トヨタ自動車が特許実施権を無償で提供 ライセンスビジネスに必要な知財戦略とは?

知的財産権・エンタメ
永島 太郎弁護士 弁護士法人内田・鮫島法律事務所

目次

  1. 特許実施権とは
  2. 特許実施権の無償提供とオープン&クローズ戦略
  3. トヨタの事例から考えられる狙いと戦略
  4. 企業がオープン&クローズ戦略を検討するうえでの留意点

トヨタ自動車株式会社(以下「トヨタ」)が、2019年4月3日、自社が保有している車両電動化技術に関する特許実施権(審査継続中を含む)の無償提供と、自社サービスを活用した電動車の製品化についての技術サポート実施を発表した 1
弁護士法人内田・鮫島法律事務所の永島 太郎弁護士によると「今回の事例のような対応は、オープン&クローズ戦略と関連する可能性がある」という。
そもそも特許実施権とはどういったものなのか。オープン&クローズ戦略を含め、今後企業が知財戦略を検討する際の留意点は何か。同弁護士に聞いた。

特許実施権とは

トヨタは「車両電動化関連の技術について、トヨタが保有している特許実施権(審査継続中を含む)を無償で提供する」と発表しています。特許実施権とはどういった権利なのですか。

特許権は、対象となる発明を独占的排他的に使用、収益および処分する権利です。その効力には、①「実施権」という積極的効力と、②「禁止権」という消極的効力があります。①の実施権は、特許発明を自ら実施するのみならず、他者に実施させることのできる権利でもあります。後者の実施を許諾された者(ライセンシー)の権利が許諾による実施権であり、いわゆるライセンスと呼ばれるものです。

特許実施権とは

ライセンスの実施料はどう取り決められるのでしょうか。

特許のライセンスは、通常、有償であり、ライセンシーは、ライセンス料を対価として権利者(ライセンサー)に支払います。ライセンス料は、ライセンサー・ライセンシー間の協議により、たとえば、ランニング・ロイヤルティとして、「製品の売上げの◯%」などという形で定められることになります。なお、ソフトウェアや医薬・バイオ関係の特許はライセンス料率が高めといったように、この料率には、産業分野により料率の高低が分かれる傾向が見られます(概ね、数パーセントから10%の範囲内である例が多いと考えます)。

特許実施権の無償提供とオープン&クローズ戦略

今回のトヨタの事例では、コア技術の特許実施権の無償提供がされるとのことですが、一般的に、このような対応はどんな戦略と関連する可能性がありますか。

知財戦略の1つである「オープン&クローズ戦略」と呼ばれるものである可能性があります。この戦略は、自社の製品・サービスおよび技術情報を「オープン領域」と「クローズ領域」で構成し、オープン領域では製品等の普及(市場拡大)を狙って他社と技術情報を共有し、クローズ領域では利益の獲得を目指して技術情報を独占する戦略です。

特許実施権の無償提供とオープン&クローズ戦略

オープン&クローズ戦略がとられた過去の事例があれば教えてください。

オープン&クローズ戦略の具体例として、インテル株式会社(以下「インテル」)の事例があります。インテルは、パソコン(マザーボード)の設計情報等を受託生産企業に提供しつつ(=オープン)、マザーボード上で使用されるMPU(Micro-Proccessing Unit:マイクロプロセッサ)については技術情報を独占しました(=クローズ)。この結果、パソコンは世界中に普及し、インテルはそのパソコンに使用されるMPUの市場を独占して利益を得ました 2。冒頭で述べたとおり、特許権は独占的排他的な権利であり、他者を排除可能ですが、市場が拡大しなければ高い利益は得られません。オープン&クローズ戦略は、独占と市場拡大を両立させるものです。

インテルの事例

トヨタの事例から考えられる狙いと戦略

もし今回のトヨタの事例がオープン&クローズ戦略を採用したものであった場合、そこにはどのような狙いが隠されている可能性があるのでしょうか。

オープン&クローズ戦略は決してボランティアで行われるわけではなく、その背後には、自社の利益を確保するための仕組みが組み込まれています。
上記インテルの事例や私の過去の経験からしますと、たとえば、今回の事例でも、解放される技術情報がある一方で、クローズ化されている技術情報も存在し、トヨタから無償の実施許諾を受けたライセンシーは、電動車を製造するために、このようなクローズ化された技術情報をトヨタから有償で提供を受けなければならなくなる可能性もあります。擦り合わせ型の典型とされた自動車が、電動車になることにより組み合わせ型に移行するとも言われるなかで、その組み合わせのコア部品をクローズ化することも可能性としてはゼロではないでしょう。今回のトヨタの事例の記者会見 3 では、必ずしもその趣旨は明らかではないものの、自らを「システムサプライヤー」と表現しています。その他、他社には1〜2世代前の技術を提供し、自社の電動車の優位性を維持する可能性も否定できません。

今回の事例がオープン&クローズ戦略を採用したものではなかった場合、どんな意図がある可能性が考えられますか。

保有特許を無償で提供するとの点において、今回の事例がオープン領域の要素を含むことは間違いありません。技術情報をオープンとする代わりに、金銭ではなく、別の対価を求める可能性も考えられます。
実際にも、今回のプレスリリースでは、無償の実施許諾を受けるために、「トヨタにお申し込みをいただき、具体的な実施条件等について協議の上で契約を締結」するとあることから、無条件の実施許諾でないことは明らかです。たとえば、この契約条件のなかに、「トヨタの技術情報を使用した電動車から得られた各種データをトヨタと共有する」などといった条件が組み込まれている可能性もあります。各社が自動運転技術の開発にしのぎを削るなかで、たとえば走行関連データなどは、金銭以上の価値を持つ可能性があります。あるいは、今回の事例による第三者との新規な協業を、オープン・イノベーションの1つの契機と位置付けている可能性もあります。

これまでにも特許の無償開放として、同様の事例はあるのでしょうか。

自社技術を無償、あるいは有償であれ、他社に使用させる戦略は、「オープン化」と呼ばれます。電機やIT(技術情報)の分野では、20年以上も前から当たり前の戦略でした。オープン化の代表例は、ある技術について特許を集積して、その実施希望者に一括してライセンスする「パテントプール」です。このパテントプールが初めて形成されたのは、「MPEG−2」という動画圧縮技術に関するものです。その他には、IBMが中心となって、数十件の環境関連の特許権をオープン化した「エコ・パテントコモンズ」の例などもあります 4

今回トヨタから、特許実施権の無償提供と共に、技術サポートの実施も発表されました。

トヨタは、2015年に、燃料電池関連の特許を無償で実施許諾することを公表しています。この際のプレスリリースには、技術サポートに関する記載はありませんでした 5
特許ライセンスの際には、通常、秘密保持条項を含む契約が締結されるため、技術サポートの実施の有無が明らかになることは稀と考えます。ただ、特許出願では、技術情報のすべてを明らかにはせず、一部をノウハウ化して秘匿するのがセオリーです。つまり、特許発明を公開情報のみで実施することは、実はそれほど簡単なことではありません。クロスライセンスのように、ライセンシーが関連する技術情報を元々保有する場合を除き、特許ライセンスでは、ライセンシーがライセンサーから技術サポートを受けることが通例です。今回の技術サポートも、ノウハウ化部分の補完と考えられます。
なお、今回の技術サポートは有償とされており、その値段によっては、これを事実上のライセンス料と見ることもできます。

中国のNEV規制や米国のZEV規制等、世界的にも環境規制が強化されていますが、今回の事例でもこういった背景が関係しているのでしょうか。

欧州各国、中国およびインドが電動車に関して公表している内容から、決定状況や時間軸に差はあるものの、これらの国の政策方針は、ガソリン車およびディーゼル車の販売を将来的に禁止ないし終了するとの点において共通します。他方、2016年時点で、世界自動車販売台数に占める電動車 6 の割合は、いまだ3%程度です 7。以上の状況からしますと、電動車のシェアの奪い合いは、これから本格化していくと考えられ、今回のトヨタの事例も、このような状況を踏まえた対応であることは、ほぼ間違いないと考えられます。

企業がオープン&クローズ戦略を検討するうえでの留意点

今後、自動車業界に限らず、自社でオープン&クローズ戦略を検討するうえで、気をつけるべき点があれば教えてください。

上述のとおり、今回の事例が典型的なオープン&クローズ戦略を採用したものかどうかは必ずしも明らかではありませんが、一般論としては、オープン&クローズ戦略の検討にあたり、オープン領域とクローズ領域の事前設計が最も重要です。このためには、自社の製品・サービスの事業戦略を柱としつつ、クローズ領域をどのように独占するかという知財戦略の視点が不可欠です。
その他、共同開発の場合などを典型例として、特許は他者と共有されるケースもあります。日本の特許法上、各共有者は、他の共有者の同意を得なければライセンスができません(特許法73条3項 8。今回の事例も、あくまで「トヨタが単独で保有する」特許に限定されています)。上記の事前設計にあたっては、このような視点を意識しておくことも重要です。


  1. トヨタ「トヨタ自動車、ハイブリッド車開発で培ったモーター・PCU・システム制御等車両電動化技術の特許実施権を無償で提供」(2019年4月3日公開、2019年5月10日閲覧) ↩︎

  2. 小川紘一『オープン&クローズ戦略 日本企業再興の条件 増補改訂版』204〜217頁(翔泳社、2015年)、立本博文「『やさしい経済学』オープン&クローズ戦略を考える①〜⑩」(日本経済新聞、2018年7月24日〜8月6日付朝刊) ↩︎

  3. トヨタ「「車両電動化技術の特許無償提供」記者会見」(Youtube、2019年4月3日公開、2019年5月10日閲覧) ↩︎

  4. 鮫島正洋・小林誠『知財戦略のススメ コモディティ化する時代に競争優位を築く』50〜56頁(日経BP、2016年) ↩︎

  5. トヨタ「トヨタ自動車、燃料電池関連の特許実施権を無償で提供」(2015年1月6日公開、2019年5月10日閲覧) ↩︎

  6. ここでは、電気自動車、ハイブリッド車、プラグインハイブリッド車および燃料電池自動車を総称する語として使用しています。 ↩︎

  7. 日本政策投資銀行「『EV化』とは~各国の規制動向を踏まえて~」(2017年12月14日公開、2019年5月10日閲覧) ↩︎

  8. (共有に係る特許権)
    第73条1項および2項(略)
    3項 特許権が共有に係るときは、各共有者は、他の共有者の同意を得なければ、その特許権について専用実施権を設定し、又は他人に通常実施権を許諾することができない。 ↩︎

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