ストレッチ目標とリスク管理

危機管理・内部統制
渡辺 樹一 一般社団法人GBL研究所 市川 佐知子 田辺総合法律事務所

目次

  1. “不合理” “過度” の線引き
  2. 米国消費者金融保護局によるガイドライン
  3. 金融庁の対応
  4. 日米の共通点

 民間企業は、利益を生み出し、成長し続けることが求められます。そのため、経営陣が従業員に対し、数値目標の達成を求めること、プレッシャーをかけることは、当然のことでしょう。しかし、プレッシャーが従業員にとって重荷となり、不正行為を招く事態も忘れるべきではありません。
 本稿では、企業統治・内部統制構築・上場支援などのコンサルティングを手がけてきた一般社団法人GBL研究所理事、合同会社御園総合アドバイザリー顧問の渡辺樹一氏と、田辺総合法律事務所の市川佐知子弁護士の対話を通じて、適切な目標設定とその管理について考えます。

“不合理” “過度” の線引き

渡辺氏:
実現性のない不合理な数値目標や、数値目標達成への過度なプレッシャーは、不正発生の原因となっています。これらをなくすためにはどうするべきか、考えてみたいと思います。

市川弁護士:
よく聞く問題提起ですが、同時に次のような反論もよく聞きます。それは「企業が収益を拡大しようとすれば、ストレッチを加えた目標が必要であり、達成のためのプレッシャーも当然かけなければならない、それらがなければ収益拡大はないし、企業価値の向上もない」というものです。私には、どちらの指摘も正しいように聞こえます。
「合理的な目標を設定して適度なプレッシャーはかけるが、不合理な目標は掲げず過度なプレッシャーはかけない」といったことができるのであれば、問題は発生しません。問題の元凶は、何が “不合理” な目標か、どの程度が “過度” なプレッシャーか、一義的には決まらないところにあります。
ここでは、この元凶に対する日米の態度を、金融機関の不祥事の文脈中で比較して、対策の参考にしてみましょう。

米国消費者金融保護局によるガイドライン

渡辺氏:
米国では、ウェルズ・ファーゴ銀行が2002年から16年まで顧客に無断で口座を開設させるなどの不正営業を行っていた事件で、30Bドル(約3,300億円)を支払うことを米司法省と合意しています 1
他方、日本では、スルガ銀行が不動産投資ローンの審査で書類を偽造するなどして審査基準に満たない案件にも融資を実行していた事件が2018年に発覚し、金融庁から半年間の新規融資業務停止等の処分を受けています 2
いずれの事件も、行き過ぎたノルマ、過度なプレッシャーが原因と分析されています。この原因に対して、日米でどのような態度の違い、あるいは共通点があるのでしょうか。

市川弁護士:
まず、米国のほうを見てみましょう。米国消費者金融保護局(Consumer Financial Protection Bureau:CFPB)は、2016年11月28日に「インセンティブ報酬が消費者に与える被害を発見・予防すること」3 と題する冊子をガイドラインとして公表しました。
CFPBは、インセンティブ報酬が金融業界で広く用いられていること、また「合理的」報酬が適切に適用・モニターされていればサービスの向上やより良い商品の紹介など消費者にとっても利便性があることを認めています。インセンティブ報酬を良くないものとして止めることを求めていないわけです。
反面、インセンティブ報酬には口座の無断開設、不必要な手数料発生のような、消費者に損害をもたらすリスクがあることも認識しています。
そして、リスク管理のために、金融機関がコンプライアンス管理システム(CMS)を構築、運用するよう期待するとしています。
「どのようなCMSを構築するべきかについては、リスクの性質や程度、組織のサイズや複雑さによって異なる」とCFPBは前置きしながらも、次のような要素が必須ではないかと示唆します。

  • 取締役会および経営層による監視
  • コンプライアンスプログラム
    規定、手続
    研修
    モニタリングと是正措置
  • 消費者苦情処理プログラム
  • 独立コンプライアンス監査

ガイドラインでは、それぞれの要素でとるべきステップが例示されています。
まず「取締役会および経営層による監視」では、①インセンティブ報酬制度決定には、そのプラスの効果だけではなく、消費者を害する付随的な効果をも考慮するべきこと、②コンプライアンス担当部署にCMSをデザインする権限を持たせ、予算も与えること――があげられています。
次に「コンプライアンスプログラム」では、①ノルマの透明性や達成可能性という「合理性」を備えること、②監督者である上司が顧客満足度について責任を持ちながら、同時にインセンティブ報酬対象者であるというコンフリクトを発見するメカニズム――が特記されています。

「研修」については、①倫理行動も含めたインセンティブ報酬の支払条件、②消費者に説明するために十分な金融商品の知識――が重視されています。
「モニタリング」では “メトリクスモニタリング” が取り上げられています。つまり、ある商品の普及率、ある個人への浸透度、ある従業員や所属組織の業績トレンド、インセンティブ報酬の支払額、インセンティブ報酬を受け取れる条件と対照させて見た口座開設、入金、解約等の統計情報をモニタリングすることなどです。
モニタリングで脆弱性を発見したら、即座にとるべき「是正措置」として、解雇を含めた懲戒処分、解雇統計から行う根本原因の分析、インセンティブ報酬設計の変更、消費者の被害回復、取締役会や経営層への報告があげられています。
また「消費者苦情処理プログラム」では、インセンティブ報酬が消費者利益を害していないか、情報収集・分析するために使用すべきステップが記載されています。
さらに「独立コンプライアンス監査」では、インセンティブ報酬が適用される商品や、インセンティブ報酬と商品実績について、営業業務からも社内のコンプライアンスプログラムからも独立した外部監査を行う必要が記載されています。

渡辺氏:
「合理的」な報酬にするためのステップはもう少し詳しく記載されていませんか?

市川弁護士:
ノルマの達成可能性にほんの少し触れるだけで、それ以上の詳しい規定はありません。「合理性」の線引きは微妙で難しい問題なので、そこにはあまり拘泥せず、不合理な報酬制度であった場合に、異常を早期に発見するステップに注力する考え方をとっていると理解できます。

金融庁の対応

市川弁護士:
対して日本に目を向けますと、金融庁が2019年6月に「コンプライアンス・リスク管理に関する傾向と課題」4 という文書を公表しています。
この文書は「コンプライアンス・リスク管理に関する検査・監督の考え方と進め方(コンプライアンス・リスク管理基本方針)」として2018年10月に公表されたディスカッション・ペーパーのいわば補論です。基本方針に寄せられたパブリックコメントにおいて、具体的な事例、課題、創意工夫を聞いて対応の参考にしたいという要望が多く、それに応えるために編纂されたそうです。
「コンプライアンス・リスク管理に関する傾向と課題」の中で、人事・報酬制度が内部統制の仕組みの一環として取り上げられており、次のような創意工夫が紹介されています。

  • ノルマの押付けを廃止し、目標は自己で設定させる
  • ボトムアップで吸い上げた情報を前提に、顧客ニーズのある商品提供を前提とした目標を設定する
  • 個人表彰をやめてチーム表彰する

渡辺氏:
こちらでは、不合理な報酬としないための直接的なステップが記載されています。

市川弁護士:
確かにそうなのですが、冒頭で出てきた「ストレッチ目標は収益拡大に必要」という指摘と相反しないでしょうか。ノルマ設定が問答無用型でなく、きめ細かなコミュニケーションを経て顧客のニーズ・現場の実情を反映したものであるべき、という点は正論だと思います。しかし、目標を自己設定に任せれば、達成できそうな安全な数字しか出てこない可能性が高く、収益拡大を目指す企業活動の基本と不整合ではないでしょうか。
個人を表彰しないというのも、企業業績が1人ひとりのがんばりから成り立つものであるというシンプルな事実から目を背けているように思えます。
「コンプライアンス・リスク管理に関する傾向と課題」であげられた創意工夫は、不祥事経験企業においてノルマ自体が悪者になり、反動でノルマ廃止ないし極小化という対極に振れたものではないでしょうか。時間が経てば、企業活動は基本に回帰し、自己設定目標は持続可能なステップではない気がします。
日本では、悪いものをなるべく根元から断つ意識が強すぎるようで、インセンティブ報酬を不合理なものとしないためのフェーズが重視されます。この点、米国ではインセンティブ報酬が不合理になっていないか見張り、異常を早期に発見するという、いわば次のフェーズのステップが多く定められているのと対照的です。
そして、早期発見のための統計情報利用、不正行為があった場合の懲戒処分を含む対応など、企業がとるべき対策が客観的で事実本位であるのが米国のガイドラインの良い点だと思います。日本企業にも参考になるのではないでしょうか。

日米の共通点

渡辺氏:
日米で共通する点はありますか。

市川弁護士:
「コンプライアンス・リスク管理に関する傾向と課題」は、インセンティブ報酬に限ったものではなく、コンプライアンス・リスク管理全般について触れるものです。その意味で、共通点は探せる範囲が限られ多くありません。
しかし「コンプライアンス・リスク管理に関する傾向と課題」が経営陣の姿勢や外に開かれたガバナンス態勢について取り組み例をあげるのは、インセンティブ報酬制度について取締役会や経営層の監視が重要であるとする米国のガイドラインと整合している、と言えると思います。
インセンティブ報酬の設計、ノルマの設定などは、通常、執行部に委譲されており、取締役会での議論・報告は多くないと思います。今後、取締役会の関与を見直す必要がありそうです。

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  1. Bloomberg「米銀ウェルズ・ファーゴ、3300億円支払いで訴追回避-不正行為巡り」(2020年2月22日、2021年9月7日最終閲覧) ↩︎

  2. 金融庁「スルガ銀行株式会社に対する行政処分について」(2018年10月5日、2021年9月7日最終閲覧) ↩︎

  3. CFPB「Detecting and Preventing Consumer Harm from Production Incentives」(2016年11月28日、2021年9月7日最終閲覧) ↩︎

  4. 金融庁「『コンプライアンス・リスク管理に関する傾向と課題』の公表について」(2019年6月28日、2021年9月7日最終閲覧)) ↩︎

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