「廃墟写真事件」は何が問題だったのか? 創作活動における著作権の判断ポイント
知的財産権・エンタメ
著作権法と実務上の論点
著作権法は、「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」を著作物と定め(著作権法第2条1項1号)、これを創作した者(著作者)に著作権を付与している。著作物につき、著作権者の承諾なく複製したり、翻案したりすることは、原則として認められていない(著作権法21条、27条)。
しかし、個別具体的な事案になると、果たしてある作品が「思想又は感情を創作的に表現したもの」といえるのか、そして実際にどのような行為が複製や翻案に該当するのか、判断が難しいケースも多く見られる。
本稿では、廃墟を撮影した写真に関する裁判例を取り上げる。本件は、果たしてどのような行為が複製権や翻案権の侵害にあたるのか、著作権以外に創作者に認められる法的利益はあるのか、といった実務上の重要論点において極めて示唆に富む事案である。
- 東京地裁平成22年12月21日判決(平成19年(ワ)451号)請求棄却
- 知財高裁平成23年5月10日判決(平成23年(ネ)10010号)控訴棄却
- 最高裁平成24年2月16日判決(平成23年(ネオ)第10014号・平成23年(ネ受)第10016号)上告棄却
事案の概要
X及びYはともに写真集などを出版しているプロの写真家である。
本件は、Yが撮影し、出版した4冊の写真集の中に含まれる5点の写真がXの撮影した写真の著作権(複製権・翻案権)及び著作者人格権(氏名表示権)を侵害し、また写真集に掲載されたYの発言がXの名誉を毀損し、Xが最初に廃墟を被写体として取り上げた者と認識されることに伴って生じる法的保護に値する利益を侵害したとして、不法行為に基づき、出版差止め、損害賠償、謝罪広告を請求したという事案である。
なお、写真は後記のとおりであり、PがXの写真、DがYの写真である。Pは説明的な記録より雰囲気を優先し叙情的な白黒ないしはセピア色の写真であるのに対し、Dは説明的かつ克明に記録した端正なカラー写真である。またPは長方形であるのに対し、Dは2を除き正方形である。
1-D「廃墟遊戯」(㈱メディアファクトリー 1998年10月発行)、 「廃墟遊戯―Handy Edition」(㈱メディアファクトリー 2008年1月発行)
(本文中の写真はいずれも、第1審の判決書き別紙写真目録(1)より)
本件における法律上の争点
本論考で述べる法律上の争点は、以下のとおりである。
Y撮影にかかる写真(以下「Y写真」という)の作成がX撮影にかかる写真(以下「X写真」という)に関する著作権(複製権・翻案権)及び著作者人格権(氏名表示権)を侵害するか。
争点2
Xが最初に廃墟を被写体として取り上げた者と認識されることに伴って生じる利益は法的保護に値するか。
2-D:「廃墟をゆく」(㈱二見書房 2003年1月発行)
争点の検討
争点1 被写体の選択・決定行為は著作権侵害となるか
(1) 写真の翻案について
翻案とは、一般にオリジナルの作品を自由に翻訳、編曲、変形、編集する行為をいうが、法律上問題となる著作物の翻案とは、「既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為」とされている(最高裁平成13年6月28日判決・民集55巻4号837頁:「江差追分事件」)。
問題は、翻案権侵害の有無について、どのように判断するかである。この判断方法については、大きく分けて以下の2つの考え方がある。
① 創作的表現の共通部分の有無で判断する方法
両著作物を比較し、原告著作物の創作的表現が共通していれば翻案に該当する、共通していない部分の多寡やその内容を考慮する必要はないとする考え方。
これは表現上の本質的な特徴=創作的表現と考え、著作権侵害となるためには、元の著作物の創作的な表現が再生されていれば十分であり、それ以上に元の著作物の全体が模倣されているか、それともその部分が模倣されているかを論じる実益はないとする考え方である。
② 全体を比較して判断する方法
創作的表現において同一性が認められる場合であっても表現上の本質的な特徴を直接感得することのできない場合もありえ、その場合は翻案にならないとする考え方(全体比較論)。
既存の著作物が別の著作物の一部に取り込まれて埋没し、色あせた状態になった場合(希釈化)にはもはや表現上の本質的な特徴は直接感得出来なくなるとする考え方である。
それぞれの違いと本件の考え方
①の考え方は共通部分を抽出し、それを比較することになるが、②の考え方の場合はもっと広いひとまとまりを比較して共通部分の全体における意味合いを検討することになる。
②の考え方によると、例えば創作的表現に共通性が見いだせる場合でも全体の文脈の中では別の意味合いに使用されている等の理由で翻案の成立が否定される場合があることになる。
本件においては、第一審判決、控訴審判決ともに、共通点と相違点を全て列挙してから「写真全体から受ける印象」が異なると判断しており、どちらかというと②の考え方に近いのではないかと思われる。
確かに写真の場合、文章や映像等と異なり、表現を創作的部分とそうでない部分とに容易に分けることができず、逆に一つの写真表現から、構図、カメラアングル、光量、シャッタースピード、レンズ・フィルムの選択、露光、色彩の配合等の創作的工夫の有無を判断すべき諸要素に分析して考えるためには、このような判断方法が妥当であると思われる。
3-D:「廃墟遊戯」「廃墟遊戯―Handy Edition」
(2) 被写体の取り扱いについて
本件で特徴的なのは、創作物が「廃墟写真」という特殊なジャンルであり、「廃墟」という特殊な被写体を対象としている点であろう。このような被写体の選択及び決定は、写真の創作的表現を判断する上での諸要素のひとつに入るのだろうか。
この点についても、2つの考え方がありえる。
① 否定説
写真の本質は撮影、現像行為であり、被写体の選択や配置を写真の著作物における創作性判断の諸要素とすることはできないが、被写体それ自体が著作物と認められる場合には、その被写体についての著作権侵害を別に主張出来るという考え方である(東京地判平成11年12月15日判決・判時1699号145頁:「すいか写真事件」)。
この考え方に立てば、他の者が選んだ被写体について撮影・現像を行っても、それ自体では同じ被写体の別の写真の著作権の侵害は成立しないことになる。
② 肯定説
これに対して肯定説は、写真の撮影にあたって被写体の構図や位置関係等を決定する作業は、写真の撮影行為の一環をなすものということができ、その意味で被写体の決定が写真の著作物の創作的な表現部分を構成すると考える(東京高判平成13年6月21日判決・判時1765号96頁:「すいか写真控訴審事件」)。
すなわち撮影者自身が被写体を人為的に作り出して配置した場合には造形と写真は一体となり切り離すことはできない。肯定説は、こういった場合には、両者を切り離すことなく、完成した作品全体の創作性は、造形を含めて総合して判断すべきであるという考え方である。
この考え方に立てば、他人が人為的に作り出した被写体の構図や位置関係と類似した被写体の写真撮は、当該他人の写真そのものの著作権の侵害が成立しうる。
Xの立場
本件においては、Xは、当然に肯定説に立った。
「廃墟写真」という特殊なジャンルでは、被写体たる廃墟の選定が重要な意味を持つ、すなわち「廃墟写真」の被写体は誰もが美しいと感ずる光景ではなく、従前見捨てられ、見逃されてきた光景に耽美性を見出して被写体として選択したこと自体に重要な意義があり、写真家の個性、美的センスないし感受性が表れているので、「廃墟」が被写体として写し出されていることにその写真の特徴は見出されるから廃墟写真のジャンルにおいては、被写体及び構図ないし撮影、方向に本質的特徴があり、撮影に用いたフィルムやカメラのサイズ、カラーか白黒か、印刷の色付けの方法、撮影年次や季節の相違からくる被写体やその周辺の状況などは、いわば味付けの部分であって、本質的要素ではないと主張した。
Yの立場
これに対してYは、「廃墟写真」もその他の風景写真となんら変わらないものであり、特定方向からの撮影はアイデアであり、著作権保護の対象外とすべきである、最初に写真を撮影した者が当該方向から撮影する権利を独占することになるのは本来自由であるべき表現を制約することになり著しく不当であると主張した。
判決の考え方
第1審判決は、①否定説の立場から「被写体として選択した点はアイデアであって、表現それ自体ではなく、・・被写体及び構図ないし撮影方向そのものは、表現上の本質的な特徴ということは出来ない」と判示した。
これに対し、控訴審判決は、「被写体が既存の廃墟建造物であって、撮影者が意図的に被写体を配置したり、撮影対象物を自ら付加したものでないから、撮影対象自体をもって表現上の本質的な特徴があるとすることはできず、撮影時季、撮影角度、色合い、画角などの表現方法に、表現上の本質的な特徴があると予想される」と判示しており、②肯定説の立場に立ったと思われる。
いずれの判決においても、被写体の選択や決定を写真の著作物における創作性判断の諸要素とは認めなかった。これらの判決は、理由付けは異なるものの、客観的風景や所与の被写体を特定の者に独占させるのは相当ではないとの価値判断が根底にあるものと思われ、八坂神社祇園祭ポスター事件(東京地裁平成20年3月13日判決)の流れに沿う判断といえる。
もっとも控訴審判決は、「既存の廃墟建造物であって、撮影者が意図的に被写体を配置したり、撮影対象物を自ら付加した場合ではないから、撮影対象自体をもって表現上の本質的な特徴があるとすることはでき」ないと判示していることからすると、被写体を自ら配置したり、付加したような場合には、すいか写真事件の控訴審判決同様に、被写体の選択・決定は創作的表現の一環をなすということになりそうである。
ただし、被写体にどの程度手を加えたら「撮影者が意図的に被写体を配置したり、撮影対象物を自ら付加した」と言えるのかは今後具体的に明らかにしていくべきものと思われる。
たとえば廃墟撮影にしてもそこに存在する廃棄物等を意図的に並びかえた場合などは、上記の「撮影者が意図的に被写体を配置したり、撮影対象物を自ら付加した」に該当することになるのだろうか。
4-P`「少女物語― 棄景IV」(㈱春秋社 2000年11月発行)「㊾東京都奥多摩町・小河内観光開発旧河野駅 1996年」、「奥多摩ロープウェイの機械室内部」(東京都奥多摩町所在)
4-D「廃墟漂流」(㈱マガジンハウス 2001年9月発行)
争点2 最初に被写体を選択した者の先行者利益は法的保護に値するか
被写体の選択・決定行為を模倣した場合に著作権侵害が認められないとして、この場合の不法行為は成立するであろうか。
この場合、著作権侵害が成立しない以上被写体については自由利用が原則となり、不法行為の成立は限定的に解釈にされる。例外的に不法行為の成立を認めた裁判例の多くは、模倣行為以外の別の事情が決め手となったものが多い。
以下は、肯定例である。
- 東京高判平成3.12.17知裁集23巻3号808頁:「木目化粧紙控訴審事件」
- 東京地判平成13.5.25判時1774号132頁:「スーパーフロントマン事件中間判決」
- 知財高判平成17.10.6著作権判例百選(第4版)10頁:「YOL事件」
- 知財高判平成20.12.24 2件「朝鮮映画輸入社vsフジテレビ控訴審事件」、「朝鮮映画輸入社vs日本テレビ控訴審事件」(著作権判例百選第4版)228頁
これらの肯定した裁判例は、「先行者の利益・販売価格の維持・新商品開発の意欲をそがない」、「相応の苦労・工夫・費用」、「国家として承認されていたのであれば当然認められてしかるべき権利」など、原告側に一定の保護を認めても不合理的とはならいような事情がある点に着目したと思われる。
本件において、Xは、自分は多大な労力と時間をかけて名もなき「廃墟」を発見し、それを最初に被写体として取り上げた先駆者であり、先駆者と認識されることによって生じる法的保護に値する利益は、①多大な費用と労力をかけて発掘した「廃墟」を写真集等に収録して発行し、投下資本を回収することによる営業上の利益、②廃墟の発見者と正しく認識され、多くの著作権収入を得る営業上の利益、③廃墟の発掘者として、後発の写真について利用許諾等を行うか、少なくとも参照したことを明らかにさせるべき営業上の利益などであると主張した。
これに対して、Yは、Xはこの分野の先駆者ではないし、風景の撮影・発表の権利を最初に撮影した1人の者が独占するのは著しく不当であり、写真表現そのものが委縮する結果となる、読者やマスコミはあくまでも出来上がった写真の善し悪しで写真等の購入や仕事の発注を選択するのであって、「先駆者と認知されること」によって発生する営業上の利益などないと主張した。
判決の考え方
第1審判決は、「廃墟を被写体とする写真を撮影すること自体は、当該廃墟が権限を有する管理者によって管理され、その立入りや写真撮影に当該管理者の許諾を得る必要がある場合などを除き、何人も制約を受けるものではない・・・ある廃墟を最初に被写体として取り上げて写真を撮影し、作品を発表した者において、その廃墟を発見ないし発掘するのに多大な時間や労力を要したとしても、そのことから直ちに他者が当該廃墟を被写体とする写真を撮影すること自体を制限したり、その廃墟写真を作品として発表する際に、最初にその廃墟を被写体として撮影し、作品として発表した者の許諾を得なければ当該廃墟を被写体とする写真を撮影することができないとすることや、上記の者の当該写真が存在することを表示しなければ、撮影した写真を発表することができないとすることは不合理である」として、Xが主張する営業上の利益が法的保護に値する利益に当たることを否定した。
また、控訴審は、「廃墟写真を作品として取り上げることは写真家としての構想であり、・・・廃墟が既存の建築物である以上、撮影することが自由な廃墟を撮影する写真に対する法的保護は、著作権及び著作者人格権を超えて認めることは原則としてできない」と判断した。
被写体の選択及び決定について著作権上の保護が否定されたにもかかわらず、この選択・決定から生じる利益が一般不法行為により保護されるとなれば、特定の者にその被写体の選択及び決定を独占させる結果となり、妥当ではない。
本件においても、このような価値判断の下で不法行為の成立を否定したと考えられる。特に何人でも立ち入りが自由であるような場所に被写体が存在する場合、このような被写体は公共のものであり、特定の者に独占を認めることは妥当ではない。本件判決はこういった価値判断に沿うものであり、妥当であると評価できる。
最高裁判所もこの結論を支持した。
5-D:「廃墟漂流」(㈱マガジンハウス 2001年9月発行)
