「ビジネスと人権」に関するリスク管理の課題 – 国内ガイドラインの状況と欧州諸国のハードロー化への対応
危機管理・内部統制
目次
ドイツのサプライチェーン・デュー・ディリジェンス法や英国の現代奴隷法など、各国がビジネスと人権に関連する立法を競うなか、企業には、より深度をもった人権リスクの検討・評価が求められつつあります。しかし、「どこからどこまでが人権侵害に該当するか」に関する明確な指針はなく、唯一の正解もありません。
本稿では、企業統治・内部統制構築・上場支援などのコンサルティングを手がけてきた一般社団法人GBL研究所理事、合同会社御園総合アドバイザリー顧問の渡辺樹一氏と、田辺総合法律事務所の市川佐知子弁護士の対話を通じて、ビジネスと人権について考えます。
日本企業にとっても身近にある人権侵害
渡辺氏:
ESG投資とそれに対応するためのESG経営の動きが加速しています。ESG経営には、機会の利用によって企業価値をより高める戦略と、リスク管理によって企業価値の毀損を防ぐ内部統制が必要です。ESG経営という新しい概念が出現しても、そこで必要になるリスク管理はこれまでに論じられてきたリスク管理と同じ、ないしはその延長線上にあるものだと思います。異質なものが突然、必要になるわけではありませんし、またそのようなものは機能もしないでしょう。この点、改めて議論する必要はあるでしょうか。
市川弁護士:
ESG経営においても、リスク管理の基本的な考え方や仕組みは同じだと思います。ただし、ビジネスの発展に伴って、リスクが顕在化する場所が変わる、頻度が上がる、同時多発性が高まるなど、リスク評価の仕方を変えなければならない場合があります。また、社会的関心が変化し、リスクが顕在化した場合のインパクトの大きさについても、考え直さなければならない場合もありそうです。
渡辺氏:
そのような場合の典型例として「ビジネスと人権」があげられると思います。今回はこの問題を取り上げてみましょう。
市川弁護士:
「ビジネスと人権」は最近、耳にすることが多くなった用語です。簡単にまとめると「企業が事業活動する過程で人権を侵害してしまうリスクを予防・是正するための体制を構築するよう求める動きである」ということができると思います。人権侵害というと、日本から遠い国で起きること、というイメージがあります。しかし、日本でも過労死やうつ病による自殺が労災認定される事件も少なからずあり、企業が日本国内で事業活動する過程で、労働者の生命身体という基本的人権が脅かされる事態も実際に起きているわけです。
2011年に国連人権理事会が承認した「ビジネスと人権に関する指導原則(指導原則)」に基づき、日本でも国別行動計画(NAP)が2020年10月に成立しました 1。この中でも労働者の権利がさまざまな局面で取り上げられています。
一般財団法人国際経済連携推進センター(CFIEC)の「中小企業のための人権デュー・ディリジェンス・ガイドライン」とOECDガイダンス
渡辺氏:
「ビジネスと人権」を語るとき、事業活動が自社だけで完結せず、サプライチェーンがつながっており、人権侵害がその中で起きる、という難しさを忘れてはなりません。服飾や履物産業では、児童労働や強制労働によって製品ができ上がっていることがあり、ブランドボイコット運動を引き起こすことがあります。さらには国家の輸入制限まで引き起こす例もあり、人権侵害が問題となっている新疆ウイグル自治区由来ではないという証明ができないとして、米国で日本企業の現地法人が商品を輸入できないという事態もありました。
まさに企業のリスク管理の問題なのですが、自社の内部統制だけではリスク管理できないのです。企業はどのように対応していくべきでしょうか。
市川弁護士:
企業の対応を考えるとき、自社がサプライチェーンの中でどのような位置付けにいる企業なのかを意識すると、混乱を避けることができます。最終製品に自社ブランドマークを付すような上流に位置する企業であれば、製品のサプライチェーンの中で人権侵害がなされないような綿密な仕組みを構築する必要があります。最終製品が必要とする部品やサービスを提供する中流・下流に位置する企業であれば、上流企業が構築した仕組みの中のルールを遵守することで、取引関係を維持できるようにする必要があります。
現状、いずれの位置付けの企業においても、対応は万全といえず、日本では企業を支援するためのガイドライン作りがなされ、またはなされようとしている段階です。すでに完成しているガイドラインとして、たとえば一般財団法人国際経済連携推進センター(CFIEC)の「ビジネスと人権問題を考える研究会」がまとめた「中小企業のための人権デュー・ディリジェンス・ガイドライン〜持続可能な社会を実現するために〜」(2022年2月)があります。
巨大なグローバル企業がサプライヤーに求めるルールは非常に厳しく詳細です。中小企業向けのガイドラインが他に先んじて完成したのには、不遵守はいずれ契約解除につながるため、中流以下の企業における対応の支援が急がれた、という事情があるように見受けられます。このガイドラインでは、人権デュー・ディリジェンス(以下「人権DD」)の定義は次のようになっています。
この定義は、OECDが発行した「Due Diligence Guidance For Responsible Business Conduct」(2018年5月31日)の記載に基づいているようです。
そして、CFIECガイドラインは、具体的な人権DDとは、次のようなステップ1から4まで、さらに苦情処理メカニズムを整備することであると記載しています。
- ステップ 1:人権方針の策定
- ステップ 2:人権の影響評価
- ステップ 3:是正・軽減措置の実行
- ステップ 4:モニタリング・実効性評価
- 苦情処理メカニズムの整備
OECDガイダンスでは次のように6ステップになっています。これを整理し直したものでしょうか。
- Embed responsible business conduct into policies and management systems
- Identify and assess actual and potential adverse impacts associated with the enterprise’s operations, products or ser vices
- Cease, prevent and mitigate adverse impacts
- Track implementation and results
- Communicate haw impacts are addressed
- Provide for or cooperate in remediation when appropriate
ドイツのサプライチェーン・デュー・ディリジェンス法
渡辺氏:
これまでにも論じてきた、リスク管理や内部統制体制で必要となる要素ばかりです。やはり、まったく異質のシステムが必要になるわけではなく、これまでのシステムの延長線で対応可能だとの意を強くしました。ただ、予防措置が抜けているように見えてしまいます。「是正」はリスクが顕在化したクライシスを正す、という語感があります。是正がそういう意味だとすると、予防措置が欠けているのではないでしょうか。
市川弁護士:
このガイドラインでは、「予防」という単語は5回出てくるのみです。「是正」を「予防」の意味で使っているのかもしれませんが、両者をはっきりと分けたほうが理解しやすいですし、行動計画に取り込みやすいと思います。この点、ドイツのサプライチェーン・デュー・ディリジェンス法 2(以下「ドイツ法」)を見てみましょう。
ドイツ法の法案は、2021年3月3日に閣議決定され、6月11日に連邦議会で可決されました。6月25日に連邦参議院で承認され、2023年1月1日からの施行が決まっています。
ドイツ法 2(2)1-12は、大まかに、次のような事態からの労働者の権利保護に重点をおいています。
ドイツ法 6では予防措置が定められています。企業がリスクを特定したのち、そのリスクに応じて、人権戦略の方針を発行し、自社の予防施策や直接サプライヤーに対する予防措置を提示し、それらの実効性を毎年確認することが企業に義務付けられています。
また、ドイツ法 7(1) では是正措置が定められています。人権侵害が発見された後は、当該侵害を防止、終了または軽減するための是正措置をとることが企業に義務付けられています。リスク顕在化前の予防措置と顕在化後の是正措置はまったく別物ですから、これらを明確に分けた点で、理解しやすい条文設計になっているといえるでしょう。
このドイツ法は、2023年1月1日から従業員3,000人以上の企業に適用され、2024年1月1日からは従業員1,000人以上の企業に適用される、大企業向けのものです。CFIECのガイドラインが対象とする中小企業とは違いますが、企業の大小やリソースの多寡で、予防と是正を区別する必要性が変化するわけでもなく、区別の重要性はどのような企業にも該当すると考えます。
企業の外にある人権侵害への対応
渡辺氏:
次に、このテーマ特有の根幹的な問題である、企業の外にある人権侵害にどう対するのかに目を向けてみましょう。まずCFIECのガイドラインはどうですか。
市川弁護士:
「取引先等が関わっている人権課題への対応事例」として「事業の実施プロセス変更の検討」や「原因となっている取引先等への働きかけ」があります。
前者は端的にいえば商流変更、つまり契約解除を指しているものと考えられます。後者の具体例として「取引先等に自社の人権方針や調達方針を遵守することを要請」「取引先等の状況を確認するための調査や監査を実施」「取引先等の状況改善のための方法を一緒に検討(研修の開催等)」があげられています。直接の契約関係がないビジネス上の関係先の場合には「契約関係にある取引先を通じて働きかけを行っていきましょう」とされています。
渡辺氏:
穏当な方法ですし、働きかけで是正できるのであれば、それが一番だと思いますが、人権侵害のリスクや事実が改善できない場合、エスカレーションの仕組みはあるのですか。
市川弁護士:
モニタリングをアンケートから監査に変えるなどのエスカレーションは考えられているのかもしれませんが、CFIECのガイドラインの中には「解除」や「解約」という単語はありません。「事業の実施プロセス変更の検討」はそれを暗示しているともいえますが、はっきり書かれていません。この点が企業にとってのリスクにならないか、懸念が持ち上がります。つまり、エスカレーション手段がないと誤解した中流・下流の企業が、働きかけよりも強い対応をとらずにいると、人権侵害に適切に対処しなかったと見られて、上流の企業から契約解除されてしまうような事態が生じないか、という懸念です。
渡辺氏:
ドイツ法ではどうですか。
市川弁護士:
ドイツ法 6(3) では、予防措置として、直接取引先に対し、選定時に人権を考慮し、契約で縛り、研修の実施確保、遵法が確認できる契約上の仕組みをとることが義務付けられています。
また、是正措置のほうは、ドイツ法 7(2) で、直接サプライヤーで生じた人権侵害を終了させる見込みが立たない場合、終了または軽減させる「コンセプト」というものを遅滞なく策定・実施することを、企業に義務付けます。コンセプトには明確な期限を定め、人権侵害発生企業との共同措置、事業者団体の共同措置、取引の一時的停止を手段の1つとして考慮するべきであると、法は規定しています。契約解除が義務付けられる場合として、人権侵害が深刻である、コンセプトが奏功しない、ほかにとりうる手段がない、が規定されています。法律にはっきりとエスカレーションの最終段階である契約解除が規定されているのが明快です。
なお、製品の製造国が人権に関する国際協定を批准していない場合でも、その事実のみで当該国にあるサプライヤーとの取引関係を絶つ理由にはなりません(7(2) 後段)。
法律が契約解除を義務付ける場合はかなり限定的ですが、企業はぐずぐずできません。上流企業がブランドボイコットのリスクを回避・軽減するため、サプライヤー契約を解除するべきかどうかの判断は、法律の義務履行とは別次元で行う必要があります。
中流・下流の企業の場合は、契約解除しないでいるうちに、上流の企業から自社が契約解除されるリスクも考えて行動する必要があり、これは法律上の義務履行とは別次元で行われます。代替調達先が確保できるのか、調達コストアップは許容できるか、売上計画を維持できるのか、何よりも得意先に責任を持って納品できるのか、ビジネスの中核に影響する非常に難しい判断となります。
渡辺氏:
判断が難しいとしても、契約解除という手段があればまだよいかもしれません。直接の契約関係がなかったらどうなりますか。
市川弁護士:
ドイツ法 9(1) では、製品(サービス含む)の生産に必要なサプライヤー(間接サプライヤー)事業活動に起因した人権侵害について苦情受付窓口を設置することが企業に義務付けられています。そして、9(3) では、間接サプライヤーにおける人権侵害の可能性があることを示す現実の兆候がある場合、企業には遅滞ない行動が義務付けられます。つまり、リスク評価、予防措置の提示、コンセプトの作成と実施、方針の改訂です。
渡辺氏:
ドイツ法は一歩先んじているようですが、欧州議会でも同様に人権DDを義務化する法案が2021年3月に決議され、これを受けて欧州委員会では2022年2月EU指令案を公表しています。
オランダでは児童労働デュー・ディリジェンスに関する法律が2022年に成立すると見込まれているようで、「ビジネスと人権」における欧州諸国のハードロー化が急速に進みつつあります。日本企業として心得ておくべきことはありますか 3 4 5。
市川弁護士:
日本ではハードローではなく、いまのところガイドライン制定の動きしか見られません。ガイドラインと違って法律には拘束力があり罰金を含むペナルティもありますから、外国法の適用を受ける日本企業であれば、当然、法律に照準を合わせざるを得ません。
ちなみに、ドイツ法では、デュー・ディリジェンス遵守義務に反した場合、原則として最大80万ユーロの行政上の罰金が科されます(24(2) 第1文)。平均年間売上高が4億ユーロ以上の企業の場合、違反内容によっては、平均年間売上高の2%が科される可能性もあります(24(3) 第1文)。
そして、17.5万ユーロ以上の罰金が科された場合、3年を上限として公共入札から除外される可能性もあるという、非常に厳しいペナルティが定められています(22(2) )。
このほか、法律とは別に、上流企業によるサプライチェーン内のルールを遵守する必要がある立場の企業もあります。自社が何を守るべきなのか、しっかり把握し、違反の重大性を正確に捉える必要があるといえるでしょう。
渡辺氏:
そのような多数のルールが錯綜するなかで、日本のルールはどうなっていくのでしょうか。中流・下流に位置付けられそうな中小企業向けガイドラインは見てきましたが、上流の大企業向けのガイドラインはないのですか。
市川弁護士:
経済産業省が「サプライチェーンにおける人権尊重のためのガイドライン検討会」を設置し、2022年3月9日に第1回が開催されたところです 6。この検討会が目指すガイドラインは、企業規模にかかわらず使用できるものとすることが想定されており、上流の大企業をも包摂しつつ、中小企業への配慮も論点として掲示されています。
現在はまだ第1回目が開かれたところですが、ガイドライン案の取りまとめは2022年夏を目指しているとありますので、この動向にも注意が必要です。
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ビジネスと人権に関する行動計画に係る関係府省庁連絡会議「『ビジネスと人権』に関する行動計画(2020−2025)」(2020年10月) ↩︎
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欧州委員会「COMMUNICATION FROM THE COMMISSION TO THE EUROPEAN PARLIAMENT, THE COUNCIL, THE EUROPEAN ECONOMIC AND SOCIAL COMMITTEE AND THE COMMITTEE OF THE REGIONS」(2020年5月20日) ↩︎
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欧州委員会「Just and sustainable economy: Commission lays down rules for companies to respect human rights and environment in global value chains」(2022年2月23日) ↩︎

一般社団法人GBL研究所

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