定額残業代制を採用・運用する場合の注意点
人事労務当社では、残業代等の割増賃金管理にかかる業務の効率化を図るために、割増賃金の支給について、就業規則で「時間外手当を、時間外割増、休日割増賃金として支給する。」と定め、いわゆる定額残業代制を採用しています。しかし、特に最近では、制度設計や運用の方法によっては、定額残業代制の効力が認められずに、二重に割増賃金の支給を求められる企業もあると聞いたことがあります。定額残業代制を採用・運用する際の主な留意点を教えてください。
単に「時間外手当を、時間外割増、休日割増賃金として支給する。」という定めを置いて定額残業代を支給しておけばよいというものではありません。就業規則における定額残業代制の定め方や、定額残業代と通常賃金とが明確に区別されているのか、割増賃金の対価として支給されているのか、超過分の差額の支払いがなされているのかといった具体的諸事情によりその有効性が判断されますので、制度設計や運用にあたっても、これら裁判所が示す有効要件を満たす制度とすることが重要です。
なお、定額残業代の効力が否定されると割増賃金を一切支払っていないとされる可能性がありますので、注意が必要です。
解説
目次
定額残業代制とは
定額残業代とは、文字通り一定の金額により時間外労働割増賃金や休日労働割増賃金、深夜労働割増賃金を支払うことをいいます。
本来これらの割増賃金は、一賃金計算期間内に発生した時間外・休日・深夜労働の実労働時間を把握し、それに割増賃金の時間単価を乗じることによって算出しますが、(就業規則などに)以下のような定めを設けることで、現実の時間外労働等の有無および長短にかかわらず、定額の割増賃金を支給することになります。
・「毎月基本給に45時間分の時間外割増賃金を含む」(以下「組込型」といいます)
・「営業手当は、時間外労働割増賃金で月30時間相当分として支給する」(以下「手当型」といいます)
定額残業代の効力が否定されるとどうなるか
定額残業代の効力が否定されると、どうなるのかという点も知っておく必要があります。法的効果としては、
- 時間外割増賃金等を一切支払っていないことになる
- 支給されるべき割増賃金の算定にあたり、定額残業代とされる部分も算定基礎賃金に含まれることとなり、割増賃金の時間単価が高くなる
- 割増賃金を支払っていないことにより、付加金の支払いを命じられる可能性が生じる
ということになります。
これは効力を否定された企業にとっては相当な経済的負担となります。つまり、「●●手当」は定額残業代として月5万円が支給されているつもりであっても、一切割増賃金は支給されていないこととなり、しかもこの5万円を算定の基礎賃金として加えた割増賃金を改めて労働者に支給しなければなりません。さらに、未払残業代全額を上限とする付加金が課せられるリスクまで生じるとなると企業としてのインパクトは多大です。
では、定額残業代の効力が否定されないように留意する点はどのような点でしょうか。定額残業代の効力に関する要件は法律で一義的に定められているわけではなく、裁判実務による一定の規範によってその効力が判断されています。
定額残業代に関する裁判例
高知県観光事件(最高裁平成6年6月13日判決)
この最高裁判決は、組込型の定額残業代の有効性について判示したリーディングケースである判決です。
この事案で会社は、就業規則や個別契約に定額残業代に関する定めはないものの、歩合給には時間外および深夜の割増賃金に当たる部分も含まれており、割増賃金は支払済みである旨主張しました。
最高裁は、本件請求期間に支給された歩合給額が、労働者らの時間外および深夜の労働を行った場合においても増額されるものではなく、通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外および深夜の割増賃金に当たる部分とを判別することもできないものであったことからして、割増賃金が支払われたとすることは困難なものというべきと判断し、会社に対する請求額全額の割増賃金支払いを認容しました。
上記判示は、定額残業代の有効要件として、①割増賃金の対価としての性質および②割増賃金部分の明確な区分を要件として示したものです。
テックジャパン事件(最高裁平成24年3月8日判決)
この最高裁判決は、組込型の定額残業代の有効性について、近時の裁判例に大きな影響をもたらしたと思われる判決です。
この事案では、基本給を月額41万円とした上で、1か月間の労働時間の合計が180時間を超えた場合にはその超えた時間につき、1時間あたり2,560円を支払うが、合計140時間に満たない場合にはその満たない時間につき1時間あたり2,920円を控除する旨の約定がありました。
裁判所は、以下のとおり判示しました。
「月額41万円の基本給について、通常の労働時間の賃金にあたる部分と同項の規定する時間外の割増賃金にあたる部分とを判別することはできない。」
さらに、本事案の注目すべき補足意見では、以下のように述べ、定額残業代の有効性に関して、より厳格な明確性や、差額の支払の合意を要する旨の考えを示しています。
「便宜的に毎月の給与の中にあらかじめ一定時間(例えば10時間分)の残業手当が算入されているものとして給与が支払われている事例も見られるが、その旨が雇用契約上も明確にされていなければならないと同時に支給時に支給対象の時間外労働の時間数と残業手当の額が労働者に明示されていなければならないであろう。さらには、10時間を超えて残業が行われた場合には当然その所定の支給日に別途上乗せして残業手当を支給する旨もあらかじめ明らかにされていなければならないと解すべきと思われる。」
(※下線筆者)
定額残業代制導入・運用上の留意点
上記の裁判例も含め、多くの裁判例が個別事情に基づき定額残業代の有効性を判断しており、程度の差はあれ、①明確区分性、②対価性が必要であることは相当数の裁判例から明らかです。さらに、上記テックジャパン事件の補足意見によって、差額支払合意あるいはその実態が必要か、という点に混乱が生じていると思われます。上述の裁判例が、全ての定額残業代制の有効要件の基準とまではいえませんが、これらの考え方を把握した上で制度設計等を行う必要があり、それが望ましいといえます。
定額残業代の支払方法
通常賃金部分と割増賃金部分とが区別されていなければならないことは常に問題となります。よって、より明確性を具備しやすい手当型の制度設計の方が有効性を認められやすく、名称も「時間外手当」などわかりやすいものが無難といえます。
また、給与明細上も明確に「時間外手当 ○○円」「残業代(差額分)○○円」と分けて記載し支給することで、明確性、対価性、差額支払の実態を基礎づけることができます。
就業規則上の規定
就業規則上の定め方としては、テックジャパン事件の考え方も踏まえて、「○○手当として金○万円を定額残業代として支給し、定額残業代を超えた割増賃金が認められる場合には、会社はその差額を支払う」というように、金額の明示および差額支払いの規定を設けるべきといえます。
また、休日割増賃金や深夜割増賃金を一つの手当や基本給に一緒に含めるのではなく、それぞれ定額残業代としての手当項目(休日手当や深夜手当)を設けて支払いを行うということが望ましいでしょう。
定額残業代制の残業時間
定額残業代の支給額相当分の時間数を設ける場合には、45時間以内が望ましいと考えられます。不相当に長時間の残業に対する定額残業代や基本給と不均衡な定額残業代を設けるとその合理性に疑義が生じるためです。また、当該相当時間数の設定に当たっては、自社の平均的な時間外労働時間数についての調査を事前に行い、これに基づき定額残業代制を策定することにより割増賃金の対価性をより基礎づけることになります。
おわりに
定額残業代制度は使用者にとって管理運営上のメリットがありますが、設計の仕方や運用の仕方を誤れば、相当の経済的負担が生じるリスクがあります。この点については裁判所の判断基準を把握した上で導入を行うことが重要であるといえます。中途半端な運用を行っていると、いざ紛争になった場合には従業員内で未払残業代請求が連鎖してしまう可能性すらありますので、ご参考頂ければと思います。

弁護士法人中央総合法律事務所