現場から見た「AI・データの利用に関する契約ガイドライン」
第1回 ユースケースをベースにしたガイドラインの誕生
IT・情報セキュリティ
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目次
IoTやAI等の技術革新によってデータが爆発的に増加している昨今、事業者間の垣根を越えたデータ連携により、新たな付加価値の創出や社会課題の解決が期待されています。しかし、データやAI技術を巡っては、契約実務の蓄積が乏しく、当事者間の認識・理解にギャップがあること等により、契約の締結が進まないという課題があります。
経済産業省は2018年6月15日に「AI・データの利用に関する契約ガイドライン」データ編・AI編を策定しましたが、非常に優れたガイドラインという評価がある一方で、実務上の課題はまだ明確とは言えません。
そこで、AI・データ契約ガイドラインの作成に関わった弁護士と、それを実際に利用される事業者の方々とで座談会を行い、実務にフィットさせる方法を探りました。今回は、本ガイドライン策定の経緯や課題について、率直かつ活発な意見交換の模様をご紹介します。
- 松下外弁護士(弁護士法人イノベンティア、AI・データ契約ガイドライン検討会作業部会構成員:AI班)
- 尾城亮輔弁護士(GVA法律事務所、AI・データ契約ガイドライン検討会作業部会構成員:データ班)
- 佐藤聡氏(connectome.design株式会社 代表取締役社長、日本ディープラーニング協会(JDLA)理事)
- 尾脇庸仁氏(凸版印刷株式会社 経営企画本部デジタルビジネスセンター事業企画部部長)
- 中林紀彦氏(SOMPOホールディングス株式会社 データ戦略統括 チーフ・データサイエンティスト)
- 八木聡之氏(富士ソフト株式会社 執行役員 イノベーション統括部長、日本ディープラーニング協会(JDLA)産業活用促進委員)
実務家を中心に策定されたガイドライン
AI・データ契約ガイドラインが作られた背景について教えてください。
尾城弁護士
経済産業省では、2015年10月に「データに関する取引の推進を目的とした契約ガイドライン」と2017年5月に「データの利用権限に関する契約ガイドラインVer1.0」を発表してきました。しかし、これらのガイドラインに対しては、「契約条項例についてもっとバリエーションを用意してほしい」「具体的なユースケースを拡充してほしい」などの声が寄せられており、今回、新たなガイドラインを策定する運びとなりました。
- AI開発・利⽤に関する契約実務が新たに追加
- 契約のオプションやモデル条項を例⽰
- 具体的なユースケースを多数掲載
- 海外のデータ移転規制(中国サイバー法、欧州GDPR)など国際取引への対応も記載
松下弁護士
以前のガイドラインには、「ユースケースが少ない」「国際的な観点が含まれていない」「AIの開発に関してそのままでは使いにくい」という問題点がありました。そこで本ガイドラインは、「データ編」で6つ、「AI編」で5つ、公募して寄せられたユースケースを踏まえて作成しているところが特徴です。このガイドラインのように詳細に触れるのは、おそらく世界的に初めての試みです。そのため、各国も強い関心を寄せているのではないかと思います。
ガイドラインの作成には、どういう方々が携わっていたのですか。
松下弁護士
AI・データ契約ガイドライン検討会作業部会は、渡部俊也教授(東京大学)を座長とし、実務家・学者併せて14名で構成され、メンバーの半数が公募で選ばれました。経済産業省の説明によると、AIあるいはデータという先端的な問題を検討するに際しては、実務経験および知見を有しており、かつ、ガイドラインの趣旨に賛同する実務家を集めることで、より良いガイドラインを作ろうというねらいがあったようです。
作業部会では、「データ編」と「AI編」の2つのグループに分かれ、データ班は弁護士6名と学者1名、AI班はインハウスの弁護士2名、法律事務所所属の弁護士4名、弁理士1名で作業を行いました。「データ編」と「AI編」は、それぞれ独立して作成されています。もっとも、両編ともデータを取り扱っている点は共通しているため、尾城弁護士がデータ班の、また、私がAI班の調整役として、班の内外で内容を調整しています。
作業部会ではどんな雰囲気で議論が進められましたか。
尾城弁護士
データ班での大きな課題は、「データの利活用を促進すること」と「流出や不正利用をはじめとするリスクを防ぐこと」という相反しかねない目標をいかに両立させていくかという点にあると考えていました。細かい表現は相当議論したものの、利活用の促進と流出・不正利用の防止等の基本的な理解については、早い段階にメンバー間で共有できていたので、比較的議論にブレはなかったと思います。そういったことから、各担当者が各論的な議論に集中できたように感じられました。
松下弁護士
AI班には、企業内で最先端のプラクティスを担っている実務家が参画していたこともあり、実務を踏まえた議論ができました。機械学習の専門的知見を有する弁理士も加わり、技術的な事項をある程度カバーできたことは、大きなポイントです。
主査を含め、議論好きな方が多く、また、「データ編」と異なり、先行するガイドラインがなかったことから、構成を含め、終始自由に議論をしていた印象です。形式的には担当パートを分けていましたが、作業の終盤ではあまり担当にこだわらずに、全員で話し合って書き上げました。
データ・オーナーシップに対する考え方の温度差
ガイドラインの「データ編」と「AI編」では、いずれもデータを取り扱っている共通点があると伺いましたが、データ班とAI班との間でスタンスの違いなどはあったのでしょうか。
尾城弁護士
理論的に大きなポイントとして、データ・オーナーシップに対する考え方がありました。端的に言うと、「データは誰のものか」という議論なのですが、今回のガイドラインでは、データは所有権の対象とならないということを明記し、データの保護は、原則として債権的な方法、すなわち契約によって行うべきであるということを打ち出しています。ただ、データ班とAI班のメンバー間では、若干のスタンスの違いはあったかもしれません。
データ班のメンバーは、「たとえば、AからBにデータを提供する場合は、AB間でそれなりに社会的な接触があったうえで提供されている。だから、利用権限の設定について、契約の中に曖昧なところがあった場合には、AB間の合理的意思解釈 1 で判断していく」というスタンスがありました。それに対して、AI班の先生方は、データを保持しているという事実状態を重視するというスタンスでした。
ただ、合理的意思解釈は、妥当な結論を導きやすいとはいえるのですが、これに頼りすぎてしまうと予測可能性が担保しにくくなるというのは確かでして、そのあたりが、AI班の先生方とのスタンスの違いを生じさせる原因になったのかなと思いました。
松下弁護士
「AI編」でも、「データ編」でも、データを利用可能な範囲が最終的には当事者の合意で定まること自体に相違はないと思います。ただし、スタンスに違いがあるとすれば、着目している時点に違いがあるのかもしれません。
「データ編」が一定の合意を前提とするのに対して、「AI編」はそのような合意が成立する前の時点に着目しています。そして、契約がない状況では、合理的意思解釈も介在せず、法令上の制限がない限り、元データや派生データは、それにアクセス可能な者が自由に利用できるのが原則です。
この立場に立てば、契約では、当事者がデータを「どの範囲で利用できるか」ではなく、「どの範囲で利用できないか」を定めることになります。また、データの取扱いは、現実にアクセスできる者が、どのような条件であれば、それを他者に開示してもよいと考えるかが重要な要素になりますので、当事者は必ずしも、対等な立場にはないと言えるかもしれません。なお、データへのアクセス可能性が重要ということは、契約上の手当はもちろんのこと、開示の範囲を限定する等、事実上の保護が重要であることを意味します。
大企業とスタートアップのパワーバランス
事業者側からガイドライン全体を見て、どういった感想を持たれましたか。
八木氏
本ガイドラインの構造は、ガイドラインとしてのメインの本文とユースケースの2つに、大きく分けられるかと思います。JDLAでは今まさに、産業促進という観点で、いかにこのユースケースを当てはめていくかを議論しています。ユースケースがどんどん広がっていけば、日本の強みになるのではないでしょうか。
中林氏
私は事業者の立場から「契約書のテンプレートをもっと作ってほしい」と、経済産業省にお願いしています。強制力の話にもなりますが、大企業がSIerやスタートアップと組むときに、契約交渉に余分な時間が割かれたり、パワーバランスが働いて一方の負担が多くなったりしないよう、両者が健全に利益配分できるような契約を作ってほしいという意味も込めています。
佐藤氏
ベンチャー側は法務や知財部門が無く、どうしても大企業に対して弱い立場となり強制力が働きがちなので、守ってもらわないと困るという話もずいぶん聞きます。強制力を調整する観点からも、本ガイドラインやユースケースは有用です。
中林氏
契約をきっちりまとめるよりも、早くモノを作ってスタートして利益を生み出した方が、絶対に価値があると改めて思いました。契約書のやりとりで1か月かかってしまうのであれば、そのまま用いることができるテンプレートで進められれば良いですよね。この点については、契約当事者間でまだまだ議論すべき課題が残っているので、そこはガイドラインを使いながら、ユースケースを作ってオープンにしていきたいです。
八木氏
最終的には、SIerとスタートアップが契約で揉めることなく、Win-Winにすることが目標ですよね。私はSIerとして、いろいろなスタートアップとお付き合いしていますが、そういったWin-Winの関係を築くことを心がけています。
佐藤氏
私がベンチャー側だから言うわけではないですが、大企業からしても、ベンチャーがオープンイノベーション等で一点突破していくところを見てきているわけです。その力をうまく使うことを考えると、ベンチャー育成にある程度寄与するガイドラインであるべきかなと思います。おそらく経済産業省には、大企業は自分たちの力で何とかなるから、中小企業を手厚く守ることで、産業全体を底上げしていくという基本的な考え方があるのではないでしょうか。その立場で考えると、ガイドラインがこうした内容になるのは納得できます。
松下弁護士
スタンスをどこに置くのか、ガイドラインを作っているとそれが非常に難しいんですよね。本当にフラットなもので良いのかという議論もありましたが、過度に一方に寄っていると使いにくくなりますから、そこのバランスにはある程度配慮しました。
AI開発ではユーザの積極的な関与が必要不可欠
他の立場で言うと、データ分野では受領者や提供者、AI分野ではユーザやベンダ等、どの企業もいずれにもなる可能性がありますよね。
八木氏
まさに当社もそうで、普段はSIerとして開発することがメインですが、AIのジャンルになるとユーザ側やプラットフォーマーにもなれます。各企業がいかに抜きん出るかのせめぎ合いが始まっている中、日本の産業界としてどう促進するか、協調する部分と戦っていく部分を棲み分けながら、微妙なバランスで成り立っているような気がします。
尾脇氏
八木さんがおっしゃった通りです。当社も、データ分野では受領者と提供者の両方の立場になる可能性がありますし、AI分野でも基本的にはユーザ側ですが、場合によってはベンダとなるかもしれません。
つまり当社はITの専門企業ではありませんが、一定程度の技術や知見を有しています。現実には、当社のような会社はたくさんあると思います。
本ガイドラインは、ITの専門家であるSIerやベンダと、まったく知識のないコンピューターの素人である依頼者という両極端のプレイヤーを想定しているような印象があります。まずは、こうした対比を明確にしていただくことで非常に分かりやすい内容になっています。ここでまずは基本形をしっかり固めていければいいですね。それから徐々に、さまざまな立場の企業の実情に合ったような複雑な問題に取り組んでいけば、使い勝手が良いガイドラインになると思います。
松下弁護士
「AI編」を作成する段階では、中間的な事業者がいることは当然認識していたものの、まずは基本形について議論を整理する必要があると考え、ユーザ対ベンダという、ある意味でシンプルな状況を想定しています。複数の当事者が関与する場合、あるいは当事者が両方の立場になる場合にどのような法的な課題があるかは将来の検討事項であると思います。
なお、実務上は、ベンダは一定の知識を持っていますが、ユーザの属性や知識はまちまちで、AI技術について、まったく分からず、その開発をベンダに丸投げすることも少なくありません。しかしながら、AI開発には、ユーザの積極的な関与が必要不可欠です。したがって、ユーザが積極的な役割を果たすことの重要性は本ガイドラインでも強調しています。
ユースケースを発信する重要性
今回のガイドラインでは、ユースケースを取り上げていることが特色の一つですが、事業者の立場からはどう受け止めましたか。
佐藤氏
最後のユースケースは法務でなくても理解しやすい内容だと感じました。産業促進のためには、ユースケースを集めてまとめるのが一番早いですよね。
中林氏
契約やビジネス上の問題で、詳細でリアルなユースケースは出せない企業が多いのではないでしょうか。そうなると、表に出せるユースケースはビジネスデルとしては古く、最先端で考えていることは出せません。そこに原理的な難しさがあるように思います。
松下弁護士
確かに、ガイドラインで取り上げているユースケースは、ちょっと少ないかなという気はしています。
佐藤氏
私はAIのベンダとして、お客様から年間150件近くご相談を受けています。皆さん横の繋がりがないせいか、自分たちのやりたいことを「秘密」にしたいと言いますが、実はほぼ同じことをされているので、それなら表に出してもいいと思います(笑)。
大企業であってもユースケースをオープンにすることで、中小企業がユースケースに則して開発してみる。そういう広がりから、次のイノベーションが起こります。
ユースケースをオープンにすることが結果的には自分たちのインセンティブになることを伝えて、表に出してもらえる形になれば、非常に良いサイクルに入っていくのではないでしょうか。
八木氏
JDLAではAIベンダを中心にSIerやエンドユーザ企業と協力関係があるので、ユースケースを増やす取り組みを始めようとしています。経済産業省がユースケースを発信している取り組みに対して、我々が賛同しているという姿勢を見せることで、少しでもユースケースが出てくるよう促進できれば良いなと考えています。
中林氏
場合によっては、架空のユースケースを作っていくのも良いかもしれません。
佐藤氏
実装しながら、新しいアプローチも出てくるので、ユースケースで隠すべきところがどこかを判断するのが難しいですね。たとえば、画像認識の部分で、最先端のアプローチを使っているという情報だけはブラックボックスにしておいて、データ・セットやアウトプットはオープンにしていいのではないでしょうか。
今のAIの特徴は、「データなしではただの箱」ということ。いくらユースケースを出したところで、データのオーナーが協力してくれなければ絶対できません。その意味で、ユースケースを出しても、何かが失われることはあまりないように思います。
(取材・文・編集・写真撮影:村上 未萌、取材・構成:BUSINESS LAWYERS編集部)
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意思表示について、客観的な事実等から合理的に推認し、その内容を確定していくこと ↩︎
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