スポーツ紛争の解決方法 - オリンピックとCASのスポーツ仲裁
訴訟・争訟
目次
はじめに
1年延期となっていた東京オリンピックが2021年7⽉23⽇に開幕し、8月8日に閉幕しました。各種競技での華々しいアスリートの活躍があった⼀⽅で、オリンピックの代表選考 / 出場資格に関する紛争やアスリートへの処分を巡るニュースも⾒受けられました。
そこで、本稿では、スポーツ紛争の解決方法を概観したうえで、オリンピックを巡る紛争に関するスポーツ仲裁裁判所(CAS)の特別な手続に焦点を当てて解説をします。
このCASの特別な仲裁手続は、自社が契約しているオリンピックアスリートが、競技団体等から出場停止処分などを受けてオリンピック参加が困難となった場面やオリンピック出場資格を争いたい場面等で、迅速かつ実効的な救済手段となりうるものです。ただ、活用場面は限られていますので、アスリートと契約している企業の法務部門担当者としては、仲裁合意(2-2)があるのかどうか、審理対象となる紛争かどうか(3-2)、といったあたりに特に留意してみていただければと思います。
スポーツ紛争の解決方法
4つの選択肢とメリット・デメリット
スポーツ紛争の解決の方法としては、大きく以下の4つが考えられます。
- 競技団体内部の不服申立手続
- 裁判所の訴訟手続
- 日本スポーツ仲裁機構(JSAA)1 の仲裁申立
- スポーツ仲裁裁判所(CAS)の仲裁申立
①(競技団体内部の不服申立手続)については、専門知識に基づいた判断が期待できるものの、競技団体の内部の手続となるため、中立性が担保されているのか、疑義が生じえます。②(裁判所の訴訟手続)については、中立性(第三者性)は担保されているものの、一般に裁判官がスポーツの専門知識を持ち合わせているわけではないため専門的知見からの判断は必ずしも期待できません。また、裁判手続は判断が確定するまで時間を要する、という問題もあります。
以上のような問題意識の下、スポーツに関する紛争については、迅速かつ適正な解決のために、第三者機関によるスポーツ仲裁(③④)が活用されるようになってきています。
仲裁合意
仲裁を利用するには、仲裁合意が必要になります(仲裁合意がないと申立てが受理されなかったり却下されたりします)。仲裁に関する合意は紛争が生じた後に紛争当事者によってなされることもありますが、今日では仲裁に関する「自動応諾条項」つまり『スポーツに関する紛争が生じたときには、●●の仲裁手続を利用して解決する』といった紛争解決方法の規定を定款等に設ける競技団体が増えており、この自働応諾条項に基づいて仲裁を利用するケースが増えています。
大まかには、国内競技団体とアスリートの紛争であれば③JSAAの仲裁手続、国際競技団体や国際的なアスリートに関する紛争であれば④CASの仲裁手続(3以下で詳述)が利用されることになります。
スポーツ仲裁裁判所(CAS)とは
スポーツ仲裁裁判所(Court of Arbitration for Sport)はスポーツ関連の紛争を仲裁・調停手続により解決する国際的紛争解決機関(本部はスイス・ローザンヌ)であり、その頭文字を取って一般に「CAS」(キャス)と呼ばれていますので、本稿でも以下「CAS」と呼びます。
CASはスポーツに関する紛争解決についての最高裁判所とも位置付けられる機関であり、国際的なアスリート・競技団体に関する様々な紛争が持ち込まれます。CASでは仲裁人が第三者的な立場から裁定を行います。仲裁人の候補者リストはCASのウェブサイトで公表されており、世界各国の弁護士や大学教授等が主に候補者になっています。CASの手続(後述のAd Hoc Divisionも同様)では英語またはフランス語を用いる必要があります。
オリンピックのためのCASの特別な紛争解決手続(CAS Ad Hoc Division)
CAS Ad Hoc Divisionの概要
CASは、オリンピック時に、オリンピック開催地に臨時の特別部を設立し、この特別部でオリンピック直前および開催期間中に発生した紛争を迅速に解決できるようにしています。この特別部は夏季五輪だけでなく冬季五輪でも設置されます。この特別部を「CAS Ad Hoc Division」といい、3ではCAS Ad Hoc Divisionの特別な手続について説明します。
CAS Ad Hoc Divisionの審理対象となる案件
CAS Ad Hoc Divisionに持ち込まれる案件としては、選手の出場資格・代表選考 2、競技中の審判の判定、選手に対する処分等があります。なお、競技中の審判の判定に対する不服は、例外的な場合を除きCASでの審判対象になりません 3。
CAS Ad Hoc Divisionでは、オリンピック直前及び開催期間中の紛争を迅速に解決するために後述(3-3)のとおり、迅速かつ柔軟な手続が定められています。
一口にオリンピックに関する紛争といっても、このCAS Ad Hoc Divisionでの審理対象となる案件は限定されており、オリンピック直前および開催期間中の紛争のみが審理の対象となります。具体的には、以下の2つの要件を満たす紛争である必要があります。
- IOC憲章 4 61条の対象となる紛争であること、および
- 当該紛争が、オリンピック競技大会の期間中またはオリンピック競技大会の開会式(東京大会の場合2021年7月23日開会)に先立つ10日間(東京大会の場合は2021年7月13日以降)に生じたものであること
通常、オリンピックに関する各国オリンピック委員会や競技団体とアスリートとの紛争であれば①の要件を満たすことから、CAS Ad Hoc Divisionに申立てができるかどうかは、②要件を満たすかどうかがポイントになり、これを満たさないと、管轄(jurisdiction)がないものとして申立てが却下されることになります。
たとえば、オリンピック開幕の1か月前に代表選考がなされて候補者に選考結果が通知された場合には、この要件は満たしません。他方、オリンピック開幕の10日前に代表選考がなされその結果が選手に通知された場合には、この要件を満たすことになります。
CAS Ad Hoc Divisionでの迅速な審理
出場資格をはじめとしてCAS Ad Hoc Divisionの審理対象となる案件の中には、競技が行われる日までに解決しないと当事者が実質的に救済されない、といったものがあるため、迅速な判断・解決が求められます。そこで、CAS Ad Hoc Divisionの審理には通常のCASでの手続と異なった、特別な手続・ルールが適用されます。以下、その中でもとりわけ特徴的と思われる点について説明します。
(1)申立てから24時間以内の判断(原則)
仲裁廷は、仲裁申立てから24時間以内に判断をするものとされています(CASオリンピック仲裁規則18条)。もっとも、実務的には24時間以内に仲裁廷が判断を示す事例はそれほど多くはなく、判断までに数日あるいは10日程度要する事例もあります。
事案の性質上、殊に迅速な解決が求められる案件(たとえば、出場資格を巡る紛争で、競技が2から3日後に予定されているような場合)については、24時間以内に判断が出されることもあり、24時間以内に判断が出されないにしても、迅速な審理判断が試みられます。
(2)主張・立証の機会
仲裁の申立て後、関係者への(ショート)ノーティスを経て、ビデオ会議や電話会議を活用した裁判所でのヒアリングが開かれます。通知がショートノーティスであることから、関係者がヒアリングに出席しない(できない)ケースもありえますが、そのような場合でも、仲裁人は手続を進めることも可能とされています。
ヒアリングでは、当事者への審尋がなされ、事案に応じて証人への尋問等がなされることがあります。ヒアリングが具体的にどのように進められるかは、仲裁人の権限によって決められます。
管轄を有しない旨の抗弁(反論)は、遅くともCAS Ad Hoc Divisionでのヒアリングが開始するまでに提出する必要があるとされます(以上、CASオリンピック仲裁規則15条)。
(3)仲裁判断
仲裁判断は(電子メール等で)当事者に通知された時点ですぐに効力を生じることになります。迅速性を重んじる手続の性質上、仲裁人は、判断の主文のみを先行して当事者に通知して判断の効力を生じさせ、理由を後回しにすることも可能とされています(CASオリンピック仲裁規則19条)。
仲裁判断に不服がある場合、判断が通知された日から30日以内にスイス連邦最高裁判所に対してのみ取消しを求めて上訴することができます(CASオリンピック仲裁規則21条)が、スイス連邦最高裁判所の手続には少なくとも数か月かかり、また、取消事由も限定されていることから、CAS Ad Hoc Divisionでの判断が重要な意味、つまり、事実上の終局的判断としての意味を持つことになります。
CASの仲裁案件はCASのウェブサイトで公開されており、東京オリンピックに関する仲裁判断も既に複数公開されています 5。
まとめ
以上のとおり、近年、スポーツ紛争の解決方法として、スポーツ仲裁の利用が増えてきています。とりわけ、CAS Ad Hoc Divisionの手続はオリンピック用にカスタマイズされた迅速な紛争解決方法であり、アスリートやスポーツ競技団体に実効的な救済の機会を付与するものです。本稿が、CAS Ad Hoc Divisionを含むスポーツ仲裁制度の周知、そして、アスリートや競技団体を巡る紛争の迅速かつ実効的な解決の一助となれば幸いです。
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詳細には立ち入りませんが、代表選考に関しては各国のオリンピック委員会や競技団体が裁量を有するものとされており、アスリート側が代表選考を争うには裁量の逸脱・濫用を主張立証する必要があります。団体競技の代表選考については、一般的に選手の優劣を判断する決定的な基準がないことが多く、選手間の相性なども考慮要素となりうるため、個人競技に比べて選考側の裁量が広く認められる傾向にあります。 ↩︎
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審判の判定への不服は、原則、CASでの審理対象とならず、例外的に、審判の決定に①偏見、②悪意、③不誠実さ、④恣意性、または⑤法的誤りがあることを立証した場合にのみ、CASでの審理対象になるというのがCASの先例です(CAS 2017/A/5373)。
もっとも、過去の大会では、審判の判定を不服とするCASへの申立てが一定数みられました。この点、2020東京大会については、ビデオによる審判の検証の普及により、審判の判定への不服を理由とするCAS Ad Hoc Divisionへの申立ては過去の大会に比べて減ることになりそうです。 ↩︎

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