役員研修の重要性 - 会計不正を切り口として
危機管理・内部統制
企業不祥事の再発防止策として、役員研修に注目が集まっています。しかし、経済産業省が実施したアンケート調査の結果などを見ると、真に役立つ役員研修が行われているか、疑問符も付きます。
本稿では、企業統治・内部統制構築・上場支援などのコンサルティングを手がけてきた一般社団法人GBL研究所理事、合同会社御園総合アドバイザリー顧問の渡辺樹一氏と、田辺総合法律事務所の市川佐知子弁護士の対話を通じて、役員研修の重要性について考えます。
役員研修の方針と実績の乖離
渡辺氏:
会計不正をはじめとする企業不祥事の調査報告書の中で、役員研修が再発防止策の1つとして盛り込まれることが多く見られます。実際に「役員研修」とネット検索をすると、多くのサービスプロバイダーが見つかります。経産省は最近、役員研修に関するアンケートを実施し、コーポレートガバナンスの向上には役員研修が重要な役割を果たすと認識しているようですので、今回は役員研修の種類や効用について再考し、対談したいと思います。また、会計不正事件との関係で、必要な役員研修の内容についても検討してみたいと考えています。
経産省は、2022年度委託事業として、社外取締役の研修やトレーニングに関する調査を行いました。「コーポレートガバナンス改革の実質化においては、社外取締役の質の向上が重要であると考えられ、そのための有効な手段の1つとして社外取締役向けの研修やトレーニングを活用することが考えられ、研修やトレーニングの現状及び課題を把握するとともに、企業様や社外取締役の皆様のご参考となり得るベストプラクティスを分析・整理する」としています 1。
今、なぜ役員研修が注目されているのでしょうか。
市川氏:
企業価値向上、攻めのガバナンスを銘打ったコーポレートガバナンス・コードが導入されて、7年が経ちました。コンプライ率は高く、社外取締役の数は増えています。それにも関わらず、企業の収益力は上がっていませんし、守りのガバナンスにおいても企業不祥事の公表件数はむしろ増えている状況です。ガバナンスを効かせるには体制だけでは足りない、不足を補うため取締役会の構成員の質を上げる必要がある、という考えが背景にあるように思います。
渡辺氏:
コーポレートガバナンス・コード原則4-14は従前から「取締役・監査役のトレーニング」を規定しており、このコンプライ率は、プライム市場企業で99.56%、スタンダート市場企業で97.12%です(2022年7月14日時点)2。高いコンプライ率は、取締役および監査役が十分トレーニングを受けていることを示すものではないのでしょうか。
市川氏:
残念ながら、方針と実績に乖離があります。役員研修を支援する方針を持っているという意味でのコンプライ率は、役員研修を活用している実績を示すものではないのです。企業の方針開示内容を読んでみると、役員が求めれば費用負担などの支援を行うというものが多く、企業は受動的・消極的姿勢をとっているのです。
しかし、どれほどの役員が自分で役員研修を探し出して、受講しているでしょうか、まして企業に費用請求しているでしょうか。開示情報も統計もないのでわかりませんが、かなり少ないという印象を持ちます。
役員研修における “腹落ち感”
渡辺氏:
私は自ら社外取締役を務めてもいますので、役員研修の情報を集め、受講もしています。「役員研修」で検索すると、科目として非常に幅広いものがランクアップされてしまいます。経営論も入ってきてしまいますし、コンプライアンス、ファイナンスもあります。個人としての役員に必要な研修科目はそれぞれなので、幅広い科目から選べばよいという考え方もあるでしょう。
他方で、役員全員が共通に必要としているコーポレートガバナンスという、いわば必修科目を履修しようとすると、適当な場所はかなり限られるという印象です。経産省が2020年に行ったアンケートでも「コーポレートガバナンスに関する研修の提供・受講状況」の項目において「適切な研修が分からない」とする回答がありました 3。
市川氏:
私が参画している、公益社団法人会社役員育成機構(BDTI)には、基礎編としてガバナンス塾、中級編として社外取塾、上級編としてロールプレイ研修があります。ガバナンス塾では、インタラクティブな進め方で、基礎的なコーポレートガバナンスやファイナンス、会社法、金商法を押さえ、実践的な文脈に即して、自分がとるべき言動をイメージしてもらうことを基本形にしており、“腹落ち感” があると参加者から評されています。
渡辺氏:
“腹落ち感” というのは非常に大事な点です。会計不正の調査報告書中で、再発防止策として役員研修が必要だとされることが少なくないのですが、役員研修で何を学ぶのかが重要なのです。たとえば売上の架空計上がなされた場合に、会計学の講師を呼んで収益認識基準を学ぶことがいつも適切な研修なのか、という問題です。
売上の架空計上の事件では、企業トップが率先して売上を膨らまし、内部統制を無効化して三線防衛ラインを突破し、監査役さえも黙らせてしまうことが多いのです。このような場合に、収益認識基準を教科書どおりに学んでも、効果的な研修とはいえないでしょう。
それよりも、相互に監視・監督するという取締役の義務や、強大な権限が与えられた監査役の、それに応じた重い責任を腹落ちさせる研修が必要とされるような気がします。
市川氏:
不祥事後に行われる役員研修では、研修内容が実際の事案に沿っており、再発防止策として意味があるのか、注意すべきでしょう。しかし、カスタマイズ研修は手間がかかり、適切な講師を見つけるのも容易ではありません。改善状況報告書に早く何か書かなければならないからと、焦点のずれた研修がなされていないか、しっかりチェックするのは、特に監査役の仕事のように思えます。
有価証券報告書提出の延長申請と “膿を出し切る” 覚悟
渡辺氏:
不祥事が発生した後もそうでしょうが、不祥事を防止する、会計不正を起こさせないための監査役(実は取締役も同じですが)の責任も非常に重いものです。この点、BDTIの研修ではどのように扱っていますか。
市川氏:
会計不正は、発生前の防止と発生後の対処が交錯します。気付いたときには発生しているのですが、そこで止めればその後の防止になります。時間との戦いであること、相当の勇気が必要であることを覚悟してもらう研修をしています。
「会計不正を許してはいけません」という研修は正論ですが、正論だけでは行動には結びつかないのが辛いところです。会計不正は、最初ははっきりそれとは分かりません。疑義が浮上し、調査を進めるにつれ、徐々に真相が明らかになります。
問題は時間の経過とともに会計不正が進行してしまうことです。すでに提出してしまった会計不正を含む報告書が公衆縦覧され続け、影響を受ける投資家が増えます。それだけでなく、会計不正は一度手を染めると、辻褄を合わせるために継続させる必要があり、提出期限がくるたびに、会計不正を含む新たな報告書が提出されることになります。いわば不正製造装置が自動運転状態にあるわけですが、真相は分からない段階でも、誰かが勇気を持ってまずは止めなければならないのです。
渡辺氏:
止めるといっても、報告書の提出期限は容赦なく迫ってきます。期限までに提出できなければ、課徴金や罰則の適用があります(金商法172条の3、197条の2第5号)。期限までに真相解明が追いつかないとき、どうすればよいでしょうか。
市川氏:
有価証券報告書の提出期限は「やむを得ない理由」がある場合、延長申請をして財務局長の承認を受けることができます(金商法24条1項、内閣開示府令15条の2第3項)。「やむを得ない理由」の中には次のようなものがあります。
⚪︎ 企業内容等の開示に関する留意事項について(企業内容等開示ガイドライン)24-13 4
- 過去に提出した有価証券報告書等のうちに重要な事項について虚偽の記載が発見され、当事業年度若しくは当連結会計年度の期首残高等を確定するために必要な過年度の財務諸表若しくは連結財務諸表の訂正が提出期限までに完了せず、又は監査報告書を受領できない場合であって、発行者がその旨を公表している場合
- 監査法人等による監査により当該発行者の財務諸表又は連結財務諸表に重要な虚偽の表示が生じる可能性のある誤謬又は不正による重要な虚偽の表示の疑義が識別されるなど、当該監査法人等による追加的な監査手続が必要なため、提出期限までに監査報告書を受領できない場合であって、発行者がその旨を公表している場合
まず、延長申請を行って自動運転を停止し、延長された期間中に会計不正の全容を解明して膿を出す、という断固たる姿勢が求められます。
渡辺氏:
しかし、延長によって時間を稼げるとしても、相当の覚悟が必要です。有価証券報告書が期限までに提出できないなど、たいていの企業にとっては前代未聞の事態です。延長申請には「その旨を公表」する必要があり、つまり適時開示によって虚偽記載があったことや監査報告書がもらえないことを明らかにしなければなりません。東証はこのような適時開示の義務について、実務ステップを公表しています 5。
また、延長は無制限ではないのです。適時開示を行った各社の実例を見ると、再延長申請によっても3か月が精一杯のようです 6。
延長された期限までに監査報告書添付の有価証券報告書を提出する必要があり、これらができなければ、基本的には監理銘柄に指定されてしまいます(上場規程608条、上場規程施行規則604条(10))。監査法人による意見不表明のままで有価証券報告書提出を行った東芝の例もありますが、例外的なものです。延長された期限までに過去の有価証券報告書について訂正報告書を提出し、延期していた進行年度の有価証券報告書も提出するのがあるべき姿です(監査基準報告書 705 周知文書第2号「監査意見不表明及び有価証券報告書等に係る訂正報告書の提出時期に関する周知文書」7 )。
このような修羅場を自らの判断で引き起こさなければならないのは、役員にとって相当高いハードルです。
市川氏:
しかし、行動を起こさなければ会計不正を繰り返すことになり、虚偽記載によって損害を被った投資家からの賠償請求の被告となって、個人的に責任を負わされる事態の深刻さにも思いを致せば、躊躇は危険です。役員個人として引き受ける賠償責任のほかにも、そもそも躊躇が投資家にどのような影響を与えるのか、会社に何が起きるのかを具体的に知って、有事モードへ切り替え、躊躇する気持ちと戦ってほしいというメッセージを込め、研修が実施されます。
受講生から、有価証券報告書を期限どおりに出さないなど許されるのか、よくあることなのか、と質問されることがあります。この質問には、期限延長申請という手段に気付いた驚きと、その手段が手頃なもので、躊躇を覚えず使えるものであってほしい、という期待が表れているように思えます。残念ながら「頻繁にあることなので気軽に使ってください」といえるようなものではなく、躊躇のハードルはやはり高いというべきでしょう。覚悟が必要です。
不祥事に直面した社外役員の心境 - 東芝の適時開示を例に
渡辺氏:
そのような有事の場合、社内も社外もなく、現実を信じたくないのが正直な心情でしょう。執行担当取締役としては、社内実務がそれほど大きな問題を抱えているわけはないと信じたいでしょう。社外役員としても、そのような問題を抱えているとは思わず就任しており、自らが主体的に行動しなければならない事態を想定していないはずです。そのような平時マインドの役員に有事モードへの切替えを訴える研修は、有事に備える研修として必要なことだと思います。名門企業とされていた東芝の適時開示(2015年)を例に、不祥事に遭遇した社外役員の心境を推測してみました。
【4月3日】
東芝が当初、特別委員会設置を適時開示したとき、調査対象は工事進行基準が使用されるインフラ工事案件の適正性だけでした。社外取締役の1人は特別委員会の一員となりますが、影響は限定的と捉えていたでしょう。この段階では金額の記載もなく、財務諸表へのインパクトは不分明です 8
【5月8日】
第三者委員会の設置が必要な事態になり、過年度の決算修正が必要となる可能性が適時開示されました。当期決算にも当然影響するので、6月30日までの有価証券報告書提出が怪しくなってきます。社内も社外もなく前代未聞の事態に、取締役は青ざめたと思います
【5月22日】
調査対象が映像事業、半導体事業、パソコン事業にも広がったことが適時開示されます。もう有価証券報告書の提出期限を守れないことが明白といえます
【5月29日】
8月31日まで延長申請を行ったことが適時開示されます。まだ影響額がわかりませんので、楽観的なムードも残っていたかもしれません
【6月12日】
影響額の一端が適時開示されます。2009から2013年度まで累計の営業損益ベース512億円という巨額数字が現れました。しかし、東芝は大企業ですし、5年累計と考えれば、それほど大きくないとうそぶくこともできる数字ともいえます 9。報道は、影響額1500億円、3000億円とエスカレートしましたが、7月20日の第三者委員会報告書に関する適時開示では、累計1518億円となりました。社外取締役としては、本当にそれで全部なのか、不安もあると思いますが、第三者委員会から言われるままを受け入れるしかない心境だったでしょう 10
【8月18日】
この日の適時開示で、過去修正額も当期業績予想額も確定したかに見えました 11
【8月31日】
ところが、延長された期限の日になって、9月7日までの再延長申請を行うという適時開示がなされました。
8月18日以降に子会社に対する監査が必要とされる事態になり、計算書類を監査法人に渡したのが8月30日になったというのです。過去の訂正報告書も当期の有価証券報告書もまだ作成中としました。方々からの悲鳴や怒号が聞こえてきそうな適時開示です 12
9月7日の期限には何とか監査報告書添付の有価証券報告書を提出することができました。ご記憶のとおり、東芝の受難はこの後も続くのですが、会計不正の疑惑から、調査を開始させ、有価証券報告書の延長申請を経て、調査を完了させ、有価証券報告書を提出するという一巡りにだけ着目して、ここで止めます。
日本を代表する名門企業といわれていた企業でも、このようなことが起こるわけですから、どこの企業にしろ、役員になった以上は有事を想定することが大切です。
市川氏:
役員研修は、教科書的な講義ではなく、自らの思考回路を有事モードで一度回してみること、自分の言動をイメージできるような実践的なものであることが大切だと思います。
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経済産業省「社外取締役の研修やトレーニングに関する調査」(2023年2月20日、2023年5月8日最終閲覧) ↩︎
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東京証券取引所「『コーポレートガバナンス・コードへの対応状況の集計結果(2022年7月14時点)』」(2022年8月3日、2023年5月8日最終閲覧) ↩︎
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経済産業省「社外取締役の現状について(アンケート調査の結果概要)」(2020年5月13日、2023年5月8日最終閲覧) ↩︎
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金融庁「企業内容等の開示に関する留意事項について(企業内容等開示ガイドライン)」(2023年1月、2023年5月8日最終閲覧) ↩︎
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東京証券取引所「有価証券報告書・四半期報告書の提出遅延」(2023年5月8日最終閲覧) ↩︎
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(参考事例)
サクサホールディングス株式会社「第17期(2020年3月期)有価証券報告書の提出期限延長(再延長)に係る承認に関するお知らせ」(2020年9月11日、2023年5月8日最終閲覧)
サクサホールディングス株式会社「第17期有価証券報告書および第18期第1四半期報告書の提出完了に関するお知らせ」(2020年10月12日、2023年5月8日最終閲覧) ↩︎ -
日本公認会計士協会監査・補償基準委員会「監査意見不表明及び有価証券報告書等に係る訂正報告書の提出時期に関する周知文書」(2022年3月1日、2022年10月13日改正、2023年5月8日最終閲覧) ↩︎
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株式会社東芝「特別調査委員会の設置に関するお知らせ」(2015年4月3日、2023年5月8日最終閲覧) ↩︎
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株式会社東芝「自社チェック結果、特別調査委員会の調査概要及び第三者委員会への委嘱事項との関係についてのお知らせ」(2015年6月12日、2023年5月8日最終閲覧) ↩︎
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株式会社東芝「第三者委員会調査報告書の受領及び判明した過年度決算の修正における今後の当社の対応についてのお知らせ」(2015年7月20日、2023年5月8日最終閲覧) ↩︎
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株式会社東芝「新経営体制及びガバナンス体制改革策並びに過年度決算の修正概要及び業績予想についてのお知らせ」(2015年8月18日、2023年5月8日最終閲覧) ↩︎
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株式会社東芝「第176期有価証券報告書(自2014年4月1日至2015年3月31日)の提出期限延長(再延長)に関する承認申請書提出に関するお知らせ」(2015年8月31日、2023年5月8日最終閲覧) ↩︎

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