特許部門のコスト、大幅削減の決め手はAI翻訳 ルネサスが歩んだ導入までの道のり

知的財産権・エンタメ

目次

  1. コスト削減へのミッションに挑むために、翻訳ソフト導入を検討
  2. 3段階評価で定量的に複数の翻訳ソフトを比較
  3. 翻訳業務の時間短縮によるメリットとは
  4. 技術の進歩に合わせた制度設計を

国内大手半導体メーカーのルネサスエレクトロニクス(以下、ルネサス)は、2017年に米インターシルを買収し、海外での事業展開を積極的に強化しています。この時、企業の海外進出および事業展開においては、特許をはじめとした知財戦略が重要になってきます。

今回は「AI契約書翻訳サービス」を利用し、特許出願関連業務の作業効率化に取り組んでいる同社 法務統括部 特許部 インダストリアルソリューション課 課長 花田 賢次氏と石田 卓也氏に、同サービス導入時に検討したポイントや導入後の効果についてお話を伺いました。

コスト削減へのミッションに挑むために、翻訳ソフト導入を検討

まずは、ルネサスの法務統括部における業務内容についてお聞かせください。

花田氏
当社の現在の法務統括部は、M&Aや訴訟関連を担当していた旧法務部門と、発明創成から権利化、および特許ライセンスまでを担当していた旧知財部門が1つになった部隊です。そして、私たちが所属する特許部は、旧知財部門に属していた部隊となります。

ルネサスでは、そうした特許部門の業務効率改善にあたり、2018年11月に「AI契約書翻訳サービス」を導入されました。導入にあたってはどのような背景があったのでしょうか。

花田氏
国内企業が諸外国で特許を取得するには、最初に日本の特許庁へ特許出願して優先権を確保した後、優先日から1年以内に諸外国へ特許出願するのが、一般的な方法です。出願人はその1年という時間の中で、日本で出願した日本語の明細書の内容を出願する国の言語に翻訳し、その他必要な出願書類を準備する必要があります。この際問題になるのが、外部の特許事務所や翻訳会社に翻訳作業を依頼することにより発生する、多大な翻訳費用と作業時間です。

当社は今後、世界で勝ち残っていくために、大幅なコスト削減と業務のスピードアップを図っていく必要があります。そうした中で、私たち特許部門は、先ほど説明した多大なコストと時間を要する明細書の翻訳作業の効率向上を進めることを決めました。具体的には、翻訳作業を行うにあたり、自動翻訳ソフトウェアもしくはシステムを導入し、コスト低減と作業時間の短縮を実現することを考えました。導入にあたっては、私と同席している石田を含めた総勢3名で、評価・導入を推進する「自動翻訳プロジェクト」を立ち上げました。

ルネサスエレクトロニクス株式会社 法務統括部 特許部 インダストリアルソリューション課 課長 花田 賢次氏

ルネサスエレクトロニクス株式会社 法務統括部 特許部 インダストリアルソリューション課 課長 花田 賢次氏

3段階評価で定量的に複数の翻訳ソフトを比較

現在、翻訳ソフトは複数の会社からリリースされていますが、各社のサービスをどのようにして比較・検討されていったのですか。

花田氏
半導体技術は、(1)回路/システム技術、(2)半導体ウエハを完成させるまでの前工程技術、(3)半導体ウエハをチップ化して組み立て、パッケージングするまでの後工程技術、の3つに大別することができます。私たちは、3つの技術分野ごとに国内と海外の両方に出願され、公開されている自社ケースの日本語明細書をいくつか準備し、各社の翻訳ソフトを用いて翻訳を行いました。評価は「翻訳精度」を最も重視し、特許部の各技術分野のエキスパート数人で(1)日本語原文、(2)翻訳会社の翻訳者が翻訳した英文、(3)翻訳ソフトで翻訳した英文、の3つを並べて3段階で評価しました。特に、明細書中の技術的な内容が濃い部分、いわゆる、発明の詳細な説明部分は、後々のプラクティスを考慮し、重点的に評価しました。

具体的には翻訳後の英文のどのような点を比較されたのでしょうか。

石田氏
A~Cの3段階評価で、下記の評価基準に従って評価をしました。

比較にあたって設けられた評価基準

評価 評価基準
A(高) 翻訳ソフトの翻訳文は、翻訳会社の翻訳文と比べて、同等レベルである。
B(中) 翻訳ソフトの翻訳文は、翻訳会社の翻訳文と比べて、若干レベルが劣る。
C(低) 翻訳ソフトの翻訳文は、翻訳会社の翻訳文と比べて、大きくレベルが劣る、もしくは原文の意味と異なる。

結果、他社のソフトは、有用と考える中~高評価が1~2割であるのに対し、「AI契約書翻訳サービス」は回路/システム、前工程、後工程の3分野いずれも中~高評価が7割を超える実力を有していることが確認できました。

花田氏
回路/システム、前工程、後工程という3つの技術分野において、それぞれ翻訳精度の評価を行ったのは別の人間でしたが、「AI契約書翻訳サービス」は技術分野に依存せず、高い評価結果が出たのは非常に興味深かったです。さらに、「技術分野によって、翻訳精度はばらつかない」という事実は、他のソフトを評価するうえで役立ちました。これは偶然ですが、今回我々は、「AI契約書翻訳サービス」を最初に評価しました。評価した結果、前述の事実がわかったので、他のソフトは、1技術分野だけの評価で済みました。この事は、評価・選定時間の短縮に大変有効でした。

翻訳ソフト導入の際にそこまで整理して定量的に検討されている企業はあまり見かけない印象です。

花田氏
「翻訳精度」という曖昧になりがちな評価を定量化し、翻訳ソフトの良し悪しを数値で判断できるようにするためにプロジェクト内で色々検討したことが良かったと思います。

翻訳ソフトのコスト面についてはどう評価されましたか。

花田氏
「導入コスト」と「運用コスト」に分けて考えました。「AI契約書翻訳サービス」のみがクラウドタイプで、それ以外はクライアントサーバタイプかスタンドアロンタイプでした。ハードウェアのコストがかかるスタンドアロンタイプや、OSの準備が必要となるクライアントサーバタイプと比較すると、最初に人数分のアカウントフィーを支払い、ハードは各個人が所有している既存のPCを使えばよいというクラウドタイプの同サービスは導入しやすかったです。

扱っているデータの性質からも、セキュリティには高い水準が求められそうです。

花田氏
やはり特許出願前のデータを取り扱うわけですから、セキュリティは非常に重要です。ただし、これまでにも国内外の特許事務所とは、データを暗号化してやり取りをしてきた経験はあったので、「AI契約書翻訳サービス」も同じ考え方で進めました。具体的には、当社の情報システム部門と相談し、IPアドレスを制限したり、ネットワークの設定を工夫したりすることで、セキュリティを高めるようにしました。

ルネサスエレクトロニクス株式会社 法務統括部 特許部 インダストリアルソリューション課 石田 卓也氏

ルネサスエレクトロニクス株式会社 法務統括部 特許部 インダストリアルソリューション課 石田 卓也氏

翻訳業務の時間短縮によるメリットとは

実際に導入を開始されて、部門内の反響はいかがですか。

花田氏
外部の特許事務所や翻訳会社に翻訳作業を依頼することにより発生する、翻訳費用を大きく圧縮することができます。さらに、翻訳作業に要している時間も大幅に短縮できることに対する期待は大きいです。明細書の翻訳にかかる時間は、「AI契約書翻訳サービス」を使えば、その時のネットワークの状況で長く掛かったとしても、30分を超えることはまずありません。今後円滑に運用できるようになれば、急ぎのケースにもスムーズに対応できるようになると考えています。

また、翻訳の作業時間が短縮できると予算管理をしやすくなるという副次的なメリットもあります。これまで説明してきたように、外部に翻訳作業を委託した場合、作業は数か月単位を要するので、期をまたぐこともあります。これを、予算管理していくのは非常に煩雑です。一方、社内で「AI契約書翻訳サービス」を使って翻訳すれば、外部に出ていく翻訳費用はゼロになり、サービスの年会費だけを考えればよいわけですから、予算管理も非常に楽になります。こうした効果の存在は、実際に導入してから気付きましたね。

導入効果を上げていくために注意されているポイントはありますか。

花田氏
翻訳前の日本語の明細書原文の作り込みが非常に重要だと考えています。自動翻訳においては、原文で主述の関係を明確にすることや、短文で表現することがポイントですので、現在は日本語明細書の作成ガイドラインの整備を進めているところです。

石田氏
自動翻訳に合わせた日本語を作り込むことが必要で、ガイドラインには、「一文の長さは約100字以内(明細書で2行半程度)が目安」という項目などを入れる予定です。明細書の作成を依頼している特許事務所や社内にも展開していく予定です。

日本語明細書の作成ガイドラインの他にも、「AI契約書翻訳サービス」のトラブルシューティングの整備やファイル名の付け方など、細かい部分まで考慮した仕組みを整備しているところです。大変な作業ですが、導入効果を上げるためには重要であると考えています。

技術の進歩に合わせた制度設計を

今後はどのように運用を進めていく考えですか。

花田氏
全体的な運用スケジュールをいくつかのPhaseに分けて考えていて、現在は初期のバグ出しを行っているPhase 1です。各Phaseで抽出した誤訳を分析して、ユーザ辞書を改善・整備し、最終Phaseで各特許出願担当者が「AI契約書翻訳サービス」を問題なく使える状態にするというのが、当初の計画でした。しかしながら、コスト低減に対する社内の期待値も高く、最終Phaseで達成するレベルを数か月前倒ししていかなければならなくなったので、その実現に向けて、色々と検討しているところです。

最後に、AIを活用した翻訳ソフトの導入を検討されている企業法務担当者へ向けたメッセージをお願いします。

花田氏
「自動翻訳ソフトは、まだまだ使いものにならないだろう」という意見はいまだ多くあります。私もこのプロジェクトに取り組む前までは、正直そう思っていました。しかしながら、AIを活用したシステムを実際に評価して、ここまでの翻訳精度が出せるということはある意味ショッキングでしたね。業務ツールの導入は、過去の情報や慣習にとらわれず、積極的に取り込んでいくフレキシブルさを持ち合わせていないと、会社としても間違った方向に流れてしまうリスクがある、と改めて思いました。

一方で、「AI契約書翻訳サービス」も使っていくうちに、細かい点で改善を必要とする部分が見えてきています。もちろん、辞書の整備でクリアできる問題もありますし、翻訳エンジンそれ自体に少し手を加えないといけない問題もあります。いずれにしても、AIという過渡期の技術を使っているわけですから、今後、より理想に近い翻訳システムに改善していければと考えます。

石田氏
ソフトウェアにできること、できないことは、技術の進歩によって変わってきます。それに対し、私たちはいつも柔軟に、その時々の技術に対応した制度や業務フローを作っていければ、と考えています。

花田氏
特許庁の審査でも、ゆくゆくはAIを活用するという話もあり、このまま技術が進歩していけば、今よりもリーズナブルな審査結果が出るようになっていくのかもしれません。私たち知財部門としては、これは大きなメリットだと思っています。AIの技術と私たちの知財業務がリンクしていくことで、今後より良い知財活動が進められるようになっていくことを非常に楽しみにしています。

(文:周藤 瞳美、取材・構成:BUSINESS LAWYERS編集部)

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