企業法務担当者のための英文翻訳レベルアップ勉強法
第1回 法律事務所の翻訳者はどんな業務をしているか
取引・契約・債権回収
目次
昨今、企業間の国際的な取引が盛んに行われています。国内企業が海外に進出したり、逆に海外企業が日本でビジネスをする中で、契約書を翻訳する機会も増えているのではないでしょうか。
そこで連載では、法律事務所の翻訳者である筆者が、企業法務の担当者にとっても参考になる、翻訳業務の実際や学習のコツについてお伝えします。今回は「法律事務所における翻訳業務の実際」について取りあげます。
なお、本稿は、筆者個人の見解であり、筆者の所属する法律事務所の公式の見解ではありません。
法律事務所における翻訳者と翻訳業務
法律事務所の翻訳者とは
法律事務所において翻訳を担当する者は、法律事務所により人員をどう分類しているかによっても異なりますが、翻訳スタッフ(トランスレーター)、パラリーガル、英語に堪能な日本人弁護士、外国人弁護士などがいます。
法律事務所のスタッフレベルの翻訳者(トランスレーターやパラリーガル)は、国立大学や有力私大などの法学部出身の人、上智大学や国際基督教大学などの英文科や英語専攻出身の人、英語圏に居住経験のある帰国生、英語圏の大学や大学院に留学経験のある英語に堪能な日本人、英語ネイティブの外国人など、さまざまです。ちなみに法律事務所で働いている英語ネイティブの外国人は、筆者の知っている範囲では、アメリカ人とオーストラリア人が最も多いです。
なお、パラリーガルを主として国内法の法律調査や登記関連の仕事に当て、トランスレーターを翻訳業務に当てるような、パラリーガルとトランスレーターを区別している法律事務所では、パラリーガルは法学部や法科大学院出身者が多いですが、トランスレーターは法学部出身とは限らず、むしろ語学センスがあると見込まれて採用された、英語が得意な人が大半です。
語学が得意なこと以外で、翻訳者に求められる資質として、細部にわたり正確な仕事を行う能力があげられます。たとえば、スペルミスや漢字の変換ミスがあってはなりません。100%正確な文書を作成する意識をもって、細かい部分にも注意して作業を行うことが求められます。また、仕事を行う上で、弁護士と信頼関係を築き、必要があれば弁護士に仕事の状況を報告し、円滑にコミュニケーションを取ることも求められます。
法律翻訳者の育成方法
法律事務所の翻訳者は、弁護士や先輩トランスレーターの指導のもと、法律文書を実際に翻訳しながら、OJTを通して、フィードバックを受け、年月をかけて上達します。初めのころは、法的な専門用語が少ない、法律文書以外のものを多数手がけながら、翻訳の「いろは」を習得することからスタートします。時間を経て、徐々に、法律文書や専門性の高い文書の比重を増やしていきながら、法律用語や英文契約の勉強も並行しつつ、より高い専門性を身につけていきます。
一人前の優秀な法律翻訳者が育つには通常、何年もかかります。法律事務所の翻訳者はもともと語学センスがあることが重要ですが、法律翻訳を続けていくうえで継続的な勉強も必要です。語学センスもあり、仕事が丁寧かつ正確であるなど、もともと法律翻訳者としての素質を備えている人であれば、5年が一定の安定的な翻訳能力が身に付く目安であり、10年も継続すれば、業界においても貴重かつ有力な存在ともいえます。
初心者の翻訳者は、経験者の翻訳者の翻訳レビュー(チェッカー)の仕事を割り当てられることも多いと思います。このように、初心者は、上級者の翻訳を読むことを通して、勉強しながら上達する場合が多いでしょう。これに対し、一人前の翻訳者であれば、何十ページもの分量の翻訳を自ら手がけたり、法的専門性の高い文書を翻訳したりします。
翻訳の対象となる文書
法律事務所における翻訳対象文書はさまざまで、法律文書からそうでないものまであります。たとえば、所内弁護士の執筆記事(英語媒体に掲載する場合の和文英訳や、外国人弁護士が執筆した場合には和文媒体に掲載するための英文和訳)、プレスリリース、電子メール、レター、各種通知、裁判所に提出する書類、証拠書類、就業規則、登記簿、貸借対照表、損益計算書、宣誓供述書、業務委託契約、株式譲渡契約、販売店契約、売買契約、賃貸借契約、信託契約などの各種契約、などいろいろなものがあります。
法律文書 | 法律文書以外のもの |
---|---|
など |
など |
和文英訳と英文和訳の業務の割り振り
翻訳には、和文英訳と英文和訳があります。
多くの場合、日本人は、英文和訳をメインに担当します。
ただ、翻訳対象文書である日本語の構造や意味を正確に理解し、読み解く能力が高いという点からは、日本人であっても(また帰国生とかでなくとも)、高いクオリティで和文英訳もできるでしょう。
確かに、英文として自然な表現を駆使すべき場合には、外国人トランスレーターや外国人弁護士が助けになります。気持ちのこもったレターなどの自然な英文が好まれる文書のように、英語ネイティブの外国人のほうが適している英訳業務もあります。しかし、法律翻訳の経験を積んでいない外国人であれば、たとえ英語ネイティブであっても、あまり関係はないと思います。
また、和文英訳を担当するような外国人については、教養のある英語能力を駆使できるとともに、日本語能力も高いことが大前提となります(日本語能力試験(JLPT)N1を取得している人も多いです)。実際には、法律事務所において和文英訳を担当するレベルの英語ネイティブの外国人弁護士・外国人トランスレーターは、日本が大好きで日本に長年住んでいる外国人であったり、日本人と結婚している外国人であったりするケースが多いです。
法律翻訳の学習方法のヒントとアドバイス
グロッサリーを作成する
法律翻訳を学習する初期段階では、翻訳をOJTで手がけながら、学習したことをもとに、グロッサリー(用語集)を作成することをおすすめします。用語・表現・文章・条項、というようにグロッサリーを作成し、次第に表現のレパートリーを増やしていきましょう。
また、それぞれの用語について、定義や、典型的な例文も含めて、情報をまとめていくと良いです。リストアップする事項は、何年も翻訳を続けているうちに、少なくとも数百個は蓄積されていくはずです。
また、翻訳中に疑問に思ったこと、理解したこと、確認したこと、勉強したことは、常時記録に残し、更新していくことをおすすめします。これも長い目で見て蓄積されていき、自分の財産になります。
用語・表現・文章・条項 | 定義 | 典型的な例文 |
---|---|---|
Affidavit 宣誓供述書 |
A voluntary declaration of facts written down and sworn to by the declarant before an officer authorized to administer oaths. (出典:Black’s Law Dictionary) | The signature appearing below is, for all intents and purposes, my true and correct signature. 下記の署名は、あらゆる点において、私の真実かつ正確な署名である。 |
法律翻訳の学習のための参考ウェブサイト・資料
日本法令外国語訳データベースシステム、辞典的なものを含めた英文契約書籍に掲載されている各種サンプル契約、日本ローン債権市場協会(JSLA)のサイトに掲載されている英和版の契約(Commitment Line Agreement, Revolving Credit Facility Agreement)などがあります。
手元にあると便利な法律用語の参考文献
(1)日本語文献
「BASIC英米法辞典」

- BASIC英米法辞典
- 著者:田中英夫(編集代表)
- 定価:本体2,800円+税
- 出版社:東京大学出版会
- 発売年:1993年
英米法律用語を調べる上での権威的書籍である、「英米法辞典」のダイジェスト版です。「英米法辞典」は大きく、重いので、手元に持ち歩くにはこのダイジェスト版が便利です。
「ビギナーのための法律英語(第2版)」

- ビギナーのための法律英語(第2版)
- 著者:日向清人
- 定価:本体2,000円+税
- 出版社:慶應義塾大学出版会
- 発売年:2012年
初心者が基本的な法律の文章を読み慣れ、勉強するのに、有用な入門書だと思います。
「経済・ビジネス英語2万語辞典」

- 経済・ビジネス英語2万語辞典
- 著者:日向清人
- 定価:本体4,800円+税
- 出版社:日本経済新聞出版社
- 発売年:2009年
タイトル通り、経済用語やビジネス用語について、2万語という豊富な訳語例を挙げており、有用な書籍だと思います。
その他の参考文献
- 「ローダス21最新法律英語辞典」東京堂出版、長谷川俊明(2007年)
- 「英和・和英 金融・証券用語辞典」松村尚彦、ジャパンタイムズ(2003年)
- 「英和・和英 金融・証券・保険用語辞典」安達精司、アイエスエス(2004年)
- 「英米商事法辞典」鴻常夫・北沢正啓、商事法務研究会(1986年)
など
(2)英語文献
- “Black’s Law Dictionary(10th Edition)” Bryan A. Garner, West Books(2014)
- “A Manual of Style for Contract Drafting(Third Edition)”, Kenneth A. Adams, American Bar Association(2013)
- “Legal Usage in Drafting Corporate Agreements”, Kenneth A. Adams, Quorum Books(2001)
- “Garner’s Dictionary of Legal Usage(Third Edition)”, Bryan A. Garner, Oxford University Press(2011)
次回は、英米法と英文契約の学習方法と、そのうえで行う法律翻訳のコツについて、企業法務担当者も参考にできるヒントとアドバイスも交えつつお伝えします。

弁護士法人瓜生・糸賀法律事務所