDDを実施できないケースも珍しくありません。また、そもそも売り手や経営陣に隠ぺいの意図があると、買収前のDDで不正会計や贈収賄等の問題を発見することは困難を極めます。
最近では、アドバイザーがプリンシパル間の接触を最小限度に抑え、ベルトコンベア式に案件打診から契約書のサイン、クロージングまで進んでしまい、プリンシパル間で買収後の経営やコンプライアンス意識について腹を割って話をする機会がないという案件も珍しくありません。
M&Aとは、対象企業の人材を買い、買収後には一緒に会社を経営していくことです。そのため買収前には、会計や法務等のDDを十分に行うことに加えて、対象会社のオーナーやキーとなる経営陣とミーティングや会食等のさまざまな場面で直に交流する機会をできるだけ多く持ち、彼らを信頼できるのか、買収後に一緒に会社を経営していけるのかという人間的な見極めを行うプロセス(生きたDD)を避けてはなりません。
表明保証保険
本事例では、共同投資家との共同買収、二段階買収、「買収後DD」の実施、表明保証保険といった複数のリスクヘッジ策が取られていたことは参考に値します。不正会計のような意図的な隠ぺい行為を買収前に発見することは極めて困難であるため、結果として「ババを引いた」格好とはなりましたが、買収後の損失を確実に限定する効果はありました。
表明保証保険の効果とアジアにおける請求事例
表明保証保険については、買収総額の約10%に相当する300百万ユーロを付保金額とする保険が付保されましたが(保険料は付保金額の約1.5%の448万ユーロ)、実際に保険金が支払われたか否かは明らかではありません。しかし近年、表明保証保険は日本企業による海外M&Aで普及が進んでおり、欧米案件はもちろん、東南アジア等での新興国での買収案件に活用されるケースも増えてきました。今後、新興国リスクの担保のための1つの現実的な解決策となる可能性があります。
AIG損害保険株式会社の資料 1 によると、表明保証保険での保険金請求事例として多い項目は、以下のとおりです。
表明保障保険の保険金請求事例に多い項目
- 財務諸表
- 税務
- 法令順守
- 重要契約 など
特にアジア・太平洋地域における違反事例として最も多いのは、財務諸表となっています。
表明保証保険の留意点
(1)デューデリジェンスの実施
しかしながら、表明保証保険も万能ではなく、いくつかの留意点があります。まず表明保証保険の適用の前提としてDDの実施が求められます。たとえば、買収対象企業の子会社が予算や時間的な制約からDD対象から除外されるケースもありますが、DDの対象外とすると表明保証保険のカバレッジからも除外されるため要注意です。海外M&Aに不慣れな弁護士を起用して安易に海外子会社をDDの対象から除外してしまったため、後に表明保証保険のカバレッジが狭まってしまい困ったという話は珍しくありません。
(2)免責条項(exclusion)
また、表明保証保険には一定の免責条項(exclusion)が存在します。たとえば、DDで指摘された問題点、環境問題、移転価格、刑事上の罰金等(カルテル、FCPA等)は保険の対象外となります。保険会社の免責項目は、買収前のDDで潰しておく必要がありますし、またDDで発見された問題点は、たとえば下記のように別途対処しておく必要があります。
デューデリジェンスで発見された問題への対応方法
- 買収価格から減額
- クロージング前の是正を前提条件とする
- 特別補償 など
特にカルテルやFCPA等のリスクの高い新興国でのDDにおいては、これらの不正・コンプライアンスリスクに対するDDの必要性が高いといえます。、
クロスボーダーM&Aのリスクヘッジ策は、DD、契約交渉、表明保証保険等の組み合わせによる総合格闘技のようなものです。問題に応じて最適な対応策を実行していく必要があるため、海外M&Aのノウハウに精通した専門家の助言を得ることが、案件を成功させるための大きなポイントとなります。
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2019年2月26日、日本機械輸出組合主催「クロスボーダーM&Aのリスクマネジメントセミナー」AIG損害保険株式会社のセミナー資料「M&Aリスクマネジメントの実践−表明保証保険の活用事例や保険金請求から見えてくる世界−」5頁(筆者も同セミナーに登壇) ↩︎
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