音楽教室対JASRAC事件 知財高裁判決の読み解き方
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目次
音楽教室における演奏について JASRACが使用料を請求できるかが争われ、注目を集めた訴訟の控訴審判決。音楽ビジネスに関する法的助言に豊富な経験を有する東條岳弁護士に、本判決の読み解き方を伺いました。
音楽教室事業者である原告ら(「音楽教育を守る会」の会員団体249社)が、JASRAC(一般社団法人日本音楽著作権協会)に対して、原告らの運営する音楽教室における教師による演奏、生徒による演奏は、著作権法22条で定める演奏権の対象となる「公衆に直接見せ又は聞かせることを目的」とする演奏に該当しないことなどを理由として、JASRACは原告らの音楽教室に対してJASRACの管理する音楽著作物の使用に係る請求権を有しないと主張し、当該請求権の不存在確認を請求した訴訟。
第一審:東京地裁令和2年2月28日判決
控訴審:知財高裁令和3年3月18日判決
一審判決の結論自体には違和感なし
- 第一審は原告らの請求をすべて棄却
- 教師と生徒の規範的な演奏主体について、実質的に「カラオケ法理」に近い基準によって判断し、音楽教室事業者であるとした
まず一審判決について教えてください。どのような点が争点となったのでしょうか。
争点は以下のとおり多岐にわたりますが、重要なものは②と③と考えられます。
- 本件訴訟の原告として名を連ねていた「個人教室」である2原告に確認の利益があるか
- 音楽教室における演奏は「公衆」に対するものといえるか
- 音楽教室における演奏は「聞かせることを目的」とするものといえるか
- 2小節以内の演奏に演奏権は及ぶか
- 演奏権の消尽
- 録音物再生に係る実質的違法性阻却事由
- 権利濫用
東京地裁はどのように判断しましたか。
結論として、すべての争点につき、原告である音楽教室事業者の請求を棄却しました。
判決においては、音楽教室における教師と生徒の演奏について、その演奏主体は規範的には音楽教室事業者であると認定したうえで、その演奏には著作権法22条の演奏権が及ぶとしました。
一審判決について、著作権界隈での反応はいかがでしたか。また、東條先生はどう感じましたか。
JASRACが音楽教室に対して使用料をまったく請求できない、つまり、音楽教室で行われているあらゆる利用が使用料請求の対象とならないと考えている人は少なかったのではないかと思われます。その意味で、一審判決の結論自体については、多くの人が予想していたものでしたし、強く反対する意見も多くはなかったでしょう。
しかし、最も問題となると考えられていた生徒の演奏の主体性についての判断には、疑問を持つ人が多かったのではないでしょうか。演奏の主体性の論点は「侵害主体論」と呼ばれ、著作権法の世界では、物理的な行為主体と規範的な行為主体が複数認定される場合があります。
本件では「②音楽教室における演奏は「公衆」に対するものといえるか」という論点がありますが、そもそも演奏の主体が、規範的にも「音楽教室事業者」ではなく「教師」や「生徒」自身であれば、その論点を議論するまでもなく音楽教室事業者による著作権侵害の成立が否定されますので、主体性の点が本件の大前提として争点となりました。
この点について一審判決は、生徒の演奏の主体性についても教師の演奏と同様に、実質的にカラオケ法理に近い判断基準 1 を当てはめて、あっさりと音楽教室事業者であると認定してしまいました。この判断手法に対しては疑問の声もありました。また、この認定を前提とする争点である公衆概念についても、捉え方があまりに広すぎるのではないかという指摘も見受けられました。
私個人としても、ロクラクII事件以降は、裁判所においても直接的なカラオケ法理を持ち出す機会は減っていると思われる中で、クラブキャッツアイ事件を持ち出して演奏の主体性を判断した一審判決には、やや疑問を感じていたところです(両事件については後述します)。
一審判決が採用した「カラオケ法理」とは何か
- 著作権侵害行為の「主体」を拡張して、関与者に責任を負わせるための手法が「カラオケ法理」
- ロクラクII事件最高裁判決は、クラブキャッツアイ事件最高裁判決よりも精緻な基準を示した
本件を理解するには、前提となる議論について教えていただく必要がありそうです。
著作権法においては、支分権(複製権や演奏権など、著作権を構成する具体的な権利)に該当する行為を直接行っていると直ちにはいえない者に対しても、解釈論により差止めを認めるべき場合があるとの考えから、物理的な直接侵害者以外の関与者に責任を負わせるためのアプローチとして、著作権侵害行為を行っている「主体」を規範的に拡張して認定するという手法が古くから採用されてきました。
これが「カラオケ法理」と呼ばれる考え方で、クラブキャッツアイ事件判決(最高裁昭和63年3月15日判決・民集42巻3号199頁)において最初に示された法理です。カラオケ法理は、「物理的な利用行為の主体とは言い難い者を、①管理(支配)性および②営業上の利益という2つの要素に着目して規範的に利用行為の主体と評価する考え方」と説明されます 2。
クラブキャッツアイ事件は、「クラブキャッツアイ」という名のスナックにおいて、経営者がカラオケ装置を店舗に設置して客やホステスに歌唱させていたところ、JASRACが演奏権侵害を理由として損害賠償を求めた事案です。
最高裁は、スナック等の経営者が、カラオケ装置を店舗に設置し、客に歌唱を勧め、客の選択した曲のカラオケテープを再生して他の客の前で歌唱させ、それにより店の雰囲気作りをし、集客して利益をあげることを意図しているときは、経営者は、客による歌唱の主体として演奏権侵害による不法行為責任を負うと判断しました。
その後の裁判例においては、考慮要素に若干の修正を加えつつも、「管理(支配性)」のキーワードのもとにカラオケ法理が踏襲され、著作権侵害の主体を拡張する判断が次々と出されることになりました。
クラブキャッツアイ事件最高裁判決の約20年後に出されたロクラクII事件判決(最高裁平成23年1月20日判決・民集65巻1号399頁)は、「複製の主体の判断に当たっては、複製の対象、方法、複製への関与の内容、程度等の諸要素を考慮して、誰が当該著作物の複製をしているといえるかを判断するのが相当である」との基準を提示しました。金築裁判官の補足意見においても、「支配と利益の帰属という二要素を固定的なものと考えるべきではない」と述べられており、この最高裁判決によって、単純な「管理(支配)性」による認定ではなく、より精緻な基準で判断される方向に向かったと考えられます。
今回の訴訟は、このような過去の裁判例を前提として争われたものです。実質的にカラオケ法理に近い判断基準によって主体性を判断し、原告の請求をすべて棄却した一審判決を、控訴審がどう判断するかが注目されていました。
主体性について踏み込んだ判断をした知財高裁
- 演奏をする者ごとに主体性を判断し、物理的な生徒の演奏の主体は規範的にも音楽教室事業者ではないと認定
- クラブキャッツアイ事件最高裁判決を参照せず、ロクラクⅡ事件最高裁判決のみを参照した
今回の知財高裁判決について、概要と注目すべき点を教えてください。
補充主張は出されているものの、大きな争点と主張については第一審と同様で、上記の争点②と③に関する判断の部分が重要なポイントです。注目すべきは、生徒がした物理的な演奏行為の主体について、第一審では規範的には音楽教室事業者であると判断したところ、本判決では生徒自身であると判断した点です。
教師の演奏と生徒の演奏を同一の判断基準に当てはめ、その主体は音楽教室事業者であると判断した一審判決に対して、本判決は「教師による演奏行為の本質について」「生徒による演奏行為の本質について」と分けたうえで、それぞれ分析しています。そのうえで、前者については「本件受講契約に基づき音楽教室事業者が負担する義務の履行として、生徒に聞かせるために行われるもの」とし、後者については「本件受講契約に基づく音楽及び演奏技術の教授を受けるため、教師に聞かせようとして行われるもの」としています。
このように、実際に演奏をする者ごとにその演奏行為の本質について分析がなされたことは評価できると思います。
また、原判決は利用主体の判断基準について、「音楽教室における生徒の演奏は、原告らの管理・支配下で行われることから著作物の利用主体による演奏と同視し得るところ(クラブキャッツアイ事件最高裁判決参照)」としており、生徒の演奏が音楽教室事業者による演奏と同視できることの理由としてクラブキャッツアイ事件を参照していましたが、本判決ではそのような言及は見られず、ロクラクⅡ事件最高裁判決のみを参照しました。この点も興味深いです。
公衆概念に関する判断は一審判決を踏襲
- 著作権法における「公衆」は、「特定かつ多数の者」を含み「特定かつ少数の者」以外の者
- 一審判決も本判決も、公衆概念が広すぎるのではないか
演奏主体に関する点以外の争点についてはいかがでしょうか。
演奏権は著作権法において以下のように定められているため、本件では教師や生徒の演奏が「公衆に」聞かせることを目的とするものかが争点になりました(上記の争点②と③)。
著作者は、その著作物を、公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として(以下「公に」という。)上演し、又は演奏する権利を専有する。
著作権法での「公衆」という言葉は、この22条のみならず、公衆送信権(23条)や譲渡権(26条の2)においても使用されています。その定義については、2条5項に「特定かつ多数の者を含むものとする」として規定されているものの、正面から定義した条項はありません。
本判決はこのような公衆概念について、一審判決の考え方を踏襲し、著作権法22条の「公衆」の解釈としては「特定かつ少数の者」以外の者を指し、さらに「特定」の者とは、行為者との間に個人的な結合関係があるものを指すとしています。
著作権法における「公衆」の範囲
特定 | 不特定 | |
---|---|---|
少数 | 非公衆 | 公衆(解釈) |
多数 | 公衆(2条5項) | 公衆(解釈) |
音楽教室事業者側は、受講開始後に個人的な結合関係が形成される場合があり、その有無を元に判断すべきであると主張しましたが、本判決においては、「(音楽教室と)生徒との繋がりは、不特定者を相手方として形成された有償契約たる本件受講契約上の当事者間の関係を出ないのであり、音楽教室における授業の中で教師と生徒が接点を持つ限り、その性質が変容するものではな」いとしています(かっこ内筆者)。
なお、争点③については、教師の生徒に聞かせる演奏については、演奏技術等の教授を行うものである以上明らかであるとして、公衆である生徒に対して聞かせることを目的として行っているとあっさり認定しています。物理的な生徒の演奏については、そもそも規範的にも音楽教室事業者の演奏ではないと判断されたため、生徒が教師に聞かせる演奏については判断されませんでした。
本判決における公衆概念の判断は妥当なものでしょうか。
本判決の示す公衆概念の考え方に従うと、一度生徒と教師という立場で受講契約の当事者になった場合、その後どれだけ親密になったとしても、音楽教室における授業の中で教師と生徒が接点を持つ限りにおいて、生徒は(一人でも)「公衆」に固定されてしまうことになります。これは一般的な公衆概念とあまりにもかけ離れているのではないかという疑問も残るところです。
使用料徴収は音楽文化の発展を妨げるのか
- 今後、使用料減額の交渉が進む可能性がある
- 侵害主体論をめぐる議論の深化が待たれる
- 使用料の徴収・分配自体は、音楽文化の発展のために不可欠
この判決を受けて、音楽教室のビジネスにどのような影響が出てくるとお考えでしょうか。
当事者双方が上告していますので、結論が出るのはまだ先になりそうですが、今後もJASRACが音楽教室に対して使用料を請求できることに変わりはないので、大きな影響はないと考えられます。
もちろん、生徒の演奏の主体は音楽教室事業者ではないと認定されたことにより、生徒だけが演奏し、教師が演奏しない場合は使用料の支払いが不要ということにはなります。しかし、音楽教室における指導の実態を鑑みるに、教師がまったく演奏を行わないという指導はあまり現実的ではないのではないかと思われます。
ただ、指導においては、教師の演奏時間より生徒の演奏時間が長いことが通常であり、この点が後述する使用料の額に一定の影響を与える可能性はあるでしょう。JASRACと音楽教室事業者との間で、使用料の減額なども含めた交渉が進む可能性もゼロではないでしょう。
音楽に関わるビジネス全体にとってはいかがでしょうか。
上記のとおり、著作権侵害行為を行っている「主体」を規範的に拡張して認定するという手法が多くの下級審判決により採用され、最高裁でもロクラクⅡ事件においてその考え方が示されています。
しかし、このような侵害主体論については、どのような要件の下で侵害主体が第三者として認定されるのかがいまだ明確ではない部分もあり、日本においてコンテンツを取り扱うITビジネスを萎縮させたとする意見も一部で見られるようです。
本判決が、カラオケ店における客の歌唱と生徒の演奏は同一視すべきであるとのJASRACの主張 3 を、「本件とはその性質を大きく異にするものというべき」として一蹴しているのは興味深いところです。今後、活発な議論が行われて精緻化が進むことを期待しています。
なお、JASRACはカルチャーセンターにおける演奏についても使用料の徴収を行っています。カルチャーセンターでの音楽講座についても本判決と同様の議論が当てはまるとすれば 4、生徒の演奏の主体はカルチャーセンター運営事業者ではないということになり、使用料の支払いについて議論がなされる可能性があると思われます。
本件に関して、歌手の宇多田ヒカルさんや作詞家の及川眠子さんなどが、自身の作品を音楽教室で利用することについて、無料でも構わないとSNSに投稿したことが話題になりました 5。
統計を取ったわけではありませんが、純粋な気持ちからそのように考えた作家は、ほかにも一定数いたのではないかと思います。
しかしながら、多くの商業的な作家の作品は、「音楽出版社」と呼ばれる音楽著作権を管理する法人に譲渡されており、その使用について作家の一存で決定することはできません。音楽出版社の多くは、放送局の関連会社や大手レコード会社の関連会社であり、本件の原告の1社である一般財団法人ヤマハ音楽振興会が属するヤマハグループも、グループ内の音楽出版社を通じて多数の楽曲をJASRACに信託しています。
楽曲がドラマやアニメのテーマソングに採用される場合には、その番組を放送する放送局系の音楽出版社が作家から権利の譲渡を受けたうえで、JASRACなどに権利を信託するケースがほとんどです。そして、JASRACから支払われる使用料の50%(この場合、作詞分25%、作曲分25%)または33%(この場合、作詞分33%、作曲分33%)を音楽出版社が得ています。
したがって、仮に作家が「音楽教室で自由に使ってほしいから、その範囲では自己管理としておき、JASRACには信託しないでほしい」と考えたとしても、その意向が反映されるケースはほとんどありません。
音楽は日々大量に使用されるため、細かく管理しようとすると管理コストの上昇を招き、利用にあたって詳細な事前報告を求めると利用の回避を招きます。とはいえ最近は、様々な技術の導入により、権利者の意向をきめ細かく反映し、利用者の利用実態を正確に、かつ負担をかけることなく把握することができるようになってきており 6、今後はこのような動きがさらに進むと思われます。
JASRACについては「アンチ」のような論調も見受けられますね。
とかく批判ばかりされるJASRACですが、JASRACにとって音楽出版社は、分配額の大きな割合を占める有力な会員ですから、その意向に従って徴収を行うのは当然のことといえます。音楽教育が音楽文化の発展に寄与することは明らかですが、同時に、使用料を徴収して作家に分配することなしに音楽文化は成り立ち得ません。
JASRACの定める音楽教室における使用料はJASRACの楽曲を利用した講座の受講料金総額の2.5%です。音楽教室の受講料金は、たとえばヤマハ音楽教室では小学生で月額8,000円程度のようなので、その場合の使用料は月額200円程度です(作家にはJASRACの管理手数料率25%を控除した150円が分配されます)。ヤマハ音楽教室は2020年に受講料金の値上げを行っている中で、作家に分配される200円の使用料が音楽文化の発展に与える影響も簡単に否定すべきではありません。
本件をきっかけとして、不正確な情報に基づくJASRAC批判に終始することなく、何が本当に音楽文化を守ることになるのかについて、音楽出版社を含めた日本の音楽ビジネスのあり方も含めて議論が深まることを期待します。
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具体的には、①利用される著作物の選定方法、②著作物の利用方法・態様、③著作物の利用への関与の内容・程度、④著作物の利用に必要な施設・設備の提供、⑤著作物の利用による利益の帰属という要素が考慮されました。 ↩︎
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島並良・上野達弘・横山久芳『著作権法入門(第3版)』(有斐閣、2021)324頁。 ↩︎
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前述のクラブキャッツアイ事件参照。 ↩︎
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少なくとも、本判決においては、「設備等の提供、設置は…生徒が被控訴人らの管理支配下にあることを示すものではな」いとされています。一方、生徒の居宅でも生徒の演奏が実施可能である点についても、生徒が管理支配下にないことの事情としてあげられています。カルチャーセンターという場所に集まって指導が行われることを基本的な前提とするカルチャーセンターにおける演奏については、議論の余地があるでしょう。 ↩︎
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宇多田ヒカル氏2017年2月4日ツイート、及川眠子氏2017年2月3日ツイート(いずれも2021年5月7日最終確認)。 ↩︎
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現在では、フィンガープリント技術の導入などにより、NHK・民放テレビ地上波の放送局について、利用したすべての楽曲を管理事業者に報告するという「全曲報告」が実現しています。 ↩︎

Field-R法律事務所