改正健康増進法と職場の受動喫煙対策

第3回 企業の受動喫煙対策 「特効薬」はトップの意識改革 問われる「社員を守る」意識 まずは屋内禁煙の実現を

人事労務
田淵 貴大

目次

  1. 科学的な証拠により実証されたタバコの煙の健康被害
  2. 日本の受動喫煙対策は特殊な経過をたどった
  3. 改正健康増進法全面施行へ、企業に求められる問題意識

 罰則付きで敷地内禁煙や屋内禁煙などが義務付けられる改正健康増進法の全面施行へ向けて、各社の受動喫煙対策がいよいよ本格化してきました。2019年7月には、全国の学校や病院、行政機関の敷地内での原則禁煙が一部施行され、施設の担当者が現在、対応に追われています。

 2020年4月の改正健康増進法全面施行に対応するために、今、企業は何を知り、どのような対策を実行するべきでしょうか。

 自治体や健康保険組合などのほか多くの企業から受動喫煙対策に関する相談に応じるタバコ対策の専門家、田淵貴大氏(大阪国際がんセンター がん対策センター 疫学統計部 副部長)に3回にわたって聞きます。

科学的な証拠により実証されたタバコの煙の健康被害

今日はタバコ問題の専門家である田淵先生に職場や店舗の受動喫煙について、医学的見地からお話を伺います。はじめに基本的なことをお聞きします。なぜ、受動喫煙対策が求められているのでしょうか?

 タバコの煙のなかには5,000種類以上の化学物質があり、そこには約70種類の発癌性物質が含まれているとわかっており、他人に危害をおよぼすことから対策が求められています。

タバコの煙のなかには具体的にどのような物質が含まれていますか。

 ニコチン 1 や一酸化炭素 2、ベンゼン 3、ホルムアルデヒド 4 といった有害物質です。もちろん、今あげた1つひとつの物質の有害性については個別に研究されていますが、重要な観点は、「タバコの煙は“一式”として有害性が高い」という点です。国際がん研究機関(IARC)は、1つひとつの物質についてだけでなく、「タバコの煙」という一式が「発癌性物質」であると認定しています。

田淵貴大氏(大阪国際がんセンター がん対策センター 疫学統計部 副部長)

田淵貴大氏(大阪国際がんセンター がん対策センター 疫学統計部 副部長)

タバコの煙 “一式” で発癌性物質、とはどういうことですか。

 先ほどあげたホルムアルデヒドのように代表的な発癌性物質では、動物実験などによって発癌性が確認されています。ただ、ホルムアルデヒドが他の物質と組み合わさった場合にさらにどんな有害性があるか(複合影響)については、ほとんどわかっていません。化学物質の数が多すぎるうえに、複合影響のバリエーションはほぼ無限ですから、すべての組み合わせについて実験研究を行うのは不可能です。

複合影響についての研究が十分ではないにもかかわらず、国際がん研究機関がタバコの煙“一式”を「発癌性物質」と認めるのはなぜでしょうか。

 たしかに、途中のメカニズムには不明な点もあるのですが、タバコの煙を吸うと、肺癌や慢性閉塞性肺疾患(COPD)、心筋梗塞、糖尿病など様々な病気にかかるということはわかっています。多くの人々を追跡した調査研究により明らかにされています。

 つまり重要な観点は、途中のメカニズムではなく、「タバコの煙を吸うと健康被害につながる」こと、そして「タバコの煙をなくすことにより、健康状態の改善につながる」という結果です。それが十分に科学的な証拠によって実証されており、現在、国や自治体、そして多くの企業は今、対策を求められているわけです。

日本の受動喫煙対策は特殊な経過をたどった

田淵先生は、各方面からタバコ問題や受動喫煙に関するご相談を受けるそうですね。どのようなところから相談を受けていますか。

 国、自治体のタバコ対策担当者や保健師さん、企業の担当者、一般住民の方々ですね。医師や歯科医師などの医療従事者からの相談もよくあります。

企業ではどのような部署から相談を受けますか。

 社員の健康管理を担当する部署に在籍する保健師さんや受動喫煙対策を担当されている方々です。職場の安全衛生委員会のメンバーなども多いです。

相談の内容はどのようなものでしょうか。

 主に職場の禁煙化をどのように進めたらよいのか、というものです。企業が屋内禁煙に取り組むときには、いくつかの段階があり、それぞれに応じて相談内容も変わってきます。たとえば、室内でタバコを吸っている人がいる段階、喫煙所はあるが設備が不十分で煙が漏れている段階などです。屋内禁煙に取り組む企業からは、「屋外喫煙所はどこに設置すればいいですか」という相談もあります。

企業の受動喫煙対策には段階があるとのことですが、日本の受動喫煙対策は現在どのような段階にあると考えていますか。

 一言で言って、遅れています。世界的には屋内禁煙が受動喫煙対策のスタンダードであり、ここが非常に重要なポイントです。しかし、残念ながら日本はそれを達成できていません。

 実は、日本の受動喫煙対策は、世界的にも特殊な経過をたどっています。日本では屋内よりも先に路上での歩きタバコが各自治体の条例で規制されるようになりました 5。それでタバコ対策界の権威であるサイモン・チャプマン先生から「日本は奇妙な国」だと指摘されました 6。世界標準では屋内禁煙が最優先されているからです。

そのなかで、健康増進法が改正されました。2020年の4月には日本全国の様々な施設で屋内が原則禁煙になります。

 健康増進法が改正されてパブリックな場所が屋内禁煙とされたことは、日本にとって大きな進歩だと思います。ただし、規模の小さな飲食店に対する大幅な経過措置 7 が認められてしまったのは残念です。

2019年7月1日の改正健康増進法の一部施行に伴い千葉県、埼玉県などの運転免許センターでは敷地内が禁煙化された。

2019年7月1日の改正健康増進法の一部施行に伴い千葉県、埼玉県などの運転免許センターでは敷地内が禁煙化された。

 当然のことですが、狭い空間であればあるほどタバコの煙の濃度は高まり、受動喫煙による健康被害は大きくなります。しかし、今回の法改正では既存の小規模飲食店が規制の対象外となってしまいました。狭い飲食店に勤務する従業員が法律で守られないのは公平なのか、それでいいのか、と議論していかなければなりません。

 あるいは、たとえばバーが「喫煙可」であるなら、他の飲食店で働く従業員は守られて、バーで働く従業員はなぜ守られないのか。そういった問題を建設的に議論していく必要があるのではないでしょうか。

健康増進法の体系

出典:厚生労働省「健康増進法の一部を改正する法律(平成30年法律第78号)概要」

出典:厚生労働省「健康増進法の一部を改正する法律(平成30年法律第78号)概要」

これまでに、そのような議論はなされていないのでしょうか。

 オーストラリアでもかつては、バーでは喫煙が認められ、他の飲食店は屋内禁煙となっていた時期がありました。研究では、バーを禁煙にするとバーの職員の健康状態が改善したという結果が報告されました。その結果も受けて、バーの職員だけが受動喫煙の害から守られなくても良いのか、という議論が巻き起こりました。日本でも禁煙化されない職場の職員を守るために声を上げていく必要があると思います。

日本の受動喫煙対策は非常に遅れているというご指摘がありましたが、たとえば飲食店でも、店内を分煙にしたり、お昼の時間帯を禁煙にしたりなどの取り組みがなされてきました。日本の職場や店舗における受動喫煙対策も前進してきたのではないでしょうか。

 ゆっくりとは進んでいると思います。しかし、受動喫煙対策をまったくしていない事業所や店舗が依然としてたくさんあることは厚生労働省の労働安全衛生関連調査 8 からもわかっています。都市部を中心として、たしかに対策は進んでいるようにも見えます。しかし、事業所内でタバコを吸えるような企業が、いまだにたくさんあります。受動喫煙対策の進捗については、身近な例だけで判断するべきではないのかもしれません。

日本の受動喫煙対策が海外と比べて遅れている原因はどこにあるのでしょうか。

 1つには、トップの意識の問題があるかもしれません。地方自治体で次々に受動喫煙防止条例が制定されていますが、重要な牽引役としてトップの意識があげられます。企業も同じです。トップに屋内禁煙が働く人を大切にする方策だという意識があれば、職場はどんどん禁煙にできるはずです。

 そのほか、タバコ産業をめぐる利権の問題や受動喫煙対策については、国立がん研究センターの片野田耕太先生の著書にもわかりやすくまとめられています。企業の経営者や受動喫煙対策を担当される方にご一読をおすすめします。

本当のたばこの話をしよう 毒なのか薬なのかへの企業対応 - 新たな協議・合意制度とその対応 -

改正健康増進法全面施行へ、企業に求められる問題意識

受動喫煙のリスクに関する社会的認知の高まりを受けて、企業が対応を迫られるケースが増えていると言われます。たとえば、タバコを吸わない従業員から職場の受動喫煙対策について改善要望を受けた企業から相談を受けるケースなどはありますか。

 やはり健康増進法の改正を受けて、そういった相談が増えてきており、企業側にもニーズが多いことがわかってきました。たとえば、東京都議会議員の岡本光樹弁護士は、受動喫煙に悩むたくさんの方を法律面から支える活動を続けています(本連載「第1回 禁煙できない企業の「今そこにある危機」」、「第2回 プロボノ活動の枠を超え 議員の道を選んだ弁護士が「2020」に描く夢」」参照)。裁判にまで至るようなケースは日本では少ないようです。しかし、こういったケースは氷山の一角ですから、この国には、困っているけれど声を出せない人がたくさんいるだろうとわかります。

受動喫煙が避けられない環境の中で、声を出せず、仕事を辞めるわけにもいかず、暮らしていかなければいけない人が大勢いると。

 そうです。ですから、まずは屋内の職場の受動喫煙で困っている人を優先的に救うべきではないか、というのが僕の意見です。

なるほど。企業や教育機関、自治体などで受動喫煙対策を担当される方に知っていただきたい知識として、受動喫煙が引き起こす病気について教えてください。

 まず1つ重篤な疾患をあげると、癌です。長期にわたって受動喫煙が続くと、有害物質が体の中に入ってきて、蓄積します。そして、たとえば肺癌は、およそ30年くらいかかって発症します。

30年とは長いですね。

 僕が子どもの頃、父は毎日パチンコに通っていたそうです。パチンコ店はタバコの煙が充満している状態でした。父は何年もパチンコを続け、タバコの煙を吸い続けたのです。そして、しばらくして舌癌を発症しました。

田淵先生のお父様はタバコを吸われる方だったのですか。

 父はタバコを吸いませんでしたが、パチンコ店では受動喫煙にさらされ続けていました。能動喫煙だけでなく、受動喫煙がさまざまな病気を引き起こすことは科学的に実証されています。父の癌の原因が受動喫煙だけだとは言えませんが、1つの原因であっただろうと推測します。受動喫煙であっても、発癌性物質への曝露量が多ければ、もちろん癌が起きます。

「受動喫煙であっても発癌性物質への曝露量が多ければ癌を発症する」(田淵氏)

「受動喫煙であっても発癌性物質への曝露量が多ければ癌を発症する」(田淵氏)

 タバコの煙によってタバコを吸う人自身が病気になることが科学的に明らかですから、受動喫煙で病気になることはない、という主張は合理的ではありません。つまり、程度の問題です。受動喫煙のケースでは曝露の程度が低いケースや曝露の変化が激しいケース等が多く含まれるため、研究も複雑で困難です。そのため、受動喫煙によって舌癌など口腔癌になるとの研究結果は十分な数はそろっていません。しかし、能動喫煙により舌癌など口腔癌が増えることは実証されています。能動喫煙でも受動喫煙でも同じタバコの煙を吸うわけですから、タバコの煙の量が多ければ、同じように病気になると考えられます。

たばこ規制枠組み条約(FCTC)の批准国でありながら、日本は条約が求める屋内全面禁煙を達成できていません。このまま来年の東京五輪・パラリンピックを迎えることになるのでしょうか。

 健康増進法が改正されましたが、この法律では完全な屋内全面禁煙は達成できません。残念ながら、東京五輪・パラリンピック開幕までに、法律によって日本が完全な屋内全面禁煙になる見込みはないということです。しかし、法律によらず日本の各地で屋内全面禁煙を進めることが可能です。各企業のトップやタバコ対策担当者が、タバコの煙から「社員を守る」認識を持ち、禁煙支援を推進することと並行して屋内全面禁煙を採用することができるのです。

 東京五輪・パラリンピックのためだけに受動喫煙対策を実施するというのは恥ずかしいことだと思っています。「人を大切にする」とはどういうことなのか、我々はよく考えなければなりません。たとえば、受動喫煙の被害がより大きくなると考えられる小規模飲食店の従業員がタバコの煙から守られなくてもいいのか。そういった1つひとつについてきちんと議論を積み重ねて、できるだけ近い将来に屋内全面禁煙を法律によっても実現できるようにしていきたいと考えています。

(取材・文・写真:BUSINESS LAWYERS編集部)

【連載】改正健康増進法と職場の受動喫煙対策。第4回は田淵貴大氏(大阪国際がんセンター副部長)に喫煙者がタバコをやめられない原因「ニコチン依存症」について詳しく聞きます。
本当のたばこの話をしよう 毒なのか薬なのかへの企業対応 - 新たな協議・合意制度とその対応 -

  1. タバコをやめられなくする依存性物質。脳の発達にも害を及ぼす。 ↩︎

  2. 一酸化炭素は赤血球のヘモグロビン(Hb)と結合してCO-Hb(一酸化炭素ヘモグロビン)となる。酸素もヘモグロビンと結合して全身に運ばれるが、一酸化炭素は酸素よりもヘモグロビンと結合しやすい。タバコによる酸欠状態はこの作用によって生じる。一酸化炭素は虚血性心疾患の原因ともなる。 ↩︎

  3. 国際がん研究機関(IARC)が発がん性の十分な証拠があるとして注意を喚起している発がん性物質。心血管系への害なども報告されている。 ↩︎

  4. 発がん性物質。タバコ煙に含まれる発がん性物質の中でも、特にホルムアルデヒドなどのアルデヒド類がタバコの発がん性に強く関与しているとする細胞実験による研究論文(※)が発表されている。
    ※Weng MW, Lee HW, Park SH, et al. Aldehydes are the predominant forces inducing DNA damage and inhibiting DNA repair in tobacco smoke carcinogenesis. PNAS; Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 2018; 115(27): E6152-E6161. ↩︎

  5. 男性の歩きタバコの火が幼い女の子のまぶたを直撃して女の子が救急搬送された1994年の「船橋事件」をきっかけに、各自体で屋外での歩きタバコを禁止する条例制定が続いた。 ↩︎

  6. Chapman S. Japanese street smoking bans: a Japan Tobacco foil to prevent clean indoor air policy? Tob Control 2009; 18: 419. ↩︎

  7. 改正健康増進法では、資本金5,000万円以下の個人または中小企業で、客席面積100平方メートル以下の既存の飲食店が経過措置の対象(規制の対象外)となっている。経過措置の対象となる小規模飲食店は、最大で飲食店全体の55%程度と推計されている。 ↩︎

  8. 平成 29 年「労働安全衛生調査(実態調査)」の概況 ↩︎

無料会員にご登録いただくことで、続きをお読みいただけます。

1分で登録完了

この特集を見ている人はこちらも見ています

無料会員登録で
リサーチ業務を効率化

1分で登録完了

無料で会員登録する