ESG関連訴訟のリスク管理

コーポレート・M&A
渡辺 樹一 一般社団法人GBL研究所 市川 佐知子 田辺総合法律事務所

目次

  1. 日本におけるESG関連訴訟「日産事件」
  2. 事実と虚偽の線引きの難しさ
  3. 本社機能の重要性
  4. リスク評価と更新

 ESG投資が急速に広がる一方で、企業には事細かな情報開示が求められています。開示書類に対する投資家の目はいっそう厳しさを増し、今後はESG関連訴訟のリスク管理が求められると考えられます。
 本稿では、企業統治・内部統制構築・上場支援などのコンサルティングを手がけてきた一般社団法人GBL研究所理事、合同会社御園総合アドバイザリー顧問の渡辺樹一氏と、田辺総合法律事務所の市川佐知子弁護士の対話を通じて、ESG関連訴訟のリスクについて考えます。

日本におけるESG関連訴訟「日産事件」

渡辺氏:
ESG投資とそれに対応するためのESG経営の動きが加速しています。投資家は企業に対し開示を求め、企業も優良投資先であることを示すために積極的な情報提供を行っています。顧客、従業員、地域住民、地球環境までをも考えるESG経営は素晴らしいものですが、それが内包するリスクもあります。
たとえば、ブラジルの鉱山会社で起きた2019年1月のダム決壊事故について、米国SECは安全関連情報が投資家にとってミスリーディングなものであったとして、2022年4月に民事の制裁金を求める訴訟を提起しています 1。また、あるレポートによれば、2022年に係属中の気候変動関連訴訟は世界に2002件もあるそうです 2
「グリーンウォッシング」と呼ばれる、環境配慮を謳いつつ実態が伴わない企業方針や金融商品を正すために、このような訴訟が必要であるという側面もあります。しかし、ESG経営を行う企業とすれば、このような訴訟を引き起こさないためにも、ESG関連訴訟をリスクとして捉え、表出させないための適切なリスク管理が必要になっている気がします。アメリカや世界で起きている事象ですが、ガラパゴスとも称される日本ではどのように考えるべきでしょうか。

市川弁護士:
実は、日本においても、ESG経営の失敗によって法的責任を問われた有名事件が起きています。カルロス・ゴーン氏は国外に逃亡してしまいましたが、日産事件が典型例です。日産自動車は、金融庁から24億円の課徴金納付命令を受け、刑事事件による罰金確定を受けて結局22億円を支払い 3、虚偽記載のあった有価証券報告書を訂正する訂正報告書を提出しています 4
日産が虚偽記載を行ったのは、有価証券報告書のうち「コーポレートガバナンスの状況、役員の報酬等」の部分です。ゴーン氏は、自らの報酬が高すぎると批判されるのを嫌って過少計上した、といわれています。ゴーン氏が恐れたのは、日産の一般的な株主ではなく、ルノーという特定株主だったと第一審刑事判決中ではされていますが、いずれにしろ、ESGのGについて虚偽を記載し、その虚偽記載の責任を、日産は課徴金支払という形でとることになりました。海外機関投資家から日産に対する民事賠償事件も係属中です。

渡辺氏:
日産事件の場合、ゴーン氏に対する評価の大転換、逃亡劇への驚きから、事件の性格が歪んでしまいましたが、確かに役員報酬というガバナンスに関する虚偽記載事件でした。アメリカでは、CEOの報酬と従業員の給与中央値の比率を開示することが求められます 5
CEOの高すぎる報酬が問題にされる理由は、株主との分配という側面もありますが、従業員の士気や適正待遇という側面を捉えれば、ESGのSを考えたときのアンバランスだと思います。日本でも物価高を背景に賃金水準が議論されている昨今、世界的に見れば低いとはいえ、役員報酬を気にして虚偽記載が行われるということは、今後十分考えられます。

市川弁護士:
役員報酬には様々なタイプ、支払形態があり、どこまで開示しなければいけないのか、すべきなのかは、意外に不明確です。課徴金事件となり、世間に批判的見解が浸透してしまうと、開示しない選択肢などあり得ない、開示しないでよい理由などない、と思うかもしれません。しかし、ゴーン氏はレバノンで行った記者会見で力説していたように、不開示処理は間違っていないと主張しています。東大の会社法学者も同旨の意見でした。日本に残されたグレッグ・ケリー氏の刑事事件でゴーン氏の主張は退けられたわけですが、残念ながらゴーン氏が不在のままでは、徹底的に議論されたとはいえないでしょう。ケリー氏については、彼自身がゴーン氏の報酬の内容を知っていたかどうか、という認識問題が中心論点となり、一部有罪判決が第一審で下っています。

事実と虚偽の線引きの難しさ

渡辺氏:
かつてGEのジャック・ウェルチ氏の退任後報酬が問題になった事件を思い出しました。ウェルチ氏の退任後も高額アパートの家賃や高級車をGEが提供していた事実がウェルチ氏の離婚事件の過程で暴露され、GEの開示書類にはそれらが明確に記載されていなかったことが問題にされた事件です。2004年にSECとGEの間で和解が成立しましたが、それらの事項を明確に開示すべきであったとされました 6

市川弁護士:
退任後もそうかもしれませんが、役員には金銭支払以外のベネフィットが与えられることがあります。その開示も考え出すと、線引きはさらに難しくなります。それはESG経営以前から存在した問題なのですが、ESG時代になると、開示書類を検分する視線の数、厳しさともに、格段に増大します。ただ漫然とこれまでの書き方を踏襲していると、足をすくわれるかもしれません。
日産事件と同年に、コーポレートガバナンスに関する開示で課徴金を課せられた会社がもう1社あります。こちらは、取締役会の開催回数や監査役の参加状況などについて虚偽記載を行ったことが問題視されて、2,400万円の課徴金納付命令が下っています 7
この事件は、非財務情報で初の課徴金事件として、多くの人が頻繁に引用していますが、財務諸表の虚偽記載も同時に課徴金事件になっているせいか、ついでに事件化されたものであるとか、非財務情報単独では事件になる可能性は低いなどと評価する向きもあるようです。
しかし、ESG経営を標榜する一方で、コーポレートガバナンスに関し、やってもいないことをやっていると記載するのは、どうにも説明がつきません。企業としては、いま一度、記載内容を点検し、前年踏襲形式を離れて、考え直す必要がありそうです。このとき、たとえばある活動について「必要に応じ」とか「定期的に」などの抽象的な記載があって、これまで必要がなかったから実施実績はなかった、3年に1度という間遠な頻度であった場合に活動の記載をしたことが虚偽なのかどうか線引きは難しい、という問題があるのは、前述した役員報酬の場合と同じです。

本社機能の重要性

渡辺氏:
線引きが難しい、課徴金が課せられるかどうかは微妙である、刑事責任がそう簡単に認められてはならない、ということは理解できます。
しかし、線引きのギリギリセーフを狙うのがESG経営でしょうか。ステークホルダーの利益を調整し、社会的な責任を果たし、持続的な経営を目指しているのに、役員に与えられる大きなベネフィットを省いて書いたり、株主を騙しているといわれるかどうかの境界線を狙ったりするのは、根本の部分で相容れない気がします。
法的責任が問われるレベルと、ESG経営が目指すレベルは違います。企業も役員もその違いを踏まえて、もっとレベルの高い議論をするべきですし、危ない橋を渡っているのではそれこそリスク管理上問題です。

市川弁護士:
その通りです。ただ、日本では法的責任が問われる事件自体が少ない、また事件になっても、課徴金事件であれば企業は納付命令を争わないのが一般的です。さらに、刑事事件には独特の特徴があり(極めて高い有罪率、厳格な罪刑法定主義は特徴の両極端ですが、いずれにせよ)、何が是で何が非なのか、企業はどうするべきかの行動規範が乏しい状況が続いていると思います。
そこで、海外で日本企業の法的責任が問われた事件を見てみましょう。かつて、アメリカでトヨタ車が予期せぬ急発進を起こし、事故を起こす問題が取り沙汰されました。カーオーナーとトヨタの間で、巨額の和解が成立しましたが、トヨタのAmerican Depositary Shares(ADS)を購入した投資家との間でも和解が成立していました 8
トヨタは、ニューヨーク証券取引所において(非米国法人が資金調達するための証券と概括することができる)米国預託証券を発行し、開示書類を提出するほか、広報担当者等は様々な情報を公表していました。その中で、トヨタが安全性能やコンプライアンスを誇る情報発信をする反面、その実は予期せぬ急発進について気づいていた、気づきつつ開示しなかったと、クラスアクション原告側は訴えたのです。
トヨタは、和解中で非を認めたわけではありませんから、提出書類のどの記載が虚偽記載に当たると認定されたわけではありません。しかし、訴状で問題とされた文書を見ていくと、興味深い発見があります。(日本における有価証券報告書を含め)ニューヨーク証券取引所に提出された文書には、安全第一の企業姿勢が抽象的に記載されており、これ自体を虚偽記載と主張する原告側には無理があるだろうと感じます。
しかし、時系列が進むと、段々に予期せぬ急発進の事故事例や関連レポートが散見されるようになりました。そのような環境の中で、開示文書に安全強調の抽象的な記載を続けることには、隠蔽の意図や頑なな自己正当の姿勢が垣間見えるような気もしてきます。どこかの時点で、不開示を続けるのは適切でなく開示に踏み切るべき、という転換点が発生するわけです。
ここで、他の企業が参考にできる点を探すとすれば、全世界を繋いだ全社的な(事故や製品不具合)情報把握の重要性、受け取った情報の重要性評価や開示という、難しい判断を行う本社機能の重要性だと思います。

リスク評価と更新

渡辺氏:
製品安全はESGのSに該当しますし、中でも自動車という人命への危険度が高い製品の安全は、特に注目度が高いESGトピックだといえます。カーオーナーとの間の裁判は、今から10年以上前にはPL訴訟として捉えられていましたが、今日的な目で見ればESG関連訴訟だったわけです。
また、和解金の大きさの違いもあってか、投資家との間の裁判はあまり話題になりませんでした。ESG開示を巡って日本企業が責任を問われる大事件が起きていたことに、改めて気づきました。

市川弁護士:
ESG時代が到来しても、これまでとまったく異なるリスクが発生するわけではないと思います。ただ、開示が増え、透明性が高まりますから、様々なものが白日の下に晒され、厳しい目が向けられ、これまでお目溢しがあったとしても、今後は違うということだと思います。リスク管理において、リスク評価、その更新が必要となるのと同じです。時代の変化を敏感に感じ取り、情報網の整備、開示情報の精査を磨いていく必要があるでしょう。


  1. U.S.SEC「SEC Charges Brazilian Mining Company with Misleading Investors about Safety Prior to Deadly Dam Collapse」(2022年4月28日、2022年7月25日最終閲覧) ↩︎

  2. London School of Economics「Global trends in climate change litigation: 2022 snapshot」(2022年6月30日、2022年7月25日最終閲覧) ↩︎

  3. 金融庁「日産自動車(株)に係る有価証券報告書等の虚偽記載に対する課徴金納付命令決定の変更処分について」(2022年4月27日、2022年7月25日最終閲覧) ↩︎

  4. 日産自動車「有価証券報告書の訂正報告書」(2019年5月14日、2022年7月25日最終閲覧) ↩︎

  5. U.S.SEC「SEC Adopts Rule for Pay Ratio Disclosure」(2015年8月5日、2022年7月25日最終閲覧) ↩︎

  6. U.S.SEC「SECURITIES EXCHANGE ACT OF 1934 Release No. 50426」(2004年9月23日、2022年7月25日最終閲覧) ↩︎

  7. 金融庁「日本フォームサービス(株)に係る有価証券報告書等の虚偽記載に対する課徴金納付命令の決定について」(2020年1月31日、2022年7月25日最終閲覧) ↩︎

  8. UNITED STATES DISTRICT COURT CENTRAL DISTRICT OF CALIFORNIA「IN RE TOYOTA MOTOR CORPORATION SECURITIES LITIGATION」(2013年1月3日、2022年7月25日最終閲覧) ↩︎

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