法務キャリアの多様なロールモデルを知ろう
第4回 vol.2 takano utena - 入社20年目にビジネス部門から法務へ異動して組織再編の荒波に揉まれる
法務部
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先人たちが切り拓いてきたキャリアの道のりや多様なロールモデルを紹介する本連載では、2人目のインタビュイーとしてtakano utenaさんにご登場いただきます。前編では、42歳でビジネス部門から法務へ異動し、大規模リコールと会社売却に一人法務として対応したご経験について伺いました。
History
時期 | 所属部門・出来事 | 職務内容 |
---|---|---|
1987 | 化学系総合製造業入社 建材設備機器営業部門配属 |
官公庁、準官庁、不動産デベロッパー、設計事務所、ゼネコンを顧客とする販売業務 |
1999 | 製品事業部に異動(2000年〜課長代理職) | 製品事業企画(予実算管理) 製品価格(卸値)管理 商品企画・販促管理 事業者団体会務 |
2001 | 所属部門が会社分割・分社され上場企業の100%子会社に | − |
2002 | 営業企画部に異動 | 販売子会社の営業教研修事務局 親グループ会社の管理職研修社内講師 |
2003 | 営業本部開発営業部(課長職) | 住宅デベロッパー、フランチャイズを顧客とする営業業務 |
2005 | 販売子会社出向 | 地域の販売先相手の営業業務 |
2006 | 営業本部販促グループ(課長職) | 販促企画、販促物作成・管理 プレスリリース業務 |
2006.12 | 社長室に異動(法務担当課長) | 法務業務、広報業務、渉外 |
2007.6~8 | 製品リコール対応 | 弁護士協議(自社のリスク対応) 事業者団体協議(広報対応) メディア対応 所管協議(主に広報対応) 調査業務(過去の事案の事実確認) |
2008.1 | 親会社から投資ファンドへ勤務先の株式譲渡 | デューデリジェンス対応 企業再編事務手続業務 金融機関契約交渉 商号変更に関する交渉 |
2008.12 ~2009.4 |
販売子会社吸収合併 製造子会社事業譲渡 商号変更 |
企業再編事務手続 再編に伴う許認可関係の手続確認等 |
2010 | 上場準備開始 | 上場準備事務局(2012年6月まで) |
2011 | 持株会社設立 法務担当部長として持株会社に出向 |
株式移転など持株会社設立・登記 |
2012 | 投資ファンドから上場企業へ株式譲渡、 再び上場企業子会社に |
デューデリジェンス対応 企業再編に関する業務(広報含む) |
2013 | 持株会社解散、元の事業会社に出向復帰 | − |
2019 | 執行役員内部監査室長として内部監査室に異動 | 法務コンプライアンス部長兼任 |
2020 | − | 法務コンプライアンス部兼任解除 |
42歳からスタートした法務キャリア
法務への異動はいつでしたか。
法務職に異動となったのは2006年で、42歳のときでした。その後2019年に内部監査と兼任になり、2020年からは法務を外れて内部監査専任になりましたので、法務として仕事をしていたのは14年間です。
新卒入社時に配属されたのは営業で、事業企画系の部門を経て法務へ異動しましたが、当社では珍しいパターンです。他社でもこういう経歴をたどっている人はなかなかいないのではないでしょうか。
utenaさんが異動する前はどのような法務体制だったのでしょうか。
2001年の分社以降、私が異動するまでは当社に生え抜きの法務専任の担当者はおらず、株主総会や登記などの業務は親会社から出向してきた方が担当していました。2006年当時は、法務専任の人材を雇おうにも、そもそも転職市場に法務人材がそれほどいませんから、親会社からの出向者を充てていたようです。
そんななか、出向者たちが順番に親会社へ戻り、法務担当で残っていた1人ももうすぐ定年退職することになって、「そういえば法学部出身だったよね」と私が引っ張ってこられたわけです。法務という職種の存在すら意識していなかったのに、そんな昔の履歴書を持ち出してこられても…と戸惑いました(笑)。
私は学生時代に司法試験の勉強をしておらず、法律の勉強にそれほど真剣に向き合ったことはありませんでした。それが、大学を卒業して20年経ってから仕事として取り組まなければならなくなるとは、なんとも皮肉な巡り合わせですね。
異動が決まったとき、どのように感じましたか。
異動の知らせを聞いて、これはもう営業や事業企画といったビジネス部門に戻ることはないな、と覚悟しました。異動前のパフォーマンスは下降気味で、自分自身でも限界めいたものを感じていましたので。
一方で、入社20年目という節目でのキャリアチェンジも、これはこれでありかな、ともとらえていました。あと10年遅かったら少々厳しかったかもしれませんが、サラリーマン人生の折り返し地点で環境がガラッと変わるのも悪くないと思いました。
早くに出世して実務から離れた知人・友人たちの中には、急速に衰えて、若い頃の切れ味がなくなっていく人もいましたので、緊張感のある現場に身を置くことの大切さは感じていました。私の場合、転職もせずにまったく違う仕事に移れたのはむしろラッキーだったと思います。知らないことを知るのは面白いですしね。会社のことをより深く知るのに良いポジションだよ、と言ってくれる人もいました。
未経験での法務への異動はやはり大変でしたか。
法務は未経験とはいえ、勤続年数は相応に重ねていたので、まったくの手探りではありませんでした。たとえば、営業部では取引先と建築図や仕様書をやり取りしていたので、建築関連の法律や契約、商習慣はよく知っています。また、製品事業部時代には、営業から工場まで、会社全体を広く見る経験をしていました。
20年の経験を通じて自社事業や社内力学、市場や業界の事情を一通り理解しており、いろいろな部門の実務担当者やキーパーソンとの人間関係もできていた点は強みだったと思います。
ただ、それらの経験が絶対的なアドバンテージにはならないことも感じていました。
当然のことですが、営業部の担当者が私に求めるのは、「営業のことをよく知っているutenaさん」ではなく「法務としてのutenaさん」です。現場の心情もわかっていましたので、下手をすれば、ハンコを早く押してもらって「法務のお墨付き」を得るために都合良く利用されてしまう可能性もありました。
また、法務生え抜きの方と比べれば、ゼロどころかマイナスからのスタートです(そしてその差は何年経っても縮まりませんね)。
一番きつかったのは、畑違いの異動でも職位は課長のままスライドしたため、未経験なのにいきなり責任者になってしまったことです。年齢・職位と経験が乖離しているのはつらいものです。私の言ったことがそのまま法務責任者としてのコメントになるわけで、自分の経験や能力の不足が原因で会社に損失を与えるかもしれないのは相当なプレッシャーです。
これは頭を切り替えてしっかりやっていかなくてはならないなと気を引き締めました。
法務1年目の一人法務体制で大規模リコールと会社売却に対応
異動後のお仕事はいかがでしたか。
前任者からの引き継ぎもほぼなく一人法務としての仕事がスタートしました。12月に異動したのですが、年明け1月の経営会議や取締役会の事務局は一人で対応していたと思います。とはいえ当時の法務業務はあまり立て込むことはなく、入社以来初めて、定時退勤の日々を過ごすことができました。
しかし平穏な生活は長くは続きませんでした。これなら長年おろそかにしていた勉強にも取り組めそうだと思っていた矢先、突発的な案件が2件続いたのです。
まず、異動の半年後に大規模な集団製品リコールが発生しました。
この事案は、改正消費生活用製品安全法の施行直後に発生したものであり、またさまざまな経緯から、国会で所管大臣自らが、リコールを実施して100%回収・改修すると答弁したことから、自社だけではなく業界全体としての取組みが不可避なものとなっていました。
リコール開始にあたって過去の記録を再確認したところ、経産省への報告が漏れていた死亡事故が1件発覚し、その対応に追われることになりました。
「報告するか否か」「意図的な事故隠しではないことをどのように説明し理解を得るか」「自社の説明が集団製品リコールのスキームを破綻させるおそれはないか」「仮に集団製品リコールのスキームから離れて単独でリコール公表・実施するとしたら、自社は耐えられるか」「行政の面子をつぶさないようにするにはどうすべきか」といったことを、親会社、弁護士と毎日夜遅くまで議論し、過去の事実の再確認と協議を重ねました。
しかもたまたま社長交代のタイミングが重なってしまい、リコール対応でバタバタしている合間に実印を借りて登記手続を進めるという、目の回るような2か月でした。
ビジネス部門での経験が活かせる場面はありましたか。
製品事業部では業界団体の活動も担当していて、その当時も業界全体で製品自主回収に取り組んだことがありました。このときに混沌とした状況に身を置いた経験は、法務でのリコール対応に少なからず影響を与えたと思います。
たとえば、自主回収でもリコールでも経産省が関わってきますので、彼らの理屈がなんとなく理解できていたのは役に立ちました。また、全体的な流れとしても、こういうパターンで着地するだろうなという見通しは立てられていたので、大変な事態であることに変わりはないのですが、どこか落ち着いて対応することができました。
リコールの件は最終的に、過去の事故も含めて同業他社と合同で記者会見を行って公表し、テレビCMも打つことになりました。ここでも、製品事業部での販促業務を通じて構築していた同業他社の広報担当者のネットワークや、広告代理店との付き合いに助けられ、かなりスムーズに立ち回ることができました。当時の部門長からは、業界の中では知られた存在だったんだね、と声をかけてもらったのを覚えています。
突発案件の2件目はどのようなお仕事だったのでしょうか。
リコール対応から3か月後に、勤務先が親会社によって投資ファンドへ売却されることが突然決まり、対象会社の法務担当者として、デューデリジェンス対応や再編事務手続、金融機関との契約交渉などの実務部分を一人で引き受けることになりました。
本来であれば、日常的な取引の契約審査で経験を積みながら法務知識を身につけていく時期なのでしょうが、そういう基礎編をすっ飛ばしていきなり応用編です。かなりの背伸びが必要でした。
当然何もわかりませんし、教えてくれる人もいません。親会社法務も、もはや「こちら側」には立ってくれません。銀行や弁護士との会議に参加しても、周りが話していることがほとんどわからないのです。しかし「何のことですか」と聞くわけにはいかないので、その場ではポーカーフェイスに徹してメモをとり、会議後に必死で調べるという日々でした。
銀行の交渉のやり方を見ていると、知識・スキルの両面で大いに勉強になりました。法律上可能な担保設定の仕方、法的な条件の詰め方など、良い教材ばかりがそろっていたと思います。私の場合、それまでの経験がなかった分吸収しやすかった面もあり、この仕事を通じて自分の “ネタ” をたくさん得ることができました。
その後4年にわたって組織再編の仕事が続き、会社としては大変な時期でしたが、個人的には本当に貴重な経験ができたと思います。
その後の組織再編に関して印象的だったことはありますか。
法務の実務を担当できる人が自分以外にいなかったので、ファイナンスローンの更新に伴うファンドとのやり取りや事業報告書の作成、持株会社設立にあたっての手続などいろいろ対応しました。持株会社設立にあたっては、定款作成から登記まで司法書士と二人三脚で取り組みましたが、たいがいは会社法上の例外対応のようなことばかりやっていましたね(笑)。株主総会も取締役会も、異例に異例を重ねる手続が多かったです。
持株会社設立後はIPO準備をしていたのですが、上場準備資料が出来上がったくらいのタイミングでまた売却の話が持ち上がりました。上場準備資料はそのままデューデリジェンスに使われ、翌月にはもう企業結合審査の書類を作ることになります。異動当初の売却の経験から、ああこれはもう決まりなんだな、とわかりました。
この売却のときは買主が上場会社だったため、情報管理には非常に気を遣いました。2007年のファンドへの売却のときは、どこからか嗅ぎつけた新聞記者が社長の自宅に張り付いて大変でした。リークがつきものとはえ、対象会社から漏らすわけにはいきませんので、同じ轍を踏まないよう、関わる人数を最小限に絞って徹底的にガードしたのです。
公表の前日には、付き合いのある新聞記者から私宛てに電話があり、あれこれと探りを入れられたのですが、最後までシラを切り通して無事に公表日を迎えることができました。メディアとのつながりは大事なので、公表後はその記者に「あのときはごめんね」と謝っておきましたけどね。
他部署からの異動というハンデをどう乗り越えるか
法務に異動してきた人がキャッチアップするためにはどう勉強すればいいでしょうか。
知識を効率よく身につけるならビジネス実務法務検定2級または3級の勉強から始めるのがいいと思いますが、私は当初そういうこともわからなかったので自己流でコツコツと勉強していました。
異動してきてまず困ったのが、弁護士や取引先の法務とのやり取りのなかで交わされる言葉や、その背景となっている共通認識を理解できないことです。追いつくにはどうしたらいいだろうと考え、彼らが通ってきたであろうプロセスと同じ道をたどってみることにしました。
しかし基本書を頭から読んでみても到底追いつけそうもありません。それなら、ということで、司法試験予備校の出している参考書など、読みやすそうなものを片端から読んでみました。もちろんすべてがわかるわけもなく、知識を身につけるのに近道はないんだなと痛感しただけでしたが、それでも役には立ったと思います。
異動当初、主に勉強したのは民法と会社法です。特に会社法については、部門長から、取締役会事務局としてよく勉強しておくように言われたので頑張りました。異動した2006年はちょうど新会社法が施行された年だったので、勉強するのに良いタイミングだったと思います。新会社法施行に合わせて多数刊行されていた書籍や雑誌のなかで、読みやすく値段も安かった「新会社法A2Z(現:会社法務A2Z)」のバックナンバーを1年分買って繰り返し読んでいました。
スキル面ではいかがでしょうか。
私の場合は社内に法務経験者がおらず、学べる環境になかったので、相手方との交渉から習得するという割り切りでいました。多少恥ずかしく、ときにつらい思いもするのですが、遅れてきた者は場数を踏んで追いかけるしかありません。
異動1年目にデューデリジェンスや銀行との交渉に直面し、無理をしてでも一人で対応せざるを得なかったのは、ある意味幸運だったといえます。もし異動があと1年遅ければ会社売却の経験はできなかったのですから、巡り合わせやタイミングの不思議さを思わざるを得ません。
ありがとうございました。後編では、法務のやりがいやこれからの環境変化について、ご経験を踏まえて語っていただきます。
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