スキル・マトリックスの作成・活用・開示の実務ポイント
コーポレート・M&A
目次
スキル・マトリックスとは
昨今、多くの上場会社の招集通知や統合報告書等において「スキル・マトリックス」と呼ばれる一覧表が開示されることが一般的になってきました。
スキル・マトリックスとは、各取締役の能力・知識・経験等を一覧表にしたものを指し、ひいては取締役会の戦略や考え方を明確にする効果があります。
従前は役員一人一人の属性に注目される傾向にありましたが、その会社の役員全体でどのように個々の属性・強みを補完し合っているかという観点も重要視されるようになりました。
本稿では、各社のスキル・マトリックスの活用状況を踏まえ、実際の作成・活用プロセスやスキル項目の事例等を解説します。
スキル・マトリックスの活用状況
スキル・マトリックスについて、コーポレートガバナンス・コード(以下「CGコード」といいます)で以下のように記載されています。
取締役会は、経営戦略に照らして自らが備えるべきスキル等を特定した上で、取締役会の全体としての知識・経験・能力のバランス、多様性及び規模に関する考え方を定め、各取締役の知識・経験・能力等を一覧化したいわゆるスキル・マトリックスをはじめ、経営環境や事業特性等に応じた適切な形で取締役の有するスキル等の組み合わせを取締役の選任に関する方針・手続と併せて開示すべきである。その際、独立社外取締役には、他社での経営経験を有する者を含めるべきである。
株式会社東京証券取引所の「コーポレートガバナンス・コードへの対応状況(2021年12月末時点)」1 によると、当該補充原則のコンプライ率は、プライム市場選択会社において73.07%、スタンダード市場選択会社において52.34%でした。
また、三井住友トラストグループが2021年7月~8月に実施したガバナンスサーベイ2021 2 によれば、スキル・マトリックスを作成・開示している企業はプライム市場選択会社で27%、スタンダード市場選択会社で5%でした。しかし、同調査ではプライム市場選択会社の62%、スタンダード市場選択会社の60%の企業が今後作成予定としており、多くの上場企業にとってスキル・マトリックスの作成・開示を想定していることがわかります。
スキル・マトリックスの作成・活用プロセスと意義
スキル・マトリックスの作成と活用に向けたプロセスは、以下の流れで進みます。
スキル・マトリックスの作成・活用のプロセスとフロー
中長期経営戦略
スキル・マトリックスの作成・活用は、中長期経営戦略の策定から始まります。中長期経営戦略の内容によって、必要なスキルの内容は変わりますので、設定の都度、スキル項目が変わることもあってしかるべきだと考えます。
スキルの特定
設定した中長期経営戦略を踏まえて、自社の取締役会が備えるべきスキル項目を特定します。
たとえば、新規でDX関連の事業を推進したい場合には「DX」に関する知見が、海外進出を考えている場合には外国語能力・海外でのビジネス経験などの「グローバル」なスキルが、サステナビリティの推進が遅れている企業にあっては「ESG・SDGs」に関する知見が必要なスキルとなります。
一例として、特定したスキルの1つが「グローバル」であった場合、これだけでは各役員がどのような場合に「グローバル」のスキルを保有しているかが曖昧です。そのため、「海外においてビジネスに携わっていた経験がある」「外資系企業の役員経験がある」といったように、どのような場合にスキルを保有していると判断するかの基準についても明確にしておく必要があります。
スキル保有状況の確認・評価
上記3−2で特定した各スキルをどの役員が保有しているかを確認・評価する必要があります。この「確認・評価」について、取締役会事務局の作成した案を取締役会で承認している企業や、役員が自己申告している企業も少なくないでしょう。
しかし、役員のスキル保有状況を正確に確認するためには、各役員の経歴・経験やこれまでの取締役会での役割等を踏まえて客観的に評価する必要があります。客観的な評価方法として、たとえば社外取締役が過半数を占める指名(諮問)委員会で評価することが考えられます。
足りないスキルへの対応検討
以上のプロセスを経て、役員のスキル保有状況をスキル・マトリックスに反映すると、自社の取締役会が全体としてどのスキルが確保できていて、どのスキルが足りていないかが明確になります。
足りないスキルを補充するための対応策として、たとえば次のような方法を検討することが考えられます。
- 当該スキルを身につけるための取締役向けトレーニングを実施する
- 後継者計画で作成している役員候補者リストの条件とする
- 近々退任予定の社外役員がいる場合に、当該スキルを後任の社外役員候補者リストの条件とする
対応策の実施
上記3−4で検討した対応策を実施します。
この3−1から3−5の一連のプロセスを繰り返していくことで、足りないスキルを補充し、取締役会全体で備えるべきスキルの補完を図っていくことができます。
一方で、投資家の視点からは、経営戦略に適合していないスキルや、経営戦略に照らして必要不可欠なスキル保有者の不足などが一目瞭然となります。このプロセスを毎年しっかりと繰り返し、経営戦略の推進に役立てていくことが重要です。
スキル・マトリックスの項目
「経営戦略に照らして取締役会が備えるべきスキル」とは、具体的にどのようなものが考えられるでしょうか。一般的に多くの企業のスキル・マトリックスにあるスキル項目として、たとえば以下のようなものがあります。
しかし、単に以下の項目の中から無難なものをいくつかピックアップするのではなく、「自社の中長期経営戦略を踏まえると何を重視すべきなのか」という観点から十分に議論する必要があります。
- 企業経営
- 財務/会計
- 監査
- 法務・コンプライアンス
- 人事労務・人材開発・HR
- リスク管理
- 内部統制・ガバナンス
- サステナビリティ・ESG
- 国際・グローバル・海外事業
- IT・DX
- 営業・マーケティング
- 生産
- 技術・テクノロジー
- 研究開発
- M&A
- ファイナンス
- 商品開発
- 製造・品質管理
以上は、スキル項目の一例ですが、具体的な開示例として、たとえば日本電気株式会社 3 では「取締役候補者の属性」「取締役候補者に特に期待する領域」に分ける方法を採用しています。
さらに「特に期待する領域」については、「深い見識を有する領域」と「深い見識に加えて豊富な経験を有する領域」に区分し、前者には●を、後者には〇をつけるという形式でスキル・マトリックスを作成しています。
- 独立役員
- 非業務執行
- ジェンダー国籍(※女性や外国籍の方に◎がつきます)
- 企業経営
- テクノロジー
- グローバル事業
- 財務会計・M&A
- リスクマネジメント
- サステナビリティ・ESG
- マーケティング
取締役選任議案に対する議決権行使基準として、独立役員や女性役員が含まれていることに関する基準を設けている機関投資家が多くあります。上記のような「取締役候補者の属性」という項目を設定することには、機関投資家が注目すべきポイントが一見してわかるという利点があります。
ただし、取締役会の構成に多様性の要素を持たせる目的で外国籍取締役が就任することについて、注意が必要な点があります。具体的に参考になるものとして、株式会社東芝のガバナンス強化委員会の調査報告書 4 において、以下の指摘があります。
株式会社東芝は、取締役12名のうち10名が社外取締役であり、10名の社外取締役のうち4 名が外国籍であったことから、外形的には取締役会の多様性が確保されているように⾒えていましたが、実態としては、執⾏役と思考の親和性の⾼い⽇本国籍取締役が中⼼に議論を進め、外国籍取締役は⼗分に監督機能を果たすことができず、取締役会の機能は形骸化していました。
この指摘からわかるように、「CGコードをコンプライするため」「機関投資家の賛成票を得るため」「上場企業のトレンドに合わせるため」に実態の伴わない多様化を推進することに意味はなく、少数の取締役の独断を許したり、適切な意思決定をできないということになりかねません。
たとえば外国籍取締役を登⽤した場合であれば、⽂化や思考の違いが⽣じることを前提として、違いを乗り越えてコンセンサスを形成できるよう丁寧に説明する等、理解を促進するためのフォローアップを行うことが必要でしょう。
スキル・マトリックスの対象者
多くの企業において、スキル・マトリックスの中に取締役は含まれていますが、監査役や執行役員を含むことも考えられます。
監査役を含んでいる会社の一例として、大塚ホールディングス株式会社 5 があげられます。監査役は取締役の業務執行を監査する立場にありますので、取締役に求められるスキルとは本質的に異なり、「財務会計」や「内部統制」、「ガバナンス」、「リスクマネジメント」等のスキルが特に求められるべきでしょう。
一方で執行役員については、スキル・マトリックスの出発点である中長期経営戦略を遂行し達成するミッションがあります。その意味で、取締役のスキルとシームレスな形で充実させる必要があります。執行役員をスキル・マトリックスに含めている例としては、キリンホールディングス株式会社 6 があげられます。
また、取締役と執行役員の2つの立場を兼ね備えている企業もありますが、そのような企業の取締役については、取締役の立場で求められるスキルなのか、執行役員の立場で求められるスキルなのかを明確にすることが望ましいでしょう。
まとめ
以上のようにスキル・マトリックスの作り込み・開示・対応策の検討と実施を毎年行っていくことは、自社の中長期経営戦略を推し進めることに資すると考えます。
一般的なスキル項目をあげて、なんとなくそのスキルが該当しそうな役員に「〇」をつけるだけでは作成した意味がなく、むしろ投資家から経営戦略とスキルの不一致について指摘を受け、ひいては議決権行使状況にも影響を及ぼす可能性があります。
本稿が、多くの企業にとって、より実のあるスキル・マトリックス作成・活用に、ひいては中長期経営戦略の推進に資することを期待します。
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株式会社東京証券取引所「コーポレートガバナンス・コードへの対応状況(2021年12月末時点)」(2022年1月26日) ↩︎
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伊藤邦雄ほか「新市場区分への移行を踏まえたCGコード対応の現状と展望―ガバナンスサーベイ2021の結果をもとに―」商事法務2290号、10頁参照 ↩︎
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株式会社東芝「ガバナンス強化委員会報告に関するお知らせ」(2021年11月12日)添付資料②52頁 ↩︎

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