民法(債権関係)改正による消滅時効に関する見直しが与える労働法制への影響
取引・契約・債権回収民法(債権関係)の改正法案が平成29年に国会で成立して、債権の消滅時効が5年とされると聞きましたが、当社従業員が有する賃金債権などの消滅時効は従前の2年のまま維持されると考えてよいのでしょうか。
民法(債権関係)改正においてなされた消滅時効に関する見直しにあわせて、現在、厚生労働省内に設置された検討会で、①賃金等請求権の消滅時効期間の在り方、②年次有給休暇請求権の消滅時効期間の在り方、③その他(書類の保存期間、付加金等)の関連規定の在り方が議論されています。賃金等請求権について2年(退職手当については5年)とされていた消滅時効期間の見直しも検討されており、今後の議論を見守る必要がありますが、民法(債権関係)の改正にあわせて伸長されることも必ずしも否定はできず、労務管理上、大きな影響を及ぼす可能性があります。
解説
目次
民法(債権関係)改正の概要
平成29年5月26日、第193回国会において、「民法の一部を改正する法律」(平成29年法律第44号)(以下、「改正民法」といいます)および「民法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律」(平成29年法律第45号)が成立し、同年6月2日に公布されました。そして、改正民法の施行期日は、公布の日から3年を越えない範囲内において政令で定める日とされていましたが、平成32年(2020年)4月1日とすることと平成29年12月20日に定められました(「民法の一部を改正する法律の施行期日を定める政令」(政令第309号))。
今回の改正は、民法のうち債権関係の規定について、取引社会を支える最も基本的な法的基礎である契約に関する規定を中心に、社会・経済の変化への対応を図るための見直しを行うとともに、民法を国民一般に分かりやすいものとする観点から実務で通用している基本的なルールを適切に明文化することとしたものとされ、法定利率や保証、債権譲渡、約款(定型約款)など、改正事項は多岐にわたります。
現在、これら改正事項については、施行期日までに法務省をはじめとする関係各省などによって、国民への周知が図られ、また、学者や弁護士等によるさまざまな書籍発刊・講演等が実施されているところであり、皆様方の会社においても対応に向けて契約書あるいは取引スキームの見直しなどの対応に追われていることと思います。
本稿では、改正民法による改正事項のうち、消滅時効に関する見直しによる労働法制への影響について、法務省内に設置された「賃金等請求権の消滅時効の在り方に関する検討会」およびそこでの検討課題をご紹介したいと思います。
「賃金等請求権の消滅時効の在り方に関する検討会」の設置
一般債権の消滅時効については10年間の消滅時効期間(現行民法167条)および使用人の給料に係る債権等の短期消滅時効期間(現行民法174条1号)が定められていたところ、これらの規定については、今般、改正民法によって、消滅時効の期間の統一化(改正民法166条1項)や短期消滅時効の廃止等(現行民法170条から174条までの削除)が行われました。
そして、現行の労働基準法(昭和22年法律第49号)においては、労働者の保護と取引の安全の観点から、民法に定められている消滅時効の特則として、賃金等請求権の消滅時効期間の特例が定められており、今回の民法改正を踏まえてその在り方を検討する必要があることが示され、法技術的・実務的な論点整理を行うことを目的として、標記の検討会が設置されました。
ここでは、具体的に、①賃金等請求権の消滅時効期間の在り方、②年次有給休暇請求権の消滅時効期間の在り方、③その他(書類の保存期間、付加金等)の関連規定の在り方などが議論されることが明らかとなっています。
なお、本検討会においては、平成30年夏を目処にとりまとめを行うことが予定されています。
賃金等請求権の消滅時効期間の在り方
現行の消滅時効期間に関する規律
改正民法を受けた賃金等請求権の消滅時効期間の在り方の議論をみるにあたっては、まず、現行の労働基準法による整理を振り返ることとしたいと思います。
この法律の規定による賃金(退職手当を除く。)、災害補償その他の請求権は二年間、この法律の規定による退職手当の請求権は五年間行わない場合においては、時効によって消滅する。
上記のとおり、労働基準法は、(ⅰ)賃金、(ⅱ)災害補償、(ⅲ)その他の請求権については2年間、退職手当(退職金)については5年間とする定めをおいています。これについて、わかりやすく整理されたのが以下の表です。
【労働基準法115条の対象となる請求権】
規定 | 時効期間 | 対象となる請求権 (下記の条項は労働基準法の条文) |
---|---|---|
この法律の規定による賃金等(退職手当を除く)の請求権 | 2年間 | 金品の返還(23条)(賃金の請求に限る)、賃金の支払(24条)、非常時払(25条)、休業手当(26条)、出来高払制の保障給(27条)、時間外・休日労働に対する割増賃金(37条1項)、有給休暇期間中の賃金(39条7項)、未成年者の賃金請求権(59条) |
この法律の規定による災害補償の請求権 | 療養補償(75条)、休業補償(76条)、障害補償(77条)、遺族補償(79条)、葬祭料(80条)、打切補償 (81条)、分割補償(82条) | |
この法律の規定によるその他の請求権 | 帰郷旅費(15条3項、64条)、解雇予告手当請求権 (20条)、退職時の証明(22条)、金品の返還(23条)(賃金を除く)、年次有給休暇請求権(39条) | |
この法律の規定による退職手当の請求権 | 5年間 | 賃金の支払(24条) ※労働協約または就業規則によってあらかじめ支給条件が明確にされている場合 |
(出典:厚生労働省労働基準局労働条件政策課 第1回賃金等請求権の消滅時効の在り方に関する検討会〔資料5〕「消滅時効の在り方に関する検討資料」(平成29年12月26日)を引用抜粋(一部修正))
賃金は2年、退職手当(退職金)は5年、という上記の労働基準法115条による消滅時効の規律についてはご承知の方も多いと思います。しかしながら、そもそもこの規律は、民事基本法たる現行民法の消滅時効の規律の特則として規定されていることはご存じない方も少なくないのではないでしょうか。
すなわち、現行民法では、一般債権の消滅時効については10年間の消滅時効期間である一方、使用人の給料に係る債権(=賃金)については、短期消滅時効期間として、1年間と規定していました。この1年間という短期消滅時効期間は、労働者の生活基盤を構成する重要な請求権たる賃金の性質に照らせば、短きに過ぎ、その保護に欠け、片や一般債権と同様の10年では使用者にとって酷であり、取引安全に及ぼす影響も少なくないため、労働基準法によって2年間と定められたものであって、現在の労働基準法による消滅時効期間に関する規律は、現行民法の規律よりも延長された特別の定め、ということになります(厚生労働省労働基準局編「労働法コンメンタールNo.3 平成22年版 労働基準法 下巻」(労務行政)1037頁等)。
また、退職手当(退職金)については、当初は賃金等と同様に2年とされていましたが、①退職手当は高額になる場合が通常であり、資金の調達ができないこと等を理由にその支払いに時間がかかることがあること、②労使間において退職手当の受給に関し争いが生じやすいこと、③退職労働者の権利行使は定期賃金の支払いを求める場合に比べ、必ずしも容易であるとはいえないこと等により、昭和63年4月から、5年に延長されたという経緯があります(厚生労働省労働基準局編「労働法コンメンタールNo.3 平成22年版 労働基準法 下巻」(労務行政)1037頁等。また、昭和63年1月1日基発1号)。
改正民法における消滅時効期間の規律を受けた賃金等の消滅時効期間の在り方
ところが、今回の改正民法においては、現行民法で規定されていた短期消滅時効期間が廃止されたため、1年とされていた賃金債権の消滅時効期間は改正民法に従うと5年となる、ということになります。しかしながら、労働基準法115条は、上記のとおり、民法の特則として制定されたものであり、特別法は一般法に優先する、という法律の原則からすれば、改正民法によっても、なお、賃金債権の消滅時効期間は2年のまま、ということになります。
とはいえ、改正民法の制定過程における議論においては、短期消滅時効に関して、実務的に、債権ごとに短期消滅時効の該当性を確認する必要がある点で煩瑣であることや、短期消滅時効のどの規定の適用があるのか否かが不明確であること、具体的に列挙された債権とそれ以外の債権との間に合理的な区別があるのか疑問であること等の問題点が指摘されました。
ほかにも、現在の民法では短期消滅時効で1年、これを労働者保護の見地から特別法で2年に延ばしているのだとすれば原則、民法が5年に変わったときに、果たして労働基準法という基本的に労働者保護のための法体系において、特別法で短くするということができるのか、それは基本的にはできないという理解で検討を進めなければいけないジャンルではないか、といった意見もみられたところです(参照:「法制審議会民法(債権関係)部会第74回会議議事録」)。
確かに、改正民法によって5年という時効の統一ルールが立てられた以上、特則である労働基準法115条について、当該特別ルールを維持するのであれば、相当の正当化が必要であるとも考えられ、時効期間の伸長がなされる可能性も現時点では必ずしも否定はできないように思います。
一方で、労働契約の特殊性や大量処理の必要等による煩雑さ、また、端的にこれまで消滅時効期間を伸長することによる実務への影響の大きさ等さまざまな考慮要素が検討されるべきであり、特に、実務への影響にも鑑みれば慎重な議論が求められるところです。今後、どのような方向性が示されるかについては、なお議論の行方を見守る必要があります。
年次有給休暇請求権の消滅時効期間の在り方
次に、年次有給休暇請求権についてですが、こちらも現在は、労働基準法115条にいう「この法律の規定による…その他の請求権」として、発生日から起算して2年間の消滅時効に服するものと解されています(昭和22年12月15日基発501号)。上記のとおり、改正民法による債権の消滅時効期間の規律が変更されることに伴い、その在り方が検討課題としてあげられています。
現在、年次有給休暇については、平成32年までに年次有給休暇取得率を70%以上にするとの数値目標が政府によって掲げられているほか(参照:内閣府・仕事と生活の調和推進官民トップ会議「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」「仕事と生活の調和推進のための行動指針」)、労働基準法の改正による最低5日の取得の義務化(強制取得または強制付与)が指向されているところですが、さらに、年次有給休暇請求権の消滅時効期間についても議論がなされていくこととなります。
参照:「改正労働基準法で新たに義務化が見込まれる有給休暇の強制取得とは」
長時間労働を是正し、ワーク・ライフ・バランスを改善するために進められている働き方改革の一環として、多分に政策的な配慮も盛り込まれるように思われるほか、諸外国の年次有給休暇の未消化年休の取扱いなども参考にして、その在り方が検討されていくものと考えられ、消滅時効期間同様、実務への影響も小さくないことから、慎重な検討が求められます。
その他(書類の保存期間、付加金等)の関連規定の在り方
その他、労働基準法115条以外に、特に注目されるのが、労働者名簿・賃金台帳等の労働関係に関する重要な書類の保存期間を定める労働基準法109条、ならびに、労働基準法の所定の違反に対する一種の制裁たる性質を有する付加金の請求期間(労働基準法114条)があります。
使用者は、労働者名簿、賃金台帳及び雇入、解雇、災害補償、賃金その他労働関係に関する重要な書類を三年間保存しなければならない。
裁判所は、第二十条、第二十六条若しくは第三十七条の規定に違反した使用者又は第三十九条第七項の規定による賃金を支払わなかつた使用者に対して、労働者の請求により、これらの規定により使用者が支払わなければならない金額についての未払金のほか、これと同一額の付加金の支払を命ずることができる。ただし、この請求は、違反のあつた時から二年以内にしなければならない。
これらの期間についても伸長される可能性は否定できないと思われる一方、労働基準法以外のさまざまな法令の書類保存期間等にも影響がありうると考えられているところです。また、制裁としての性質を有する付加金の特殊性も鑑みれば、なお現行の規律を維持することにも理由はあるように思われます。
いずれにせよ、上記同様、債権保全や労働裁判実務等も含め、実務に与える影響はこちらも大きいところであり、検討会における議論は注視しておく必要があるといえます。
まとめ
以上、民法(債権関係)改正を受けて、賃金等請求権に関する消滅時効の在り方について、検討が進められていることを紹介させていただきました。未だ検討会も始まったばかりであり、その議事録・議事要旨は本稿執筆時点(平成30年1月)では公表されておらず、その詳細は明らかではありません。
とはいえ、平成30年夏を目処にとりまとめを行うことが示されており、また、改正民法の施行期日にも鑑みれば、とりまとめを受けた後、所定の法改正も速やかに審議されていくと予想される事項であり、実務上、大きな影響を及ぼすことも考えられるため、重要なトピックです。今後、検討会等において明らかになることがあれば、適宜フォローアップして改めてご紹介したいと思います。

弁護士法人中央総合法律事務所