仮想現実が研修を変える グリーと弁護士がVRコンプライアンス研修を共同開発

危機管理・内部統制

目次

  1. VRが変える「研修」の常識
  2. VRの没入感とリアリティが研修効果を高める
  3. マインドセットが変われば組織が変わる
  4. 近い未来のコンプライアンス研修の姿

大事なことだとわかっていても、睡魔に誘われ、ついウトウトしてしまう。そんなコンプライアンス研修は、もう過去の遺物かもしれない。
VRがもたらす仮想現実の可能性にインスピレーションを受けた弁護士と大手総合インターネット企業のグリーがタッグを組み、VRを使ったコンプライアンス研修コンテンツを開発。コンプライアンス研修のエキスパート弁護士が描いたストーリーに、グリーがVRによる学習機能を付加したとき、あの「苦行のような研修」に何が起きるのだろうか。 VRコンプライアンス研修の開発の背景と狙い、導入企業の反応を、増田英次 弁護士と、グリー株式会社の岩永龍法氏に聞いた。

VRが変える「研修」の常識

VRを使ったコンプライアンス研修の開発に着手された経緯を教えてください。

増田弁護士
1995年に米国で、大和銀行ニューヨーク支店の巨額損失事件 1 が起きました。当時、西村総合法律事務所(現西村あさひ法律事務所)に所属していた私は、この事件をきっかけにホワイトカラークライムに興味を持ち、その後、米国の2つのロースクールでの研究を重ねました。

今から20年ほど前になりますが、外資系企業の個人顧客部門(約2,000名)で法務部長を務めていた時期には、組織のなかにコンプライアンス意識をいかに定着させるかに苦心しましたね。

そのような経験から、各社のコンプライアンスプログラムが機能していないとわかったことが、VRを使ったコンプライアンス研修の開発の背景にあります。

増田英次 弁護士

増田英次 弁護士

企業のコンプライアンスプログラムはなぜ機能しないのでしょうか。

増田弁護士
各社のコンプライアンスプログラムは、社員に対して「こうしなさい」と説き、即時の行動を求めますよね。しかし、そのような「上から押し付け型」のコンプライアンスは、まず機能しません。

コンプライアンス研修とは、内発的動機に基づいて、社員1人ひとりが自分で考え、判断し、正しいことを選択できる。そんな企業風土を作るものでなければ効果は出ないという確信が、すべての出発点です。

内発的動機に基づくコンプライアンスを実践するためには、どのような研修が必要なのでしょうか。

増田弁護士
私は、「エモーショナルコンプライアンス」というコンセプトを構築し、多くの企業で従業員・役員研修を行ってきました。

多くの従業員は法令だけでなく、ESG(環境・社会・ガバナンス)や社会的責任について意識はしています。ですが、その裏にあるマインドセット(思考様式)を変えなければ行動を変えることはできません。これは心理学の面だけでなく、認知科学の面からも明らかになっています。

マインドセットを変えるために最も重要なことは良いイメージを持つことです。「不正をしたらどんな気持ちになるか、どれほど不快な気持ちが残るか」、逆に「正しいことをしたらどんな気持ちになるか、どれほどハッピーな気持ちになれるか」を体験しながら、「正しいことをするイメージ」を作っていきます。イメージの限界が行動の限界ですから、先ずはイメージをはっきりと作り上げていくことが何よりも重要なのです。

自発的にイメージすることが大切なのですね。

増田弁護士
はい。ですが、それだけではまだ、常に正しい行動はできません。イメージを身につけることに加えて、判断に迷ったときの対処方法をトレーニングする必要があります。これが倫理トレーニングです。両者をセットにして、初めて、エモーショナルコンプライアンスの実践トレーニングが完結するのです。

コンプライアンス研修はeラーニングが広く普及していますが、そのような実践的なトレーニングに対応したコンテンツは見かけません。

増田弁護士
大部分の受講者にとってeラーニングは「つまらないもの」です。つまらなければ、「自分ごと」として捉えることはできません。私はそのようなeラーニングを変えたいと考え、試行錯誤を繰り返してきましたが、当初はなかなかうまくいきませんでした。

そんなとき、米国でVRが研修に使われているという記事を読みました。「ひょっとすると…」と思って調べてみると、VRは没入感があり、臨場感が高く、仮想現実を体験することで問題を「自分ごと」として扱えるということがわかりました。

研修のイメージを変えるために、VRを使わない手はありませんでした。数社に声をかけ、教育研修一般に興味を持っていたグリーさんとご一緒することになったのです。

VRの研修への活用は、グリー社の中でも研究を進められていたのですか。

岩永氏
トレーニングは、エンターテインメントの次に大きな市場です。エンターテインメントは他のチームが注力しており、多人数を抱える専門チームもいましたので、トレーニング分野については私のほうで戦略的に取り組んでいこうと考えていました。

実は私も経営学を専攻し、米国公認会計士としての資格を有してますので、内部統制や組織開発、組織作りについても深い関心を持っていました。VRを使って個人のマインドチェンジひいては組織開発を実践することができれば、絶対に面白いものになると考えていたので、増田先生のお話を聞き、「これだ!」と直感しました。

グリー株式会社 岩永龍法氏

グリー株式会社 岩永龍法氏

VRの没入感とリアリティが研修効果を高める

どのような役割分担でVR研修コンテンツの製作を進められたのでしょうか。

岩永氏
増田先生にはベースとなるストーリーを作っていただきました。我々の役目はそのストーリーに、VRならではの学習要素やコンテンツを盛り込むことでした。

増田弁護士
私自身、これまで長くコンプライアンス研修作りに取り組んできたなかで、本を書いてみたり、小説を書いてみたりなど様々なトライ&エラーを行ってきました。その経験を活かして、ストーリーのなかには行動倫理学や心理学、認知科学の要素をちりばめています。単なるドラマとして作っているわけではないんですね。

そこに、冗長にならないような表現や、映像にしたときに効果を発揮するためのアイデアをグリーさんからいただきました。

岩永氏
VRのコンテンツ作りで最も重要なことは「心情に刺さる場面を作ることと、能動的に知識を獲得する場面を交互に配置すること」です。視聴した人が「なぜ、ここはこうなっているんだ?」と、能動的にサーチしていけるような場面を挟み込むことで、視聴者は自然とストーリーに興味を抱き、引き込まれていきます。自ら情報を探しにいくような場面を繰り返し差し込むことで、学習意欲をさらに引き出すことができます。逆に言うと、そういった作り方をしていないコンテンツは、どこか平坦でありきたりなコンテンツとなってしまい、その効果を最大限引き出すことができません。

VRコンプライアンス研修で使用するヘッドマウントディスプレイ

VRコンプライアンス研修で使用するヘッドマウントディスプレイ

「ヘッドマウントディスプレイ(HMD)をかぶっても、モニターで見ても、同じじゃない?」と言う人がいます。おそらくその方は、HMDとモニター、どちらで見てもそう変わらないコンテンツを見てしまったのではないでしょうか。あくまでも、HMDを使う意味があるコンテンツの作り方にしなければ、狙い通りの学習効果は得られません。

私もHMDを装着して、VR研修のコンテンツを視聴させていただきましたが、圧倒的な没入感に驚かされました。視聴後に感じたあの「嫌な気分」は当分忘れられそうにありません(笑)。

増田弁護士
それは何よりです(笑)。また、VR研修コンテンツの視聴後にはプラスのイメージを湧かせるような講義形式の研修を行ってフォローしています。今回のコンテンツは「嫌な気持ち」になるバージョンですが、正しいことをやって「良い気持ち」になるバージョンも必要だと考えています。

主人公が徐々に追い詰められていくストーリー展開に加えて、ドキドキするようなシーンもあり、まるで自分自身の体験のようにリアルに感じました。

営業成績達成を迫る上司のプレッシャー(左上)、取引先の不当な要求(右上)などに屈した主人公が、同僚の女性社員にセクハラまがいの接待への参加を強いる(左下・右下)といった不正を重ねた結果、次第に窮地に追い込まれていく。VRでストーリーを体験した数名の編集部員は、皆一様に「嫌な気分になった」という感想を持った(資料提供:グリー株式会社)

増田弁護士
今回のストーリーはパワハラ・セクハラ・会計不正をかけ合わせたものですが、パワハラ・セクハラに対する意識は、企業ごとに温度差があるのも事実です。このコンテンツを体験して「こんなことは起こらないよ」という会社もあれば、「うちでも起こりそうで怖かった」という会社もあります。ただ、「こんなもの生ぬるいね」という会社もないわけではありません。

岩永氏
「生ぬるい」というご意見をいただいたときは、「きつい会社なんだろうなあ」と思ってしまいました(苦笑)。

増田弁護士
コンテンツの標準化は1つの課題ですが、今回はパワハラ・セクハラ対策のためだけにコンテンツを作ったわけではないのです。嫌なことに巻き込まれたり、体験すると、「どれほど自分が嫌な気持ちになるか」を味わってもらうことが一番大切だと考えています。

岩永氏
増田先生が指摘された「良い気持ちになる」という点は、他のコンテンツにも言えます。たとえば、リクルートさんとはワーキングマザーの日常を追体験できるコンテンツを製作したのですが、このバージョンは「ワーキングマザーって、しんどくない?」といったネガティブなイメージを残してしまうようなコンテンツの終わり方になっていました。

その後、ワーキングマザーの前向きな心情を多く盛り込んだ内容に作り変えたところ、前向きなエンディングの方が研修としてのまとまりが出てくることもわかりました。

マインドセットが変われば組織が変わる

実際にVR研修を活用している企業の反応はいかがですか。

増田弁護士
見た人がすごく嫌な気持ちになるようですから、狙い通りの効果が出ていると言えます。私が行う講義形式の研修も含めてですが、特にVRを使うことで、皆さんかなり前向きにコンプライアンス研修を受けてくれています。もちろん寝る人はいませんよ(笑)。

岩永氏
無料の体験会も数多く開催して、参加者の方からご意見もいただいています。体験を通じて来年の予算取りを検討される企業の担当者の方もいらっしゃいますね。

受講者の職位や研修の規模については、どのようなニーズがありますか。

増田弁護士
HMDの数に限りがあるため、ある程度人数を制限せざるを得ないこともあり、現在は部長以上の方を対象にした研修が多いですね。

VRコンテンツと増田先生による講義形式の研修はどのように組み合わされているのでしょうか。

増田弁護士
まずは、理論編として「なぜマインドセッティングを変えなければいけないのか」について、1時間ほどの講義を行います。ここでマインドセッティングを変えるためにイメージを変えることの重要性を伝えます。

次に、正しいことをやるためのイメージトレーニングを行います。これはゴールセッティングの位置付けですね。逆に、「嫌な環境」にいるとどれだけ不正が起きやすいかをVRを使って疑似体験してもらいます。これでイメージが変わります。

さらに、実際のビジネスの現場で遭遇する誘惑や悪魔のささやきに負けない判断プロセスを作っていきます。多くの不祥事の端緒は、「言われたのでやります」という意識にあります。そのときに「ちょっと待てよ」と自分の頭で状況を咀嚼し、「この行動を取るとあとでこういう事態につながって…」といったように、自分のなかでシミュレーションしながら行動を選択できるように、判断プロセスを鍛えていきます。これが先ほど述べた倫理トレーニングと呼ばれるものです。

人間は忘れてしまう生き物です。VR研修にインパクトを受けて行動を変えることができても、時間の経過とともに元の自分に戻ってしまうかもしれません。

増田弁護士
そのために、研修の効果測定を含めて、継続的に効果を高めるようなプログラムの製作にも着手しています。

大切なことは継続すること、潜在意識に訴えかけ続けることです。岩永さんの言葉を借りれば「心情に刺さるもの」ということになります。ここを変えなければ、すべては一過性のもので終わってしまいます。1つのプレッシャーがかかった場面で正しい行動を取り、それを習慣にして意識の中に染み込ませることができれば、人間の行動は変えられるのです。

行動変容が常態化して、やがて習慣となれば、個々の社員の日々の業務にも以前と違う視点や取り組みが生まれてくるのではないでしょうか。

増田弁護士
その通りです。コンプライアンスは企業活動のなかで独立した一要素ではなく、事業に役立つコンテンツでなければダメなのです。我々が提供するVRを使ったコンプライアンス研修は、行動組織論やマネージメント理論に基づいて構成されています。これまでは、ビジネスのためにビジネスの研修をする、コンプライアンスのためにコンプライアンス研修をするといったように、互いの接点がありませんでした。VR研修は両者をつなぐブリッジの役目を果たします。

グリー社の役員の皆さんもVR研修を受講されたそうですね。反応はいかがでしたか。

岩永氏
当社は新卒社員も多く、若い社員でもポジションが上がり、人事に携わっていくことが多いのですが、その“若さ”ゆえのリスクも想定されます。新任役職者を対象とした定期研修にてケーススタディの題材としてVRを使ってみたところ、非常に好評でしたね。

グリー株式会社での研修の様子

グリー株式会社での研修の様子。実際に研修を受講した同社の大矢取締役は「VRを使ったストーリーで見る研修は臨場感があって記憶に残りました。ハラスメントは言葉だけだとわかりづらい部分も多いので大変良かったです。また、ハラスメントについて、私自身は役割上も本音で厳しいことを言うことは多いですが、仕事で接する人に配慮はするけど遠慮はしないように心がけています。また、感謝する心の余裕を持つよう心がけています。
皆が気持ちよく働く努力を少しずつ意識することが重要ですね」と感想を語った(資料提供:グリー株式会社)

近い未来のコンプライアンス研修の姿

企業で研修を担当されている方がVR研修を取り入れてみたいと考えたときには、どのように相談するといいのでしょうか。

増田弁護士
ご予算や人数の都合もありますので、VR研修を検討していただいても見送られるケースもあります。その場合は、講義形式の研修を実施しています。窓口はグリーさんでも私でもどちらでも構いませんが、研修を希望される場合は私にご連絡いただけるとスムーズです。

岩永氏
企業の方からは、「パッケージ化されていないんですか?」とよく聞かれます。しかし、皆さんがお考えのとおり組織開発は一朝一夕にとはいきません。単純にビジネスで考えれば、たとえば「2時間研修」としてパッケージしてしまえば、売り方の面でも間違いなく楽にはなります。ただ、おそらく効果は失われていくでしょうし、リピートもありません。その点、増田先生はオーダーメイド研修のエキスパートであり、組織開発のコンサルタントでもあります。「組織をどのように変えていきたいですか?」と企業の方に何度も投げかけながら、非常に練り込んだ形の研修を作られています。

組織の課題に本気で取り組みたいと考えている企業にVR研修を使ってもらいたいですね。

増田弁護士
多くのコンプライアンス研修は、行き詰まっています。企業規模が大きくなればなるほど、これ以上やることはないという状況ではないでしょうか。

岩永氏
まさに打つ手なし!ですね(笑)。

増田弁護士
打つ手なし、ゆえに不祥事は減りません。ですから、VRを使ったコンプライアンス研修のニーズは、今後も高まっていくでしょう。興味を持たれている方も多いですし、効果も大きいですから。

今後の展望を聞かせてください。

増田弁護士
将来的にはさらにバージョンを増やしていきたいですね。企業固有のVRコンテンツを作っていくこともありだと思っています。

そして海外展開です。特に東南アジアにおける海外子会社管理については、どちらの企業さんもものすごく困っていますから。

岩永氏
増田先生がおっしゃるとおり、人間の行動変容を促すものでなければ研修としての価値はありません。現時点で可能な技術で、かつ、効果を得られそうなものはVRで一斉に映像を見るという形式ですが、将来的には1対1で会話をしながら学習するようなものに変わるのではないかと考えています。

具体的にはどのようなイメージですか。

岩永氏
AIとの対話を通じて人間が知識を獲得していくという未来が考えられます。たとえば、増田先生のアバターに1on1で「本当に君はそれで良いのかね?」と問いかけられたら、おそらく皆さん「うーん…」となりますよね。今後はそういった方向に向かっていくんだろうと思います。

増田弁護士
面白いね。

岩永氏
まだまだ日本語の特有の問題がありますが、いずれその課題がクリアされたときには寄り添い型の研修アドバイザーが登場してくるのではないでしょうか。

VR研修もそうですが、学びがデジタル化していく過程は追いかけていくと面白いですよ。イノベーションは、きちんとその業界に入り込まなければ成し遂げられません。教育産業にどっぷり入り込み、トライ&エラーを繰り返しながら新しいサービスを生み出していきたいですね。

(取材・文・写真:BUSINESS LAWYERS 編集部)

本記事で紹介したコンプライアンス研修に関するお問い合わせ
増田パートナーズ法律事務所
電話:03-5282-7611(代表)
Mail:info@msd-law.com
URL:http://www.msd-law.com/

  1. 1995年に発覚した、米国を舞台とする経済犯罪事件。大和銀行ニューヨーク支店のトレーダーで証券売買の管理責任者が、10年間にわたり巨額損失を隠蔽し、穴埋めのために保有する有価証券を簿外で無断売却し巨額の損失が発生した。米連邦準備制度理事会(FRB)への報告の遅れなどにより、大和銀行は3年間の業務停止処分を科され、米国のマーケットから追放された。 ↩︎

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